December 06, 2005

アースダイビング@下北沢


  アースダイビング@下北沢から、もう2週間が経ってしまう。いまさらのエントリーも恥ずかしいが、さりとて書かずにすますわけにはゆかない。
 何度となく近くを通りながら、これまでぼくは代々木八幡の境内にはいったことがなかったが、鳥居をくぐると中沢新一の書いている通り、すぐわきには縦穴住居が復元されている。本殿の賽銭箱の前が集合場所だから、ぼくは100円玉を入れて柏手を打つ。いつも神様には何も祈らない。なにも考えない。ただ耳を澄ますのだ。
振り返ると、むこうに縄文人とおぼしき家族がいる。杉本博司の撮影した自然史博物館のとは比べるべくもないが、縄文人の家族のジオラマである。ガラスの近くに寄って目を凝らすと奥の壁に水彩画が1枚かかっている。この神社のある高台は縄文時代には小さな半島で、頂に環状部落、足下には海の波がある。アースダイバーを読んでいなければこの絵にも気づくことはなかっただろう。

 アースダイバーマップというものを手にしただけでぼくたちの東京の読み取り方をすっかり変えたと、前に書いたが、高さの基準を平均の海水面(とはいうものの、標高ゼロってどういうことだ、海面はつねに移動するし波もあるのにどうやってゼロが分かるんだというのは、昔からのぼくの疑問だった)でなく30m高いところに移すだけで、場所についてのぼくたちの感覚がすっかり変わってしまった。陸の輪郭、言いかえるなら、ぼくたちの島のすがたを2次元で表現したかたちを具体的に体験することができるようになったのだ。現実の海面は時とともに高さを変えるけれど標高30mという海岸線は想像の中にしか存在しないので、かえって変わることがないのだ。しかも仮想の海岸線であるおかげで、そこにはいつでも行ってみることができる。・・・現実に。
さらに、そこは縄文時代の海岸線である。立体を2次元で表すだけでなく、時間さえ2次元であらわしていることになる。だからぼくたちは心を動かされないはずがない。さらに、今回はもっと心と想像力を刺激するものがあった。masaさんのハンドヘルドGPSという魅力的な道具だ。もとは軍事技術だが人工衛星のおかげで自分の立っている場所の平面的な位置と高さをその場で確認してしまう。あとになって移動した軌跡を確認することができる。masaさんは、約束通りにそれをblogに公開した。フィヨルドのように海と接する下北沢界隈の地図に、ぼくたちのたどった軌跡が書き込まれたものは、もっと多くの人を刺激したにちがいない。想像力は、ひとりひとりの内に浸透してゆくだけでなく、外に向かって沢山のひとたちにも広がってゆく。なんとすてきなことだ。

 そういうふうにして、ぼくたちの想像力が刺激されるのは、下北沢のまちのあちらこちらにしたたかに軽やかに生きる小さな店たち、坂やレンガ積みの擁壁、かまぼこ教会、細い路地などがあるからだ。そんな場所に、何十年も前に軍事的な目的で計画された道路を重ねてつくるとすれば、地形も、ひとびとが長い間に積み重ねきた小さな歴史も、すっかり消えてしまう。アメリカのように索漠たる広い国の真似をしようというのはわけが違う。勘違いも甚だしい。日本中の都市に起きている、なにより大きな問題は、大きな道路のまわりに大きな商業施設ができて、古くからのまちがさびれてしまうことだ。自然にできた下北沢の親密なにぎわいをつぶして、日本中のあちらこちらにできている同じ顔をしたまちを、わざわざもうひとつつくるにすぎない。バカとしか言いようがない。逆なんだ。むしろ、下北沢を見習おうというべきなのだ。
公共投資によって経済を刺激しようというのなら、もし、道路に金をかけたいというのなら、量や大きさではなく質を向上させればいい。歩道をひろげ、街路樹を植えればいい。
 道路、ダム、大規模開発、そして大国になりたがること。なんでも大きいほどいいというのは、大変な間違いだと、じつは大部分の人たちが気づいているはずなのに、「国家」を動かす人たちにはまだわからないらしい。木を見て森を見ないということばの意味するところは正しいと思う。しかし同時に、一枚の葉っぱの中に、宇宙のすべてを貫く原理が潜んでいるのだ。

投稿者 玉井一匡 : December 6, 2005 08:19 AM | トラックバック
コメント

なぜ「東京」という無機質でかつ日本的よさもない名前に何も言われないのかふしぎですよね。

Posted by: : April 26, 2009 11:29 PM

 新潟市には、西堀と東堀といわれているところがあります。
地図:http://maps.google.com/maps?ll=37.923296,139.045726&spn=0.005242,0.006951&hl=ja
かつて新潟には縦横に堀がめぐらされていて、信濃川の上流から舟で運ばれて来た米が倉に蓄えられたのでした。と自分の目で見たようなことを言いたいけれど、水運に使われなくなった堀は埋葬されて、今ではそれぞれが一方通行の道路になっている。堀端にあったはずの柳は街路樹として並んでいます。長谷川逸子が設計した市民芸術ホール(だったかな)の愛称「リュートピア」は「柳都」ということなのだと、あるとき気づきました。
 列島改造論のお膝元として古い掘割を葬ったけれど名称だけは道の名前に残したことを、どう評価すべきかはむずかしいところです。いまでは、堀を復活させようという声も少なくありません。なにしろ、西堀と東堀の間にある古町通は新潟市の目抜き通りだったのですが、このごろではからっきし元気がない。「地方都市における中心市街地の空洞化」の例にもれません。
 古い地名は復活させるべきですね。新宿区は、感心なことに古い地名がかなり残されています。新宿のまわりからは、柏木や淀橋という地名が消えたけれど、ぼくの事務所のあるあたりは、たくさん残されています。神楽坂、箪笥町、払方町、百人町なんていうのがね。だから不便だなんてはなしは聞きません。きっと、郵政合理化のために町名を変えるなんてことをしたんだろうが、いまじゃあコンピューターがずっと賢くなって、小泉3丁目2番5号なんていう囚人のような地名をつけなくたってしっかり憶えていてくれるのだ。平成小学校だなんて、やだね。
ぼくたちが「保守党」をつくらなきゃならないのかな。自民も民主もタカ派の党首になって、区別がしにくくなったことだし。

Posted by: 玉井一匡 : December 6, 2005 12:17 PM

先日も知人と、町名や区名を元に戻せと云う話がでました。台東区生まれの知人は昔の下谷区じゃ何故いけないのかと言います。彼の住まいは台東区三丁目ですが、昔は竹町と呼ばれ、彼の通った竹町小学校は最近になって統合され平成小学校と間抜けな名前に変わりました。平成なんて間抜けな名前は悪事を働く設計事務所だけで沢山です。昔の竹町を偲ぶ名は近くの佐竹通り商店街だけに残されていますが、商店街も秋風が吹いている状況で前途多難です。今でも昔の町名が残されているのは新宿区の東側半分くらいですね。「国家」を動かす人たちの勘違いといえば平成の市町村大合併に尽きるのではないでしょうか、これも支配者の奢りです。知多半島のどこかの市長は市名をカタカナ外来語にしようとしたが市民の反対で頓挫したとか、合併で出来る市の名はどれも間抜けなコピーライターが考えるようなもので困ったものです。
江戸を征服した「国家」を動かす人たちが、支配者の論理で江戸を東京と変え土地に根ざした歴史を葬りさろうとしたときから、おかしくなっているのだと思います。地名を東京から江戸に戻すことからしか自然環境や歴史と近代都市との共生は成り立たないような気もします。

Posted by: iGa : December 6, 2005 10:44 AM
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