July 22, 2005

グリーンイグアナのアンヘル:パッシブソーラーな生き方

ANGEL.jpg

 10年ほどまえ、事務所にグリーン・イグアナを飼っていたことがある。
東急本店屋上のペットショップで5000円だった。こいつのインパクトの大きさからすればこの値段は格別に安いと思った。南米ではイグアナを食っちゃうんだと聞いていたから、うちに来てかわいがってもらえることは、彼らにとっては望外の幸せにちがいないと信じていた。木の衣装箱のようなものを拾ってきたのがあったので、そのフタをはずして透明のアクリ板にとりかえ、スライド式ではずせるようにした。ときどき箱から外に出して事務所の中を歩かせた。アンヘル(Angel)と名付けられた。
 写真で分かる通り、とてもかわいい顔をしている。いまだに、これほどのかわいい顔をしているイグアナにあったことはない。と、ぼくたちは本気で思っているのだが、ひとはこれを冗談だと思うらしい。
 東急本店のペットショップの店員は、これをやっていれば大丈夫ですといってドッグフードのような「九官鳥のえさ Q-CHAN」なるものをすすめた。乾いた球形の粒々だが、値段は一箱500円ほどだった。それをお湯でふやかすとおよそ3,4倍ほどの体積にふくらむので、毎日それを食べさせてもひと箱で1年ほどは食べられたから、おどろくべきランニングコストの低さである。

 うちにやってきた頃でもすでに尾の先まで50cmほどもあるのに、わずかな餌で生きられるということにぼくはとても感心した。犬だったら、小型のやつでも1週間で軽く食べてしまうほどの量で1年をすごす。1mくらいになったら、犬のようにつなをつけて公園を散歩させようと楽しみにした。

 爬虫類は、恐竜時代から進化の止まったおくれたやつだと思われているけれど、ほんとは、そうじゃないんじゃないか。哺乳類は、体温を一定に保つことができるから、周囲の気温にさほど左右されずに活動することができる。しかし、そのために多くの餌を食べなければならない。ところが爬虫類は、暖かければすこぶる活動的だが、気温が下がれば自分で体温をあげられないからあまり動かない。ひなたぼっこをして太陽熱で体温があがるのを待って活動する。カメが、冬の池で石に乗ってじっと日向にいるのはそのためだ。パッシブソーラーなのだ。
 アンヘルを見ていると、生産性が高いと言われる社会が生産性の低いとされる社会よりも、本当にすぐれているのだろうかと疑問に思わずにはいられなかった。過剰にモノをつくり、エネルギーを不必要に消費し、環境を壊し、かわりにプラスティックのゴミを自然に返すというのが、進歩ということなのか。
 爬虫類は、何億年も前の種がまだ生き残っているのではなく。現在も、この地球で、人間と同じ環境の中に適応して生きている。人間の人口が過剰になったときに食糧不足の世界で生き残るのは爬虫類かもしれない。同じように、これからの世界を生き延びてゆくのは、もしかすると、先進国とよばれ過剰な生産と不要な消費を続ける社会よりも、いまは「発展途上」といわれ「生産性の低い」といわれるが消費も少ない社会が生き延びて、周回遅れと思われていたのが、いつのまにかトップランナーになっているという時代がくるのではないか。

 しかし、アンヘルには、悔やまれる後日談がある。Green-Iguana-Society.jpgやってきてから2年ほど経った頃に急に元気がなくなった。親しい獣医さんに相談しても爬虫類のことはよくわからないという。あの人なら爬虫類も見てくれるかもしれないと、すすめてくれた獣医さんは、ぼくの自宅の近くに開業していた。しかし、フェラーリとランボルギーニの真っ赤なやつが2台、前に並ぶような動物病院には、行きたくなかった。西武のペットショップに行ったら、おばさんがいて「私の飼っているイグアナは、ウチの中ではなしておくと、ご飯時になるとキッチンにやってきます。結構馴れるんですよ。でも、太陽にあててやって、動物性の餌をやらないとだめですよ」と言われて慌てた。事務所は陽あたりが悪かったし、イグアナは草食性だと聞いていたから、おやつのように果物や野菜をやってはいたが、動物性のものはやらなかったのだ。紫外線を出す特殊なランプを買ってきて箱につけてやり、ミルウォームをやったけれど、日に日に弱っていき、結局死なせてしまった。当たり前の話だが、エネルギー効率がいいとはいえ、必要なものがまだあったのだ。何が必要で何がいらないのかは、そんなに単純なものではないのは当たり前のことなのに。
インターネットでイグアナのサイトを探すと、いまではいろいろな情報が見つかる。Green Iguana Societyなんていうのもあって、飼育方法も丁寧に書いてあるしイグアナのための食品も多い。ここの看板イグアナは、もう少しでアンヘルと同じくらいかわいい。今だったらアンヘルももっと長生きできただろう。

■追記
「アンヘル」という名前は、サッカーのラモン・ディアスのセカンドネームをもらった。当時のアルゼンチンの大統領がディアスのファンで、日本に来たときに当時在籍したマリノスの試合を見にきたことがあった。駆け出しのサッカーファンだったぼくは、彼がマラドーナと人気を二分するほどの人であることを聞いても「へえ」と思うくらいで、今にしてみればもったいないことだった。

投稿者 玉井一匡 : July 22, 2005 02:51 PM | トラックバック
コメント

光代さん
 そうですね、ぼくもそんなふうであれば素敵だと思っています。
身近なところにひきつけて考えれば、「人格の境界」を緩やかにして他者との接点をスムーズにするということであるし
もっとおおきく考えれば、「国家」や「民族」や「人種」のように、ひとをわけ隔てる境界を巾のあるゆるやかなものにするということだと思うのです。
 自分ではそういうふうに人と接しているつもりではあるのですが、はたから見ればいいかげんだと感じたり、ヒトの境界の中に勝手に入ってくるやつだと警戒されることもあるのかもしれない。
でも、排他的であるよりはいいですよね。

 

Posted by: 玉井一匡 : May 25, 2010 06:15 PM

玉井さん
今日 また読んでいて面白い事を思いつきました。
ご縁が 玉井さんのおっしゃるような「人格の周辺」であって、「家の縁側」のようなものだとしたら、
このブログ「MyPlace」のタイトルの下の文章のように、自分のご縁が 自分だけのものでなく、
通りすがりの人たちにも幾分か開放されているものにもなり得ますよね。
それって何と素敵でしょう!!って思ったのです。

私達が少し openmindedであれば それは可能。
そこには 自分という存在が ご縁で成り立っているものなのだと言う考えが入り込める「スキ」ができます。
そうしたら、自分は自分だけのものではなくなります。

そこには 人と人との繋がりは 接点じゃなく有機的な 流動的な ・・・・・ウ〜〜〜ン上手く言えないぞ・・・・・。
つまり、隔たりというものが無くなって行く感じが有ります。
それって 素敵でしょう?

Posted by: 光代 : May 25, 2010 10:01 AM

光代さん
そうなんですね。「縁」というのは、ひとりひとりの人間とはべつにあるネットワークのようなもののように思ってしまいそうですが、たしかに、それは、ひとりひとりの接点がつぎつぎにつながってできたものだし、光代さんのおっしゃるように、自分でつくっていくものなんですね。
縁は縁側の縁で、周辺ということだから、人格の周辺にあって全体を包み込んでいるところ。だから、人間がほかのひとや環境と接する部分ということになるのかもしれないですね。おもしろいなあ。

Posted by: 玉井一匡 : May 23, 2010 01:25 AM

玉井さんの「あいてのありよう」と言う言葉について ずっと考えていました。
「あいてのありよう」は  「相手」にとっては、「私のありよう」だなあ・・・・・ってね。

と考えてくると、ご縁が深くなるのも ご縁が切れるのも、理由を「あいてのありよう」について色々思いがちですが、結局の所 「お互いのありよう」という事になりますよね。
そして、本当にそうだなあと思うのです。
ですから、「そのようにあって、そのようになった」んだなあと ありとあらゆるご縁について思います。

更にそのように考えると 今あるご縁は本当に有り難い事だなと思えてくるのです。
なんて ラッキーで 有り難くて 素敵で 大切なんでしょうってね。
仕事上も プレイベートでも、そのご縁を大切にする事にエネルギーを注いで行きたいと思っています。

そして、それを感じられるような「ものづくり」をして行きたいですね〜。

Posted by: 光代 : May 22, 2010 01:19 PM

光代さん
 古いエントリーまで読んでくださるよう催促したようになりましたね。
ありがとうございました。このころは、デジカメを持っていなかったので、こんな写真しか残っていないのが残念です。
 爬虫類がとくに好きな人がいますが、ぼくはそういうわけではなくて、たいていの生き物が好きだけれど、トカゲもかわいいと思うというやつです。やはり、哺乳類やトリの方がなついてくれてこたえるから、こちらの愛情も強くなりますね。

 MacBookのデスクトップに写真がならんでいる「ショコラ」を飼っていた友人は、ほんとうに深く思っていて、「ゴールデンリトリバーが好きなんじゃなくてショコラが好きだったんであって、代わりにほかの犬を飼おうとは思わない」と言います。
はじめは、「一匹の子犬」を連れてきたにすぎなかったのに、最後には「ショコラ」という唯一無二の存在を亡くし、いつまでもショコラの思い出を胸に残し続けるというように変わるんですね。人間やものに対する愛情も、あいてのありよう、こちらの接し方、それに対するむこうの反応によってさまざまで、だから面白いんだなと思います。

Posted by: 玉井一匡 : May 21, 2010 07:51 AM

アンヘル 目がとても可愛いです。
写真で見る限りは 飼いたくなるキュートさですね。

でも、やはり風土の違う所で飼おうとすると 色々な事に気をつけなくちゃ行けないんですねえ。
私には 気合いが要ります。


玉井さんは アンヘルもmacも 家族のように愛しく思っているんだなあと 良くわかりました。

Posted by: 光代 : May 20, 2010 11:35 PM

http://www.excite.co.jp/book/news/00021120488467.html/

キャストはなかなか渋い人選です。

どうやらショーン・レノンがキーマンです。

アクリル板のお話。
確かにあれ高かったですね。(苦笑)
買い物下手でした。申し訳ございません。

僕は指で突っついたりするだけの情けない傍観者でしたが、玉井さんは頭に載せたりして読書してましたね。「浴書」ならず・・・何て言えばいいんでしょう。(笑)

Posted by: osm : July 24, 2005 09:49 AM

コインロッカーベイビーズの映画化の話は知りませんでした。楽しみだな。村上龍は、ワニやヤドクガエルを題材につかうけれど、そういう動物が好きだからつかうのか、気持ち悪いモノの好きなヤツっていうのを登場させるためにつかうのか、どちらなのかと思っていました。
osm君にアクリの透明の板を買ってきてもらったら、アンヘルよりもずっと高かったのを思い出しました。ぼくのモールトンは、先日ホイールを交換しましたが、はじめに買った値段よりも、その後に取り替えたり加えたりした部品の方がずっと多くなりました。変な連想だけど。

Posted by: 玉井一匡 : July 24, 2005 01:37 AM

コインロッカーベイビィズどうやらアメリカで映画化のようです。

アンへルとの渋谷散歩。
実現出来なかったことが今でも悔やまれますね。

Posted by: osm : July 23, 2005 05:48 PM
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