February 10, 2007

「さくらんぼのしっぽ」

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「さくらんぼのしっぽ」/村松 マリ・エマニュエル著/柏書房
 ある文化の中にいるとあたりまえのことが、じつは、外の人間から見ればもっとも興味深いことなのだということは少なくないけれど、何がそれなのかということは、両方の文化を知りものごとを見抜く力のある人でなければ、なかなか気づかない。著者は長年にわたって日本で生活をおくっている。だから、フランスではあたりまえだが日本にとっては当たり前でないことをよく理解し、そのうえでフランスの家庭のお菓子つくりが書かれている。距離と時間を意識した広く透徹する視野があるのだ。 
「さくらんぼのしっぽ」とは、さくらんぼの実のヘタのことだろうとは想像がつくのだが、なぜそれをこの本のタイトルにしたのかは、すぐにはわからない。さくらんぼのしっぽのようにありふれたもの些細なものの背後に、じつはたくさんのことがあるということなのだ、きっと。一見すれば小さなことの中に、家族という身近な歴史の背後に、ゆたかな文化と歴史が織りなされているのだということを、行事やお菓子やという具体的な生活の断片を通じてぼくたちに見せてくれる。

 ケーキをつくるときは、厳密にレシピの通りにやらなきゃならないと、ケーキをつくる人はよく言う。ぼくは料理はするけれどケーキをつくることはしないので、そういうものかと思っていたのだが、この本によればフランスの家庭ではそんな厳密につくりはしないようだ。計量の大さじと小さじでなくスープのスプーンとティースプーンを、計量カップでなくグラスをつかい、強力粉と薄力粉の区別をせず粉をふるいにかけることもしない。バターでなくマーガリンをつかうことが多いという。
「ケーキづくり」をするのではなく、食べて楽しむためにケーキをつくるというわけだ。そうだよなって同感する。ときどきケーキを作ってストレスを発散する、うちの娘に見せたら、レシピの説明が短くて気楽にお菓子をつくろうという気になるよ、たいていは説明が長くてうんざりするけど、こんな本はないとよろこんだ。これまで彼女は、「こどもがつくるたのしいお菓子」という、子供のためのお菓子作りの本を愛用してきた。
 さくらんぼのエピソードはパリコミューンにさかのぼり、ドイツとフランスによるアルザス・ロレーヌの取り合いのおかげで生まれたロマンスがエマニュエルさんをこの世に存在させたこと、エマニュエルさんの叔父上のおかげでコルビュジェがロンシャンの教会を設計することになるいきさつ、etc. そうした家族の歴史と世界の歴史の重なりが楽しいのだ。

 この本は著者が15歳の頃から書きためた料理ノートをもとにしているのだという。(上の写真をクリックすると、そのくだりの書かれたページが開きます)また、この本をつくるときから描くようになったのだという魅力的なイラストも著者の手で描かれた。フランスで知り合った日本人と来日して結婚。日本に住んで15年というときにこの本が書かれ、それからさらに10年ほどが経っている。フランスの家庭でつくられるお菓子の本とされているけれど、そんな枠を軽々と飛び出してしまう。お菓子のつくりかたを書きながら、じつはフランスそのものが書かれている。そして、ぼくたちは、同時にそこから日本を読み取るから、文化の翻訳をした本でもある。なにしろ、フランスで知り合って、のちに結婚した日本人とは翻訳家・村松潔さんなのだ。以前に「HOW BUILDINGS LEARNという本」というエントリーで村松さんのことを書いたことがある。村松さんご家族は、AKiさんの設計されたOMフォルクスハウスにお住みになって約10年。家が生まれたころに、この本もつくられたわけだ。昨年末に出版された村松さん翻訳の「ヒストリー・オブ・ラヴ」という小説は複雑な構成にして、とても美しい物語だ。

■AKiさんが、さっそく、この本と村松さんの家のことをエントリーされた。
aki's STOCKTAKING:さくらんぼのしっぽ

■追記 いま、村松 マリ・エマニュエルさんは、全日空の機内誌「翼の王国」に、「vous aimez les madeleines? マドレーヌはお好き? 」というエッセイとイラストを連載していらっしゃいます。

投稿者 玉井一匡 : February 10, 2007 06:10 PM
コメント

Gatta Italianaさん
コメントありがとうございます。こんども、「ヒストリー・オブ・ラブ」でご縁があったんですね。つい先日も、村松さんの翻訳なさった「ディヴィザデロ通り」という小説のことをエントリーしました。
やはり悲しいけれど美しい物語でした。

ところで、あなたのいらっしゃるイタリアにも、楽しい料理の本はたくさんあるのでしょうね。いや、それより、うつくしいまちにおいしい料理そのものがたくさんあるんだから、あー羨ましい。
すぐにイタリアには行けないけれど、まずは、そちらのブログにおじゃまします。

Posted by: 玉井一匡 : June 19, 2009 01:49 AM

またKai-Waiさんがらみになりますが、とてもいいなぁと思いましたら、
去年、『ヒストリー・オブ・ラヴ』を読みましたので、
あの訳者がご主人~~~と、さらに深く納得するような。
何代にも続くものを継承しているというのはヨーロッパらしいことですね。
日本もそうですが、それが何でもなく行われているのがすばらしいですね。

Posted by: Gatta Italiana : June 15, 2009 05:14 PM

上運天さん
息子さんが4人とは、かつては食卓がさぞかし賑やかだったことでしょう。それがイタリア料理のシェフ2人として結実したわけで、楽しみですね。
プロとして彼らにママパティシエが張り合おうという心意気が、エマニュエルさんの本のお蔭なんだとしたら、すてきなことです。
どういう物語に発展してゆくのか、楽しみです。店ができたら教えてください。

Posted by: 玉井一匡 : June 17, 2008 12:07 PM

 玉井様

沖縄で”かみうんてん”ですが主人のおじいさんが沖縄から日本に来た時”じょううんてん”にしました。私息子が4人いて二人が料理人。イタリヤ料理を勉強した息子とペンションを考えたこともありました。"さくらんぼのしっぽ”をよんで聡明な彼女のお菓子を学び新たに息子が店を開いたら菓子を担当したいと思いました。この本親せきの女性に配ります。
図書館にも購入してもらいます!

Posted by: 上運天  睦子 : June 17, 2008 08:11 AM

上運天さん
何とお読みするのだろうかと、インターネットで調べてみたら、「かみうんてん」さんなのですね。
お菓子が、とても気楽に作れそうに書かれている本ですから、お孫さんが大きくなる前になんておっしゃらなくても、すぐにでもご自分のために作れちゃいますよ、きっと。

Posted by: 玉井一匡 : June 9, 2008 06:44 PM

 ”さくらんぼのしっぽ"是非読んでフランスのお菓子をマスターしたくなりました。孫が大きくなるまでにいくつか作れたらうれしい。

私は 村松さんとは幼馴染だった。

Posted by: 上運天  睦子 : June 9, 2008 01:40 PM

iGaさん 日本のお菓子は、穀類の他には大部分が豆を材料にしていながら、あれだけの種類と美しさをつくり出しているのは大したものだなと、よく思います。豆を甘くして食べるなんて考えられないという外国人がいましたが、彼らにすればそうかもしれませんね。

Posted by: 玉井一匡 : March 6, 2007 09:05 PM

僕はこの間、お汁粉を作りました。夏なら冷やして小豆白玉にします。日本のオヤツも捨てたもんじゃないです。

Posted by: iGa : March 6, 2007 06:30 PM

fuRuさん いい本が広がってゆくのはうれしいですね。ぼくも、料理をするときにレシピを見ることは滅多にしないので、お菓子はつくれないと信じていました。Macを使う時にマニュアルをほとんど読んだことがないのと同じかもしれません。
しかし、この本を読むと、お菓子でも、そうとう大雑把につくっていいんだよって言ってくれるようで、少しやろうかと思い始めました。
そういえば、親があっても子は育つという説もありますね。

Posted by: 玉井一匡 : March 6, 2007 02:27 PM

この本をAKiさんと玉井さんのこの記事で知り購入。
うちの娘はまだ小さいですが、お菓子を作ることには大きく興味を持っています。今はまだ読めませんが近い将来のためにも良いかな、と思っていましたら、わが家の奥さんがこの本を見て、良い本だねと評価はしてくれたのですが「世の中にはお菓子が作れる人と作れない人がいる。私は作れない方なんだよね。」と複雑そうな表情を浮かべていました。まあ、親はなくとも子は育つといいますから、もう少し大きくなったら娘もきっとこの本を手に取ってくれることでしょう。

Posted by: fuRu : March 6, 2007 09:43 AM

エマニュエルさん コメントありがとうございます。しかも、「ブログというもの」を初めてお読みになったのがこれだとは光栄です。とても楽しくて、そのうえ密度の高い本でした。料理をすること食べることがほんとうに好きな方が、この本の良さを分かってくださるようです。
 先日は、ご自宅をこころよく見学させてくださりありがとうございました。じつはあの日、さっそくお礼のメールをお送りしたところ戻ってきてしまったのでした。ここでお礼の書き直しをさせていただきます。

Posted by: 玉井一匡 : February 18, 2007 07:05 PM

玉井さん、ありがとう。さくらんぼのしっぽが気に入られてとても嬉しいです。ブログで紹介してくれてありがとうございます。ブログというものを見るのは初めてでした。みんなのコメントがとても嬉しかったです。

Posted by: Marie-Emmanuelle Muramatsu : February 18, 2007 05:10 PM

iGaさん この本によれば、フランスでは男の人も料理をするのは普通だけれど、デザートまでつくることも多いのだと書いてありました。蕎麦のクレープのはなしもありました。
ぼくは、キッチンにいても心はテーブルに向かっているので、デザートまでつくる我慢はないかもしれないな。

Posted by: 玉井一匡 : February 12, 2007 05:53 PM

kadoorie-aveさん そうだったんですか。
つくることに対する感じが、kadoorie-aveさんに似ているような気がしたから、教えてあげたいなと思っていたのです。
そんな風に愛用していらっしゃる方があると知ったら、エマニュエルさんはうれしいでしょう。
バスクというと、スペインの「戦う地域」かという思い込みがぼくにはありました。フランスにもまたがっていて、お菓子がおいしいなんていうところなんですね。
ところで、昨日、「李香蘭」見ました。
ちょうど川俣しのぶさんが登場するあたりから見ましたが、できがよくて、もっと早く見ればよかったと思いました。

Posted by: 玉井一匡 : February 12, 2007 05:40 PM

玉井さん、僕はパンケーキの類いなら作ります。
子供の頃、クッキングカードに出ていたホットケーキのレシピを見てベーキングパウダーとバニラエッセンスを買いに行ったけれど、山里のよろずやにはそんなハイカラなものはなく、ふくらし粉で代用、悪戦苦闘、何度も失敗して「お焼き」でなく、ホットケーキらしくなりました。最近は滅多に作らないけれど、作るときは、専ら蕎麦粉のパンケーキです。

Posted by: iGa : February 12, 2007 05:15 PM

追伸:もし玉井さんのお菓子作り熱が平熱より上がってくるようなことありましたら、こちらのサイトもおもしろいです。
フランス人と結婚してバスク地方に住むマテスク里佐さんというかたが書いているものです。私は、ちょっと甘いものが欲しい時に眺めたりします。
→「バスクの砂糖壷」http://blog.cafeglobe.com/basque/

Posted by: kadoorie-ave : February 12, 2007 02:54 PM

ぅわあ♪♪玉井さんのところにあの本が載ってる!
今でこそかなりの頻度で中華を作っている私ですが、元々はフランスの家庭料理やお菓子に魅了されて今でも、本棚一つ分はそんな本でぎっしりです。
「さくらんぼのしっぽ」が出版されたばかりの頃は、ノルマンディー出身の友だちが近所にいて、故郷(というかフランス)を懐かしむのでなおのこと熱心に作っていたような気がします。一緒にお菓子を作ったり、作ってあげたり。沢山フランスの話を聞きました。
作り方に無理がなくて、季節ごとの幸せを感じられるこの本も、隅から隅まで作ったものです。いくつか一年の中で必ず作るようになったものもあります。もうボロボロになってしました。イラストも大好きです。

Posted by: kadoorie-ave : February 12, 2007 01:56 PM

AKiさん 先日、村松さんのお宅を見学させていただいたときに、この本をいただいたのでした。うちのカミさんもこの本を読んだあと、ちょうど友人の娘さんが結婚するのでこの本を贈りました。両親の家に送ったところ「娘に渡す前に、まず私が読みました。楽しい本でした」というハガキが、数日後に返ってきました。
できてから10年を経て、村松さんの家は、ますますいい家になっていました。家が、工事の終わった時点で完成したのではなく、住み手の住まい方によって育ちつづけてて来たからなのでしょう。それはおそらく、エマニュエルさんが料理を自然に身に付けていったように、生活のしかたを受け継いでいらしたからなのだろうということも、この本を読んでわかったことでした。

Posted by: 玉井一匡 : February 11, 2007 07:53 AM

iGaさん そうなんでしょうね。フランスでは、(すくなくともこの本が書かれた時点では)素人のための料理学校というものがないのだそうです。だから、ひとつひとつの料理が、それぞれいろいろなひとから教わった記憶と連動しているというわけで、いいなと感じました。ぼくは料理はつくるけれどお菓子つくりは面倒くさそうで、やったことはないのですが、この本のおかげで興味が出ました。とても楽しい本です。

Posted by: 玉井一匡 : February 11, 2007 07:28 AM

やぁ、すっかり忘れておりました。十年前に初めてお会いした時にこの本をいただいたのでした。
玉井さんに先を越されてしまいましたが、私もエントリーいたしましょう。

Posted by: AKi : February 11, 2007 03:40 AM

楽しそうな本ですね。そういえばLANDshipのパーティでエマニュエルさんが作ってきたキッシュを御馳走になったことがありました。そうか、あのキッシュもこの挿し絵の誰かから教わったフランスのお袋の味だったのだ。

Posted by: iGa : February 11, 2007 01:34 AM
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