October 31, 2003

野鳥がまちにくると

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クーと一緒に歩く朝の散歩ルート、妙正寺川にも今ごろの季節になるとカモがやってくる。おばさんが熱心に川をのぞき込んでいるがカモにしては視線が輝いているので、何がいるんですかと訊くと「おしどりなんですよ」という。川は、ここ数年の間、ずーっと護岸工事を続けている。間知石を積んだ石垣を、せっせと壊してコンクリートの壁に代えながらも古い壁に多少の未練を残すように、石垣もどきのレリーフが表面を覆う。これは横2メートル縦1メートルほどのわずかな単位で同じパターンをくり返すから、すぐにネタが割れる。コンクリート3面張りのニセモノの川に、本物の鴛鴦が来ことを、ぼくは単純には喜べないが、それでもしばらくはやや興奮してオシドリを見続けた。すれ違った隣の住人にオシドリのことを教えずにはいられなかった。

 大久保に住む叔母の家の池には、この春に白鷺が舞い降りた。はじめは喜んだ叔母たちの目の前で、彼らは池にいる金魚をつぎつぎと呑み込んだ。「どうしようか」と電話をかけてきた叔母に「金魚のいる家はいくらでもあるけれど、サギのくる家というのはすてきじゃないですか。もともとえさ用の金魚だったんだから食べさせてやったらどうですか」と、ぼくは荒っぽい慰めを言った。熱帯魚の餌として売っている安い金魚を、1000円ほどぼくがおみやげに買っていったのが、1,2年でみるみる成長して10センチ近くになっていたものだから、いささか金魚のいのちを軽んじてそう言った。ニセモノの自然のなかにおかれた野生の生物は、もの悲しく痛々しい。かれらの住んでいた場所も人間に壊されて減ってゆくという事情を、ぼくたちはすでに知っているからだ。

 その前の朝には新潟の郊外で5分ほどの間に白鳥の群れが4組、ぼくの頭上を飛んでいった。頭の上を大きな鳥たちが越えてゆくのは、オシドリよりももっと胸ときめくことだった。かれらは、新潟スタジアムのとなりの鳥屋野潟という池を根拠地に、刈り取りの終わったたんぼに降りて落ち穂拾いをするのだ。人工的な自然ではあるけれど、たんぼに白鳥たちが降り立ってももの悲しいとは、まだ感じられない。
田んぼは、人間による生産が自然と折り合う地点だからなのだろう。

 その後ひと月ほどの間に「うちもサギに池の魚を食べられた」というはなしを3回も聞いた。叔母の家の池は金網で覆われた。

投稿者 玉井一匡 : October 31, 2003 02:31 AM | トラックバック
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