August 28, 2005

テーハミング

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「日本海とGoogleマップ」のエントリーで、「海東」ということばのことを書いた。かつてワールドカップの開かれていた頃に、このことばに初めて出会ったことをホームページ(PAGE HOME)に書いたので、それを掘り出してここに連れてこようと思って調べてみたら、「海東」ということばをぼくは間違えて理解していたことがわかったが、まずはそのまま持ってきた。
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 楽しみにしていたヨーロッパのチームがつぎつぎと韓国に負けて消えて行くさみしさも手伝って、ぼくは韓国の躍進を素直にはよろこべなかった。だからこの気持ちをなんとか克服したいと思った。そこで、6月22日の韓国-スペイン戦は土曜日の午後だったから韓国料理屋のど真ん中でゲームを見てみようと、打合せのあとで、ぼくは新大久保の駅をおりてひとりで新宿の職安通りに行った。そうする気になったのは、数日前の早朝の出来事があったからだ。
 日本がトルコに敗れ、韓国がイタリアに勝った翌日の早朝、プリンターのインクを切らしたので職安通りのドンキホーテへ買いに行った。5:30ころの町には、あちらこちらでまだ興奮が燠火のように続いていた。歩道の向こうからやってきたやつが近づいてくるなりぼくを抱きしめて、なんだか叫んでよろこびを表した。前の夜に日本が負けて韓国が勝ってからずっとぼくは悔しいヒトだったのに、このときは本気でおめでとうという気になることがわかった。だから、この日はもう一度赤い声援のさなかにひたってみようと思ったのだ。

新宿に着いた頃には、すでにゲームが始まっていたので、テレビのある店はどこも人が道路にこぼれていて、とても韓国料理店に入るどころではない。1階のテナントがいなくなった小さなビルでは、奥にテレビを置いて人が密集している。さらに歩道をはみ出し、路上駐車の車のあいだにあるわずかな隙間にも人が詰まって背伸びしている。わずかこの2,3年のあいだに、職安通りには韓国・朝鮮のみせが一杯になったけれど、これまではアジアの喧噪やエネルギーや力強さの欠けていたことが、ぼくにはちょっと不満だった。「これがおれたちの世界なんだぞ」と、日本人に対して本気で自分たちを主張しているところが感じられなかったのだ。ところが、どこかに隠されていた秘密の筺の蓋が一挙にひらいたかのように、韓国が町じゅうに満ちている。

 車道から背伸びして画面を見つめる人間に加わっているうち、しばらくするとふくらはぎが疲れてきたのでよそを見てまわることにした。細い道に面した韓国料理屋が店の前の道に向けてテレビを置いているのを見つけた。道を挟んだ向かいの3台分ほどの駐車場を空けて、地面に腰を下ろしている人たちが2、30人ほどそのテレビを見ている。ぼくはそこに加わることにしてコンクリートの上に陣取った。

 韓国料理屋には、道にそって奥行きわずか1mほどのテラスがあって、そこに小さなテーブルを間に向き合う椅子が2脚ずつ。テレビは、それに並んで置いてあるのだった。席に座る女の客からは、コーナーキックから直接ゴールを狙うくらいに角度がないのだから、画面はほとんど見えるはずがない。だから、テレビをよそにチヂミの皿とビールのジョッキをつぎつぎに空にしてゆく。まわりの人たちやテレビから声援があがると、その時だけ振り向いて身を乗り出しなにやら叫ぶのだった。30人は地べたに座って、彼女のすぐうしろの画面と、ときに2人を注視しているというのに、まったくたくましいものだ。
 ぼくは一番後ろの隙間に腰をおろしてビルのシャッターに寄りかかっていた。パワーブックのディスプレイより小さなテレビを5,6mはなれて見るのだから、ゴールラインを割ったかどうかなど、ぼくに見えるはずがない。審判さえわからなかったんだもの。おおよそのゲームの運びを見ているだけだったから、あとになって問題になった2つの怪しいジャッジも、ぼくにはそれと気付くことができなかった。ジベタリアンの一同が、ときどき右手を挙げては「ホーンミョンボ!」とか「アーンジョンファン!」と声をそろえて叫ぶのは分かるけれど、どうもわからないのがあった。繰り返して何度も聞くうちに、「テーハーミング!」というのが「大韓民国!」なのだと、ようやく理解したときには、韓国がとうとうスペインにまで勝ってしまった。

 ゲームが終わると、あちこちの店から出てきた人たちの紅いTシャツと「テーハーミング!」で職安通りは埋めつくされた。イタリアもポルトガルもスペインも、期待したチームだったからだろうが、ぼくは「おめでとう」という気にはなっても、よろこびを分かち合う気持ちにはなれず、うらやましい悔しいと思い続け、そういう自分の狭量を気に入らなかった。

 翌々日、相談したいこともあったので、青山で骨董店を営む友人を訪ねた。李鳳来さんはぼくと同年代で、店では李朝のものを専門に扱っておられる。父上が韓国人、母上が日本人で、ご自身は吉田松陰で修士をとったという人だ。李さんと話したら、彼らのよろこびの一部を共有する気分になって、少し前に進むだろうと思ったのだ。 しばらくサッカー談義をするとたしかにそのとおりになったのだが、それでも、店にある率直で力強く知的な李朝の器や家具と、ぼくの記憶に残された赤い応援の不似合いが気になった。
 数日してその理由がわかる気がした。応援の言葉が、たとえば「コリア!」でなくて、なぜ「テーハーミング!」だったのだろうかという疑問が湧いたからだ。明らかにこれは北を除外している。そのことを、日本のマスコミも含めて、だれも不思議だと言わなかったのはなぜなんだろう。もし、あれが「テーハーミング!」でなかったら、三位決定戦の日に黄海上での銃撃戦はなかったのかもしれない。「テーハーミング!」がチームや選手でなく地域でもない、国家を応援しているということが、マスゲームや人文字がそうであるように排他的な一体感をぼくに感じさせたのだ。

 とはいえこの機会に日本と韓国が、たがいの在りようを一部かもしれないが肯定的な実感として残すことができた。李さんのギャラリー「梨洞」の本棚にならぶ背表紙のひとつに「海東」とういことばがあったのを、寡聞にしてぼくは意味を知らなかった。李さんに尋ねると朝鮮半島を指す古くからの呼称なのだという。美しいことばだと思った。FAR EASTということばは、ここが世界の東の果てだと思えるのでとても好きなのに、「米軍」と対になっている「極東」という翻訳語をぼくは好きになれない。
「海東」のようなうつくしい名を、日本を含めたこの東アジアに使えないものかと思う。
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いまになって調べてみたら、海東とは朝鮮ではなく日本と琉球の連なる島々のことだった。もともと国家ではなく場所についての呼称なのだ。うれしい発見だった。国家は、人工的に取り決められた線によって不連続に切り分けられるけれど、文化や生活や歴史を書き込まれた「場所」は空間的にも時間的にも連続的につながるからだ。
 2002年のこのとき、新宿では日本の若者たちは韓国人たちといっしょに声援を送り喜びをともにしていた。多くのマスコミもよろこんでいたが、それには少し無理をしているところがあるようにぼくには思われた。悔しいという気持ちも表した方が正直でいいんじゃないかと思うんだがと、このときぼくは李さんに話した。
いや、日本人が応援して喜んでくれたことは韓国人にとっては思いがけないことで、とてもうれしかったようですよ。それでよかったんだと思う。そう李さんはおっしゃった。

投稿者 玉井一匡 : August 28, 2005 12:38 PM | トラックバック
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