January 24, 2005

伊能大図を歩く


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 京葉線で海浜幕張が近づくにつれて、電車の乗客に親子連れや友達同士の数人の子供たちのグループが多いのが気になってきた。1月22日,23日は、全国を巡回してきた伊能大図の上を歩ける最後の機会だ。10:00開場で、9:40くらいに駅に着くから、余裕はあるはずなのに、この人たちはみんな幕張メッセに行くんだろうかと不安になる。こういうときには、いつも同じような不安にかられてしまう。しかし、駅から会場に近づくにつれて彼らとは進む方向がわかれてきた。子供たちの大部分は、ワールドホビーなんとやらの会場へ向かい、ぼくたちの目指す「イベントホール」に入ってゆくのは、おじさんとおばさんが大部分をしめる。開場10分前に「伊能大図アメリカ里帰りフロア展in幕張メッセ」の会場にぼくが着いたときには100人ほどの列ができていた。

 畳ほどの大きさの大図200枚以上を貼り合わせた日本地図を入れるにはバスケットボールコート3つ分ほどの面積を占める。縮尺は1/36,000。ぼくの個人的にかかわりのある東京、新潟、田平、御所浦などを見たあと、まずぼくは日本の4つの島の海岸線を一周した。
 ところによって、山、川、まちなどの書き込みの密度に違いがある。京都大阪周辺では書き込みの密度が高く、江戸はそれにつぎ、日本海側や東北はうすい。文化と歴史の厚みと密度を反映しているのだろうが、上方より江戸の方が密度がうすいのは、軍事的な理由なのだろう。北海道に渡れば海岸線が描かれていないところさえある。測量隊の一行は「御用」と染め抜かれた旗を背中に差していたから行く先々で協力を得られたが蝦夷地まではそのご威光がおよばなかったんだそうだと、事務所にやってきた友人が、教えてくれたとおりだ。

 地図の内側に空白が多いことに、はじめは意外な印象を受けた。しかし、じつは世界の中の日本という「自己」を確立することが必要なこの時期の日本にとっては、知りたかったのは日本の内側のありようよりも、国土の輪郭だったのではないだろうか。他者とは、世界から自己をのぞいたものであると同時に、他者と接して自己が形成されてゆくはずだから、重要なのは海岸線なのだ。
  地図は「地」と「図」で構成される。日本地図と言うとき、日本が「図(ず)」であり、その他は「地(じ)」だが、同時にその地図は世界が「図」で、日本が「地」でもある。もしかすると、伊能忠敬が50才もの年になってから勉強をはじめ、気の遠くなるようなこの試みに取りかかりなしとげることができたのは、それが日本を描くと同時に世界を描くことであると気づきいたからなのかもしれないと思う。

投稿者 玉井一匡 : January 24, 2005 08:02 AM | トラックバック
コメント

いのうえさん、おかげさまで楽しい体験をしてきました。
あれくらいの大きさになると、地図を身体で読むという感じがしてきます。30インチのテレビ画面と100インチのプロジェクターの画像とは、ただの大きさだけではなくて空間を感じるかどうかと言う質的なちがいがありますが、それに近いような違いがあるとおもいました。
 しかし、そんな風に、正しさをなかなか検証されないまま調査を進めることができたということも、まったく想像を絶する意志のつよさですね。先日は、時間が十分にとれなかったので、今年は佐原に行く機会がありそうなので、記念館に行ってゆっくり見てきたいと思います。

Posted by: 玉井一匡 : January 27, 2005 12:33 AM

 秋山さん、じつはこれ教養なんていうものではなくて、ぼくの私見です。しかし、そういう理由で地図と言われるようになったのではないとしても、結果としてはそうだと思うのです。じゃあ英語では「地」と「図」を何て言うんだろうと調べてみたのですが、地はきっとbackgroundでしょうが、図はわからない思いつくのはobujectですが、それをだれかが「地と図」と訳したのだとすれば、うまいものだと感心しします。どなたかおわかりでしたら教えてください。

Posted by: 玉井一匡 : January 26, 2005 11:28 PM

暦の重要ファクターである「地球の大きさ」を推測することを目的として、伊能忠敬は深川から浅草の間を歩測したそうです。 忠敬の先生、天文方の学者である 高橋至時(よしとき)に 「おいおい そりゃあ無謀でしょう」 と言われて、精度を高めるため 第1次測量(蝦夷)、第2次測量(奥州東海岸)、第3次測量(東北・中部日本海沿岸)を行い、緯度1度の長さを計算したのだそうです。 第3次測量の結果が第2次のものと一致したのですが、至時はその後「ラテン暦書」を解読するまでは 忠敬の出した結果を信用しなかったとか。 

Posted by: いのうえ : January 26, 2005 12:23 AM

日曜日午前中は幕張にというつもりだったのですが、残念なことに行けませんでした。
午後は津田沼におり、至近な場所におりましたのに残念。
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「地図」ってそういう意味だったんだ。初めて知りました。
ずっと「地形図」の略かと思っていたという、この無教養者め。

Posted by: 秋山東一 : January 25, 2005 06:45 PM
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