March 12, 2006

路地 と 「路地の再生」

先日、わきたさんが東京にいらして佃を歩いたときのこと、ここはすばらしい路地があるんだというmasaさんにさそわれて、すでにみんなから遅れをとっていたのに屋根付きの路地に入っていった。kai-wai散策には、いつものように路地に潜んでいる魅力を呼びさます写真が記憶された。masaさんが書いているように、路地の向かいの超高層のマンションの足元に「路地の再生」という看板があった。それには、ほこらしげにこう書かれている。
「この街に古くから残る風情豊かな路地空間。その空間を未来に残すため敷地内に四本の路地を再生しました。
道草の路地  雨上がりの路地 渡しの路地 雑木林の路地
当マンションは環境共生住宅の認定を受けています。」
これを路地といっていいのか、プリンスタワーホテルの立て札と同じじゃないか、という憤りに近いmasaさんの思いはぼくもおなじだ。しかし、ぼくには純粋な腹立たしさに浸りきることができない。板張りの歩道、いずれは豊かになるであろう植物、水辺の歩道など、それなりに考えてつくられているのはたしかなのだ。再生路地の前にたって看板を見ていたぼくが、やれやれという表情でmasaさんと顔を見合わせたあとで、「もし、おれが頼まれても、こんなふうにいろいろと考えるかもしれないけどね」と言ったのもあながち冗談ではなかった。インターネットで調べると、ここには1万数千本の樹木が植えられ、地元から感謝状を受けたと書かれている。
それでも、しかし、とぼくは思う。

 路地には家の中から光がこぼれる。話し声が聞こえる。何かをつくる機械が音をたてる。いえといえの間にある路地は、両側に住むひとたちの場所、そこを通りがかる人のものだ。
ところが超高層マンションの足元の再生路地と家々のあいだには、ホテルのロビーのような玄関ホールがあって、路地を通る人とのあいだを遮る。再生路地とマンションの入り口は不連続なのだ。かつてあった路地は、決して再生されていない。高層マンションは排他性にもとづいてつくられている。住人以外を排除する。人間の動線もエネルギーの供給ルートも集中するから、それは犯罪のための好条件をつくる。それを防ぐには、超高層マンションでは他者を排除せざるをえないのだ。超高層ビルは地上に谷間をつくるだけではなくコミュニティを分断する。環境共生というが長屋とは、けっして共生などしていない。それとも、まわりのまちは環境ではないというのだろうか。問題は高層であること自体にあるのだ。
地震で電気が止まれば水もなくエレベータも止まり、上り下りもできなくなる。ヨーロッパではすでに、高層の集合住宅があまり作られなくなっているというのに、日本ではまだつくり続け、売れているらしい。「市場原理」のなすがままに、まちが委ねられているのだ。
かつてこの一帯に肩をよせあっていた長屋や路地を一掃して超高層マンションをつくりながら、路地を再生したと誇らしげに宣言する仕組みは何かに似ていないだろうか。空襲で爆弾を撒き散らし、まちを破壊し人を殺しておきながら、ふんだんに支援物資を届けて英雄を気取るアメリカ軍のようではないか。

とはいえ、ひとつむずかしい問題が残されている。一昨年、二十数年ぶりにバンコクに行ったときに、超高層ビルが立ち並びすっかり近代都市になったのをみてぼくは落胆した。飛行機を乗りつぐあいだの8時間ほどの炎天下にひとりでまちを歩き続けて、古い建物のびっしりと立ち並ぶあたりにたどりついて、ぼくはやっと安堵した。
そのそばから、ここに住んでいる人たち、じつは好き好んでここに住んでいるわけではなくて、できるものなら新しい高層の集合住宅に住みたいと思っているのではないかとも考えた。それは、日本でも同じことかもしれない。(左の写真が表、右の写真が裏)
だからこそこの日本で、古い建物の魅力を見つけて、みずからそれを住まいや店として使おうという若い人たちが増えているということに、可能性を感じるのだ。

投稿者 玉井一匡 : March 12, 2006 11:30 PM | トラックバック
コメント

えっ、、、監獄ですか・・・。う~ん、そうなるとこの界隈のブログは“平和”になるかもしれませんけど(^^;)、ちゃんと帰ってきますから。

Posted by: わきた・けんいち : March 15, 2006 04:01 PM

 おっしゃるとおり、「楽しみながら」ということが大事だとぼくも思います。そうじゃなければ長続きしないもの。日本軍相手にあれだけ戦った人たちなのだから、中国にもフートンを守る会のようなそういうネットワークがあるかもしれないですね。ぜひ見つけて来てください。
その結果としてわきたさんが監獄に入れられたりしたら、楽しみながら救出運動をしますから、安心してください。

Posted by: 玉井一匡 : March 15, 2006 03:42 PM

玉井さん、大局的には、「内なるアメリカが、内なる途上国を植民地化して文化まで消費してゆく」ということだと私も思います。そのような上からの植民地化に、地域や生活から紡ぎだされた様々な実践や、それらの実践が結びついたネットワークによってどのように抵抗していくのか・・・、そのあたりが今の課題かな。界隈のブログを拝見していると、その潜在力は蓄積されてきているのかなと思いますが、その先ですね。例の「懐かしがっているだけの時間はない」・・・でしたっけ。玉井さんの言葉が、私の頭のなかもかけめぐっています。自分の足下で考えて、どう行動するのか、しなくちゃいけないことだらけで、ちょっとしんどくなりますけど、楽しみながら地道に継続していけたらと。もうじき、猛烈な開発が進む中国に2週間弱、出張してきます。中国の地域社会の歴史性がテーマパーク化され、テーマパーク的なゲットーの中に押し込められ、それらが、その外部で猛烈に進む開発のアリバイとして利用される現実を見てこなくてはいけません。滞在期間が短いので、むこうの皆さんの植民地化に抵抗する“実践”がどのようなものなのか、おそらくは確認できないと思います。残念。

Posted by: わきた・けんいち : March 15, 2006 02:20 PM

なにしろ、政府が率先して「市場原理」ということばかりを唱えている。それは、しかも「規制緩和」と対になっているから、 このふたつが一緒になったものを分かりやすく言えば「儲かるものはやりたい放題」ということですね。これは、「市場開放」と「非関税障壁の撤廃」として、アメリカが押し付けたことの国内版だからポチの面目躍如。内なるアメリカが、内なる途上国を植民地化して文化まで消費してゆくということになって来ている。なんていうとなんだか教条主義的な解釈みたいな気がするけれど、そのとおりみたいだなあ。

Posted by: 玉井一匡 : March 14, 2006 11:52 PM

玉井さん、こんばんは。「企業やマスコミが目をつけ始めると単なる『商業資源』としてだけ利用しかねないですね」という状況が、京都の街中では進んでいます、困ったものです。町家ブームが去ったあとがこわいです。

Posted by: わきた・けんいち : March 14, 2006 11:25 PM

GG-1さん  おっしゃるように、あそこの板張の道も、川沿いのデッキも、樹木も、それらだけを取り出せば悪くはないのです。しかし、断じて路地ではない。どうみても路地ではないものを路地と呼ばせようとすることは、あのプロジェクトそのものにひそむ問題点を引き出してくれる。だれかが意図的に仕掛けたとしたら上出来ですが、そうではないにせよ、結果としてはいつまでも疑問を生じさせる繰り返し型時限発火装置になるでしょう。それを黙っていると、「路地」という概念を歪め冒涜することになりかねないから、何度でも批判しなきゃいけませんね。
アースダイブの方は削除しました。

Posted by: 玉井一匡 : March 14, 2006 01:06 PM

 YUKIりんさん ぼくも曳舟の再開発のことを考えていました。masaさんといっしょにLOVEGARDENにうかがった後に曳舟にまわりました。すっからかんになったあの周りに、数軒だけまだ住んでいらっしゃる家があって、少しお話をうかがったのです。ぼくたちは、古い家や路地がなくなってしまうことをとても残念だと思っていたのはいうまでもなく、なくなってしまった家やみちのことをうかがいました。
しかし「うちは、おそくなっちゃったけれど、もうすぐ移るんです」といわれた口調は、なくなったものを惜しむよりも、むしろあたらしい生活を楽しみにしていらっしゃるようでした。たしかに古い家は、寒くて暑いだろうし、新しいのがいいと思われる気持ちを否定するわけにはゆかないなと思い、バンコクの町のことも思い出しました。

Posted by: 玉井一匡 : March 14, 2006 12:20 PM

路地の住人にその場所が嫌いな人と好きな人が居るのは判ります
しかし路地と名乗るからには、プラス方向であれマイナス方向であれ路地独特のウェット感が無いと名乗る資格が無いと思うのです
現場に行っていないで写真からのみの判断ですが、洒落たウッドデッキの遊歩道としては周りに緑があり開放的で良い物だとも思います
ならそれで、路地を名乗らないで欲しいのですよ
何か、言葉による冒瀆のような気さえします
(私の勝手な思い込みも多分に入っておりますが)
高層住宅ではプライバシーとセキュリティーの面で仕方が無いのかもしれません
長屋的近所づきあいとは対極にあるようなものですからね

丁度先週、芝公園に行く機会がありました
例の立て札の場所も行ってきました
タワーの裏の元ゴルフ練習場があったところですよね
白いコンクリートと間の土の中に緑が植えられているのでしょう、小さな花や苗が顔を覗かせていました
スグ横に増上寺の屋根と芝公園の緑と東京タワーが見えますが、スカッと抜けた光景で天気が良いにも拘らず非常に寂しい印象です
水分が無い、ドライな感じ
賽の河原にも似た荒涼感漂う場所でした
あれで、公園と胸張って看板に書く感覚が良く解りません

開いていたアダイの方に先にコメントしてしまい、失礼しました
あちらの方削除願います

Posted by: GG-1 : March 14, 2006 03:32 AM

玉井さん、こんばんわ。おじゃまします。
私も、曳舟駅周辺を終戦後の日本みたいだな〜と感じていました...先日まであったはずの建物や路地が、一瞬にして消えてしまい、どこまでも見渡せる焼け野原のようです。一年後には花火も見れなくなる程の巨大マンションが建つ事でしょう。「路地再生」の立て看板と共に...。
昨日、夫と「住む場所」について話し合ました。我々は今住んでいるこの土地を愛してるのか...子孫に受け継いでもらいたい程の愛着はあるのかどうか...。この地で生涯、暮らしたいと思うか...
答えはNOでした...住人の皆がその場所を愛していたら、きっと心地よい町になるのでしょうね...。
結局、玉井さんの「MyPlace」は素晴らしいという話しで終わりました(^^; 

Posted by: yukiりん : March 14, 2006 02:12 AM

neonさん  根津というところは、こんなしぶい(と、ぼくにはおもわれるのですが)本を半年も待たされるところなんですね。ぼくも中野の図書館で注文してみます。

Posted by: 玉井一匡 : March 13, 2006 11:21 PM

玉井さん
ありがとうございます、お調べ下さいまして。。実は昨秋にこの本が出ていいと聞いていたのですが、根津図書室で貸し出しの順番を待っていたらこんなに遅くなってしまったのです。
現在はロマといっても定住民にちかいかたちなのだそうです。私は放浪芸みたいなのが好きで、音楽もそれにともなうものが変に好きなものですから。。そのルーツを辿る記録が、この本に書かれていて興味深いです。

Posted by: neon : March 13, 2006 10:32 PM

neonさん  こんなところにまで、目をつけていらしたのですか。これは、今まで知らなかった世界なのでgoogleで探したら、UplinkFactoryで、この本の刊行に合わせたイベントのお知らせがありました。「ジプシーを追いかけて ─ 写真と音楽でジプシーの真実に迫る/『ジプシー・ミュージックの真実』刊行記念イベント」ですが、もう去年の10月のことだったんですね。マハラ・ライ・バンドっていうのも、たくさん出てきました。
http://www.uplink.co.jp/factory/log/000782.php
ジプシーは定住しないでしょうから、路上がイエなんだという意味で、路地ということばを居住地という意味につかったのでしょうね、きっと。

Posted by: 玉井一匡 : March 13, 2006 10:00 PM

わきたさん  こう書きながら、顔が思い浮かぶのが不思議な気がします。
たしかに、おっしゃるように古い建物を生かそうとする人たちが、かならずしもコミュニティを含めての再生、つまり空間だけでなく場所として捉えているわけではないかもしれないという可能性を、ぼくはあまり考えていませんでした。しかし、ひとりひとりがそういう試みをする時には、おのずとコミュニティとのかかわりを広げてゆくようになるだろうと楽観的なのですが、企業やマスコミが目をつけ始めると単なる「商業資源」としてだけ利用しかねないですね。卵から孵化したばかりの幼生が、大口を開けた大魚に喰われちゃわずに生き延びて、りっぱな大人になるというのも、なかなか大変だな。

Posted by: 玉井一匡 : March 13, 2006 09:33 PM

玉井さん、こんばんは。
今「ジプシー・ミュージックの真実」(関口義人著)を読んでいましたら、ちょうどこんな記事がありました。バルカンの多くの地域で、ロマ(ジプシー)の人々は自分たちの居住地を「マハラ」と呼び、これはもともとトルコ語で「路地」を意味するそうです。そしてその集落は貧しいけれど人々の集う場所、また子供の教育場所などもあるのだそうです。日本の「路地」のかつての姿を彷彿とさせるような気がしてしまいました。「路路の再生」は、一朝一夕にはいくものではないでしょうね。

Posted by: neon : March 13, 2006 09:22 PM

玉井さん、こんにちは。佃島のようなコミュニティの密度が高かった場所が、セキュリティに守られた小さな私的空間(世帯)が単純に集積された高層マンションに置き換えられていく過程が露骨にみえて、あのとき、少し憂鬱な気持ちになりました。リンクされたサイトの「下町らしい『路地文化』の根付いている地域」「マンションを建てることで人びとが行き来する緑の路地を復活させようという試み」という文章に、やはり違和感を感じます。玉井さんのアメリカ軍の例えを読んで、その通りだと思いました。
世界中の都市空間が市場化のなかでどんどん商品として切り売りされ、同時に、人びとの意識は私的空間の充足ばかりに向かう(私化・個人化)。これは、タイも含めて地球上のあちこちでおこっている現象なのでしょうかね~。「古い建物の魅力を見つけて、みずからそれを住まいや店として使おうという若い人たち」の意識のあり方が、私化・個人化のひとつのタイプだったらいやだな~、地域の人びととの関係の構築やコミュニティの再生に向かおうとするものであってほしいなあ~と思うのです。

Posted by: わきた・けんいち : March 13, 2006 05:30 PM

kadoorie-aveさん  コメントありがとうございます。もしかしたら門織恵さんとおっしゃるのかなと思いましたが、香港由来なんですか。地図を調べてみます。おっしゃるように、中華街の魅力は、横町に入ると中国人の日常のくらしが漂っているようなところがいいんですね。外国に行ったときも、楽しいのは、ふつうの人たちが日常的に暮らしているまちや、日常的に食べているメシ屋だし。それを、中華料理屋の店だけですますんじゃあ、文字通りのテーマパークでしかない。
桜とはちがって、梅の開花期間は長くて、まだ咲いています。桜がぼくたちの気持ちを高揚させるのは、時期が短いからなのですね。

Posted by: 玉井一匡 : March 13, 2006 02:03 PM

はじめまして、kadoorie-aveと申します。(←嘉道理道、香港のある通りの名です)
何年か前、立川のグランデュオの中に、「立川中華街」を作るとき。なぜ今中華街かというと、中華街はどこも、不況にあってもちゃんとお客さんが集まっているからだ...という記事をどこかで読んだことがあります。(家からもわりはと近く、時々私も食事をしに行きますが。)
そのとき、中華街に生まれ育った人が別のところでコメントしていました。
「中華街というのは、人が住んで、暮らして、隣どうしのおつきあいがあって初めて中華街なんです。お店をいくら集めても、それは中華街じゃない」
ごく当たり前の話なんですけれど、今ふと思い出しました。
超高層ビル、やはり上の方の階にいくほど鬱やノイローゼになる人が多いとも聞きます。
私もマンション暮らしですが、3階以上は無理だなぁ、地面が遠すぎるもの。それこそ実際に地に足がつかない感覚が不安なんです。
それと、長屋付き合いのできない造りのマンションも....辛い。お醤油大さじ3ばかり頂戴、という暮らしなので。

薬王院の梅、今年は見ていません、メジロがたくさん来ていて大好きなんですけど。

Posted by: kadoorie-ave : March 13, 2006 10:59 AM
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