March 24, 2006

洋館に綱が:刑部人アトリエ


 西武新宿線中井駅の近くには、高台の足下を、地形をなぞるようにしてゆるやかな曲線を描く道が走っている。ぼくは毎日のようにここを自転車で走るのだが、今朝、通り過ぎてから気づいたことがあって自転車を止めた。林芙美子記念館をすぎて2軒目のいえの、大谷石の擁壁に切り込んだ階段の下に、黒と黄色で立ち入り禁止を伝える綱が張ってある。奥に見える玄関ポーチに木の円柱が一対立っているのに目を凝らすと、その柱は螺旋状のリブでおおわれ、ポーチの上のファサードは滑らかな曲線を描き銅の笠木の緑青に縁取られている。

いつかはこうなると思ってはいたが、とうとう始まるのだろうか。南向きの傾斜地に緑濃い大きな区画の住宅がならんでいたこのあたりは、山手通りに近い所から徐々にかわってゆく。よく変わってゆくならいいけれど、区画は小さく、緑は少なく、崩された大谷石の壁の代わりにコンクリートの壁とシャッターが並んで、すっかり排他的で味気ない表情になってゆく。

林芙美子の住んでいた家:林芙美子記念館というエントリーにも書いたことだったが、記念館と、坂をはさんだ隣家、そのつぎのこの家と3軒のならぶ斜面は、とても心地よい道をつくりだす。2軒の洋館は住宅だから、外から見て想像をふくらませるよりしかたないのだが、なかにどんな空間があるのかを考えずにはいられない、時間と記憶をゆたかにたくわえている。上記のエントリーで、林邸の隣人とおっしゃる方にお話をうかがったことを書いた。「母が亡くなって相続税が発生すると私の家も維持できないだろうし、新宿区も今では買い上げるだけの金がない」と言われた。その方が刑部さんとおっしゃったが、林邸の隣の家は画家の刑部人(おさかべじん)の家だったのだと、いのうえさんに教えていただいたことがある。今回、立ち入り禁止の綱の張られた家には、かつて絵画教室の小さな看板がかけられていた。もしかすると、ここは刑部さんの身内のかたの住まいだったのだろうか。・・・・・そう書いたら、すぐに井上さんからメールをいただいた。それによれば、この家がまさしく刑部人の家で、「日本の洋館」(藤森 照信 著、増田 彰久 写真、講談社刊)の表紙の写真はこの家なんだと教えていただいた。だとすると、ぼくが2軒の住宅だと思っていたのは、いずれも刑部邸だったというわけだ。
中井-落合-目白と続くこの一帯には、かつて堤康次郎がつくった落合文化村があったことを、あきれるほど克明かつ愛情を込めてChinchiko Papalogに書かれているが、そこには佐伯祐三中村彝などの画家が住んでいたことも、さまざまな角度から記されている。「文化村」という名称を僕はあまり好きではないけれど、文人画人が住んでつくられた緑ゆたかな新しいまちは、金を操作するだけで巨万の富を築いたひとびとがあたりを見下ろす塔よりは、比較にならないほどいいまちだ。六本木ヒルズの塔をつくり、古くからのコミュニティをこわしたのと同じ「市場原理」が、このまちをさらに踏みにじってゆくのだ。

一目見ておきたいとお思いの方は、今のうちに刑部邸を見にいらしてください。西武新宿線中井駅のすぐ北側、林芙美子記念館もすぐとなり、季節の花がいつもきれいです。

投稿者 玉井一匡 : March 24, 2006 02:52 PM | トラックバック
コメント
残念無念、落2中のバスケット部員だった諸氏、あの階段での夏の特訓を憶えているか? マドンナの尊顔を拝したい、ただそれだけで駆け上がりそして下がり・・・何回往復したことか! Posted by: 伊東クッキー権太 : May 18, 2006 11:17 AM
いのうえさん  リアルタイムのご報告コメントをありがとうございます。本気で槙さんが審査委員長をされたなら、期待しましょうか。写真撮影や実測などの記録もされたことでしょう。しかし、ものが住宅ですからこれまでも自由には見学のできない建物なので、こういう機会に公開して広く意識を浸透させるということもしてほしいですが、保存運動などが広く起きては動きにくくなるので、調査などはやる、しかし、そっと進めたいというのがつくる側の意識でしょう。税金の側からは旧所有者に、容積緩和などの「規制緩和」によって土地の価値と価格を上げることなどによって、よくいえば経済活動をうながすことで開発者に、さまざまな制度がそっと計画をすすめるように導いています。 とにかく、ぼくも行ってみます。 Posted by: 玉井一匡 : April 9, 2006 09:02 AM
玉井さん こんにちは。 本日も現地に行って見てきましたが、すでにスペイン風洋館に足場が組まれました。 タウンハウス販売会社の人によれば コンペは槙さんが審査委員長で行われたとの事。 緑を出きる限り残した低層住宅になるとの事です ・ ・ ・  Posted by: いのうえ : April 8, 2006 11:16 PM
鈴木さん  コメントありがとうございます。今後も、コメントやトラックバックを残してください。ネットワークを広げてゆくことが、すこしずつにでよ行動にも結びついてゆき力になるのだと思います。 Posted by: 玉井一匡 : April 4, 2006 05:59 PM
はじめまして。鈴木薫といいます。近代建築や古い町並みが好きなのですが、発見する片端から壊されてゆくのがいやで街歩きしなくなっていました。最近再開し(かけた)ところです。 ふだんは東京の東のほうを歩いていますが、いのうえさんのサイトで刑部邸が危ないことを知り、先日はじめて中井まで参りました。こちらの記事も拝見し、トラックバックさせていただきました。 Posted by: 鈴木 薫 : April 4, 2006 10:32 AM
吉川さん  コメントありがとうございます。何もかも区が買い上げるなんてことができるわけがないのは分かります。しかし、なんとかして、あの一帯の環境の良さを残すとか、あの家があそこにあったことを何らかの形で受け継ぐように指導するというようなことなら、できないことはないだろうにと思いますけれどね。もしかすると、それくらいのことはしてくれたのかもしれませんが。 候補がたくさんあって手が回りきらないのだとすれば、他のケースではどんな具合なのでしょう。「下落合みどりトラスト基金」は2億以上の基金を集めるという特筆すべき活動をしています。それも、今月末には樹木の伐採が始まるかもしれないと言われているそうです。 販売事務所ができたら、吉川さんはお客さん候補なんだから、とにかくいらして注文をお付けになるといいですね。ぼくも見に行ってみます。 これからもときどき、記念館によりますので、またお話をおきかせください。 Posted by: 玉井一匡 : March 27, 2006 09:53 PM
林芙美子邸のボランティアです。ショックな土曜となりました。東の方を向いて悄然と立っていらっしゃる玉井さんに声をかけたのがきっかけで、刑部邸がまもなく無くなると知りました。自分なりに動こうとはしていたのですが、まさか来週とは。芙美子邸を支える貴重な環境でしたので、そこをさらに何らかの方法で利用させてもらうことで、失われつつある歴史と文化伝承の牽引役となることや相乗効果を強調するつもりでした。でもそれは皆さんがすでに打診されていたのですね。 あのあと、区の学芸員とその話をしました。区には考えなければいけないたくさんの候補があり手が回らない、なぜかここは運動が起きなかったとのことでした。 玉井さんのおっしゃるように刑部家が何らかの形でその心を残してくださるとうれしいですね。自分達で新しいマンションの一角を入手するというアイデアがひらめきましたが、億ションでは無理そう・・・ Posted by: ヨシカワ : March 27, 2006 08:59 PM
今日、天気がよかったので、林芙美子記念館に行った。四季折々に花の美しいところなので、春の花を見たいと思い、刑部人アトリエをここから見て置こうとも思ったからだった。「なにか質問があればご説明します」と言ってくださる人がいる。昨年から、ボランティアが説明をしてくれるようになっているのだ。その人と、もっぱら、となりの刑部アトリエについて話をしていると、見なれた人がいる。いのうえさんだった。このブログを読んで、刑部アトリエの見納めに来たのだと言われる。受付の人に聞いたところでは来週に解体されて、あとには低層のマンションができるのだという。孟宗竹を透かしてみる刑部邸の門柱に表札のあったあとは、長方形の彫り込みだけが残されている。  表の道路に回ってみると、庭に人がふたり。「このお宅の方ですか?」といのうえさんがたずねると、そうだと言われるので、表だけ見せていただいた。林邸の庭と同じニリンソウやフッキソウが高木の足元に広がっている。きっと、あの花たちはここから移されたんだろう。玄関ポーチの捻りんぼうの柱も庭の植物も、みーんなブルドーザーに踏みつぶされるのだろうか。部分だけでも、どうか再利用してやってほしい。そういえば、林芙美子記念館で話を聞かせてくださった刑部さんは建築家だと言われた。あたらしい建物はご自身で設計なさることを、密かに期待しよう。 Posted by: 玉井一匡 : March 26, 2006 12:06 AM
いのうえさん  メールをありがとうございました。「日本の洋館」の写真を追加し、表記に手を加えました。おっしゃる通り、このいえがあってこそ林芙美子邸そのものも、間にある四の坂もこの前を走る道も、したがってこのあたりもまちもいいのですよね。そして、まちがよければ逆にまた、そこにあるいえがそのまちによってよくなる。そういう相乗効果があるはずです。 新宿区、だけの問題ではないでしょうが、行政の立場にある人たちは地図だけ、それどころか統計的な数字だけしか価値判断の材料にできない。ひとりひとりの資質の前にそういう仕組みになっているのでしょうね。おそらく、公平という名目のもとに。しかし、こういう環境をよくしている社会的な「資産」を経済的な資産としてだけ扱っているうちに環境が悪化してしまい、まちの経済的な資産価値を低下させるだろうと、経済にうといぼくさえ思います。 Posted by: 玉井一匡 : March 25, 2006 07:12 AM
玉井さん こんにちは。 この愛すべき住居が取り壊されてしまうのは なんともですね。 この建物があってこそ 林芙美子記念館が生きてくるのだと思っていましたので。 吉村順三記念ギャラリーのあった通りも今や住宅街の一戸建てが方々で取り壊され、けばけばしいネオンが夜通しついている駐車場になってしまって来ています.。 それは町並みを破壊しつつ限りなく増殖して行く「癌」のようです。 Posted by: いのうえ : March 25, 2006 04:00 AM
Chinchiko Papa  新宿区の論理は全く同意できないけれど、彼らがどういう理由でそんな回答をするのかは想像がつきますね。 ひとつは「さまざまな場所に公平に」しようというのでしょう。何が大切なものかを判断できるひとがいないから、そういう基準にすがるしかないのでしょう。あらゆる分野で同じ課題を抱えていますね。 ぼくたちなら、同じ理由から逆の結論を出すでしょう。となりに林芙美子記念館がある、近くに佐伯祐三や中村彝のアトリエがある。それらが結ばれたら何倍も価値が高まるよと。 もうひとつ、必要のないものでも作ることには金を投じながら、大切なものを残したり利用しやすくするためには、金と手間を惜しむ姿勢は一貫しています。経済波及効果を第一に考えるからでしょう。 Posted by: 玉井一匡 : March 25, 2006 01:03 AM
刑部人アトリエ保存の動きが、先々週よりわたしの元へも伝えられているのですが、今朝入ってきた情報ですと、新宿区は「記録調査」をしたあとは解体すると言っているようです。 ブログのコメントにも書いたのですが、「トラスト基金」と「中村彝アトリエ」で、わたしは手いっぱいの状態ですので、身動きがとれないのがもどかしいです。どちらかの手が空いたら、ちょっとアプローチしてみようか・・・と、考え始めていた矢先でした。 最初に、保存のお話を新宿区へ打診した方のお話によれば、「隣りに林芙美子記念館があるのでムリです」と言われたとか。70年代、中村彝のアトリエ保存を区へ打診された方が、「近くに老人施設のことぶき館があるからムリです」と、わけのわからない説明をされたのと、まったく同レベルの意識ですね。さすが、文化事業後進区の新宿区的な対応でした。 もう少し時間があれば、わたしもクビを突っ込みたいのですが・・・。 Posted by: Chichiko Papa : March 24, 2006 09:15 PM
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