January 20, 2006

彼岸花2:冬/記号としての緑

それまでは地上にすがたを見せなかったのに、秋の彼岸の頃、突然に茎を伸ばして深紅の花をつける彼岸花は、冬になると常緑の植物のような深い緑の葉を繁らせる。道ばたや樹木の足元に地味に集まっているから、つい見過ごされてしまう。
 秋に写真をとった同じ場所の彼岸花たちは、花から葉にというだけでなく、すっかり様子が変わっている。西武新宿線の線路敷きと道路を隔てる柵が古いレールとスチールパイプで作られているのだが、それがうっすらとサビを浮かべながら、少しぐらいのサビには負けないよと言いたげにすっくと立っている古レールが好ましかった。ところがその柵に鮮やかな緑色のペンキが塗られて、その緑色が彼岸花の葉の緑を柵の中に閉じ込めていた。

 「緑色」は、自然を大切にするという記号性を与えられている。それは、色に対してではなく色の名前に対して与えられたらしい。植物を引き立て周りを気持ちよくするためには、サビを滲み出させたそれまでの表情の方がはるかに美しい。かりに、鉄の柵を保護するために何らかの色のペンキを塗る必要があったとしても、ほかに選ぶ色があっただろうし、緑とよばれる色の中にもそれがあっただろう。
 旗色だの色眼鏡ということばがあるように、色はそもそも価値と深く結びついているけれど、問題はなにも色のことだけではない。緑とよばれる色の名称がそうであるように、記号性にひきずられて本当のところを見失ってしまうことにある。「改革」ということばの錦の御旗のおかげで、何をどう改革するのかというもっと大事な問題を飛び越えて「改革でなければ抵抗勢力」という問題にスリ変えるということが起こったし、かつては「畏れ多くも」という枕詞ひとつで、価値を問うことが回避された。西武線の線路敷をわかつ緑色は、時とともに色褪せで周囲に同化してゆくだろう、しかし、制度の上に塗り重ねられたペンキは何かを覆いかくしながらかえって、時とともにみずからを目立たせることもある。
 

投稿者 玉井一匡 : January 20, 2006 06:38 PM | トラックバック
コメント

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「ほれ塗れほれ塗れ」が、何度見ても「ほれぼれ」にみえてしかたありません。店になのか、奥さんになのか、いや両方なんでしょう。そういう作り方が力強さになっているのですね。塗り重ねたらどうなるのか楽しみです。

Posted by: 玉井一匡 : January 26, 2006 02:17 PM

おはようございます。
LGのファサードは、ほれ塗れほれ塗れという具合で、家内が訳もわからず、そのへんにあるペンキを塗りたぐった代物で、やっぱり、“ただもの”ではないのでしょうね?おっしゃる通り近い将来に重ね塗りさせていただきます(^^; ありがとうございます。

Posted by: cen : January 26, 2006 08:42 AM

 cenさんようこそ、そういえばウチの近くの歩道橋も、昨年おなじような緑色が塗られました。本当はスチールの部材の上に何度も何度もペンキを塗り重ねたのって、ぼくは大好きなんです。レールで作ったプラットホームの上屋、鉄橋、その昔行ったロンドンのキューガーデンの温室なんて、もとのスチールの部材の形が分かりにくいくらいペンキが重ねられているのが、100年を超える時間を感じさせてほんとうに魅力的でした。
 それだけに、色の名前だけに引きずられないで、色を選んでほしいですね。とはいえひとのことを簡単にいえるのか、自分はどうだと、頭をよぎります。その点、LOVEGARDENのファサードは、ただものではないと思います。

Posted by: 玉井一匡 : January 25, 2006 05:17 PM

こんにちは、玉井さん、恐縮です、はじめてコメントさせて頂きます。シーランチしかり、いつも気になり、コメントをしたいなと、気持ちのみが先走り、いざ、勇気がなく、でした…。ちょっと知っているaiさんがコメントをしていたので、勇気をふりしぼってみました。
直感派なもので、難しいことはよくわからないのですが、この緑色、まいってしまいます。3年くらい前に隅田川にかかる吾妻橋が塗り替えられましたが、その赤色といったら…う~ん!という感じで、景観がだいなしだな~と思っていたのですが、逆にそれが景観なのか??景観ってダメだな、そうゆうことなんだ!って今、納得してしまいました。それ以上に自分はだめなのですが…(^^;
これからもよろしくお願いいたします。

Posted by: cen : January 25, 2006 01:53 PM

 プロに参考にしていただくほどのことではないので、恐縮です。
そうそう、必要なものを食べたいと思うようにできているはずだと、ぼくが書いたのは、何が真実なのかを感じる直感的な能力を、きっと人間は生まれながらに身につけているのではないかと言いたかったのでした。

Posted by: 玉井一匡 : January 23, 2006 08:53 PM

>からだに必要なものをおいしいと感じられるようになるには、余分なものを洗い流し、自らを鍛える必要があるのでしょう。
生き物として根源的なものを探りあてることが一番下手になっているのが人間のような気がしています。そしてこの自ら鍛えるということを意識しなくてはならないのですね。どだい季節のものではないものに手を出してはいや違うと置いたりしている位ですから…。でもまあ美味しいものを作るのに手間と時間はかけても平気なので心と体の栄養になるものをのんびり作ることにいたします。マーマレードのレシピはぜひ次の制作には参考にさせていただきます!

Posted by: ai : January 23, 2006 06:11 PM

 aiさん、そうおっしゃっていただいて、すなおにうれしくなりました。ありがとうございます。なにが真実なのか、たしかに分からなくなりますね。
 ぼくはこのごろ、こんなふうに考えるようにしています。・・・・生き物が「こうしたい」と思うことは、自身のためにいいことであるはずだと。その人の身体にとって必要なものを「食べたい」と思うように、生き物は作られているはずだと思うのです。どんな動物も、こどもはとてもかわいい。助けを必要とする子供は、大人たちがかわいいと思うようにできている。あるいはそれをかわいいと感じるように、大人ができているのではないでしょうか。おそらく、こどもをかわいいと感じることは、その種にとってとても大切だから、根源的な感情としてぼくたちは備えている。しかし、からだに必要なものをおいしいと感じられるようになるには、余分なものを洗い流し、自らを鍛える必要があるのでしょう。

Posted by: 玉井一匡 : January 23, 2006 01:25 AM

花をみて、その彩をみて巷のくくりまで鋭く連想しながらエッセイを書かれるMY PLACEさんの素敵なこと!
最近とみにマスコミ嫌いに陥っているのでどうしたら真実を見抜くことができるのか、伝えたいことを伝えられるのか…いろいろな言葉が交錯しているなかで、皆マスコミに書かれたことを元にして声高に主張するのを耳にます。そして疲れています…。

Posted by: ai : January 22, 2006 05:35 PM
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