September 16, 2007

世界屠畜紀行

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世界屠畜紀行  内澤旬子/解放出版/2200円
家畜の解体と加工にかかわるひとたちが、どうして差別されなければならないんだという義憤、動物の解体はどのようになされるのかという好奇心。そのふたつが、著者にしてイラストレーターであるこのひとをつき動かして世界の屠畜の現場を回らせた。内澤旬子は、「印刷に恋して」「本に恋して」のイラストを描いている。出版社や印刷会社の多い神楽坂の本屋には、かつてこの二冊が平積みされていた。このひと、じつは革を使って装丁もするそうで、本から装丁、装丁から革へとつながってこの本のテーマにたどりついたというわけだ。ぼくは、イラストレーターとしてしか知らなかったから、masaさんにこの本のことをきくと、読みたくて仕方なくなった。さっそく近くの大きな本屋を2軒まわったが見つからずamazonに注文した。

 芝浦、沖縄、韓国、エジプト、モンゴル、チェコ、インド、アメリカなどを巡って、規模の大きいあたらしい屠畜場から個人の家での昔ながらの屠畜と解体にいたるまで、食用にする動物の解体を観察し話をきく。ときに作業の一部をやらせてもらう。そのときに、どこでもかならず質問することがある。「家畜を解体する人が差別を受けることがあるか」ということだ。差別は日本がもっとも強く、儒教の国韓国や、カーストの国インドでもある。しかし、その他の国では差別されることはあまりないようだ。
豚、牛、羊は言うに及ばす駱駝などのめずらしい動物を食べるときの解体の方法が、具体的なイラストとともに書かれている。写真では正視できないだろうが、描写がことこまかで具体的であるにもかかわらず、イラストであることで、かわいそうな気持ちはずっとやわらげられる。とはいえ、つらいことには変わりがないけれど、うまいといって食べるからには、生物の命を奪って、そのおかげでぼくたちは生きているのだということを、せめて自覚していたい。

 この本を読んで、屠畜がどのようになされるのかをぼくは初めてくわしく知ったのだが、それだけではない。動物の、ひいては人間の身体のしくみについて、とても明快に理解できるようになった。人間は、食べ物を口から入れて肛門から出すチューブのようなものだという言いかたをされることがよくある。三木成夫の本にも、そんなことが書かれていたと思うが、それが実感としてわかるのだ。
 肉を汚さずうまくたべられるようにするために大切なことがふたつある。ひとつは血を抜くこと、もうひとつは消化器の中に入っているものが外に出ないようにしておくことだ。身体のシステムでいえば循環器系と消化器系の2系統。あとは情報系(そういう言い方はないのかもしれないが)と呼吸器系の内蔵だろうが、これはよごすことはあるまい。
 血を抜くには、たとえば豚が身体は動かなくなり意識もなくなったけれど心臓は動いているという状態のうちに頸動脈を切る。すると、内蔵されたポンプつまり心臓が、その切り口から血を送りだしてくれる。心臓が動きにくくなったら、さいごには前足をふいごのように動かして、手動で心臓ポンプを動かせば残りの血が出てゆく。なるほど、じつに理にかなっている。
消化器系の中身を閉じ込めるには、肛門の周囲を丸く切り抜いて腸を分離し、それを縛っちゃう。入り口側は、食道の途中から切ってこれもしばってしまうと、長い袋の中に、食べ物のさまざまな消化段階のものを閉じ込めることができる。あとは、消化器系を傷つけないように腹を切って、その袋を取り出せばいい。これも、試行錯誤の末のことだろうが、鮮やかだ。
なんと明快ではないか。こうして取り出した消化器系はシロモツになり、循環器系はアカモツになる。血は、ちゃんと受けておいて、それがソーセージになるのだ。

 子供たちのイジメが問題になるたびに、昔はこうじゃなかったという大人たちが多い。しかし、その「昔」という時代には、個人として社会として部落出身者や韓国・朝鮮人を差別していた。いまの子供たちの大部分は、おそらくどちらの差別意識ももたない、あるいは希薄だ。だとすれば、社会をあげてイジメを構造としていたひとたちが現代の子供のイジメを、自分は別のところにいるかのようにして批判する資格はないはずだ。イジメは、だれもが自分自身のなかに抱えている何ものかがあって、それが社会的な仕組みや刺激によって増幅することによるものだということを、自覚することから始めなければならないだろう。
 殺生を禁ずる仏教の教えが、それを生業とする人たちに対する差別を生んだのだろうという仮説のもとに著者はこの取材をはじめ、途中さまざまに考え続ける。何年もかけたこのルポルタージュを、著者は自費で取材した。彼女は企画を出版社にもちこんで、雑誌の連載になり単行本になった。雑誌は「部落解放」、単行本も、この雑誌を出している解放出版から出版されている。おそらく、彼女は立場を明確にするために、この出版社をえらんだのだろう。つよいひとだと思う。彼女のブログ「空礫日記」を読むとその思いを強め、とてもおもしろく魅力的であることを再認識するのはいうまでもない。

■関連エントリー:内澤旬子と3匹の豚

投稿者 玉井一匡 : September 16, 2007 12:48 PM
コメント

Niijimaさん
たしかに、ハブのかわりに猫を使うという発想は、なかなか簡単には出てくるものじゃないですね。まちの中でも手に入りやすい動物というところから思いついたのでしょうか。それまでにも、猫の皮をなにかに使っていたのかなあ。三味線のお師匠さんの息子で猫好きという友人がいるので、きいてみるか。

Posted by: 玉井一匡 : September 17, 2007 04:31 AM

iGaさん
情熱大陸は娘が録画しておいて、しばらく残っているのですが、この回は、残念なことに、たまたま録画してなかったので、みそこなってしまいました。木靴の樹も、見ていないけれど、そちらは、つたやですね。

Posted by: 玉井一匡 : September 17, 2007 04:05 AM

「歌舞伎以前」(林屋辰三郎著、岩波新書、絶版)という、まさにその時代の芸能史を綴った書に、琉球から伝わったサンシンが「蛇皮の代りに猫皮をつかうという発見も、皮革をあつかう河原者の参加なしには考え及ばなかった筈であろう。」とありまして、その三味線化のくだりには、なるほどと膝を叩くものがありました。
そして楽器製造だけでなく、実際の芸能もそういった(当時の)身分の人たちの活躍なしには考えられないものでありますから、その芸能を知るには、まさに河原の現場で行われていたことへの理解なしには、大切なものを欠いた中途半端なものになってしまいますね。
よい書を教えてくださり、ありがとうございました。

Posted by: M.Niijima : September 17, 2007 01:23 AM

え〜どっかで見た名前でしたが思いだせなくて、僅かな記憶を頼りにキーワード検索して、ようやく解明しました。TBSの情熱大陸(MBS制作)に出演したときです。「一箱古本市」で売るトートバックなんかも話題にされてましたね。
http://www.mbs.jp/jounetsu/2007/07_01.shtml
そういえば1979年に岩波ホールで見たイタリア映画・木靴の樹でリアルな豚の屠殺シーンを見て、新鮮な血でソーセージを作ることを知りました。

Posted by: iGa : September 16, 2007 10:51 PM

neonさん
そうだったんですか。masaさんも、ノマドでお会いしたことがあるとおっしゃっていました。
内澤さんが魅力的な人だろうということは、文章とイラストから想像していました。このエントリーを読んでいただけれたらうれしいなあ。とても実りの多い読書でした。読み終わった後も、しばらく本をバッグに入れておいて、イラストを見直していました。つまり、反芻していたんですね。

Posted by: 玉井一匡 : September 16, 2007 09:46 PM

内澤旬子さんとは谷根千の「一箱古本市」のお手伝いを通して、また造本ワークショップにも一度参加したのを通して知り合いましたが、あのブログそのままの魅力満載の方です。勿論あのイラストの精緻な画にも感動するのですが。。。
この記事のこと、彼女に知らせておきますね。
喜ぶと思います。

Posted by: neon : September 16, 2007 08:45 PM
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