February 05, 2005

映画ポスター・スチール写真展:看板絵

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 映画ポスター写真展のいちばん奥に、看板絵のコーナーがある。大小およそ100枚が、板、コルクボード、あるいは菓子箱のフタなどに勢いのある筆で描かれている。すべて、銚子在住の斉藤さんが描かれたもので、大部分がこの展示会のために描かれた。

「銚子は漁師町だから、映画とパチンコがいちばんの娯楽でした。映画の全盛期には、人口3万人くらいのまちに映画館が10軒もあって、それがみんな繁盛していたので、1週間くらいで看板を書き替えるから大変な忙しさでした」
「今思えばもったいないけれど、それを残しておこうなんて思ったことはないんです。もちろん2本立てがふつうだったけれど、なかには10本立てなんていうのもあったんだから、大変ですよ」
「ここにあるのは、看板そのものじゃなくて、大部分はこの展示会のために新しく描いたものです」
Mrsaito.jpg「ポスターのままのデザインで描くわけじゃなくて、構図はじぶんで勝手に描いちゃいました。とにかく、似ているってことが大事なんです。近くから見ると似ていなくても遠くから見て似ていればいいんです」
「マリリン・モンローは、かわいかったですね。情婦マノンをやったこのひともかわいかった。逆さになって男の肩に掛けられて行くラストシーンは、当時は衝撃的だったんですよ。私は5,6才くらいだったけれど、ませてたから洋服の上から胸がうっすらと見えた。このころの人たちのようにきれいな人は、今はいないです」

投稿者 玉井一匡 : February 5, 2005 05:07 PM | トラックバック
コメント

 看板絵の斉藤さんも炭素棒映写機の西崎さんも、ほんとうに映画がすきなんだということが、表情にも話し方にもいっぱいにあふれていました。武田さんの父上も同じだったのでしょうね。
 複製技術の最先端だった映画と観客の接点に、一週間ごとにひとつひとつ人間の手でつくられては消えてゆくメディアがあったのですね、それは複製技術とはむしろ対極にあるのに、だからこそぼくたちを引きつけたんでしょう。
 

Posted by: 玉井一匡 : February 7, 2005 06:22 AM

僕が独立して設計事務所をつくった時、最初のスタッフの一人が武田君でした。
彼は建築専門学校を出て僕の事務所に就職したのです。
彼は信州上田の出身で、父親は映画館の看板絵を描く人でした。武田君は自分の父親のことを看板屋と卑下していましたが、名人といわれた人のようでした。弟子達が父の描いた絵の上をなぞってだいなしにするんだ、と誇らしげに云っていました。

Posted by: 秋山東一 : February 5, 2005 10:36 PM
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