November 16, 2005

「ザ・ コーポレーション」試写会


 MADCONNECTIONにエントリーされていた「ザ・コーポレーション」の試写会に行ってきた。Blogを通じて試写会を告知し、この映画のことを書いて、配給会社のサイトにトラックバックするのを条件にブロガーを招待するという方法がとても新鮮だ。主催者であるアップリンクのホールは、以前にぼくの事務所のあったところの近くだが、なつかしい気がするくらいにまわりは変わっている。8人8列ほどの席がある会場は、ほぼ満員になって通路にいすを並べるほどなのに、ぼくの両隣はあいている。

秋山さん古川さんといっしょになった。映画は大部分がインタビューで構成される。コーポレーション=会社というものが持っている本質的な性格、利益をあげるということのために、どのような害を世の中にもたらすかを伝えるのだ。ナイキが、製造の人件費が価格の1%にもみたないほどの低賃金で途上国の子供たちを働かせたり、ボリビアの水道を民営化されると、雨水まで自由につかえなくなったというような事例。チョムスキー:Noam Chomskyは、公営事業と会社の役割を、この映画の中でこう言っている「公営事業は、経済的な利益をあげなくても、別の利益を社会にもたらせばいいけれど、会社は経済的利益がまず優先する」のだと。HardTime.jpg この映画で取り上げるわけではないが、アメリカは、刑務所ですら民営にしてしまった。つまり、人間の自由を奪って檻に閉じ込めるということを利益の追求の対象にしたのだ。自由の国アメリカであるとすれば、それは象徴的なほど重要な問題であるはずだ。やむをえず人間の自由をほぼ完全に奪うという行為の主体が、少なくとも形式上はすべての国民の意思を代表する組織・「国家」(もしかするとアメリカでは州なのかもしれない)から株主の利益を代表する「会社」に移されてしまったのだ。それがどのような結果をもたらすのかを、サラ・パレツキーは探偵小説の題材にしている。ヴィク・ウォーショースキーという女探偵を主人公にするシリーズの、「ハードタイム」だ。
社会主義の根源的な欠陥は、たったひとつの巨大な権力しか存在しないワンサイドゲームに陥ることだった。自由経済の社会では、ワンサイドゲームをとどめる民主主義というルールがあったのに、いまは大企業がそのルールを書き換えて、ワンサイドゲームに持ち込もうとしている。かつての社会主義、一党独裁の国家とおなじ構造だ。

チョムスキーの言いそうなことだが、誰だったか憶えていないけれど、この映画の中でこんな発言をしていた人がいた。「公共事業については、国民がだれでも口をさしはさむことができるが、企業には、外部の人間は口を出せないんだ」と。これもきわめて重要なことだ。ぼくたち日本人は、そういうことをきちんと考えて行動したのだろうか。
オレは企業を批判する映画をつくっているが、それは大企業を通じて配給される。やつらは儲かるものであれば自分たちの首を吊る縄だってつくってしまうんだというマイケル・ムーア:Michael Mooreの発言も重要だ。すでにできてしまった制度であれば、それを利用してやれというしたたかさ、敵の武器をとって戦えというのはゲリラ戦の鉄則だ。

 何も知らない全くの素人だからこそ感じられることがあるとよく思うのだが、つねに経済が成長しなければ成り立たないということを前提にするシステムは、あきらかに間違っていると、ぼくは思う。持続可能なシステムをつくらなければならないと我々は考える。もともと、地球というシステムの全体は、これまでも持続可能な安定したシステムだったし、これからもおそらくそうだろう。安定したシステムというものは、健康な肉体がそうであるように、それを決定的に破壊しそうなものが生じると、その因子を排除する機能がはたらく。だから、もしも人間という生物の種が地球にとってそういう存在になれば、自然のシステムによって排除されるだろう。つまり、自然は人間を絶滅させるのだ。

映画の公開は、12月10日から,渋谷のUPLINK XとUPLINK FACTORYで
UPLINK Xはhttp://www.uplink.co.jp/x/log/000916.php
UPLINK FACTORYはhttp://www.uplink.co.jp/factory/log/000917.php

投稿者 玉井一匡 : November 16, 2005 07:45 AM | トラックバック
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