August 10, 2005

夕凪の街 桜の国

yunagi-sakura.jpg「桜の国」の舞台は、中野通りの桜、片山橋、水の塔公園、みんな近いぞと、秋山さんからのメールをいただいた。早速aki'sSTOCKTAKINGに書かれた「夕凪の街 桜の国」を読んでコメントを書き始めたのだが、長くなりそうだしまわりのまちをまた書きたいこともあるので、コピー&ペーストでここにつれてくることにした。

<aki'sSTOCKTAKINGへ書きかけたコメント>
きのう買ってきて読みました。これほどの重く深いテーマを、60年の時間と場所を隔てながら、こんなに短くみごとに表現できたものだと思ったけれど、じつは短くしたからこそそれが可能だったのだと、あらためて思います。4つの時と2つの場所は、たがいの残像が残されているくらいの短い間に行き来することで、過去と現在が深く関わるものであることを実感します。
 この物語は、1945年8月6日のヒロシマでのできごとそのものは直接に描くことをせずに、その日に遭遇し、そこで起こったことを受け止めて生きる人たちのつよさ、勇気、やさしさをきめ細かく描いている。それをもたらした悲惨さと残酷を間接的に表現しているところがぼくは好きです。だからこそ、ぼくたちは自分の日常と重ねてよみとることができるのでしょう。

 それにしても、ことは原爆に限らず被害を受けた人たちが、むしろ肩身の狭い思いをして生きてゆかなければならないという理不尽なことは、ことによると人間の世界の常であるのかもしれませんが、とりわけこの国では多いような気がします。たとえば公害の被害者として名乗り出る人に対する後ろ指や、イラクで捕まった人たちに対する自己責任なる非難、レイプやストーカーの被害にあった人にも同じような視線が向けられるといいます。
この物語の主人公たちは、そういう風土の中にあって、無意識になかば後ろめたい気持ちで生きてきた。だから自分たちの生きる場所は、ほかの人たちとは別の場所でなければならないと無意識のうちに感じてしまうが、事実を正面から受け止めながら強くしなやかに乗り越えてゆくことに、ぼくは尊敬と共感をおぼえました。

 読み終えた本を娘にわたした。
「これ知ってる?」
「えーっ、あたし買ったよ。でも読む前にどこかに消えちゃったから、見つけたら誰かに売りつけるからいいよ」
「これ、8月6日のヒロシマと、新井薬師や桜の中野通りが出てくるの知ってたかい? うちのあたりが舞台だぞって秋山さんに聞いたんだ」
「知らなかった。なんかよさそうだから買ったの」
 長女は8月6日が誕生日で、わが家の最寄り駅は新井薬師、ぼくたちは毎日のように水の塔を遠くに見て中野通りを行き来する。8月6日は偶然ではない。帝王切開だったから、ある程度の範囲で誕生日を選ぶことができたので僕たちはこの日を選んだのだが、この日にヒロシマにいた人たちの多くは、このことを思い出したくないと感じるだろうと思えば、軽々しく口にできることではないのだと、あらためて思う。

投稿者 玉井一匡 : August 10, 2005 10:30 PM | トラックバック
コメント

aiさん
先日、NHKのトップランナーに、この映画の監督の佐々部清が出ていたのを見て、映画を見たいと思っていました。見たいというよりは「見なければならない」と思っていたたというべきでしょうね。
ホロコーストをテーマにした、さまざまな視点に立つ映画が、おそらくはユダヤ系の人たちによって作られ続けるように、日本では原爆をテーマにする表現を作り続け、ぼくたちはそれを見続けなければならないのでしょう。
ぼくたちにとって、読むにせよ見るにせよとてもつらいことですが。事実は、そして本人にとっては、それよりもはるかにつらく悲惨だったはずだし、これからの地球上に核兵器があるかぎり、いつか必ず使われるときが来るでしょうから、それらをまずなくすためには過去の物語でも架空の物語でもないことを、脳天気で忘れっぽい自分自身に再確認させようと思います。

Posted by: 玉井一匡 : August 17, 2007 07:52 AM

この漫画を手にしたはもう2年も前だったのですね。この頃こっそりと拝見してすぐに買い求めて読んだのですが、今年映画になったので早速みてきました。やはり原作の漫画は秀逸です。悲惨な画面が続く映画よりも心に残るものに仕上がってると思いました。
今回はblogにつたない文で掲載してみました。

Posted by: ai : August 16, 2007 05:36 PM

osmさん、あなたのお嬢ちゃんが8月6日のうまれであることはわすれませんよ。有馬君て懐かしい名前ですが、ぼくはお会いしたことがない。
話は変わりますが、菊池が新潟にレンタルで来るというのはとても楽しみなことですが、これは鈴木健くんのおかげなのですか?

Posted by: 玉井一匡 : August 12, 2005 06:37 AM

 この物語は、きっと丁寧にていねいにつくられたのでしょう。張り紙のことなども、これ見よがしにすればダサイし、きづいてもらわないとおもしろくないけれど、むしろ目立たないようにしておいて、別のところで同じ事実について表現するようにしてしていますね。
友人に母親からのアドバイスを伝えることで裁縫をしていることをほのめかしたり、川岸を鳥瞰する風景の戦後と現在をならべているから、立ち退き反対の張り紙はこれを言いたかったのかと分かる仕掛けになっている。ひとつの徴しを見落としても、後で別の角度から教えてくれる。
さいごには、さまざまな註があるからそれが物語にさらに厚みを厚みを加えていますが、これは、blogにリンクをはりつけて奥行きと広がりを重ねてゆくやりかたを思い浮かべました。建築でも、まちでも、あるいは人間もそうでSJが、様々に読み取れるというのは魅力的ですね。まちに古いものが残っていることが、いいまちであるには大切なことであるとおもいますが、それも同じことなのでしょう。

Posted by: 玉井一匡 : August 12, 2005 01:29 AM

こんばんわ。
うちの娘も8月6日生まれです。

ちなみに先日の6日には元柏レイソル最後は横浜FCで現役を終えた有馬選手のおここも誕生しました。

僕も最近、ヒロシマと娘を思ってました。

話は変わりますが、巨人は如何なもんでしょう・・・かろうじてヒロシマつながりのお話。

Posted by: osm : August 11, 2005 12:50 AM

今回、この本を読んで「漫画を読む」ってことを考えています。
あんまり漫画をみないせいか、漫画って疲れるというのが、いつものことだったのですが、ちょっと慣れました。

「漫画を読む」ってことは、例えば、彼女・皆実が住むところ、その集落の絵に「立退き絶対反対」とあることによって、その集落の状況を捉え、彼女の家にある張り紙に「洋服 平野......」とあることによって母親の生業を理解するという具合じゃないかと思います。
漫画を読むことって、テキストを読むのと同じように、一つの独特の能力がいるんじゃないかと考えています。

このあたり、いろいろ書かれているんじゃないかと思いますが、勉強してみようと思っています。

Posted by: AKi : August 11, 2005 12:08 AM
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