December 10, 2003

サンキュ

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 いつから気になりはじめたのか思い出せないが、
ドリカムの「サンキュ」という歌について、時々ぼくは若いひとたちにきいてみることがある。
 主人公のともだちを、男だと思うか女と思うかということだ。
この歌を知っていそうな人にきくのだから、比較的若い人たちが多いのだが
その中でも、ある年令帯を境にしてそれより年長の世代は「女の子でしょう」と言うが、下の世代は「男の子だと思う」と言う。

 Be-eaterのサイトで「雌伏」ということばから始まって、「雄飛」「雌雄を決する」「星飛雄馬」などの言葉を取り上げて雄と雌についてのコメントが交わされて思い出したせいか、一昨日、20代後半と思われる女のひとに久しぶりにきいてみた。「意識して考えたこともないけれど、当然、女の子だと思っていました」と言う。3ヶ月ほど前に4年生の男子学生に尋ねたら「男だと思っていました」と答えた。世代との関係についての仮説から外れたのは、1度だけだった。

 ぼくは、女の子だろうと思っているのだが、うちの娘たちは2人とも、男の子だよといった。
「あれが男だったら魅力的な人間だとは思わない」とぼくが言うと、「女の子だったら当たり前だけど、男の子だから面白いんじゃないの」と返す。「たとえば**ちゃんなんか、いま会ったら、きっとああいう感じだよ」と20代なかばの長女がいう。**ちゃんとは小学校の同級生だった男の子のことだ。そうやって具体的な人間が出てくると、いいやつだとぼくも思っているから、大人になった**ちゃんのことを思い浮かべて男でもいいかなという気がした。

 ジェンダーというやつ、社会的に規定される性別によるふるまいの違いが、少なくなってきていることの現れなのだろうから、ぼくは、そのことをいいことだと思う。社会的な位置付けを意識しながら、それを利用しようとして「女らしく」振る舞おうとする女や「男らしく」突っ張ろうとする男などのわざとらしさが、ぼくは嫌いだ。にもかかわらず、歌を聞いていると思い浮かぶのは女の子なのだ。

ちなみに、「サンキュ」の歌詞は、つぎのようなものだ。ぼくの仮説によれば、吉田美和は、女の子の友だちだを思い浮かべる世代に属する。

何もきかずにつきあってくれてサンキュ
季節外れの花火、水張ったバケツ持って
煙に襲われて走りながら「きれい」
なみだ目で言うから
笑っちゃったじゃない。
来てくれてよかった。

何もいわずにつきあってくれてサンキュ
煙のにおい残る公園のブランコで
話のきっかけを探して
黙ったら急に鼻唄うたうから
笑っちゃったじゃない。
来てくれてよかった。

今日、彼にさよならしたんだ。
泣かなかったあたし、責めなかった。
えらかったねってあなたが言ってくれるから

ポロポロ弱い言葉こぼれてきそうになる。
好きだったのにな、言っちゃったあと泣けてきた。
また涙目のあなたを見て笑ってないた。
ちょっとかっこわるいけど
髪切るならつきあうよなんて
笑っちゃったじゃない。

来てくれてよかった。
来てくれてよかった。

今日はほんとうに
サンキュ

  作詞:吉田美和

投稿者 玉井一匡 : December 10, 2003 11:39 AM | トラックバック
コメント

 アロエさん、コメントをさんきゅ。まだぬくもりを残すほどのリアルタイム、しかもあなたご自身にひきつけたことなので、ぼくはとても興味深く、そして共感を覚えながら読みました。なのに、出張などでコメントがおそくなってしまった。
もともとぼくがサンキュのことを書いたのは、好きな歌だからではあるのはもちろんだけれど、これをみんながどう受け取っているのだろうかという関心、そして若い人たちの、男女の境界がこんなふうに変化しているのだとすれば、それはとてもすてきなことだなと思いつつ、現実はどうなんだろうかという疑問があったからなのです。だから、あなたのコメントをとてもうれしく読みました。サラッとした、あなたの失恋の受け取りかた、そのあとの発散のしかた、それがぼくの共感をいだいた所以なのだと思います。あなたの男友達がサンキュを本歌取りしたように、あなた自身も男友達に電話をかけたときには、無意識にせよドリカム世界のドアをあけて足を踏み入れたのかもしれませんね。そうなのだとすれば、ドリカムは、ひとびとの生き方をつくり、ひとりひとりの生き方がドリカムをつくっているのだ。・・・いいな。世代も男女も超えて共感をつくりだすこともできるんだから。
 建築をつくりまちの一部に手を加えてゆくのがぼくたちの仕事なのだと思っているけれど、ぼくたちのつくる「場所」とそこにかかわるひとたちの関係が、うたと時代の生き方との、いい関わり合いのようになってほしいものです。アロエっていうやつは、食べるとあんなふうにキョロキョロッとして気持ちよい歯ごたえだけれどと、生えているのを見れば棘だらけ、かと思えば思いがけないほど華やかな花を咲かせる。面白い植物ですね。水も、たまにやればいいらしい。
 

Posted by: 玉井一匡 : June 16, 2005 03:40 AM

初めまして。「サンキュ」の友達は男だろうなぁと思っている私は、仮説に漏れず20歳の女です。
女かもしれないと思ったことは何度もあったのですが、昨日やっぱり男の子かなと考えが固まりました。
そもそもこのページに辿り着いた理由が「サンキュ」について知りたいと思ったからです。

昨日サクッと失恋してしまいまして、何も手につかなくなり、これじゃマズイと友達に助けを求めてみようかと思って「 今夜、5分でいいから傍に居てクダサイ。」とメールした相手は男友達でした。
際どい軽口もよく交わすような間柄で、私の好きだった人とも顔見知りで、泣きついたことこそなくてもそれなりに事情を知っている友人です。女友達でも似たような状況の人はいたけれど、きっと、話したら私の好きだった人に対して怒っちゃうとか、何かしらコメントするんだろうなと思ったのが一番の理由です。一緒に失恋してほしかったわけじゃなくて、ただ、元気を分けてほしかったというか背中を押してほしかったというか。
しばらくして男友達がメールに気づいたらしく、返ってきたのは「今何してる?」の一言で。「どうした?」じゃなかったから、素直にお時間頂戴して会ってもらいました。私の顔は明らかに泣いてたなって状態だったけれど、歌詞のように男友達はそれについては何も言わなくて。何を言ったものかと迷ってる私に差し出してくれたのは、よく冷えた牛乳。牛乳って!と思わず笑いました。
まあ当然のように、何があったのかくらい予想はつけられていたんですが。失恋したことについて思いの外軽い調子で、冗談めかして話したのは、やっぱり私の中では少し無理をしていて。女友達なら「辛くって、もうどうしていいかわからなくなって」と言って泣いて甘えられたかもしれないけれど、年頃の女が年頃の男相手にそんな簡単に泣きつけませんよね(笑)無理言って時間作ってもらったのはわかっていたし、手放しで甘えることは出来ません。それに対してくれた言葉は少なかったけれど「イイコイイコ」って笑ってくれて。おそらくわざと、「サンキュ」の歌詞のようなことを言い出したんです。「髪切んの? 俺も行こうか」と、自分のベリーショートの髪を引っ張って見せながら。坊主にでもするつもりなの?と、思惑通りに笑わせられました。

ドリカムも「サンキュ」も知っていたからしてくれたことかもしれないですが、知っているからこそ、それを引用できる男の子も増えているのかもしれません。あと、やっぱり女友達だったら「男なんてそんなもんだって。私がいるよ」的な、嬉しいけどちょっと否定的な励まし方をされたんじゃないかなと、思うから、男友達にヘルプを出したような気がします。女同士の結束は固まるかもしれないけれど、失恋に対する精神的な安定は得られなかったかもしれない。
「男なんかいなくても」と言えるような自立心の強い女性が増えているせいかな、とも思ったりしました。

初めて「サンキュ」の詞を読んだ時は、友達は男の子で、主人公に言えない片思いをしていたんじゃないかなと思いましたが、今はそうでもない気がしています。私の友達は私に片思いしていた訳ではなかったので。

長々と書いてしまいましたが、私もなんとなく気になっていた話題でしたので、勇気を出してこのまま投稿させて頂きます。

Posted by: アロエ : June 14, 2005 03:17 PM

 そうか、そこまで読んだ上での確信のコメントなのですか。ごめんなさい、読み違いなんだと思っていました。もし、吉田美和に会うようなことがあったら、本人はどういうつもりだったのか、きいてみたいところですね。本人の込めた思いとはすでに自立してしまっているのかもしれませんが。
 ぼくは、ドリカムがとても好きなんだけれど、とはいえ、これはドリカムの研究という意図で書いたわけではなく、男の子と女の子のあいだのあり方や接し方が、このごろではいろいろと変わってきていて、それはなかなかいい感じだとか面白いなと、肯定的に僕は思うことが多いので、それを知るための感知器として「サンキュ」についてどう思うかと、ぼくはたずねてみるのです。
 thimさんの見方、感じ方は、その意味で興味深く読みました。とはいえ、ぼく自身はそうはうけとれないなあとは思います。

Posted by: 玉井一匡 : May 29, 2005 09:43 AM

あんまり厳密に話すのってアレな感じですよね。。でも言いたいんですよ~。
だって、彼が最後に一回公園に付き合ってくれる、そして元彼なのにえらかったねと言われてしまうっていう、これこそが切ないドリカムしか書けない歌詞なんじゃないかなって。

今日、彼にさよならしたんだ。
泣かなかったあたし、責めなかった。
えらかったねってあなたが言ってくれるから


「彼」っていうのは、付き合ってるときだから彼であって、「あなた」っていうのは別れたあとの彼のことだからあなたという表現と取れると思うのですが。。

あんまり私のとり方をしてる人がいないので寂しいです!w

Posted by: thim : May 28, 2005 06:49 AM

玉井さん こんにちは。
あれから1年半もたつんですね。あの時は天井に珪藻土を塗りながら歌詞を考えていました。
今あらためて歌詞を読んで、あの時とは少し違ったことを考えています。
水の入ったバケツを持っている人は、たぶん、花火の準備をしているところだったのだ。それなのに主人公の彼女はたぶんわざと、かわいいいたずらっ子のように、すでに花火を始めていた。「ちょっとちょっと」といった態度を示しつつ、きれいだねと笑う。そんな光景を思い描いています。
また、屋外用のバケツは、一人暮らしのアパートよりは庭のある家を想像させますから、おそらくこのバケツは、公園からほど近いところにある彼女の実家のもの。それを持っている人は、彼女の幼なじみなんじゃないか。だから読む人に中性的な印象を与えるのではないかしら、と思いました。
きょうだいも同然に育った相手を「あなた」と呼ぶのは、ふたりがそれぞれの道を歩いていることを想像させます。けれども絆は昔と変わらない。そう考えると、この歌は、女友達あるいは男友達との友情を描いたものというより、人のやさしさに支えられて、主人公が少し大人になる、そんなことを描いたもののように思われました。
そして、1年半の間に、自分も少し大人になったのかな、なんて思いました。

Posted by: noz : May 25, 2005 03:55 PM

thimさん、コメントありがとうございました。
ぼくは、いまでもときどきこの歌詞のこと思い出して考えます。カーステレオで、自転車を走らせながらipodで、ときどきこの歌を聴いているのです。このエントリーにいろいろなコメントをいただいて盛り上がり、途中で終わったような気がしていましたから、ひさしぶりにコメントをいただいてサンキュという感じです。
 おもいがけない受けとりかたがあるんだと、感心しました。「今日、彼にさよならしたんだ」というところがありますから、この公園に来ているのは別れた相手だという解釈はおそらくちがうんだろうとぼくは思います。
 でも、歌というのは決して論理だけではないはずで、聞き手がいろいろな状況のもとで、多くの場合には意識をそれほど集中させずに聴いて感じ取るものなのだから、この歌にはthimさんのように受け取れる要因があったということなのだと思います。
 先日、僕の事務所の下にあるギンレイホールで「靴に恋して」という映画を見ました。女のひとの靴を経糸にして、さまざまな愛のあり方を描いてひとつに作りあげた、とてもいい映画だとぼくは思いましたが、それを見ているときにも、この歌を思い出してしまいました。ひとのことを思ったりやさしくしたりするのは単純な恋愛感情だけではないんだと思わせる「サンキュ」も、やはりいい歌なんだと。
ギンレイホールのサイト http://www.cam.hi-ho.ne.jp/ginrei/index-1.htm
「靴に恋して」のサイト http://www.elephant-picture.jp/kutsunikoishite/

Posted by: 玉井一匡 : May 23, 2005 12:37 PM

これって、「あなた」は友達というのは決定事項なですか?。
私は、主人公の女の子を振った男が別れたあとに公園の花火に付き合ってくれるという話だと思っているのですが、、

Posted by: thim : May 22, 2005 10:33 PM

この「サンキュ」のエントリーを僕の高校の同期生のメーリングリストに話題として提供したところ、反応がありました。同期ですから男女とも私と同年です。
------
男1「私は断然、男だと思います。ただし、かなり中性的な男です。........」
女1「わたしも絶対、男だと思います。........」
男2「もし相手が男なら......反対に相手が同性でこういった..........」
女2「そんなAKiさんが、”サンキュ”とよびかけている相手を、女性だと思われるのは無理もないことと合点がいった次第です。........」
女3「遅ればせながら、私も断然、男友達と思います。.........」
------
玉井さんの統計結果を覆すような結果がでておりますです。これをどう解釈したらよいやら。
昔、私が云ったことなんかを覚えておられて、だからあんたは.......とまで云われてしまっております。

Posted by: AKi : December 26, 2003 10:54 AM

う~ん、私は女だと思います。
“髪を切るなら付き合う”なんて発想は男性にはチョット難しいのでは?
“サンキュー”は、女性の私でも文字で感謝を表現する場合はよく使いますよ。
“ありがとう”より語感もいいし、lightでlightでしょ?

Posted by: mie : December 24, 2003 06:54 PM

私は23歳の女ですが、友達は女だとずっと思ってました。
「きれい」とか「髪切るならつきあうよ」なんて言うのは女の子が言うような言葉なので、女だと信じて疑いませんでした。
でも、私の周りの友人は男派が多いようです。

Posted by: tk : December 21, 2003 09:36 AM

もうずっと頭の中で二人の男女が花火してるんですけども・・・・
げほげほ煙に咽ながら目をしょぼしょぼさせて、「けむい」と言わずに「きれい」と言う、自分のことは後回しにして場を盛り上げようとする姿勢は、「笑っちゃった」に繋がらないでしょうか・・・
「やだ大丈夫?目、真っ赤だよ」と笑われて、「くぅ~、滲みた!」というような感じ。

Posted by: noz : December 14, 2003 11:27 AM

花火の煙をもろに吸い込み咳き込んで涙目になる。花火を手に持ったまま煙から逃れようとすると、火花が空中を踊って、それを「きれい」と言ったのではないでしょうか。花火をぶんぶん振り回して遊ぶ人がいますね。バケツの描写は影響を懸念した配慮と思われます。
私は、この友達に同情してしまうのですが、理由も言わず秋風の吹く夜の公園で花火やろうなんて、いかにも何かありましたと言っているようなもので、失恋したての女性の思いつめたような迫力、その相手をするのは、男でなくったって覚悟が必要です。集中して相手の様子を見守らねばなりません。気を取られるあまり、熱々のお茶をごっくんと飲んで喉を火傷したり、側溝に片足落としたり、降ろしかけのシャッターに思い切り額を打ち付けたりするかもしれません。煙にむせて逃げ惑うくらい、大目に見てやってよいでしょう。私はイングリッシュ・ペイシェントという映画の中で、不倫相手への想いを断ち切ろうとする女性が、彼と別れて泣きながら立ち去る時、「ゴン!」と頭を何か障害物にぶつけてしまうシーンがとても好きでした。格好悪いからこそグッとくる事ってあるように思います。
「何も聞かずに」というのは勝手な受け取り方で、当人からしてみたら「いや、何も言えないって」という状況だったのではないかとも思います。おそらくこの友達は、いつもと違う張り詰めた彼女の様子に、どう対処していいものか分らず、内心あたふたしていたのではないでしょうか。全編から健気なサービス精神が伝わってきます。女性にとってこれは魅力的です。もし相手が女だったら、「え、花火、何で、それよりかさ、鍋やろうよ鍋」とか「まあ、結果的には良かったんじゃないの」とか、もう全く別の話になりかねませんから。
若い時ってその時はカッコイイと思ってたけど振り返るとかなりカッコ悪かったよね、そういうもんだよね、と苦笑して、でもやっぱりあの頃ってよかったよね、という味わいもなかなかいいものだと思うのですが。

Posted by: noz : December 13, 2003 11:03 PM

 nozさん、こんなにたくさんのコメントをとどけて下さってありがとうございました。おかげで、ぼくは異性ともだち説にも傾斜しはじめています。akiさんもそうらしいですね。
 
 人と人のつくり出すシーンとしては、異性のともだちという方がおもしろいというのは賛成します。こういう状況の中におかれたら、ある瞬間に全く関係が変化するかもしれない。でも友だちなんだという不安定な時間と場所。女ともだちのピンチに、余計なことを言わないで黙って聞き手になってやるいいやつ。もしもこれが女同士だったら、もっと安定しちゃう空間になるでしょう。

 でも、いまだに気になるところがあります。おもちゃ花火の煙くらいで逃げ回る男がいるか、いるとしたらそれが魅力的な男か?「けむりに襲われて逃げ回っている」ごっこをしているだけだとしたら、それはちょっとわざとらしくないか?と思って、その状況にはなかなか感情移入しにくいのです。はじめは、その時の「なみだ目」も気になったのだけれど、それは目に煙が入ったという物理的反応にすぎないのだと考えればいいかと、いまは思います。
 
 昨日、事務所に来た友人とコレクティブハウスの話をしていました。女だけで住むとき、男女の住人がいるときなどと住みかたについてあれこれ議論をしましたが、その時にもこの歌があたまをよぎりました。

アルバムを聴いてみたら、ちょうどこの曲のつぎに「雪虫と踊ろう、白い花の到着まって・・・・」という歌がありました。
 

Posted by: 玉井一匡 : December 13, 2003 03:25 PM

だんだん、男性でもいいようなような気がしてきました。

私がこの歌詞の中にある、「サンキュ」といわれる役割を果たせるかどうかと考えてみたのです。
「髪切るならつきあうよ」とは云えそうにはありませんが、云ったら、必ず「笑っちゃったじゃない」となると思います。

Posted by: AKi : December 13, 2003 09:04 AM

麦焼酎を麦茶で割って、妙な味ですが今日はとても楽しかったです。
半日、「サンキュ」という歌の歌詞を考えました。私はドリカムの歌をあまり知らず、カラオケボックスにいくとずらずらっとある楽曲の中で、小川を渡ってトレッキングするというような歌詞の歌だけはなんとなく歌ったりして、無論その頃には泥酔していて定かではありませんが、初めて友達が出来た時のことを思い出す歌だと思っていました。極論かもしれませんが、そういう時は、リアルな風景を共有できれば、性別は勿論、相手の年齢や生い立ちや国籍さえ共感を隔てるものではないように思っていました。「サンキュ」の歌詞は、これを異性間の友情とするならば、壁こそが、繊細に相手を慮る要素なのだと認識しました。そういう事をこんな風に話せることを、今はとても嬉しく思っています。

Posted by: noz : December 13, 2003 02:54 AM

いい加減にしろと思われそうですが、肝心な部分を見落としていたことに気が付きました。タイトルです。
私はこれまで、男性に「サンキューな」と言われた事はありますが、女性から「サンキューね」と言われた事はありません。
仲間内での流行りもあるでしょうから結論付けることは出来ませんが、仮に、吉田美和さんの周辺で、「サンキュー」は主に男性が使う言葉だという認識があるならば、そしてこの曲が男女間の友情を描いたものであるのならば、この曲のタイトルが、女の子の言う「サンキュ」であることに納得、人物像もより鮮やかになるのですが、いかがでしょう。
なんでしょう、この達成感・・・

Posted by: noz : December 13, 2003 01:04 AM

再び投稿、冷静になりました。
鍵は最後のほうの「ちょっとかっこわるいけど髪切るならつきあうよ」、このセリフはやはり男でしょう。
今はともかく、少し前なら、女の子は美容室、男の子は美容室みたいに若いスタッフのいる床屋、おばさんはパーマ屋、おじさんはこの道何十年の床屋、というように、性別と世代別でそれぞれの行き先を持っていたように思います。
この不器用に女友達の気持ちを汲み取って励まそうとする姿に主人公は笑っちゃったわけで、セリフを想像するなら、
「今どき、別れたくらいで髪切ったりしないよ。っていうか、まじで美容室ついてくる気?」というところではないでしょうか。
そうだ、急に鼻唄うたったのは、いつも元気な女友達が急にしっとり見えて、夜二人きりでブランコにのってたら、それは急にどぎまぎして鼻唄か何かでごまかそうって気になったのかもしれない。と、辻褄が合ってまいりました。

Posted by: noz : December 12, 2003 11:42 PM

再び投稿、コメントした途端、熱くなってしまいました。
なぜ、この友達を「男」と思いたがったのか、その理由に思い当たりました。
「あなたも女なら分るでしょ、この気持ち」的な雰囲気、とても嫌い。この曲はそんなネバネバしたものではなくて、主人公が苦しみを吐き出さないのは、
「だって言ったって仕方ないよ私の問題だもん」という考えあってのことでしょう。
女同士の暗黙の了解や、男同士の無言の重圧とは無縁の、さらっとした歌に違いない、だって吉田美和さんの表情ってそんな感じだもの。なんて。

Posted by: noz : December 12, 2003 09:46 PM

男に一票です。
この曲、ラヂオから流れてくるのを聴いたことはありますが、歌詞を読むのは初めてです。
へぇ~そういう歌だったのか・・・。
感想文みたいになっちゃいますが、この二人の関係、多少芝居がかっていて、べったり抱き合わずに隣り合って座って同じ遠くをみつめているような、依存を避けるようにして懸命に空白を埋めようとする両者の姿がとても爽やかです。女同士にしては硬い関係とも思えます。少ないケースですが男女間の友情ならこの硬さはむしろ自然に感じます。そしてこういう付き合い方は、そんなに長期間持続するものではないように思います。若い時代に巡り合う、時間の宝物を描いている辺りがこの歌の魅力だとすると、この友達を「男」だと読む人は多いんじゃないかと思います。
私は女性ですが幼少の頃から一人称を「僕」としていました。そのせいか女同士の付き合いでもなんとなく男役を演じていたように思います。この歌の中の友達につい、そういう自分を重ねてしまい、もしこの人が女なら、正直しんどいんじゃないかな、というのが直感的なところです。

Posted by: noz : December 12, 2003 09:14 PM

床屋と美容院による違いという指摘は初めてでした。人によって、解読のしかたがずいぶん違うので、そのたびになるほどと思います。Akiさんとmineさんのコメントによれば、いまのところ仮説は持続していることになりますね。
 ドリカムの歌は、歌詞をききとるのが難しいので、音楽を聴いていると、ところどころ意味が分からないまま言語という部品が切れ切れに送られて来て、聴き手の中でいきなりイメージが組み立てられるようです。そのあとで、「女だと思ったけど、なぜだろう」と、もう一度ゆっくり言語を解読するという具合で一粒で二度おいしい。

Posted by: 玉井一匡 : December 12, 2003 12:23 PM

ず〜っと男だと思ってましたし、改めて歌詞を読み直してみてもやっぱり男だと思います。 ちなみに僕は1976年生。
軟弱な世代ですから....

Posted by: mine : December 12, 2003 10:57 AM

私は、当然ですが「女性」だと思いました。

これは男性が髪を切るのに、床屋にいくのか、美容院にいくのかという世代の違いで意見が別れるような気がします。

Posted by: AKi : December 12, 2003 10:55 AM