July 20, 2004

アメリカ再読

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 大きな街路樹がならぶ住宅地:右から2軒目が妹たちの家
 

 カフェ杏奴を教えてくださった「いのうえさん」からつぎのようなメールを頂いた。
「玉井さん、おはようございます。 杏奴ファンのいのうえです。貴Place Runner を掘り起こしましたら、ニュ−ジャージー州リッジウッドの住居について書かれていましたので、偶然とはいえびっくりしました。小生も家族と共に1986年から1992年の足かけ7年、リッジウッド村の北端に住んでおりましたので。世の中本当に狭いというか、これも何かの縁ですね。」

 ニュージャージーは、ニューヨークに勤務する日本人が比較的多く住んでいるところだから必然性がないわけではないけれど、そのなかでもリッジウッドという小さな村だということになると、何かの縁だろうとぼくも思ってしまう。

 「前に書いたものをBlogで公開すればいい」と、秋山さんからも何度かアドバイスを受けていたのだが、他にも書きたいことがいろいろとあったので、なかなかできなかった。この機会に読み直してみると、今年は日米修好150年でもあるし、いまでも通用する話だと思ったので、いのうえさんのメールを機会に、Blogにのせることにした。これは、リッジウッドの家の「ベースメント」で目を覚ました明け方、ノートに書いたものだ。

 1998年秋、アメリカに住む妹たちの家をぼくははじめてたずね、およそ1週間そこに滞在した。13歳も年齢のはなれたただひとりの妹である理子と夫のスティーブは14年前に日本で結婚し、その後、日本とアメリカで何度か住まいを変えたのちに、ニューヨークの郊外、ハドソン川をはさんだ対岸のニュージャージー州のリッジウッドという町に家を買って3年ほどになる。3人の子の親となったスティーブは、ほんとうは田舎に住みたいんだと言いながら、毎朝のように前庭の芝生の上に投げ込まれるビニール袋入りの朝刊をもって車に乗り込み、駅からは電車とフェリーを乗り継いで1時間たらずでニューヨークのワールドファイナンシャルセンターにあるオフィスまで通勤している。

 3月に生れたあたらしい孫ソニアの顔を見がてら、ぼくたちの両親は新潟をはなれて3週間ほどかれらのところに滞在することになった。家族そろって相談したいことがあったので、両親の迎えをかねて最後の1週間をぼくも東京から合流したのだった。
 両親と一緒だったから、いずれにしろあまりうごきまわることはできないし、その1週間を、ぼくは主にこのまちに腰を落ちつけてアメリカの日常的な場所に接することにしようと思った。わずか1週間のあいだだったけれど、地下室に寝起きして、この町とこのいえの住人たちを通じ、アメリカについて実感をともないつつさまざまなことを考えることができた。アメリカについて考える時には、いつも日本のことを考えないではいられなかったから、アメリカを考えるということは実はアメリカという鏡に写した日本をみているのだった。

 この家の面積は地下を除いても屋根裏を含めると延べで40坪ほどだから、日本ならけっして小さいとはいえないけれど、まちを一巡りしてみると、ここでは一番小さい家のひとつではあるようだ。とりわけ、外から見れば小さく見える。玄関ドアの左右に窓がひとつずつならんだ上に平家のようにつくられた屋根に、屋根裏の子供部屋のドーマーウィンドウ(屋根窓)がふたつならび、横にガレージが加えられただけのかわいい家とみえる。
 しかし、ちょっと目をこらしてみれば、この家がただかわいいだけの家ではないことが、いたるところから読み取ることができる。建てられてからすでに50年以上の時を経ていながら外壁も内側の壁もきれいに塗装を施されているので、さながら雪におおわれたまちのように一様に美しく見えるのだが、家に加えられた手の痕跡がそこここにとどめられているからだ。なによりこの家を魅力的に感じさせるのは、古いことを誇らし気にして建っていることだ。とはいえ、骨董品のように古さそのものが価値を持っているわけではまったくない。けれども、使いこまれ大切に手入れされてきた痕跡を感じさせるもののもつ美しさや好ましさがあるのだ。この家だけではなくまわりの大部分の家たち、それらが集まって作られているこのまちそのものにも、同じような好もしさが感じられる。

OLSONDACT.jpg 上の部屋を暖めるダクトはベースメント天井を走る。断熱はない。

 日本でつぎつぎと建てられる家の多くは、作られた当初の輝かしさは時とともにみるみる失われ、粗大ゴミへのみちをひたすらに歩み続ける。土地とともに住宅を売ろうとすれば建物の価値はゼロだと評価され、ときには解体の手間の分だけのマイナスの評価を受けるというぼくたちの社会では、売買の市場に出されたとたんに古い住宅の価値はゼロになってしまう。 けれども、このまちの家たちは時とともに価値を上昇させ、現在の住み手である妹たちも、買ったときよりも高くこの家を売ろうと考えてあちらこちらと手を加えて、よりよい家にしようと努力を惜しまない。終の住処としてひとつの家に住みつづけようと考える日本人よりもむしろ、家族が増えたからここを売ってもう少し大きい家を買おうと気軽に考えるここの人たちのほうがじつは家を大切にしようとしているという逆説はすこぶる興味深い。
 最も私的な建築物である住宅も大きく見れば社会全体の財産だと考えるなら、日本のあり方では、作られた当初に最大だった財産が時とともに減り続け、数年で他者にとってはゼロになる。けれど、100年たった住宅でもそれがちゃんと商品として売買されるこのまちでは、社会の財産は時とともに蓄積されてゆく。あのバブルの時代に日本が世界中からかき集めてきた富は、ただ空しく土地の価格を上昇させ、ゴルフ場を増やし住民に君臨する庁舎をつくり、森を減らしここちよい小さな漁港を埋め立てて終わった。社会に蓄積されたものは少ない。
 そして、今頃になってストックとしての住宅だの100年住宅などと住宅メーカーや役人が口では言いはじめた。もう、大組織や役所の言うことを額面通りには信じない。すくなくともそれを学ぶことができたのがバブルという愚かな時代の残したささやかな財産だ。量から質へというスローガンで新しいマーケットを作ってゆこうというのが最も重要な目的に違いないのだから、モノとして長もちするだけの家がつぎつぎとつくられてゆくのだとしたら、それはもっと悲惨なことになりかねない。シリコンを注入した美貌や肉体のように、年を経てもいつまでも変わらないということが100年持つ住宅なのではないはずだ。    

 だが、紙袋や紙皿やプラスティックのフォークを1回使っただけでゴミ箱に放りすて、冬にはふんだんに暖房をきかせた家の中でアイスクリームを食べ、夏には冷房を効かせた室内でスーツとネクタイをつけるというアメリカの生活を、ぼくたち日本人はあこがれてあとを追ってきた。われわれを大量生産と大量消費の泥沼に誘い込んでおきながら、ここのひとたちは背後にこんな堅実な世界をしっかりと大切に残している。日本にもちこまれた道具や映画からぼくたちは彼らの生活の断片を知ったけれど、それだけではよみとれなかったものがあまりにも大きい。単語をひとつひとつ日本語に置き換えることによって英語ができるかのようにしてぼくたちの英語教育はなされてきたけれど、それが英語という言語体系の全体からかけはなれたものになってしまうように、ぼくたちの読み取った道具や生活の断片という単語は、この国の生き方という言語体系とはかけはなれていたのではないか。

 アメリカのきわめて強い影響のもとに日本人のひとりひとりの生活も社会も作られてきたのは、けっして戦後民主主義の世代だけではない。ペリーが浦賀に押しかけてきてこのかた150年にもわたって、良きにつけ悪しきにつけあるときは進んで模倣をし、あるときは力ずくで従わされながら、くり返しくり返しアメリカのやりかたや在りかたを受け容れてきたのだ。西洋のまねをしたいばかりに、仏教寺院を破壊し仏像を売り飛ばし、古いものをないがしろにして、ほかならぬアメリカ人をはじめとする外国人にたしなめられて、あるいは、ドイツ人にほめられてはじめて桂離宮を見直す始末だった。

 アメリカではおそらく平凡なものである理子たちの家と、そのまちのあちらこちらに、われわれ日本人にとってはきわめて興味深いものが見つかる。外の文化からみて真に興味深いものは、内にとってはあたり前のことにある。モノの集積としての「家」と、そこに作られる場所を読み解くことから、アメリカという、ぼくたちには矛盾に満ちたと見える存在を読み解くカギが見つかるのではないか。進歩と信じて絶え間のない変化を続け、一方ではかつて持っていた世界を壊し、自分たちの世界観を見失おうとしているぼくたちの社会を、アメリカという鏡に自らを映すことで見直して、立ち直るすべを発見することが今から欠かせないだろう。

投稿者 玉井一匡 : July 20, 2004 04:31 PM
コメント

OSMさん
 ごめんなさい、たまたま調べたいことがあってこのエントリーを開いたら、やっと今頃になってこのコメントに気づきました。
トラックバックは、ゴミひどくが増えて、消去するのが大変になったことがあって、そのときに停めてしまったのです。
ところで、ぼくはあまり体重は変わっていないつもりだけれど、体型は変わってるのかなあ。写真たのしみにしています。

Posted by: 玉井一匡 : November 12, 2011 06:05 AM

どーも、玉井さんお元気でしょうか?
僕はデブにはきつい梅雨にやられております。(苦笑)

誠に勝手ながら僕のブログでこのエントリーにリンクさせていただきました。本当はトラックバックしたかったのですが、トラックバックエントリーがなかったもので・・・

先日実家で荷物を片付けていたところ、玉井事務所で撮ったある写真が出てきました。玉井さんと僕がパンツ1丁、上半身裸で前面写真と側面写真を撮ったものです。覚えていらっしゃいますか?お互い見事にビフォーアフターな記録となってしまいました。今度事務所にお持ちします。はい。

Posted by: osm : June 21, 2005 11:21 AM

「タイニーハウス」を買ってくださって、ありがとうございました。自分で言うのもなんですが、とてもいい本ですよね。 PageHomeのサイトに書いたのを読んでくださったのでしょうか。
 序文に著者が書いていますが、こんな本を作っているんだという話を人の集まるところですると、誰もが夢中になったと書いています。小さい家について考えることは、住むということ、建築の構築のシステム、環境との関わり方などの本質について、あるいは生きることそのものについて、頭だけでなく自分自身にひきよせて考えることができる、とてもいい方法だとぼくは思うのです。
 いのうえさんが発掘してくださったので、 PageHomeで「タイニーハウス」について書いたことも、ここに書こうと思います。

Posted by: 玉井一匡 : August 2, 2004 10:08 AM

こんばんは。 杏奴ファンのいのうえです。
今回は自宅のパソコンからコメントを送らせていただきます。 本日、新宿南口の紀伊国屋書店にて、玉井さんの翻訳された 「タイニーハウス」を手に入れ、帰りがけに杏奴にて目をざっと通し終えたところです。 トーマス・ジェファーソンのコテージから、カリブ海バルバドス島の稼動家屋、そして1985年に発表されたホームレス救済のための移動式シェルターカートなどなど、写真や図面と共に興味深く読ませていただきました. 大統領から、プランテーションの労働者、そしてニューヨークのホームレスに至るまで、住まいは人という生き物の無くてはならぬ身体の一部だとあらためて認識しました。 (本の帯については、いろいろあったのでしょうが最終的には出版社好みのする藤森さんのコメントでしたね。) 杏奴ノオトにてこの本の事、ちょっとだけ宣伝しときました。

 

Posted by: いのうえ : August 1, 2004 10:49 PM

  コメントありがとうございました。 ぼくたち日本人の多くにとって、世界というものはすでに「ある」ものだけれど、アメリカ人にとっては世界は自分たちで作るものなのだなと、よく思います。もちろん世界とは、家庭や自分たちのいえから自分の住むまちや、子供たちの通う学校を含めてのことです。 自分たちの家を自分たちの手でつくったり手を加えることを当然の文化として持っている彼らをぼくは尊敬します。母校に奨学金を贈ったり、身よりのない子供たちをすこぶる自然に引き取って、自分の子供にしてしまう人たちが多いことを尊いと思います。  しかしアメリカ人はそれにはとどまらず、もっと大きくもっと広い世界まで自分たちの手で作ろうとして、よその国さえ自分たちが作ろうと考えてしまう。・・・というナイーブな側面の背後では、軍事産業や石油産業が札束を数えるのでしょう。

 ぼくたち日本人の多くにとっては、まちも政府も国家も、みんなすでにあるもの、だれかが作ったもので、自分たちで作るものとは考えない。だれかに任せるものだと思いこんでしまい選挙の投票さえしない、行動しない。学生ですら自分の大学のありようにも意見を表明しない。
 昔の日本人たちは、同じようにすでにある自然を尊び大切にしてきたはずですが、それは変わってしまった。

Posted by: 玉井一匡 : July 31, 2004 02:37 PM

玉井さんの写真で、ニュージャージー州リッジウッド村の北端にあった一軒家を懐かしく思い起こしました。イタリア人がつくった使いやすいランチ(平屋)を、駐在先の前任者が社宅として購入したものを引継ぎ、1992年初めまで約6年半そこで過ごしました。 賃借人としてだけでなく、大家である現地法人の責任者として、できる限りの改修で価値を上げていったのは妹さん夫婦と同じですね。 プロに頼んだのはバックヤードのデッキの作り替え、 表玄関前の階段の作り替えとドライブウェイの整備、 屋根のふき替え。 家内がやったのは、 リビングルームのサンディングとワクシング、内装のペインティングとステンシリング ・・・ 思い起こせば私は庭の芝刈りと落ち葉拾い以外何にもやってません!!  初夏の夕暮れ時に、数百の蛍が400坪の裏庭に現れると、現地で生まれた長男と次男はその光の群をとらえようと走り回っておりました。野ウサギ、リス、モグラ、つがいのグースが裏庭の常連で時には招かれざるお客様、スカンクなども来訪したものです。 

Posted by: いのうえ : July 29, 2004 07:56 PM
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