April 27, 2004

HOME WORKと大人の科学


 iBookの故障のせいも少しはあるが、ちょっと怠ってしまうとひと月も更新していない。しかも写真は日本人の季節の基準になる桜だったから、秋山さんからは桜前線は北海道に達したよと電話が来た。そのうえ、放っておくとトップページに記事がなくなってしまうので、急いで更新する。

 ワールドフォトプレスの今井さんが「HOME WORK」という本を送ってくださった。「シェルター」をつくったロイド・カーンの、シェルター以降に集めたイエの新しい本で、秋に日本語版を出すことになったという。なぜなんだろう、ぼくはこういうイエたちを見ているととてもいい気分になってくる。
 数日後、Hさんから「黄鉄鋼と磁鉄鉱」というタイトルのメールが来た。Hさんについては、以前に「HさんのMACpower」を書いた。H氏賞なんていうのがあるんでちょっと面白がって仮名のように書いたが本名は本間さん。
 メールには「本日「大人の科学マガジン」最新刊のラジオ特集号を買ってきましたが、組み立て付録はなんとゲルマラジオでなくて鉱石ラジオでした。しかも、探り針式!鉱石も磁鉄鉱と黄鉄鉱の計2個付いていました。」とあった。本間さんほどのエレクトロニクスの達人がそう言うのだ、面白いにちがいないと、子供時代にラジオを組み立てた経験がないぼくは、帰りがけに神楽坂の本屋に寄った。写真を見ると、糸巻き車のように銅線を巻き付けた鉱石ラジオはかっこいいので、ぼくは本をレジに運んだ。「家に帰ってから箱を開けましょう」と、ケースに書いてある。だからというわけではないが、電車の中で付録のパッケージを開きたいのを我慢して本文のラジオの原理を読んでいるうちに「Home Work」や「シェルター」になぜ胸が騒ぐのか分かってきた。

 沢山のトランジスタやコンデンサーがちりばめられた新しいラジオの裏蓋を開いてみたところで、素人がラジオの原理について考えようなどという気にはならないが、シンプルな鉱石ラジオなら、その原理についての想像力がはたらく。
シンプルなすまい素朴な棲家は、イエの鉱石ラジオなのだ。
 鉱石ラジオは、ICを使ったラジオと較べれば間違いなく性能は劣る。だが、磁鉄鉱と黄鉄鉱の固まりを皿にのせたものがトランジスタの代わりをする仕掛けから、電池もコンセントの電源もつながずに音が聞こえてきて、その原理を実感することができれば得られるよろこびは大きい。
 しかし、シンプルなイエは高度な生産技術を駆使した住宅よりも、むしろ気持ちよい生活をできることが多い。そして、イエの作られかたについて、イエと環境について、家族のカタチについて、イエとマチについて、原理を実感するともっと大きく深い気持ちよさが得られる。

 アメリカという社会は、あれほど巨大でありながら、だからこそかもしれないが、原理を重視する原理主義の社会なのだろう。ブッシュは「殴られたら殴り返せ」というテキサスの素朴な原理に従っているようだし、毎年1万人の犠牲者を生みながら銃を手放そうとしない全米ライフル協会のチャールトン・ヘストンもやはり銃を持つ自由を保証するアメリカ合衆国憲法という国家の原理に忠実である。原理のことを忘れて部分的な関係に目を奪われてしまうことが多いぼくたちの社会にとっては、ブッシュやヘストンすら見習わなきゃあと思ってしまうときがある。しかし、巨大な行動が原理の名のもとになされるとき、そのかげには原理から逸脱する数限りない理由・・・テキサスの石油産業の利権や武器をつくる産業などが働いていることが、容易に思い出される。

 だが、「シェルター」や「HOME WORK」のような本を作る人や、それに登場するイエや人々が、自然と人間の生き方の原理に意識的であることを見たとき、人間の可能性についてについて信じることができるし、ぼくたちに大切なものが何なのかということを感じることができる。

投稿者 玉井一匡 : April 27, 2004 10:14 PM | トラックバック
コメント

新島襄が日本にキリスト教に基づく学校を設立したいと1874年10月9日バーモント州ラットランドにあるグレース教会で寄付を募ったときには、なんと$5,000もの寄付が集まりました。
その会が終わって新島が帰ろうとしたとき、一人の老婦人が近づいてきて、$2を差し出し、「これは帰りの路銀なのですが、歩いて帰ります。もしあなたの助けになるようだったらぜひお役立てください。」と言って立ち去りました。
この話は中学のはじめころに聞かされ、なんともいい話だと感動したことを覚えています。アメリカの良心です。

次を参考にさせていただき、思い出しました。
http://www.pockyboston.com/amherst/amherst2.html

Posted by: yas : May 23, 2004 09:57 PM

 アメリカ人の、社会におけるあり方で、ぼくがもっとも尊敬するところは自分たち自身で社会(国家といいたくないので)を支えるという意識がきわめて強いということです。
レーガン政権が教育予算を削減したときに、妹からこんなことを聞きました。かれらのこどもたちの行っている公立学校では、学校がいくつかアルバイトをとってきて父母に参加を募り、それを学校の運営費にあてたそうです。おそらく、それらの仕事も多くは親たちのだれかが提供したのではないでしょうか。それに、寄付をした人もいたのかもしれません。具体的に何にそのお金を使ったのかは聞きませんでしたが。
 ぼくたち戦後世代は、圧倒的にアメリカのモノと文明文化の影響の中で育ちました。しかし、アメリカの影響が圧倒的だったのは僕たちだけではなく、ペルーがやってきてからというもの、日本はいつの時代もどの世代もアメリカの影響の元にありました。アメリカについて考えることは日本について考えることだと思うので、これからもアメリカのことは書き続けたいと思っています。
近日中に、コメントではなく改めてアメリカの原理のことを書きますので、また議論に参加してください。

Posted by: 玉井一匡 : May 23, 2004 08:22 AM

アメリカは原理の国。たしかにそう思います。ただし、その原理は力でもぎ取るか打ち建てた人が作って良いという約束が今につづいています。だから「民兵は銃を持ってよい」。
当然ながら人によって出自の民族によって地域によって自然によって、それぞれが考える原理が違います。
でもそのちがいを乗り越えて、アメリカ人に「なる」ことで、アメリカという国のシステムをつくりあげ、なんとかかんとか国を動かしているのだとおもいます。これは一種の実験みたいなものですが、うまくいくところと行かないところが極端にでてくることがあります。
内村鑑三の「如何にして余は基督教徒に、、」に、光が強いだけ陰も強い、と書いてあったように覚えています。
そのような陰の部分は、新約聖書にあるように燭台をもつ人が照らすようにしようと考える人がいても自然です。鉄道で大もうけしたスタンフォードやバンダービルド、鉄のカーネギーなどは、一種の罪滅ぼしとして、りっぱな大学を作りました。こういうダイナミックな動きができるのも、おそらくアメリカだけです。
ただその原理を、いいものだから、と国外にも応用しようとするところがあって、ほとんど成功しない。。。おそらく「世界とは」アメリカの辺境すなわちフロンティアという認識なんでしょう。なぜ「シェルター」なのか、ということにもつながってきそうです。

Posted by: yas : May 22, 2004 09:29 AM

tamさん、ていねいで興味深いコメントありがとうございます。とても勉強になります。
実はいたことはいたのですが、当時はまさに西部はポストモダン一辺倒の、どちらかといえば東部のスノッブの出張所あるいはクライアント探し拠点、みたいなLAでした。その前のフラワーレボリューションのころからむしろ環境のことやシェルターなどについてまじめに深く考えていたのは、同じ西部でもバークレー近辺だったように思います。
ということもあって、実はまったくtamさんの「ドーム」などのことについては無知です。musabiで作っていた建築学科のグループを横目にみたことがある程度です。実感としては、なんだか「閉じた」空間だ、という印象です。そのころの大阪万博でたくさんできたエアドームも同じ閉鎖空間ですね。フラードームについてもまったくくわしくないのですが、おそらく自然のしくみから学んだのではないでしょうか?

Posted by: yas : May 22, 2004 09:05 AM

yasさん、コメントありがとうございました。
 簡単には言えないことを2行程度で片付けてしまっていましたね。「聞く」のではなくて話にのってください。

 さて、ここでイエといったとき、ぼくはイエのあり方をふたつ思い浮かべていました。ひとつは「シェルター」に出ているような、その場所にある材料で自分の手と頭で作るイエ。もうひとつは、工業生産に基づきながら、やはり環境を人間に合わせるのでなく人間が環境に適応するイエでした。後者として、じつはBe-h@usを考えていました。これらは、構造、構築、材料、などのシステムが明快であるので理解しやすく、安心感を与えます。
 人間以外のあらゆる生物は、完璧に環境に適応して生活のしかたや体の構造を作り上げ、奇跡のようにぼくたちには思われます。しかし、唯一、人間だけが環境を作り替えて、それを自分たちに適応させてきました。生物がみずからを環境に適応させるには、「世界とは何か」ということを、なんらかのかたちで把握していなければ不可能ですから、彼らは無意識のうちに世界のシステムの何たるかを把握しているはずです。人間は、意識のレベルで自分の環境、世界のシステムについて知りたいと考えます。
 だから、「世界とは何か」を整理するために人間は「神」という存在をつくりあげたのでしょう。人間の解らないこと・不可能なことは、「神のなせるわざ」という棚に納めることで、世界とはなにかを容易に整理できるからです。

 どうしよう、話がひどく大きくなってきてしまった。

 アメリカにいらしたことのあるyasさんがむしろ詳しいでしょうから、認識の間違いがあったら指摘していただきたいところですが、「シェルター」の前に、ロイド・カーンはDOME BOOKをつくりました。しかし、それはヒッピーたちのコミュニティをつくるときのイエつくりのマニュアルになったけれど、その試みはことごとく失敗におわったと、カーンは「シェルター」の中でも自己批判しています。
 ドームという球形の空間は内部空間をいじったり増築したりするのには全く向かないのだともいっています。円形平面は、薄い壁の建築には向いていないということは、パタンランゲージにもかいてありましたよね。やはり、内部空間を変える自由度が少ないし、外部に「ポジティブな外部空間」ができにくいからだと。それでも、L.カーンが否定したのは工業生産の力ではありません。

 そこで、少ない要素から構成され、解りやすいシステム、作りやすく、環境に適合しやすく、自由度の高い、安価な、普遍的なイエの構築システムが求められるわけです。(フラードームは、きわめて少ない部品構成で明快なシステムによって空間をつくるという点ではこれ以上ないものですね。)

まだ、まとまっていないかもしれませんが、簡単に終わるものではないし、多くのことについてさまざまに語ることが、インターネット、Blogの本領でもあるからと・・・・今回はとりあえずこんなコメントでご容赦ください。
 
 

Posted by: 玉井一匡 : May 21, 2004 11:30 AM

>家族のカタチについて、イエとマチについて、原理を実感するともっと大きく深い気持ちよさが得られる。

ここのところ、もっと詳しく聞かせてください。ぜひ。

Posted by: yas : May 17, 2004 11:43 PM
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