November 04, 2004

ルアンパバン(Luang Prhabang):世界遺産のまち

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朝:ルアンパバンの図書館と子供のいえを見る。佐賀の自治労が集めた資金で、古くからあった建物を図書館にしたものだ。小さいけれどきれいな施設をていねいに使っている。世界遺産のまちなので建物の改修にはさまざまな制約があって、窓を付け加えるのにも苦労をしたというけれど、そのおかげで古い建物がこわされず、きれいな図書館に変わったのだ。向かいの中学校から、休み時間に生徒たちがやって来て本を読んでいる。館長さんにたずねると、休み時間は20分だという。
 現在と前の館長さんに話をきいても人柄がよさそうだったから、石上からのメールを思い出した「もう10年もまえのことだが、フランス人の友人が、『ベトナム人より人柄がいいんだ』といっていました」と書いてあった。
ヴィエンチャンの「こどものいえ」では、こどもたちに会うことができなかったから、ここの子たちの学校のようすをのぞいてみたくなった。館長さんに許可をえて道路を渡り教室を見ていると、フランス人なのだろう、フランス語で地理とおぼしき科目の授業だった。

LuangprhabangPalaceS.jpgClick to PopuP まもなく、王宮は11時まででしまるというので、博物館、かつての王宮にむかった。昨夜は、あんなに道の両側を店が埋めていたのに朝には何もない。やはり、夜にはきれいに店をたたんで、また夕方になるときれいに店と商品を広げるのだ。
小国だったからでもあるんだろうが、王宮にしては建物が小さい。そのぶん庭園が広くて、周囲の自然と連続している。門の正面の高台には金色の仏塔があって、まちのどこからでも屋根のあいだにうつくしく輝いている。そこまで昇れば、このちいさなまちは空港さえ一望にすることができる。王宮を俯瞰すると、背後に流れるメコン、建物の落ち着いた色、おだやかなすまいは、権力を見せつけるところがすくない。中国が贈ったというビエンチャンの国立ホールの威圧感とは対極にあって、うつくしくここちよい。
メコンは、中国の雲南からの水路として中国が大いに期待しているのだが、途中に船が走りにくいところがあるとドンドン邪魔なものを爆破しているので、水の流れや生物相が変わっているそうだ。
大国というやつは、アメリカといい中国といい、ロシアといい、みんな無神経なものなのだろう。国家というシステムのいちばん上に乗っているのが皇帝から大統領や主席やもしかすると労働者に替わっても、大国としての他国に対する振舞いは一貫している。日本は、間違って大国のつもりにならないでもらいたいものだ。

tamtam 午後:王宮の近くのTAM TAMというカフェで昼食をとった。30センチほどのバゲットに鶏肉をはさんだサンドイッチそしてレモングラスティー、レモングラスを薄く切ったやつにお湯を注いだだけのものだが、なかなかうまい。
LPguesthouse 高い天井の古いカフェでしばらく涼んだあと、このあたりを探検に出発。メコンと支流が合流する地点なので、ふたつの川に囲まれて半島のような地形ができている。川に平行して3列ほど、道が等高線をなぞるようにして並んでいる。それらを結ぶ細い道は尾根と川べりを結ぶので坂道になる。それが、ゆるい勾配でゆるやかにまがっている。漁村の集落のような道の網ができている。
その道に、あたらしいレンガの舗装がなされ、足下を照らす素焼きの照明が置かれていた。裏道を、こんなふうに気持ちよくつくろうという視点を持つことができるのはとてもすてきなことだ。こんな道路の整備をする経済的な余裕はルアンパバンにはとてもなさそうだが、UNICEFからの補助でもあるんだろうか。そういう道のところどころに、寺院や学校、みせやカフェ、それにguest houseという民宿が編み込まれている。みんなどれも、木造の平屋か2階建てのたてものだから空が広い、足もとには背の低い植物がレンガのみちにこぼれ、見上げれば高いヤシの木が大きな実をつけている。

LBlight ここでは王室の菩提寺さえ、やはり小じんまりとして品がいい。ウロコ瓦葺きの屋根の下には天井が張ってないから、見上げると屋根の下地が見える。3カ所ほど、瓦がなくなっていて、その穴から数条の束になった光が室内を照らしている。穴の下の床を見たが、さして傷んではいない。外に出てそこを見ると、外した瓦のかわりにちゃんとガラスが差し込まれていた。
LPstoopa この建物の前に建てられている仏塔の、たおやかなかたちもプロポーションが美しい。
ヴィエンチャンをあるいている時には、バンコクとどう違うだろうかと考えていたが、この町を歩いてみると、世界遺産になったわけがぼくにも分かってきた。巨大な遺跡や豪華な埋葬品があるわけではない、しかしゆるやかに流れる南国らしい川、ヤシの木、みち、坂、民家、控えめな王宮や寺院、そしておだやかなひとびと。世界遺産になったおかげで、これからの乱開発が防げるにちがいない。またたく間に清里をばかばかしい漫画のような町に堕落させてしまったようなことは、ここでは起こらないですみそうだ。多くの人々がきてラオスを経済的にも豊かにしてほしいと思う。しかし、できるなら語尾上げ茶髪の日本人たちが群れるところにはならないでほしいものだ。

夕方7:00の飛行機に乗って、8:00ヴィエンチャンのホテルに戻った。

投稿者 玉井一匡 : November 4, 2004 08:30 PM | トラックバック
コメント

 なるほど、複数の「s」だったのですか。ラオ族以外のひとたちもその他のラオだと認識したというわけですね。植民地をもった国は、相手を身勝手な見方で接していたということが「s」という文字たったひとつだけでわかるのだから、興味深いことだと思いますが、ラオスという言いかたをされたら、ラオの人たちはほんとうはひとこと言いたでしょうし、少数民族にすれば、ラオだけを国家の名称にするなとも言いたいでしょう。

Posted by: 玉井一匡 : November 24, 2004 02:07 AM

玉井さんから「Laos」という表記についてご質問をいただいていました。ラオスのマジョリティであるラオ族の人は自らを「ラーオ」と言います。ですから、Laoという表記でもいいように思えますが、Laosと表記されるのはご指摘のようにフランスの影響のようです。フランス人はLaoと呼ばれる地域には、たくさんの民族が住んでいる(ラオ族が約6割、少数民族が約60民族)ので、Laosという複数形にした、とラオス人から聞いたことがあります。フランス語のLaosを英語読みでLaos(ラオス)となり、英語読みを日本では採用したのだと思います。ただし、現在の正式国名は「Lao People's Democratic Republic」となっており、自分たちの表現を尊重したものになっています。

Posted by: 吉川健治 : November 23, 2004 09:23 PM

吉川さん、ありがとうございました。
秋山さんも書いてくださいましたが、コメントに「少しだけ『私の場所』になりつつある」ということばを見つけて、本当にうれしく拝読しました。ぼくの考えているMyPlaceという概念が、じつは、Blogそのもののありかたにとても近いんだということを、気づかせてくださったからです。
コメントやトラックバックやリンクによってBlogをおたがいに行き来すると、離れた場所にいる人や離れた場所そのもの、過ぎ去った時代がとても身近になりますが、MyPlaceというのは、現実の空間、現実の場所をおたがいに「自分の場所」だと考えるようにしたほうが楽しいんじゃないか、ということなのですから。
 これまでこのBlogで正面からは取り上げなかった「about MyPlace」を、そろそろ書きたくなりました。
 表記についてもうひとつ。Laosと書いて、ぼくたちはラオスというけれど、「ラオ」という言い方もよく聞きますが、これも発音しないsが使われるフランス語の影響なのでしょうね。

Posted by: 玉井一匡 : November 21, 2004 08:24 AM

吉川さん、お答えありがとうございました。
「私の場所」に、というのは玉井さんのこのブログの意図通りで、うれしいですね。
玉井さんのラオス行きの話を伺っている時、ちょうど「ロバート・キャパの最期の日」を読んでいて、ルアンプラバンについて書いてある部分があり、玉井さんがルアンババンと書いていることに興味を持ちました。
吉川さんが手配してくださったラオラーオは、今、私の手元にあり、皆に飲まれるのを待っているところです。
http://citrohan.sub.jp/be-eater/archives/000287.html
まずは。

Posted by: 秋山東一 : November 21, 2004 04:43 AM

秋山様 ご質問ありがとうございました。確かにフランス語の影響はあると思います。例えば、ヘボン式ならば「u」となるであろう発音が、ラオスでは「ou」、「n」でよさそうな最終子音が「ne」と表記されますので。ここからは一般論ですが、長い植民地時代を経て、独立後も長い内戦を経験したラオスでは出版文化というものが稀薄です。じっくり自分たちの文化というものを同時代的に熟成する時間がなかったのではないかと思われます。その一つの表れが、日本の広辞苑にあたるような標準化を可能にする辞書がないことです。例えば広辞苑に載れば日本語として認知される、というスタンダードが存在しないわけです。お隣のカンボジアもポルポトの焚書政策で辞書がなくなりましたが、どれが標準カンボジア語か、カンボジア人同士でもめていたことを思い出します。確かに、出身地や世代によって使う言葉が違うでしょうし、どれが「正しい」か、みなが暗黙に認める権威・スタンダードなければ、判断が極めて曖昧になってしまいます。(本来どの方言も特定の領域の人がが使っている限り正しい言葉のはずですが、国という領域を設定すると標準が必要になるのでしょう)。ラオスやカンボジアで自らの言語・文化についてじっくりと考える余裕がなかったのは、国際関係の狭間に長年身を置かざるを得なかった小さな国の悲劇だと私は考えるのですが、ちょっとオセンチでしょうか。
2度めのコメントですが、少しだけ「私の場所」になりつつある心持です。

Posted by: 吉川健治 : November 20, 2004 11:50 PM

吉川さん、ありがとうございます。よく分かりました。

ちょこっと質問ですが、「Phabang」がパバンとなるのは「h 」を発音しないということと思いますが、旧宗主国フランスの影響なのでしょうか。

Posted by: 秋山東一 : November 20, 2004 09:44 AM

 吉川さん、コメントありがとうございました。まちでみかけたLuang Phabangのほうが正式な表記だったんですか。自分たちの「日本」でさえ、「にほん」と言ったり「にっぽん」と言ったりしているんだから外国となればむずかしいのは当たり前だけれど、こんなところひとつからでも掘り下げて見ると、いろいろな側面が見えてくるというのは本当におもしろいですね。さっそく、このエントリーのタイトルをLuang Phabangに訂正しました。
(吉川さんは、EfaというNPOの事務局長をしていらっしゃる。同時に大学で国際関係論を教える先生でもある。このBlogの「アジア子供のいえと図書館・ヴィエンチャン」というエントリーに活動と吉川さんを紹介しました。)

Posted by: 玉井一匡 : November 20, 2004 09:15 AM

ラオスに同行させていただいた吉川です。Luang Phabangについて。ラオス語(タイ語もですが)は、日本がちょうど漢語を借用したように抽象語、概念語はサンスクリットから取られています。その綴りにしたがってローマ字表記すれば、「prabang」になると思われます。(praは僧侶あるいは仏を意味します)ところが、ラオス人は日本人と同じでRの発音が苦手です。ですから、プラバンはパバンと日常的に発音されていて、70年代の民族主義運動の結果、ラオス的に「パバンPhabang」が正式な表記となり今日に至っています。一方タイではサンスクリットの綴りに忠実にタイ語表記を行い、Prabangと正式には発音されるものとしています。ラオス語とタイ語はとても近い言語なのですが、例えば中国語に簡略体と昔ながらの漢字を使う地域があるのと同じようなことかもしれません。無礼のご海容を乞いつつ・・。

Posted by: 吉川健治 : November 20, 2004 01:54 AM

 きのう、留守中に秋山さんから電話があった。「ルアンパバンとgoogleで検索すると3000件くらいだがルアンプラバンで検索すると4000件くらいあるよ」ということだった。夜になって事務所に戻ってぼくもしらべてみたら、ルアンパバンは3,090、ルアンプラバンは3,940出ている。なるほど。ここが、外国語の表記の難しいところだが、口で言うときは、たぶんルアンパバンといったほうがわかってもらえると思うが、文字表記はLuang prabang だからルアンプラバンと書きたくなりますね。
おなじようなことは数知れないけれど、たとえばオードリー・ヘップバーンとぼくたちの時代は読むけれど、これはアルファベットで書かれたものをカタカナでひょうきしたものである。明治時代には同じ名前を、おそらく耳で聞いた音からヘボンと書いていたのだろう。だからぼくたちの使うローマ字はヘボン式というんだ、ということに気づいたのはわずか数年前のことだった。
ヴィエンチャンのどこかで見た看板の表記はPhabangとなっていた。ラオス語からアルファベットの表記に変えるときにも、悩んでいるらしいと思ったが、それも当たり前の話なんですけどね。

Posted by: 玉井一匡 : November 13, 2004 04:09 PM

それって、どうしてって感じですが、まずは書き込んでみます。

今回の玉井さんのラオスからのブログエントリーが、どんな段取りだったのか知りたいものです。
電話ではインターネットカフェが......とかありましたが、どうよどうよ、興味深々であります。

Posted by: 秋山東一 : November 8, 2004 12:31 PM

さっそく秋山さんから電話が来た。コメントが書けなかったそうだ。すぐに調べてみたけれど、どうもおかしいところはないみたいなので、ためしてみることにしたが、たしかに、やってみると送れない。
「コメントの設定」を見たがおかしいことはなさそうだから、「Blogの設定」の「禁止IP」を見る。40以上のアドレスを禁止にしてあるが、ひとつだけ何もアドレスを書き込まないままになっているのがある。こいつを削除してみたら、ちゃんとコメントを書き込むことができました。

Posted by: 玉井一匡 : November 8, 2004 11:55 AM
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