August 24, 2006

ハノイ・タクシー ドライバー

 ラオスへの行きがけにトランジットで寄ったハノイ空港は夕方で閑散としていたから、鉄板のベンチがなかなかかっこよくて気に入ったので、それを根拠地にしてあちらこちらの写真を撮ったりして2時間ほどのヒマをつぶした。
 4日後の帰りがけのハノイでは一泊するので空港を出ると、客を求めて数人のタクシー運転手が出口に待ち構えている。タクシー乗り場まで行ってからにしようとぼくたちは決めていたので乗り場に行くと、整理係のような男が「オーイ」と運転手を呼んだ。やって来たのは、なんのことはない、さきほどやり過ごしたうちの一人だ。がっちりした体格に髪を短く刈った体育会系の風貌である。
荷物をトランクに入れて座席に腰を下ろし行き先のホテルの名をつげるやいなや動き出す。
「ピピ、ピピ、ピピ」  車寄せで前に並ぶタクシーを一台追いやった。たて続けのクラクションだ。
しばらくの間は自動車専用道路を、片側2車線の左側、分離帯よりの車線をひた走った。前方にクルマをみつけると「ピピ、ピピ、ピピ」 猛然と追撃して襲いかかる。可能な限り車間距離をつめると「ピピ、ピピ、ピピ」 とクラクションを鳴らすから、草食動物のようなおとなしい車であればすぐに右に寄せて進路をゆずる。

 前方に空間があくと、またしても前の車まで猛然と車間をつめる。もちろん「ピピ、ピピ、ピピ」である。
もちろん、そんな脅しに屈しないやつがいる。つぎの手は、「カチ、カチ、カチ、・・・・・」 左向きにウィンカーを点滅させつつさらに車間を詰め、「ピピ、ピピ、ピピ」。それでもがんばるやつには、次の段階のメッセージ。
ヘッドライトを上下させる。
ここまでやっても、中にはしばらくがんばるやつもいる。
前のクルマの左側に、無理矢理入り込もうとするけれど、隙間が足りない。
「こんなやつには、ぼくだったら意地でも絶対に道をあけないですよ」・・・・と、堂々と日本語でしゃべれるのが便利だ。
すると、さらに車間距離を詰めヘッドライトを上げ、ウィンカーを出したまま「ピピ、ピピ、ピピ」 「ピピ、ピピ、ピピ」
とうとう根負けして、獲物は右によけた。前のクルマが右によけることができるなら、右車線が空いているわけだ。自分が右車線に進路を変えて追い越せば何のことはないのに、とにかく前のクルマをどけようとする。
「なんてやつだ。もしも一人だけだったらちょっとこわいですね。でも、ぼくが運転してる時に、こんなやつが来たら後ろにまわってやってヘッドランプを上げて付いて行きますよ」
「うむ」と、黒岩さんはおだやかなものだ。
そんなふうにして2,30分走り続けた。
やがて橋をわたったので、地図を思い浮かべながら、おおかたの方向は合っているようだとささやかな安堵にひたる。と、思ううちに道は急カーフを繰り返して、どっちに向かっているのか分からなくなった。不安をかかえながら走るうちに、川を左手に見て走るようになった。これでいい。
やがて、なんと、タクシードラーバーが口をきいた。英語だ。

 「バイクがやたらに沢山いるから、いつも ピピ、ピピってやらなきゃならないんだ」 
「バイクだけじゃないじゃないか。クルマでも何でもみんなピピ、ピピ、ピピだろ」と、すこし安心したぼくは、冗談のようにして本音を言う。モヒカン刈りでもないし銃を持っているわけでもなさそうだ。
「YES!」と得意そうに言う。
ピピ、ピピ、ピピ    またしばらく、同じように爆走する。
「オールドタウンだよ」
「オールドタウンか」とオーム返しに返事をする。
ピピピ、ピピピ    ピピピ、ピピピ
「これがメトロポールだね」 「建築のハノイ」にもFigaro Japonで見覚えのある、ここで最上級ホテルの前まで来たのでほっとして僕の方から話しかけた。
「もうすぐだよ」

目指すホアビンホテルに着くと、トランクから出した荷物を、彼はベルボーイに渡した。
そして、こちらに近づいて来ると、なんと右手を差し出す。
握手を求めているのだ。固い握手。
「荒っぽいけど、いいやつだったのかな」
走ったのは40分ほどの間だが、前にいるクルマはことごとく隣りの車線に追い払った。
つねにクラクションを鳴らし続け、ウィンカーを点滅させ、ヘッドライトを上げっぱなしだった。
にもかかわらず、終わってみれば、すこぶる面白かった。もしかすると、これは外国人のためのサービスのつもりだったのかもしれない。翌日、まちを歩いていても、たしかにバイクの洪水とクラクションがあたりを満たしていた。しかし、ひとりでこんなにクラクションを鳴らし続ける攻撃的なやつは一人もいなかった。じつは、ぼくたちは運が良かったのかもしれない。・・・・・・・おっと、写真を忘れていた。慌ててシャッターを切った。(車体の横に書かれていた数字は、握手に免じてPhotoshopをつかって消しました)

 あとになって、ここは沢木耕太郎のベトナム旅行記「一号線を北上せよ<ヴェトナム街道編>」で彼の泊まったホテルであることを知った。小ぶりで、なかなか雰囲気のいいところだった。

投稿者 玉井一匡 : August 24, 2006 08:30 PM
コメント

わきたさん アオザイやベトナムそのもののありようと受け取られ方を考えていると、ものごとのは、さまざまなレイアが重なって構成されているようなものではないかと思われてきます。そして、下にあるレイアも透けて見える。ときには、下のものがまったく見えなくなったり、その重なり方がすこしずつ変化するのだと。
アオザイは古めかしいとされるレイアが、いまは一番上に現れているし、日本という文化の中では、ベトナムは楽しくて物価が安い国だというレイアが一番上に重ねられている。だから、その下に透けるように他のレイアがたくさんあるのは分かっているのに、下にあるものは意識されにくい。
アオザイはカッコいいぞというレイアが一番上に浮かぶ時が、またきっとくるだろうとぼくは思います。ベトナムといえばベトナム戦争のあった場所だとされるレイアのことが、ぼくには忘れられない。けれども今の時代のレイアの重なり方のなかに置かれ、ハノイに生きる人たちを見たり、たがいに不自由なことばをかわすことで、ずいぶん受け取り方が変わりました。ひとつには、現在のような活気にみちた、表情豊かなベトナムがあるのを、戦争が壊していたのだということです。かつてのぼくたちのベトナム観には、圧倒的な力と戦い続ける無表情なけれども粘り強い人々の国というレイアが一番上にあって他のレイアはほとんど見ることができなかった。時代のつくりだすレイア構成から僕たちは決して自由ではありえないけれど、それは変わってゆくものであるし、変えてゆくことができるのだと思いました。

Posted by: 玉井一匡 : August 27, 2006 07:46 AM

玉井さん、そうですか~、アオザイはそんな感じなんですか。なんだか、もったいないですね~・・・と思うのは、外国人だからかな。そういえば、新聞の読み方が悪いのでしょうが、ヴェトナムの話題を、あまり目にしなくなりました。目にするのは、女性雑誌、旅行雑誌だけですね。

Posted by: わきた・けんいち : August 26, 2006 10:23 AM

わきたさん 体育会系らしく、彼の運転は戦いだったようで、さいごの握手は、試合終了後の相手を讃え合う握手のようでした。バイクの大河をわたるアオザイ観音は見られませんでした。アオザイは、ホテル、レストラン、空港などでしか見られない服装になっているようで、とてももったいない気がしました。しかしバイクの流れをわたる時は、地元の人が渡る下流をいっしょにわたるようにして、おおよそのコツがわかりましたが、ゆっくりわたっていれば、向こうがよけてくれる。小人数で渡る「みんなで渡らなければ恐くない」が原則のようですね。
上手にわたるひと、うまく人をかわすバイクの流れを見ていると、人とバイクが一体のみごとな動きでした。

Posted by: 玉井一匡 : August 25, 2006 02:36 PM

なんだか、“当たり!”のドライバーさんでしたね。このクラクション、一昔前の中国がそうでした。今でも、田舎のほうにいくと、こんな感じかもしれませんね。都会でも運転やマナーが荒っぽいことにはかわりありませんけど。日本にいると、運転していても、ほとんどクラクションなんて鳴らさないですものね。それに、じつに秩序だって走っているようにも思います。まあ、それが良いことなのやら・・・ってとこはありますけど。ある人がこんな話しをしてくれました。その彼も、別の人から聞いた話しだそうです。ヴェトナムで車やバイクがビュンビュン行きかう大通りを、むこうからアオザイを着た美しい女性が、なにごともなく、スーッと渡ってきたというんですね。まるで荒波のなかを静かに進む観音様のようだったといいます。あっ、話しが脱線しましたか。

Posted by: わきた・けんいち : August 25, 2006 02:11 PM
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