June 16, 2004

コレクティブハウジングと生協

seikyouchirasi1.JPG  seikyouchiraasi2.JPG 生協のチラシも増え続ける

 昨日、NPOコレクティブハウジングの宮前さんとべつの話で始まった電話だが、今週の末に京都で生協のひとたちにコレクティブハウジングについて話をするんだということに話が及んだ。
 彼女はコレクティブハウジング社というNPOで広報担当のような立場を担っている理事なので、コレクティブについてのさまざまな取材やら、「コレクティブハウジングって何なんですか?」という素朴な疑問を持っているひとりひとりからの電話の相手までやっている。コレクティブハウジングというものにさまざまな形式がありうるのは当然だが、その基本的な思想を理解してくれる人が、メディアを含めてとても少ないとよく言う。けれども、生協のひとたちは、その根本のところについては分かっている人たちだから、コレクティブハウジングについて理解してもらえるだろうという期待をしているのだ。

 

わが家で参加している生協は、注文した「もの」を毎週水曜日に配達してくる。そのときに次週の注文のためのチラシをごっそりと置いてゆく。その量が時と共に増えて、いまでは新聞の折り込みのチラシを凌駕する勢いである。生協という組織もそれが扱う商品も、この世界の「経済の成長」という病から脱することができないことが読みとられる。
 消費の拡大を食い止めることが、生協の重要な役割のひとつにちがいないとぼくは思うが、それを損なう組織の拡大をなんとかしなきゃあならない。「経済は成長し続けなければならないのか?」という命題は、人間という種が生き残れるかどうかを決する世界共通の問題のはずではないか。コレクティブハウジングについて生協のひとたちに話すなら、そのことを話してほしいと宮前さんに言った。なにもえらそうに批判がましい言い方じゃあなくたって、「これからコレクティブハウジングも同じ問題を抱えるだろうから、一緒に考えてください」という立場で話せばいいんじゃないかと。
 成長とは、経済規模の数量的な拡大と同義語ではないはずだ。しかし、「成長」が生物についての言葉であるのを考えると、いずれ成長には死というものが待ちうけている。もし、経済成長という言葉をつくった人が、成長のあとには必ず訪れる経済の死を見こんでいて、だからいつまでも成長すればいいものじゃないよといいたかったのだとすれば、経済学者もすてたもんじゃない。

投稿者 玉井一匡 : June 16, 2004 11:23 AM | トラックバック
コメント

生協は組合員が主役で、組合員のお金でチラシなども作っています。ですから必要なこれこれのチラシだけでよいから、品物の値段をその分下げましょうとか、まずは総代会等で決議すればいいのではないでしょうか。「2011年の今はもうとっくに実現されています」って。それは失礼しました。

Posted by: おせっかいのオジン : November 21, 2011 04:11 PM

はじめまして! 宮前です。

生協のシンポジウムに参加する、新しい暮らし方コレクティブハウスの話を玉井さんがここで紹介して下さったので、私が何に期待して出かけて行ったか、少し付け加えたいとおもいます。

このシンポジウムは、京都にある生協の研究所「くらしと協同の研究所」主催で年一回の総会の記念行事として行われたものです。 記念講演は 鷲田清一さんの「いま協同する事の意味」というお話で、引き続き、「くらしの今から生協の未来設計を考えるために−いま生協に何が期待されているか」というシンポジウムでした。
  「市場万能主義」では私達が直面している地球規模の危機にも何も解決がないこと、そして、なによりも日々の暮らしの実態が抱える問題に生活協同組合はどうむきあえばいいのだろうか(生協からのプレゼンテーション文の抜粋)、と生協も悩んでいる、進むべき道を探っている。というところで「住まいのあり方、食のあり方、働き方」という3つの側面から暮らしに問題提起をしてもらい、ひとつでも、生協が諦めていた事、忘れていた事思いもつかなかった事を発見したい というとても内省的な原点を見つめる主旨でした。私を含め3人の女性ばかりのパネリストが住まい、食、パート労働などの側面で問題提起をしました。
私が紹介した「コレクティブハウスかんかん森」はとてもみなさんに好評でした。
 私はコレクティブハジングにこれからの生き方の一つの未来をみています。それは、自らが主体的に暮らしに関わる自由と可能性をコレクティブハウスは、仕組みとしてもっているからですが、そのもっとも大切な仕組みは なにげない動機を共有する、(できる)ことから始まるのです。
生協運動、生協活動は、「個人の出資という行為によって、暮らしに変化を生む」という動機を、成り立ちに持っていると私は思っています。単に商品の購入ではない、経済成長ではない動機の共有へは、あと一歩なのではないか。生協はファンドなのです。そこに協同というキーワードでの自由で、多様な可能性が開かれていると私は感じていますという話をしてきました。

住まい手の資本で、欲望に満ちた所有でなく可能性に満ちた暮らしを目的にした、賃貸コレクティブハウスが作られること。
私はその実現はそんなに遠くないと思っています。

Posted by: 宮前 眞理子 : July 11, 2004 11:20 AM
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