January 25, 2004

座り続けるおばさん

 一軒はひどく傾いて、隣家との隙間を三角がふさいでいる。
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 通勤の途中に、6メートルほどの道路の両側に古い商店がならんでいる一画がある。古いファサードたちが向かい合っているから、そこにひとつの世界をつくりだしている。魅力的だが、商業的には繁盛しているわけではない。このままいつまでものこされるとは思われない。
 その中の一軒に、斜めに傾いている家がある。もとは商店だったらしいその家の前に箱を置き、座布団をしいて腰を下ろし、日がな一日おばさんがすわりつづけている。とはいえ、のどかなひなたぼっこなどではなく、楽しんでいる風情はいささかもない。ときに同年輩のふたりで座っている。雨の日や暑い夏には傘を差して雨や日差しをよけながら、それでも朝から日が沈む頃までいる。どこかを見据えているようなまなざしを続け、ぼくが視線をあわせても表情を変えない。なんのために、どういう事情で、そんなふうに座り続けるのかを訊きたくて、いつか声をかけようと、片思いの中学生のように、ぼくは毎日その前を自転車で通った。


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 ただならぬ決意を秘めた気配に、声をかけるには、まず顔を知ってもらってからにしようと思ったのだった。そのあいだ、ぼくはさまざまに事情を想像した。
 たとえば・・・・・バブル時代にこの商店街を地上げしようと、不動産がやってきた。何軒かの家と地主を口説き落としたが、おばさんは思い出の積み重なった家を渡すことに頑として首を縦に振らない。ある日、彼女の留守にディベロッパーの手先がやってきて現場の測量を始めた。おばあちゃんの家のまわりもに勝手に入り込んで測量をしている時に帰って来た。猛烈な勢いで食ってかかったおばあちゃんの剣幕に恐れをなして、一同尻尾を巻いて逃げ帰ったが、以来、彼女はだれも寄せつけまいと、毎日の監視を怠らない。

 他者を排除することによってではなく、多くのひとがさまざまな場所を自分の場所だと思って楽しみ愛することことによって、いいまちやいい場所はできてゆくはずだ。そうでなければ、その状態を安定したものに保つことはできないだろうとぼくは思う。しかし、場合によっては強い意志と排除の姿勢を持たねばならないときもある。だから、なにかわけがあるのだったら、なんとか仲良しになって話をききたかった。
 1年ほど経ったときに、ぼくは自転車をとめておばあさんに近づいた。天気の話などをしても表情を変えない。「この商店街、好きなんですが、ここでなにをしていらっしゃるんですか?」「いろいろ言われるから、何も言わないよ」とにべもない。彼女の姿をとりたかったから「写真をとってもいいですか?」と訊いたが首をふるばかりだ。とりつくしまがない。

 そのうちまた、話してみようとおもって、そのまま立ち去った。ここを通るようになって2年半になるが、今朝はおばあちゃんがいない。向かいのみせもシャッターを下ろしている。何かおこったのだろうかとちょっと心配になった。理由が分かったら書こうと思っていたけれど、ぼくはもうキーボードを叩くことにした。

投稿者 玉井一匡 : January 25, 2004 04:02 PM | トラックバック
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