February 22, 2005

早稲田商店街の火事

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 かつて「座り続けるおばさん」というエントリーを書いたのだが、いつだったかと探してみると2004年1月25日、ほぼ1年まえのことだった。毎日毎日、寒い雨の日さえ傘をさしてビールケースに腰をかけ、日がな一日座り続けていたおばあちゃんが、しばらく前から姿を見せなくなっていた。なんでそんなことを続けるのか、いずれ話を聞きたいと思っていたのにいつの間にか見なくなったから、ぼくはしばらくこの道を走らなくなった。

 おばあちゃんの家の向かいに、左官や金属板張りの古いファサードの残された4軒の商店が並んでいて、わずかな距離だが古い町並みがあったのだが、数日前に前を通りがかると、そのうちの3軒の2階が、火事で焼けていた。焼ける前の写真を「座り続けるおばさん」のエントリーに添えてあったのを思い出してそれを見ると、ファサードには鉄板の切り文字で「戸塚軒」「西洋(支那)御料理」「喫茶 アイスクリーム」と書かれている。「支那」の文字は、切り文字がはがれて跡だけが残されている。とれてしまったのか、「支那」という表記をきらって外したのか知りたいところだったが、そんなものたちがあとかたもない。
 Click to pop up. 焼け残った様子からは、この1軒がはじめに焼けて、それが両隣に移ったようだ。もう修復することはありえないんだと思うと、なんともやりきれない。きっと、遠からず解体されてしまうのだろう。自分の写真を撮られるのをいやがっていたおばあちゃんのために、かつては場所を書かなかったのだが、そうしているうちにおばあちゃんがいなくなり、建物もなくなってしまう。写真をみれば、うしろには太陽を独り占めしようというように高層のマンションがそびえているのが見える。
 ところは新宿区早稲田1丁目、新目白通りの都電の終点「早稲田駅」の前にある信号の角を早大の反対側に入り、神田川の橋を渡るとすぐ左側。

投稿者 玉井一匡 : February 22, 2005 09:11 AM | トラックバック
コメント

館さん、あのふたりにタグマッチでやられたら、結構こたえたでしょうね。ぼくは、建物以上にあの二人、に惹かれていました。ぼくらは、どちらかといえば彼らの側に立っているつもりなのにね。それにしても、惜しいひとたち、惜しい家並みが損なわれてしまいましたね。道の両側に並んでいるのは、東京では少ないでしょう。
渋谷の、道玄坂の3軒ならんだ看板建築も、まだあることを先日確認しましたが、いまのうちにしっかり記録しておいたほうがよさそうです。
ところで、館さんの「陋屋度」っていう指標はおもしろいですね。

Posted by: 玉井一匡 : December 12, 2005 05:49 AM

Kai-Wai散策で知り、飛んできました。
あの看板建築四重連、焼けてしまったのですね。

焼けた物件は、以前に二回撮影していたので、masaさんの求めに応じて、下記に掲載してあります。

http://tate.32ch.com/cgi/smokeisp/smokeisp.cgi

出火したのは「戸塚軒」という看板がありましたから、食堂か何かだったのでしょうか。
ちなみにぼくは、向いの斜めに傾いた家の前に座り続けていたおばあさん二人組に捕まってずいぶんガンガン言われました。(笑)
それは
http://tate.32ch.com/shosai/diary/rouoku.html
の「高田の斜館」の項目に書いてあります。
どうやら姉妹で住んでいたようですが、どちらかが亡くなったんじゃないでしょうか。2003年7月のことでした。

Posted by: 館 淳一 : December 11, 2005 01:16 PM