June 10, 2004

クロスクラブ・山口文象邸

 safariでこのエントリーを開き、ちょっと訂正したあとで保存のボタンをクリックした途端に日本語の文字がことごとく「?」に化けた。こうなるからいやいやexplorerを使っていたのに、ひさしぶりに試したおかげですっかり書き直す羽目になった。同じことを書くのもいやだし、いっそのこと書き方をちょっと変えてしまうことにした。
クロスクラブ 中野→久が原
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 5月22日土曜日、中野哲学堂の自宅から久が原のクロスクラブまで、自転車で行くことにした。この日ここで、1:30から集まりがある。
 先日は、リートフェルトの製図板についての議論と探検でわれわれのBlogネットワークが盛り上がったが、リートフェルトと時代を共有するバウハウスに学んだ建築家、山口文象の自邸が「クロスクラブ」である。リートフェルトが終生職人であろうとしたように、山口文象にも職人としての血が流れていた。久が原の、このあたりは、近くに山口文象・RIAの久が原教会や、清家清による住宅もある。大きな区画、広い直線の道路で構成される住宅地で、この町がつくられた時代の近代解釈の結果なのだろう。
 

 中野からおよそ20km、あやしい天気なのに自転車を使ったのはわけがある。Mapionでみると、1/10000で8枚の地図をひたすら縦にならべ最後に1枚だけ東に加えるとクロスクラブにゆけるというのに興味を引かれた。途中14本の鉄道をこえる。東京という都市の筋肉組織の断面を走るようなものだということに興味があったし、途中で雨が降ったところで、どれか近くの電車に乗ってしまえばいいのも気が楽だ。A4にプリントアウトして貼り合わせた地図はひたすら南北に細長い。細長く、ミシュランのガイドブックの幅に合わせて折りたたんでジーンズのお尻のポケットに入れた。なんとか霧雨以上の雨にも遭わずに久が原についた。

 おもての道路から見ると、クロスクラブは棟を奥に偏芯させた大きな切妻の屋根が、1階から始まって2階建ての空間を包んでいる。軒高が低いおかげで、道路からはいささかも大きさを感じさせない。RCとレンガに白い塗装をした壁と屋根は縁を切ってあるが同じ面でそろっているので、ちょっと気づかないことがあるが伝統的な瓦屋根が載っている。棟梁の息子に生まれバウハウスに学んだ山口文象の、伝統とモダンに脚をのせた立場が読みとれる。石垣と軒先をそろえた外泊の集落も思い出す。
 下屋をつくって家を小さく見せたり、平屋のように感じさせるのは、日本の家とりわけ町屋のつくりのたしなみ、美意識の基本だ・・・土蔵を例外として、日本の住宅は平屋、そして小さく感じさせることが原則である。

 いまは、長男であるピアニスト・作曲家の勝敏さんご夫妻と、母上である文象夫人が住んでいらっしゃる。3人の家族で住む住宅としては広すぎるので、それをなんとかして元のようにして生かしていこうという奮闘の結果がクロスクラブである。
 数年前に、あるクライアントが自宅を建て替えて兄弟の集合住宅+パーティー会場にしたいという話があったので、ぼくはクロスクラブに案内した。勝敏さんはオーナーとしての、とても大変な仕事で、なかなか儲かるわけではないなどと話した。それだけが理由ではないがぼくの施主は計画を取りやめた。勝敏さんはまっすぐな人なのだ。
 たまたま子供さんがないおかげで、元の空間と静けさが保たれている。主に2階部分を住宅として利用しながら、1階の居間から中庭につづく部分が、音楽教室、パーティーやコンサート、雑誌の撮影などに利用されている。
中庭から離れを見る 中庭から見た母屋
 白く塗装したレンガの壁の奥にある木製のドアを開く。玄関の階段を数段上ると、グランドピアノのおかれたホールのひかえめな明るさの奥に中庭がある。靴は脱がないからホールと中庭は、ほぼ同じレベルなので、玄関、ホール、中庭へと空間が気持ちよく連続する。この季節には、桜とコブシの大木は、若葉が開放的な屋根のように上空を包み、緑に漉された光がタイル張りの中庭に落ちている。床はコンクリートの平板にタイルを貼ったものを敷いてあるので、日本のコートハウスとしては例外的に広い中庭だが、床面の微妙な変化が空間を単調にしないのだ。

 北側に2階建ての母屋、南側に平屋の離れがある。この土地は南北の両側に道路があるので、離れも間口いっぱい道路に接している。母屋とは独立して道路から出入りできるから、パーティーに使われるときには、ここが控え室になる。
 山口文象の時代には、その一番弟子というべき植田一豊氏がここで新婚時代をすごしたことがある。そこに、実弟でのちに都市住宅をつくった編集者植田実さんが居候していた。
 その植田一豊さんを中心として「でかんしょじいさんの読書会」というが、実は植田さんの独演会の小さなあつまりを月に一度続けてきた。いつのまにか交通の便利さでうちの事務所でやるようになったが、文象氏の命日の来る5月だけはクロスクラブを会場にお借りして、勝敏さんのために音楽をテーマにすることがこのところ恒例になっている。

 山口文象・RIAは、コートハウスをはじめ、多くの都市住宅をつくったがその後は都市の再開発などの仕事が中心になった。山口文象邸は、それひとつを切りとればすぐれた住宅建築だが、RIAが重心を移していった「まち」という視点からみれば閉鎖的で、敷地の大きさを考慮すればなおさらだがまちとの接点が少なすぎる。しかし、住宅からクロスクラブとなって、あつまりの会場としてだれもが利用することができるようになったのは、むしろまちと建築のかかわり方として大きな進化だとぼくは考える。クロスクラブという名は、晩年にクリスチャンになった文象氏だったから十字架を意味するものでもあるが、ひとびとが、あるいはさまざまな世界が交差する場所たらんという意味も込められているのだから。

クロスクラブ 〒146-0085東京都 大田区 久が原4-39-3
     電話:03-3754-9862 fax:03-3751-0496

投稿者 玉井一匡 : June 10, 2004 11:45 AM | トラックバック
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