December 08, 2005

メメント モリ:長い影

 六本木ヒルズの森美術館の入場券で展望台「シティービュー」にも行ける。なにしろ、高台に高いビルが立っているのだから、ここからは東京タワーを眼下に見下ろすほどだ。午後2:40ころには、六本木通りをアメリカ大使館宿舎の近くまでとどくような長く黒い影を落としている。
 なぜ、こんなに高いビルを高台に建てなければならないのか、なぜこんなに大規模な建築を作らなければならないのかという、根源的な疑問が湧いてくる。もうオフィスビルの供給は十分だと言われてから久しいのに、空室を抱えているようでもない。
 「アースダイバー」に書かれているように、縄文期の丘の頂には古墳や墓が多く、それがのちに神社になったのだとすれば、六本木ヒルズの塔も仏塔のようなものだ。仏教寺院の塔、ストゥーパは日本では漢字で卒塔婆となって、墓の周囲に立てられているが、塔というものは、そもそもは釈迦の墓なのだ。
 六本木ヒルズの塔は、ひそかに墓としてつくられたのかもしれないと、ぼくは長い影を見ながら思い始めた。「メメント モリ」ということばを思い出したからだ。

 ぼくがこの言葉をはじめて知ったのは藤原新也の「全東洋街道」だった。「死を忘れるなかれ」という意味だと書かれていたと思う。現代の日本人は、死というものを、人間のであれ食用とする生き物たちのものであれ日常の世界から排除し忘れてしまおうとしているけれど、アジアの多くの国では死が、生きている人々のすぐそばにいるというのだ。しかし、ぼくはこの言葉を自分で直接に調べたことはなかった。googleで検索すると、「山下太郎のラテン語入門」というサイトがあった。ラテン語格言集というところの「Memento mori.」の項目にはこう書かれている。
「『メメントー・モリー。』と発音します。動詞 memini(メミニー) 『覚えている』の命令法が memento で、『覚えていなさい』。moriは、動詞 morior(死ぬ)の不定法の形。」
「死」は、近縁のイタリア語でMORTE、フランス語ではMORTだ。英語にも形容詞としてMORTAL(死すべき)がある。外国人に指摘を受けることは多いだろうに、ラテン語で死を意味する「mori」を会社の名称としてMORI BUILDINGが使い続けるのは意図的だろうが、なぜなのだろう。何かの「死」を葬る塔のつもりなのだろう。これができたおかげで空室が増えて取り壊される小さなビルなのか、もとの姿がすっかり分からなくなってしまった地形とともに消え去った、このまちの記憶なのか、それとも他になにかあるのだろうか。
 いずれにせよ、ぼくは、死とは生の一部分なのだということを忘れずにいたいと思う。

投稿者 玉井一匡 : December 8, 2005 09:19 PM | トラックバック
コメント

fuRuさん 犬が、人間の手だか足だったかをくわえてる写真ですね。全東洋街道にでてたのと同じだ、きっと。ぼくが死んだあとはもし選べるなら土葬を希望するところです。葬儀屋の食い物にされるよりは、虫や鶏や犬に食われる方がいいと思うからです。死んでからも経済原則に縛られるよりは、自然の掟に委ねる方が自由だもの。

Posted by: 玉井一匡 : December 13, 2005 08:42 AM

同じく藤原新也の写真集で
「メメントモリ」というのがあって
学生の頃、毎日眺めていました。
「人は犬に食われるほど自由だ」なんていう印象的な言葉と写真で構成されていました。

Posted by: fuRu : December 12, 2005 07:17 PM

iGaさん
そうですか。何かの単行本に入ってるんでしょうね。
このひとつ前のエントリーアースダイビング@下北沢にトラックバックしてあるサイト、Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」に森ビルの作った「都市のチカラ」なる本のことが批判的に紹介されています。かれらの視点がよくわかります。
 http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/334.html

Posted by: 玉井一匡 : December 9, 2005 07:00 PM

玉井さん、
えーと、確か週刊文春の連載エッセーだったと思います。時期は都庁舎が竣工してしばらくでしたか。江戸東京博物館の下駄みたいな建物を香炉(と呼んだのか定かでないが、墓石の前に置いてある香を焚く炉のようなもの。)に見立てたのが傑作でした。

なんかオリンピック誘致の影にMの姿がチラホラしてます。後ほどエントリーします。

Posted by: iGa : December 9, 2005 06:26 PM

「Memento mori.」を、わたしがつたなく訳しますと、つい「憶えてやがれ、森!」
・・・となってしまいそうです。
トラックバックさせていただきました。

Posted by: Chichiko Papa : December 9, 2005 05:02 PM

igaさん
 野坂が都庁を卒塔婆に見立てていたとはつゆしらず、どの本に書かれていたのかと、ためしにgoogleさんに「卒塔婆」と「野坂昭如」をキーワードとして打ち込んでみると107件あるというものの、見てみればその多くは「火垂の墓」や「骨餓身峠死人葛」、あるいは三島の「卒塔婆小町」のことで、お目当ての、国会が墓石都庁が卒塔婆というおはなしはみつからないのだが、松岡正剛が「千夜千冊」で「この国のなくしもの」という本を取り上げているので、きっとこれだろうとぼくは見当をつけながら、松岡の書いたものをざっと読むと、「卒塔婆」は「骨餓身峠死人葛」について書いたところにあるだけだったのだが、それでもやはりこの本だろうとのカンは変わらないのだが、どうなの?
ところで、野坂の公式ホームページを発見しました。
http://nosakaakiyuki.com/index.html

Posted by: 玉井一匡 : December 9, 2005 12:38 PM

osmさん 高層ビルの立ち並ぶ町をあるくと、高層化とひきかえに義務づけられた公開空地があります。この季節に高層ビルの谷間を歩くと、晴れの多い東京でさえ風は心底冷たい。この季節は、空気が比較的澄んでいるから、高層階は視界がどこまでも広がっている。高層化のわずかないいことと、根源的に悪いことがよく実感できますね。

Posted by: 玉井一匡 : December 9, 2005 11:52 AM

野坂昭如は都庁舎を卒塔婆に見立ててました。
彼は国会議事堂を墓石に、最高裁を納骨堂、江戸東京博物館を香炉に見立て、都庁舎の卒塔婆を以て死者への供養を完了させたと見ていた。しかし、まだまだ、卒塔婆が建ち続けるところを見ると、供養が足りないということですかね。

Posted by: iGa : December 9, 2005 11:15 AM

この季節に行った六本木の墓地の足下は人々を排除したいかのような寒さだった。

あっという間に地上53階に行きつくエレベーター。実は吊られていた美術館。どこまでもテクノロジーを駆使して環境を支配していこうとする企業姿勢。

確かにそれは現在、圧倒的で巨大。

そのうちビルの足下の空間は、エアカーテンならぬエアゾーンというものにでもなるのだろうか?

ここだけで日本が動いているような錯角を起しそうになる今日この頃ですが、そのてっぺんで「時間の終わり」を観れたことは皮肉にも象徴的な出来事でした。

Posted by: osm : December 8, 2005 11:17 PM
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