March 03, 2007

大石芳野写真展「眼差しの向こうにあるもの」

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いつまでも考え続けずにいられなくさせる写真展が、2月27日から3月4日まで、銀座のシンワアートミュージアムで開かれている。「眼差しの向こうにあるもの」〜アジアの子どもたちと戦争・平和・未来〜大石芳野写真展(エファジャパン主催)である。
 またしてもエントリーが遅れてしまったが、2日目の2月28日に開かれた大石芳野さんイーデス・ハンソンさんとの対談を聞きに行った。
 展示されている写真は、ヴェトナム、カンボジア、ラオス、アフガニスタン、コソボの子供たちが大部分を占める。これらどの地域でもどの戦争でも、平和を守るためといってアメリカがやってきて事態を悪化させ、そこに住み続けて来たひとびと、まち、自然、コミュニティを傷つけ破壊した。しかし、この写真たちは、けっしてそういう大状況をじかに写しはしない。ただ、子供たち女たちを写しながら、むしろ戦争を深く物語っている。

 写真とは、事実そのものの代わりに事実の痕跡を印画紙の上に残すものだ。このこどもたちの上に、中に、あるいは背後には、さながら彼らが印画紙や感光素子であるかのように、戦争の痕跡が焼き付けられている。従軍して撮った戦争写真とはちがって戦闘や兵士が写されているわけではなく、それに巻き込まれたものたちばかりだ。それだけになおさら見るものにつらい思いが残されて、戦争とは何なのかをぼくたちの心にじかに刻み込むのだ。
 けれども子供たちは、ぼくたちをつらさのままにとり残しはしない。はたから見れば耐えがたいほどの悲惨のなかにあっても、決してこのままでは終わらないよと、彼らの表情がつたえるからだ。 いうまでもなくそれは、大石さんの写真が、こどもたちのにじませる小さな輝きをしっかりと受けとめ捕らえているということだ。男だから女だからということは、ぼくはあまり言いたくないけれど、女でありながら、わざわざつらく危険な世界にやってきた人だからこそ、子供たちが見せてくれた表情があるにちがいない。

 子供というものは、どこにいてもどんな状況にあっても、希望をもつことができるという能力があると大石さんは語り、イーデス・ハンソンさんは想像力というものがとても大事だと言った。
人間の持つべき、もっとも大切な能力は、いますでにあるものの中に価値をみつけることではないか。荒んだと思われる状況のなかに、他者の中に、滅びようとしているものの中に、ありふれたものの中に、かすかであれ美しい輝きを放つものを見つけて、想像力でそれに磨きをかけて育てる能力だ。「満州走馬灯」に生きる子供たちにもそのことを実感したけれど、こどもたちはどんなにつらい環境の中にあってもわずかな希望の光を感知し、それがどんな可能性を秘めているかを想像する能力を与えられているにちがいない。だからこどもたちは、そしてあらゆる生き物は、みずからを環境に適応させることができ、それをさらに乗りこえるしたたかさを自然に発揮することができるのだろう。
 われわれおとなたちは、そういう子供たちをみて、まだ世界は捨てたものじゃないと勇気づけられる。自分自身の子供であろうとなかろうと変わりなく、おとなが子供を守ったり育てると同時に、おとなが子供たちに勇気づけられ育てられるのだ。
 こどもたちが大切な存在であるのは、生産力や労働力のためではなく、生きる力をもっているからなのだ。ただ統計の数量を増やそうと姑息な操作をして子供の数をふやし、教育の管理を強めることで、どんな子供が育つというのだろう。そこから生きる力をもつこどもたちが育つはずはないだろうに。

投稿者 玉井一匡 : March 3, 2007 03:30 AM
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