November 17, 2003

林芙美子の住んでいた家:林芙美子記念館

hayashihouse1-S.jpg click image to pop up.

 西武新宿線・中井駅の近くに林芙美子の住んでいた家がある。いまでは新宿区立の「林芙美子記念館」となっているが、「放浪記」で流行作家になってこの家をつくり、ついの住まいとした。毎日その前を自転車で通ると、道は高台の足元を縁取るようにして走っているから、大谷石の擁壁とその上の豊かな緑を左手に感じる数10mが心地よい。
山口文象の設計した和風の家も樹木や草花が豊かな庭も別世界をつくっていて、季節ごとに美しい。それというのも、家はいうまでもなく庭の植物たちにも手入れが行き届いているからだ。土曜日など、時間の余裕のあるときに事務所に行く途中でときどき寄ってゆく。

 庭の池に泳ぐ鯉たちのために、水面に餌を散らしている人がいたので、しばらく横に立って見ていたことがあった。「わたしの家はこの隣で、林さんには、むかしうちが土地をお売りしたから、ときどきここにくるんです。この鯉もうちにいたんだが、大江戸線の工事をした時に、うちの池の水が漏れるようになってしまった。しかし、何百mだか基準の距離の限度を越えているので補償の対象にはならないんだそうだ。仕方ないから鯉をここに連れてきた。と、思ったら、こんどは鷺がやってきて食ってしまうようになった。小さいやつはひと呑みにするが、大きい鯉はくちばしで頭を突いて殺してから、おもむろに食ってしまう。」
 暑い季節に縁側に腰を下ろしていると、年配のご婦人が「蚊がいるでしょう」といって団扇を貸してくださったり「資料室はエアコンがあるから涼しいですよ」と教えてくださることもあった。そのひとは林芙美子の姪にあたり、ここに昔住んでいらしたことがあって、定期的に花を生けにみえるそうだ。
 花について家について質問をすれば職員が説明をしてくれる。家の開口部はいつも開け放たれているので、だれかが住んでいるが今はちょっと留守をしているところだというようだ。
 ここが、命のないただの展示物や記念館になっていないのは、今でもこうやって「住んでいる」人たちがいるおかげで、ぼくたちもしばらくの間は少しだけ住人になれるからだ。訪れる人が多くないという逆説もここを居心地よいものにしている。

 この家から3軒は大谷石の擁壁が続き、そのうえに緑がこぼれているが、その隣からはコンクリートの擁壁に、シャッター付きのガレージが続いている。昔は同じように大谷石の擁壁が続いていたに違いないが、おそらくは相続のために土地を売り、それを買ったディベロッパーが売る時には駐車場付きにしたのだろうと勝手な想像をする。相続税と車の力が、街を醜くつまらなくしてゆく。

 坂道をはさんで林芙美子記念館のとなりにある古い家は講談社の「日本の洋館」という本にも掲載されている刑部邸だが、「今はおふくろの名義だけれど、そのうち相続することになると、持っていることはできないだろう」と、鯉に餌をやりながら刑部さんはおっしゃった。だからといって、新宿区にはそれを買い上げる予算もない。
その後、刑部人邸には、子息の心配されたとおりの事態が生じた。
Click to Jump to「洋館に綱が:刑部人アトリエ」

 

投稿者 玉井一匡 : November 17, 2003 11:56 AM | トラックバック
コメント

aiさん
いらしんたんですか。ここは、とてもいい住まいですよね。
連絡くだされば、ぼくも行けたかもしれない。
では、藍blogを読みに行ってみます。

Posted by: 玉井一匡 : October 14, 2009 05:12 PM

こんにちは!
思いがけず、林芙美子記念館を観ることができました。
こちらのエントリーをリンクさせていただきました!

Posted by: ai : October 14, 2009 03:35 PM

わきたさん
杏奴デビューはmasaさんと一緒でしょうから、情報をつかんだらぼくも行きたいと思います。

Posted by: 玉井一匡 : September 25, 2007 01:06 AM

わきたさん
久しぶりですね。そうなんです、このエントリーが、いのうえさんとぼくの出会いです。
わきたさんもそうだけれど、いのうえさんのフットワークの軽さがカフェ杏奴とその周囲を活気づけたのです。このころのいのうえさんは、自分のブログサイトをもたずに、あちらこちらのブログにコメントを書くことによってネットワークをひろげていました。それが、とてもかっこええと思って、ぼくは「漂泊のBrogger」というエントリーでいのうえさんのことを書きました。下記のアドレスをクリックしてみてください。
いまでは、いのうえさんも自分のブログサイトをお持ちですが、そのタイトルが「漂泊のブロガー2」であるのは、自慢ですがぼくのエントリーのせいです。ぼくのエントリーに書いたいのうえさんのはたらきかけは、ブログ的にブログの枠を破ったという感じが、とてもすてきだなと思いました。
自分のブログサイトを持ったいのうえさんは、漂泊者たらんという志を持続するために、携帯電話の写真と携帯による書き込みという枠をまもっているにちがいないと、ぼくは思っているのです。
http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000069.html

Posted by: 玉井一匡 : September 25, 2007 12:52 AM

玉井さん、こんばんは~。「いのうえ」さんと、「カフェ杏奴」で、いろんなエントリーを拝見しているうちに、こちらも拝見することになりました~。このエントリーが、「いのうえ」さんとの出会いなのでしょうか。「目白に長年すんでいる者です。」って出だしがステキです。ブログっぽくって良いです。このエントリー「林芙美子の住んでいた家:林芙美子記念館」は、2003年11月17日ですね。この頃、僕は、ブログというものが世の中に存在することも知りませんでした。ところで、僕も来月「カフェ杏奴」にデビューすることにしました(予定)。自分だけの「秘密の場所」ってのはよくある話しですが、「いのうえ」さんは、このエントリーのようにたくさんの方をご自分の「ステキな場所」にお誘いされているのですね~。そうすると、「自分も含めたみんなのステキな場所」ってことになりますね。自分が幸せになったら、その幸せを人にも分けていきたいと思う、その自然な気持がいいですね~。う~ん、「カフェ杏奴」って、都会の「コモンズ」のようなことろがあります。もちろん、My Place の思想にも関連してきます。

Posted by: わきた・けんいち : September 24, 2007 09:37 PM

今日は 風が冷たかったのですが また違う良さを この家から学ぶ事ができました。 それは 一緒に付き合ってくれた人のおかげかもしれません。 感謝。 

Posted by: いのうえ : January 9, 2005 11:31 PM

 あとから入ってきた若いお嬢さんが、ノートをテーブルに運んで行ったことは気づいていたのですが、ぼくは自分で持っていた本を読んでいるうちにノオトを読まずに帰ってしまいました。次回は読んで書いてきます。
 ご子息は美術系の大学志望のようですね。林芙美子邸は、とてもいい家ですが、建築家をこころざす若い人には、かえって分かりにくい建築、生ぬるい建築かもしれません。
しかし、山口文象や白井晟一という建築家、林芙美子という小説家、そして彼らの共有した時代、小説が売れて大きな家をつくることのできた文学の環境、それがこれ見よがしの大げさな住まいにならないという、かつての日本のもっていた文化。それらが刻み込まれていることを読みとることはできるし、すくなくとも気持ちよい場所ですよね。

Posted by: 玉井一匡 : June 15, 2004 11:29 PM

玉井さんおはようございます。 また杏奴デビューおめでとうございます。 中地下や中二階にいく階段そばに杏奴ノオトなるものが置いてありますので、次回行かれた時は是非書き込みしていってください。 さて、先週の木曜日に林芙美子記念館を再訪してきました。 雨上がりに、庭の木々が実に生き生きとしていました。孟宋竹にふれながら、その伸びやかな成長を愛した芙美子が、一方で庭の真ん中にある、ややグロテスクな容姿のザクロの木をも好んだのは彼女自身の内面を投影したのかなどと思いを巡らしてきました。 高校三年の長男が建築志望で、すいどーばた美術学院に通い出しましたので、一度共に芙美子邸を見にいきたいなと思っています。    ではまた。

Posted by: いのうえ : June 14, 2004 10:09 AM

昨日、ついにカフェ杏奴に行って来ました。
毎朝毎晩、店の前を自転車で通っているのに、11:30〜 7:00という営業時間は、通勤の行き帰りにはかならず明かりが消えていました。たった一度、営業と通勤の時間が合った時にも明かりが点っていなかったので、営業をやめてしまったのかと思ったら定休日。

 やっと営業時間に行けた昨日は、開店直後に入ってそのままカレーも追加せずに杏奴ブレンドのコーヒー1杯で1:00くらいまでいたのに、ママはいやな顔をすこしも見せないばかりか、水のおかわりを入れて氷のカラカラなるピッチャーを置いていってくれました。 
 つぎつぎに入ってくるお客さんたちとママのやりとりを見ていると、この場所と店のあるじをそれぞれがどんなふうに気に入っているのかよくわかります。

 店の閉まっているときに外から見るのとは大違いで、とても居心地のいい店でした。「杏奴」という店の名前は鴎外と関係があるのですかと、前から気になっていたことをたずねると、「鴎外と店は何の関係もありませんが、もちろん鴎外のお嬢さんの名前をとりました。字と音がこの店にあっていると思って」と答えてくれました。「いのうえ」さんという方が僕のサイトで教えてくださったという話は、次の機会に残しておきました。

Posted by: 玉井一匡 : June 6, 2004 11:12 PM

同じ場所をおなじように好きになって下さる方がふえるのはうれしいもので、林芙美子邸という場所がゆたかになってゆくように感じます。
 私も、いのうえさんに教えて頂いたカフェ杏奴にいってみたいと思いつつ、自転車通勤の朝夕に店の前を通って様子を見るのに、11:00から7:30という営業時間にはなかなか重なることがなくて、朝には男の人が店の前を掃除していたり夜は閉まっているし、まだ明かりのついている店をみたことさえありません。近いうちに寄ってみようと思っています。

Posted by: 玉井一匡 : March 19, 2004 08:14 AM

昨日、林芙美子記念館に行ってきました。
天気も悪くなく、良い風が部屋を通り抜けていました。書斎や居間もさることながら、愛らしい台所のたたずまいが心に染み入りました。 又室内の調度品の配置や、季節の花々の生け方に管理されている方々の細やかな心配りを感じました。次回は家族と訪ねたいと思っています。 すてきな場所を教えていただき本当に有り難うございました。

Posted by: いのうえ : March 15, 2004 10:13 AM

早速のご返事有り難うございます。

カフェ杏奴命名の由来は私もよく知らないのです。でもとてもすてきなママさんがひとりでお店を取り仕切っていますので、行かれたら聞いてみて下さい。 とても静かな時間がすごせるお店なので、小生は精神のリチャージに使っております。ぼたんで有名な薬王院そば、新目白通り沿いにあるお店です。

建築といえば、この周辺にはロイドゆかりの建築物が多いですよね。 自由学園明日館や、弟子の遠藤新デザインのバプテスト教会とか。 先日行った竹橋でのヨハネス・イッテンの回顧展で、自由学園からイッテン・シューレに留学した女性2人の持ち帰った色彩教育法が、第二次大戦を経て尚、生徒に引き継がれていたことを知りました。時空を越えて伝わっていく意志・・・・ バウハウス周辺の人々(ナウム・ガボなど)の仕事を文献にあたり、こつこつと見直しております。 (本業とは関係がないので時間がかかりますが。) 。 林芙美子邸とは離れてしまいましたが、人間の営みと建築という関連にて乱文をお送りしてしまいました事をお許しください。

Posted by: いのうえ : March 11, 2004 02:21 PM

コメントありがとうございます。
 つい先日も、放浪記を演じる森光子の記事を新聞で読んでこの家を思い浮かべましたが、若いときに辛酸をなめた林芙美子とはいささか趣の違う豊かな住まいであることも、来訪者があまり多くないことの理由なのかもしれないと思いました。かつて、囲碁の趙治勲が隣のマンションに住んでいたことがあり、「放浪記の作者がどうしてあんなに立派な家に住むことができるんだろう」と不思議がっていたと、出版社に勤務する友人が言っていたことがありました。 しかし、文中に書いたとおり、訪問者が比較的少ないおかげもあって、とても気持ちのよい場所なので、ぜひいらして見て下さい。豊かな住まいとはいっても、物的な豊かさをこれ見よがしにするのではなく気持ちよく知的な住まいをつくり、しかも周囲にも気持ちよい環境を提供するという文化を、かつての日本がもっていたこと、誇らしく感じることがあります。

 カフェ杏奴のことは知りませんでしたが、近いうちにさっそく行ってみます。たしか、鴎外の子供に杏奴という人がいたと思いますが、鴎外ゆかりの店なのでしょうか。

Posted by: 玉井一匡 : March 11, 2004 12:44 AM

目白に長年住んでいる者です。 散歩の範囲を少し広げて、 中井方面まで歩こうと思い、林芙美子邸で検索したところ、玉井さんのサイトに行き着きました。 今までは下落合近くの薬王院までは坂を下り行っていたのですが、玉井さんの印象深い芙美子邸の写真(室内から窓越しに木をみる)に惹かれ、ぜひ足を伸ばして行って見たいと思っております。 ご指摘のように、目白も住宅地の景観が本当に安っぽく変わってしまいました。まだ下落合には、立派なお屋敷が残っているようですが・・・ ところで薬王院近く新目白通り沿いのカフェ杏奴(アンヌ)は小生の心と体の休ませどころなのですが、玉井さんはご存じですか?

Posted by: いのうえ : March 10, 2004 10:20 AM
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