June 20, 2006

タチアオイとF.L.ライト

Click to PopuP
 ぼくが子供の頃には、タチアオイはあちらこちらの空き地や庭先に咲いているありふれた花だったが、地面に近い下の方の葉っぱが黄色くなりはじめてもいつまでも落ちずについていたり、なぜかハエが葉っぱにやってくるので、ぼくには、ちょっときたない植物のように思われたのだが、じつはおいしい植物だったということなのかもしれない。同じように感じた人が多かったのだろうか、いつの頃からかあまり目にすることがなくなった。
 世の中にハエというものが少なくなったせいなのか、そのタチアオイが咲いているのを道すがら見ることがこのごろは多くなったように思う。いつも通る道の、中央分離帯にタチアオイが咲いているところがある。お役所仕事で部分的にタチアオイを植えているのは見たことがないし、整然とうえてあるわけではないから、近くの住人が勝手に植えたものだろう。そういうことを想像すると、ぼくはちょっと楽しくなる。
「目白・下落合歴史的建物のある散歩道」を見ていたら、目白駅から明日館にむかう道がライトの小径という、ちょっと気恥ずかしい名前をつけられていたので、ライトがタチアオイを好きだったことを思い出した。

  ライトは、古くからパースの前景にタチアオイを描いている。(左図は1901年)彼が植物としてあるいは花としてタチアオイが好きだったからというよりも、水平に伸びる住宅の多いライトのパースには、垂直に立ち上がるタチアオイの対比的な姿は建築をひきたてるからだったのではないか。つまり、タチアオイの姿が好きだったのだろう。ライトがデザインした、縦軸の周囲に小さなあかりが灯る照明器具は、いまでもペンダントやスタンドとして商品化されているが、これはタチアオイの姿をデザインソースにしたものにちがいない。

Barnsdall House(1917~21)ではクライアントのアリーン・バーンズドール夫人が好んだタチアオイ(Hollyhock)をさまざまに幾何学的デザインをほどこして外壁にも柱にも繰り返して装飾として使っているのでHollyhock Houseとも呼ばれた。ライトの住宅集の表紙に、その写真が使われている。(フランク・ロイド・ライト住宅集/A.D.A. EDITA Tokyo)
アリーンは、数年間この家に住んだあと、映画関係者に利用してもらうよう、ロサンジェルズ市に寄付したという。こんな大きな家をつくるのだからずいぶん金持ちなんだと思うが、それをポンと寄付してしまったのだから、もっと金持ちだったのだ。
 
 1932年、当時、MOMAのキュレーターだったフィリップ・ジョンソンが企画して開いたインターナショナルスタイル展への参加を、ライトは拒否したことがある。場所に固有の条件を生かした建築をつくるべきだと考えていたからだ。この家では南アメリカの先住民であるインカのデザインを継承して壁などにタチアオイをつかったレリーフをほどこした。そうやって古来の文化への尊敬を示すことは、当時の白人としては、精一杯のフェアな態度だったろう。
インディアンをだましたり殺したりしたおかげで白人が国土を手に入れたのだという共通認識が、今でさえできているとは思えないのだから。
 ところで、ライトとは何の関係もないことだが、JリーグJ2水戸のチームの愛称をホーリーホックとしたのは、水戸黄門の印籠の印、徳川家の家紋である三葵にちなんだものだろう。

投稿者 玉井一匡 : June 20, 2006 09:40 PM | トラックバック
コメント

neonさん このごろ、タチアオイは少し増えているようです。ぼくの通勤ルートにも3カ所で咲いています。でも、道ばたや空き地ににさいているものが多く、猫でいえば野良猫という感じかな。
ライトの建築は、さまざまなスタイルを持っていますが、総じて水平に広がっているものが多いことは知られています。内部空間も、天井が低く水平方向に連続するものが多いので、その中に置かれる照明器具は、むしろ縦に長く、軽快なものをデザインしているのでしょう。帝国ホテルの天井も、低いところでは2.1mくらいでした。自由学園明日館も天井が低く、それが親密な空間をつくっています。だからこそ、吹き抜けが効果的ですね。

Posted by: 玉井一匡 : June 21, 2006 05:03 PM

知りませんでした、タチアオイとライトの関係。。とても興味深いです。でもあまり見かけなくなった花ですね。新潟(高田)に暮らしたとき、この季節になるといっせいに色とりどりのタチアオイが咲き出したのを思い出します。

Posted by: neon : June 21, 2006 09:10 AM
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?