February 21, 2006

LOVEGARDEN へむかって

 丸の内の「緑のどこでもドア」をあとに、日本橋まで歩いて都営浅草線で一本、曳舟で下車した。待ち合わせの改札口に一眼デジカメを首に下げてうっすらとヒゲを生やした男が、ひとなつっこい笑みをたたえている。
このうねった道は川があったのかな、きっとそうだな、なんてことを話しながらさっそくLOVEGARDENを目指す、と歩き出したがたちまち立ち止まってカメラを構える。レンズの先を見ればペンキの剥げた赤いツバメがコンクリートの塀に残っている。丸善石油のガソリンスタンドだったのだろう。これを意図的に残しているのだとすれば、このまちはたいしたものだぞ。写真を撮り終わると郵便局の配達の赤いバイクが、前を走って行った。でも、いやな顔をしない。masaさんの人徳と郵便局員の人柄だろう。だまって待っていてくれたのだ。あとで写真を見ると、masaさんのむこうに赤いバイクが一台、たしかに停車している。
角をひとつ曲がると、まちはさらにmasaごのみを増す。このあたり、道路は意地でも直角には交わるまいとしているかのようだ。googleマップを開くと案の定、乾燥した地面のひびわれのように、自在に交差していた。長屋が並ぶ路地には、もちろん車は入れない。かつては路地とそこに肩をよせあう長屋しか見えなかっただろうに、いまはその構成が一目瞭然で解き明かされる。となりの一画が取り壊されて駐車場になっているから、裏側からみると全体が一望にできるのだ。これまでの長い時間の中でも、それがわかるのは、このわずかに残された間だけなのかもしれない。そう思うと心はせかされる。

 冬の日は頼りなくて、曇りがちになった空にせかされるようにLOVEGARDENにむかう。当たり前だが、店はあけてあるから扉も開いている。あの扉は正面からは見られない。もちろん、開いていればもっとうれしいのだが、店が開いているのが残念だとも思ってしまう。そう思わせる店が、日本中に何軒あるだろう。日本中の郊外では大型店が建ち並び、どこもかしこも同じように索漠たる街並になってしまい、おかげで古い通りではシャッターがまちを台無しにしている。しかし、古いまちだって、こんなふうに魅力的な店がつくれるのだ。
3人の笑顔に迎えられた。cenさん、yukiりんさんそして、とびきり人なつこくてかわいい看板娘。
「なんさい?」 ゆびを3ぼん。「おじさんは?」と、しつもん。
片手をひらいた。おっと、サバをよんじゃあいけない。去年からはこれだ。「ほんとは、これ」左の人さし指を1本加えた。
 ブログの写真を寄せ集めた想像よりもモノがいっぱいあって、その代わりに思ったより植物が少ないんだ。と思ったが、下に下りる階段がある。少し床が高いところにcenさんの作業カウンター、ステンドグラスのドアの奥がyukiりんのコンピューターがあるにちがいない。なるほど、どこをとってもクローズアップに耐える。作業カウンターの上に「タイニーハウス」「シェルター」がおいてあった。もしかしたら、さっきの電話で並べてくれたんじゃないんですかとたずねると、以前からの座右の書なんだとcenさんは言う。ほんとですか、そうだとすればほんとうにうれしくありがたいことだ。「ホームワーク」まである。
 地下にも、もぐり込んだ。靴をはいたぼくが立って頭の上があと2センチくらいという高さ。床と基礎の間のスペースを利用した地下室だが、立って歩けるかどうかは大変な違いなのだ。作業部屋にしていたが、ホコリがひどいんで上に移したからいまは物置になっている。ここは、このうえなく居心地のいい場所になるぞ。長年使っていなかったのを開けてみたら、水が数十センチたまっていたという痕跡がしっかりと黄色い壁に残されている。それがまた美しい。
 たくさんのものたちに囲まれて、しかし、花の店の常として奥まで冬の空気が自由に出入りする。それでもまたたくまに時は過ぎて、たちまち冬の土曜日は暮れてゆく。こんなに沢山のものたち、その大部分は古くて捨て去られそうなものに手を加えている。それらをいっぱいに詰め込みながら、混乱におちいらず美しくたのしく思わせるのは大したものだ。それはどこからくるんだろう?
すくなくともそのわけのひとつ。この店には、この店の二人には、すでにあるものたちが潜めている魅力とちからを感じとってそれらを表に引き出してやる力と意思があるからだ。masaさんの写真が光の種を見つけ出すちからと通じるものがあることにきづいて、ぼくは納得の一部を手に入れた。それにもうひとつの手には、花かんざしをひと鉢もって、LOVEGARDENをあとに薄暗くなったまちの土曜日の中へ、masaさんにつれられて行った。再開発ですっかりまちがなくなったというところへ。

投稿者 玉井一匡 : February 21, 2006 08:29 AM | トラックバック
コメント

そういうふうにして、ご自分たちの手でお店が作られているんだろうということは、 藍blogの写真の断片からも、感じとることができます。LOVEGARDENは、あの扉をみれば一目瞭然ですが、まわりとはむしろ対比的な雰囲気を作り出しています。にもかかわらず、それがいいんですね。aiさんのお店は、おそらく盛岡のまちとスムーズにとけ込んでいるのでしょうから、ある意味では逆の方向を向いている。それなのに、どこかに通じる魅力があることが感じられます。それがなぜなのかを探り出すのは簡単ではないでしょうが、自らの目で見極めたものが自らの手でつくられいている。だから、それぞれのものたちにもともと潜んでいる魅力がさらに豊かになって引き出されている。それは、すくなくとも共通する理由のひとつではあると思いました。

Posted by: 玉井一匡 : February 24, 2006 12:13 PM

LOVEGARDEN行かれた玉井さん、masaさんのご様子をみたらやはりいつか出かけて見ましょうと思ってしまいました。自分の手で壁や床を仕上げていらっしゃるご様子をみるにつけこれは自宅でも言えるなどと思いながら拝見しておりました。かく言う私も壁塗り、オイル塗装などは本業より好きかもしれないと思っておりました。でもこれコメントとしてうけつけられるかどうか・・・・。

Posted by: ai : February 23, 2006 07:01 PM

そのおじさん、今ははどんなじいさんになっているんでしょうか。京島はどんなまちになっているんでしょうか。時間のレイアの豊かな場所では、自分がどこの時間にいるのか、どのレイアからやってきたのか分からなくなってしまいそうです。なにもなくなったまちに立ったときにも、取り去られた古いまちを思い浮かべました。新しいまちを思い描くのがぼくたちの仕事だと、かつては思っていたのですが。・・・この続きはまたべつのエントリーで。

Posted by: 玉井一匡 : February 22, 2006 03:40 AM

夜になって、何度か、このエントリーを読み直しました。玉井さんのお書きになったこの文章を読んでいますと、この看板娘が、実は昔の僕で、その子が大きくなってから、「あ、これが、あの時のおじさんが書いた文章なんだ…」と、追憶とともに、並んだ文字を追っているような気がしてきました。

Posted by: masa : February 22, 2006 12:52 AM

yukiりんさん なにも言い訳はしません。平にご容赦をとお詫びするばかりです。
はたからは分かりにくいかもしれませんね。スパムコメント退治の腹立ちまぎれの勢いで、cenさんyukiりんさんのIPアドレスを、禁止IPに登録してしまったのでした。

Posted by: 玉井一匡 : February 21, 2006 10:59 PM

なんだか、いろんな種類のコメントがならんでいて、笑ってしまいました。駄洒落は、私よりも少し年上の世代以上の皆さんが、よくおっしゃいますね。玉井さんも、子どもの頃、「~し玉井」(しなさい)って、ずっと言われてきたんだろうな~と推察しています。ただし、私たちの世代では、駄洒落はタブー(←笑いのレベルが低いと馬鹿にされる)でした(-。-;)。ところで、yukiりんさんの「LOVEってついたり、○○りんっていうのが悪いですよね~。」というのは、お気の毒ですが、大爆笑でした!!いや~、「ナイスyukiりん!!」という感じです。こちらは、笑いのレベルが高いですね~。まあ、ビル・エバンスとジム・ホールには負けちゃいますけど(^^;)。

Posted by: わきた・けんいち : February 21, 2006 04:13 PM

はははっ~! ダジャレ合戦が始りそうですね。
それにしても、玉井さ~んひどい!ひどすぎる~!やっぱりブロックされていたのですね(|||▽||| )ガーン!
ブロックのお相手、間違えていませんか~それとも本心かしら。・゚゚・(>_ しかし、LOVEってついたり、○○りんっていうのが悪いですよね~。私も玉井さんのblogに入れるのはしのびないな~って思っていたのですよ。やはりブロックされてしまいましか…
しかしこれで少し貸しができたような気分です。地下シェルター計画を進める際は遠慮なくご相談させていただきますよ~!
またお越し下さいませ。ありがとうございました。

Posted by: yukiりん : February 21, 2006 03:41 PM

masaさん  ビル・エバンスとジム・ホールで駄洒落の口直しをありがとうございます。masaさんの肖像権を無断で借用してしまいました。あの眼鏡、下にずらしてるのが、わずかにわかり、なるほどこうやるのかと思いました。元の写真はもう少し大きいのです。
赤いツバメは、masaさんのちゃんとした写真が公開された時に比較されないよう、少し小さくしました。

Posted by: 玉井一匡 : February 21, 2006 03:27 PM

わきたさん、失礼しました。幼稚園並みの駄洒落に手が滑りました。
いや、じつは「ついに言わせたぞ」とほくそ笑んでいるのかもしれないぞ、などと勘ぐってもいます。お会いする時には、つい口に出して言ってしまわないように、遅刻していこうと考えています。逆に「時間はきちんとまもり玉井」なんて言わせるのです。

Posted by: 玉井一匡 : February 21, 2006 03:14 PM

誰かと一緒に歩くことって、一種のセッションだな~と、最近とみに思うようになってきました。玉井さんとのセッションは、底に熱いリズムが潜んではいるものの、水面はとても穏やかで静かでした。ビル・エバンズ&ジム・ホールのアンダーカレントを想い浮かべながら歩いていました。
しかし、この玉井さんのブログに、僕の姿というシミを付けようとは…思ってもみませんでした。このシミは風化とは言えませんので…なんとも…です(^^;

Posted by: masa : February 21, 2006 01:34 PM

わっ、きた!>玉井さん。
・・・玉井さんでも、こんなこと書いてしまうんですね~(唖然)。幼稚園の頃から、言われ続けてきました。もっとも、さすがに大人になってからはなかったので、なんだか、ひさしぶりで、ちょっと眩暈がした~(*0*)。でも、「LOVEGARDEN+Kai-Wai散策」でのカッコイイ玉井さんと、序の口級の駄洒落を書いてしまう玉井さん、そのような多面的ところが玉井さんのチャームポイントなのかしらね~と想像しています(*^0^*)。「侘・錆・風化、経年変化のある世界」(最近のお気に入り)のなかにこそ豊かな価値があると、きちとん評価されるためには、何をしていかなくちゃいけんないんだろう。自分の仕事に引き寄せながら、考える毎日です。

Posted by: wakkyken : February 21, 2006 01:19 PM

わっ、きた!わきたさん。
そうですね。それは、あらゆることに共通するのではないかと、このごろ思います。メンテナンスフリーとか耐久性の向上などは、それはそれでモダニズムの正道だけれど、経年変化がむしろ魅力になるような、古いものの中に価値をみつけるような、ものの見方やつくりかた、あるいは接し方を大切にしないと、人間に未来はないと思います。

Posted by: 玉井一匡 : February 21, 2006 12:28 PM

玉井さん、こんにちは。昨日、masaさんのブログで、「そのモノがもっている“正しい”・“あるべき”経年変化が生まれてくるように、少し手をいれてあげるという感じ」「アンティークの整体術の先生」と書きましたが、玉井さんの「すでにあるものたちが潜めている魅力とちからを感じとってそれらを表に引き出してやる力と意思」というご指摘と、重なり合うように思っています。これは、例の『時間のなかの建築』(Mohsen Mostafavi, David Leatherbarrow)や、『HOW BUILDINGS LEARN / What happens after they're built』(Stewart Brand )にも通じること問題ですね。

Posted by: わきた・けんいち : February 21, 2006 11:59 AM
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