October 19, 2005

エッセンシャル タオ

 「エッセンシャル タオ」加島祥造著 講談社

 ぼくたちの住む島は、地球上のもっとも大きな大陸の東のはずれにある。船をはこぶ帆のように、魚をとらえる網のように膨らんで、いつも西から新たにやってくる風やものたちを受け止め、選別し加工して取り込んできた。
 そうやってとらえたものの中でも最も重要な獲物のひとつである漢字を手に入れると、それを自分たちのことばに利用する調理法を考えた。文章の文字の配列をそのままに日本語として読みくだす。表意文字を変化させて仮名という表音文字をつくりだす。漢字と仮名を混合させるという三つの方法だった。

 しかし、つい二世代ほど前までは当然のものだった漢籍の素養、つまり中国語の表記をそのまま日本語として読み替えるという能力は、もうわれわれの世代にはほとんど消滅して、その立場は英語に取って代わられ、それと一緒に漢籍によって伝えられた思想や文化も遠ざかった。
 ぼくたちには、老子の説く思想「道」を西欧文化が「TAO」と呼んでも、すでに違和感がないほどだ。この本は漢文の老子でなく、英訳された「老子」の81篇がそれぞれ加島氏の中に呼び起こしたものと、それに加えられる解説である。かつては中国から東に向かって日本に来た老子の思想が、逆に西に向かってアメリカ大陸に渡り、さらに海をこえて東から日本に届いたのだ。漢文を中国語という外国語として受けとるアメリカの大学で学んだ加島祥造氏がそれを運んだ。きわめてわかりやすく平易に書かれている。原文の読み下しと英訳をくらべると、日本人にとっても英語訳の方が分かりやすい。そして、英訳をもとにした、加島老子はさらにわかりやすい。加島氏には老子の著作がすでに数点あり、ポー、イェーツ、フォークナー、アガサ・クリスティなどの翻訳者でもある。
たとえば、冒頭の一編を、読下し、原文英語訳と比較すると興味深い。

「エッセンシャル タオ」はこう書かれている。

道(タオ)だといっても
それは本当のタオでもない
初めは名のない領域だったのだ
そこから出たものに、人間が名をつけたーー
天、地、そして万物
このように人間が名をつける以前の、根源の働きーー

玄の向こうにある玄、それを
かりにTaoー道ーと呼ぶのだ
入り口には衆妙の門が立っている
森羅万象のあらゆるもののくぐる門だ

 漢字を受け継いだ日本では老子の言葉を切り分けて、いまでは酒の銘柄や断片的な名言として生きているにすぎない。それにひきかえ中国から漢字のない西に向かった老子は、断片ではなく全体を受け取って、宇宙を包む大きな思想として受容した。スターウォーズの、善と悪は表裏一体であるとする考え方は、あきらかに老子の影響をうけている。ためしに「TAO,STAR WARS」とgoogleしてみたら、「The Tao of Star Wars」というサイトがはじめに出てくる。F.L.ライトは老子を引用して「壷の本質は、壷そのものにではなくその内側のからっぽにあるんだ」と、建築を語っている。といっても、ライトはかっこいい壷を作っているし、スターウォーズは戦いを続けるんだが。

 自然界のあらゆる生物は、徹底的に自然環境に合わせて生き方と身体の構造すら変化させてきた。にもかかわらず、人間だけが環境を作り替えあるいは破壊して自分の生活のやりかたに合うようにして、それをみずから文明と呼び人類の証しとしてして誇りにしてきた。このまま行けば、人間のありかたが環境もろともみずからを滅ぼすときが来る。
 「365日世界の旅」のエントリーに書いたことだが、かつてニュース23にゲストとして出演したビヨークに驚かされたことがある。「日本にはシントーという宗教があって、自然を神としているそうですね」と言ったのだ。いまでこそ自然を神とする宗教と先進技術を同時にもつのは少ないことかもしれない。しかし、かつて自然を神としたのは日本だけではなくて、大部分の人間が別々のところで同じものを畏敬の対象としていたに違いない。老子と仏教の根源にある「空」は、「自然」と同義語といってもいいくらい近い所にあって、その思想は古い時代にまで届く根を今も残しているはずだ。その層では、地表の分断や亀裂とはかかわりなく、宗教や文化以前の古い層がひろくつながっている。そこまで降りてゆけば、宗教は対立ではなく共生のための力になるだろう。
 
塚原がこの本を定年前の最後のしごとに選んだのはよかったなと思う。加島祥造氏は、「碁のうた碁のこころ」の表紙の水墨画を描いたひとでもある。

関連エントリー:駒ヶ根の桜

投稿者 玉井一匡 : October 19, 2005 01:59 AM | トラックバック
コメント

fuRuさん、塚原からの分も含めて、ありがとうございます。たしかにケージは老子や禅の影響があるだろうし、ケージを聞きながらタオってのもいいな。この本はというか、タオというべきか、そういうハイブリッドがふさわしいと思ったので、これはラオスからエントリーしようと本を連れて行きました。ところが、溝に落ちたり北朝鮮レストランにいったり、それなりに夜も活動していたので、他に書くことがたくさんありエントリーできませんでした。その代わりに、写真はヴィエンチャンのホテルの窓台の上で撮りました。タクシーに置き忘れる前のデジカメでね。

Posted by: 玉井一匡 : October 29, 2005 01:41 PM

アースダイビング大会でも
ブログとタオとアースダイビング、みたいな話が出ていて
とても気になったので玉井さんのところからアマゾンに注文しました。
昔読んだ、ジョン・ケージの「小鳥たちのために」を読み返しながら
この本をちらちら見ています。

Posted by: fuRu : October 28, 2005 11:38 PM

 ぼくたちの漢文の教科書も論語でした。だからってそれほど押し付けがましい教育をされてたじゃないんだけど、たしかに論語は説教臭い。それでも、漢文の松花堂弁当のようにいろいろと盛り合わせの教科書でなくて論語だけを選んだのはなかなかいいなと。あとになって思いました。すくなくとも、漢文というものを見る時の基準のひとつにはなるから。ところで、中学生のくせに老子や荘子のほうがいいなんていうってのは、kawaさんはやはり早熟なんだなあ。論語はたかだか人間の社会を語るにすぎないが、老子は宇宙をとらえてるんだから。それを、難しそうに言わないところが加島老子の本領というものでしょう。つぎは生の老子も読みたくなってきました。

Posted by: 玉井一匡 : October 23, 2005 07:55 AM

中学の時の担任が毎朝論語の話しをするのが苦痛でした。高校に入っても漢文はチンプンカンプンでしたが、いくつかの説話と老子荘子には心惹かれました。どちらかといえば荘子が好きです。
ほんのひとつかふたつ前の世代で当たり前だった教養を自分の世代が失ったことを、自分の不勉強を棚にあげて残念に思います。
老子というよりもっと世俗まみれの道教になかなか触れる機会がないのも残念です。

Posted by: kawa : October 23, 2005 12:19 AM

 AKiさん、iGaさん
ぼくには、老子も加島祥造氏も、これがはじめてでした。評判の柳沢桂子による般若心経は立ち読みしましたが、これの方がずっといいと思いました。
「老子道徳経」も、方丈記も、般若心経も、読んでみればさほど長いものではないことに驚きます。それにくらべれば、聖書はずいぶん長いですが、ぼくなどはキリスト教徒でもないのに聖書を先に読んでいましたから、むしろそれを基準に老子は思いのほか短いなんて思ったのでした。聖書なんてずいぶん無駄なところがあるのかもしれないと、逆に思います。
老子は、世界で聖書の次に多く出版された本なのだということも、塚原に聞いて初めて知りました。

Posted by: 玉井一匡 : October 20, 2005 12:52 AM

そういえば何年か前に伊那谷で暮らす加島祥造氏の生活ぶりがテレビで紹介されたことがありました。それを見て筑摩から出版された口語訳のタオを買った憶えがあります。

Posted by: iGa : October 19, 2005 01:42 PM

最近、日本人の漢籍をそのまま日本語で読む工夫、それが忘れられ.......という話を読んで、そうだ高校には漢文の授業があって、それなりに読めたものだ、と思いだしました。

塚原さんの節目の仕事、かっこいいと思います。

Posted by: AKi : October 19, 2005 09:54 AM
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