March 19, 2006

アメリカの原罪

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 ワールド・ベースボール・クラシックでアメリカは、なりふりかまわず自分たちに優位な環境とルールをつくりながら2次予選で敗退した。この大会でのアメリカの振舞いはブッシュUSAそのままだった。審判の多くにアメリカ人を選んだ。反米意識が強く大リーガーを揃えた南米チームのならぶグループを避け、メキシコ、日本、韓国のグループを選んだ。そうやってさまざまなアメリカ優位の仕掛けをつくったが、そのことは、かえって相手チームをやる気にさせ、アメリカの選手たちはやる気をそがれていったようだ。
 日本とアメリカのゲームでの誤審に批判的だったニューヨークタイムズは、アメリカの敗退をどう書いているかが気になって、ニューヨークタイムズのサイトを見た。ここでさえ、この期に及んで未練たっぷりな記事を書いている。「もし、メキシコがビジターだったら、彼らがアメリカに2−1で勝っても韓国と一緒に準決勝に進んだのはアメリカだった」と。はじめは、これが何のことか僕には分からなかった。
二次リーグで勝ち負けが同じチームができた場合には、失点率という指標で比較することになっている。失点数をイニング数で割って、それに9を掛けるから、一試合あたりの失点数を示す。ピッチャーの防御率の計算の自責点をチームの失点でおきかえたものだ。日本は17イニング2/3で5失点、アメリカは17イニングで5失点だった。メキシコとの試合では後攻のメキシコが勝ったので、9回裏がなかったけれど、もしメキシコがビジター扱いで9回表の攻撃をしたら、アメリカは18イニングで5失点になるので、失点率が日本より少なくなっていたというのだ。ニューヨークタイムズさえ、もともとアメリカ有利の条件がつくられていたことを批判しない。
 しかし、かつてアメリカの野球は、外国人に対してむしろフェアだと、ぼくは思っていた。

 かつて王がハンク・アーロンのホームラン記録を更新したときに、球場の広さやピッチャーの力が違うということを問題にせず、アメリカは世界記録として評価した。もし、王の記録を台湾や韓国のバッターが破ったとしたら、日本の野球界は素直に評価することはしなかっただろう。野球だけではない。日本は滅多に難民を受け入れないが、アメリカは多くの移民を受け入れてきた。しかし、フェアなアメリカと世界中を自分の国のようにして干渉するアメリカは、実をいえば同じひとつの根から生じたものだとぼくは思う。

それは、国作りにまつわる原罪。アメリカは盗んだ土地の上に国を作ったという事実だ。土地の所有という概念すら持たなかった遊牧民を相手にして協約という一見したところ正当な手続きで、あとからやってきた連中が土地を取り上げた。この行為を正当化するには「本来、土地はだれにでも開放されている。自ら開拓すれば、そこは彼のものだ。」という論理をつくるしかないだろう。
 「だから・・・」というその先の結論で二つに分かれる。ひとつは、外国から来る者に対しては「自由にこの国においで」というフェアな態度として表れることが多いが、他方、アメリカが外に出てゆく時には「ほかの国も我々のようであるべきだ」と、未熟でローカルなルールを他者に押しつけ、ときに軍隊すら投入する。アメリカ国内で開かれはしたが、国際大会という外の場で行われたこの大会で、二つ目の振る舞い方をあらわにしたのだ。自分たちに合うように世界を書き換えるという、いつもながらのスタイル。

アメリカで一番のチームを、これまでワールドチャンピオンと呼んできた。この大会を真の世界一を決める大会だと位置づけたが、アメリカを一番にするために強いチームをつくることに力を注ぐよりも、アメリカ有利のルールをつくりあげようとした。にもかかわらず、それは失敗におわった。ブッシュUSAと同じく、アメリカ基準にすぎないものを世界基準と言いくるめようとしたが失敗、アメリカ嫌いの感情を参加国に残した。アメリカのグループからは日本が、もう一方のグループからはアメリカの大嫌いなキューバが決勝に進むことになった。ぼくは、アメリカが負けたことだけで満足だったが、日本が勝って大満足になった。

投稿者 玉井一匡 : March 19, 2006 03:30 PM | トラックバック
コメント
この写真は意図的なんだろうか、喜びを分かち合うメキシコチームを背景にしてうつむくジョニー・デイモンは、たしか祖父が「アメリカ先住民」。このとき彼が何を考えていたのかを聞いてみたいと思った。 イチローの「30年くらい立ち上がれないくらい勝ちたい」発言が韓国の選手たちを奮い立たせて日本チームを窮地に追い込み、それがまた日本チームをひとつにまとめた。あとになってイチローのこの時の発言をじかにテレビで見た。文字で伝えられるのはまったく違って、ニコニコと笑顔で語る言葉は、むしろ少年が夢を語るようなニュアンスで、挑発的でも排他的でもなかった。国内世論をまとめるために外に敵をつくろうとすれば、メディアにはどんなに簡単にできてしまうか、どんなに効果があるか、それを知る経験だった。 Posted by: 玉井一匡 : March 26, 2006 01:35 AM
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