October 18, 2007

やせがえる

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 サッシを開けたときには全部が開いて、できれば室内側からサッシが見えなくなるようにしたいときがある。そういうときには、引き込みサッシにする。壁の外側にサッシをつければ、開いたときには壁の外側に隠れる。さらに障子も必要なら、開けたときには障子は壁の内側に引き込むのだ。そういうときに障子とサッシをいずれも閉じると、その間に壁厚とおなじ奥行きの空間ができる。
あるいえで、引き込みの障子を開けた。すると、サッシとの間の細長い空間に、痩せた、けれども大きなカエルが一匹うずくまっていた。

 つやのない身体にそっとさわってみると固い。カチカチに乾燥したガマガエルだ。どうしてこんなところに閉じ込められることになったのだろう。・・・・・たまたま掃き出しのガラス戸が開いている。人気のない部屋に上がり込む。やがて奥の方に窓をみつけて近づいて外を見ている。そのうちに、それときづかない住人が、帰って来るなりピシャリと障子を閉めてしまった。カエルは逃げ場を失った。・・・とでも考えるしかない。
そのあと彼(なぜか彼女ではないと思いたい)は、向こうの世界になんとかして戻ろうと、精一杯の跳躍を試みてはガラスの壁に頭をしたたかに打っただろう。じつは彼の背後には、むこうが見えない白い面があるけれど、そちらに向かって一跳びしてみれば、白い壁はたった一枚の紙にすぎない。大きくて濡れた彼の身体をもってすれば容易に破ることができたはずだ。
自分がどういう状況にいるのか、どう行動すればいいのかを、彼は正しく判断することができなかったのだ。しかし、わが身を振り返ってみれば、ぼくたちは同じようなことをしょっちゅう何度もしているにちがいない。それどころか、社会や国家のレベルでも、そんなことがたくさんあったではないか。無謀な戦争に突き進んでいった数十年前も、バブル経済をふくらませたときも、エリートと見なされた人々の判断と行動は、彼が置かれた状況と判断とからさほどかけ離れてはいない。

 このカエルは、追いつめられながら疲労困憊して這いつくばるでもなく自暴自棄になるでもなく、落ち着いて想いをこらしていたかのような姿勢のままでいる。状況に抗わず、従容として死をむかえたようだ。情報の収集と行動という「インテリジェンス」から、おだやかに生きるという「哲学」に、テーマを切り替えたかのようだ。
 しかし現実には、そういってはカエルに失礼だが、彼にそんな意識はないだろう。人間でも苦痛を和らげる物質が脳内に生じるように、おだやかに最期を迎えられるような仕組みが生物にはもともと備わっているのかもしれないと考えて、いささか安堵したい。環境に対する生物の適応能力は、とてつもないものがある。我が身を省みるためにこのカエルは座右に座らせようかとも思ったが、彼の不運を思うとやはりつらい。安らかに眠るように土に還してやった。
あとになって、ぼくは彼の目を見たことがなかったことに気づいた。見るに忍びなかったのかもしれない。
関連エントリー:やせがえる・後日譚

投稿者 玉井一匡 : October 18, 2007 08:53 AM
コメント

光代さん
そういうことでしたか。理由が分かってよかったですね。
「キャッシュ」は、光代さんの金庫に沢山ある現ナマとはちがって、貯まるものではなくて、どこかのサイトを開くときに、待たずにすぐに開くことができるようにする、いわばMacの善意の行動です。
インターネットで外からデータをとってくるのではなく、直前にひらいた画面を光代さんのMacが憶えていて気を利かせるのです。
「姐さん、これでよござんすか?」といってMacは間髪をあけずに懐に入れて温めておいた草履を出してくれるというわけです。
「ありがとう、でも、いまからちょいと芝居を見に行くから、さっきのじゃなくて、あちらの草履を出しておくれ」(大阪弁にしようかと思いましたが、間違えると失礼なので東京のようですね)なんてMacに仰せ付け下さいませ。

Posted by: 玉井一匡 : January 14, 2008 04:27 PM

只今 表示されましたが コメントしただけではダメでした。更新ボタンを押さないと・・・・。
毎回コメントするたびに押さないといけないのでしょうか・・・・・?????

Posted by: 光代 : January 14, 2008 04:10 PM

どうやら キャッシュというものに一杯たまっていたらしく 更新したら表示されるというアドバイスをもらいました。
・・・・と言う訳で これはお試しコメントです。済みません。

Posted by: 光代 : January 14, 2008 04:07 PM

わきたさん
昨夜、といっても厳密には今日になってから数時間を経ていましたが、おそく帰ってきてからわきたさんと光代さんのコメントを拝読、無精を決め込んで、布団のなかに入って光代さんあてのコメントを書いている途中で沈没してしまいました。月曜日に収集される不燃ゴミを出すのも忘れ、目を覚ますと、それでもメガネとMacがいずれもきちんとたたんでありました。眠いのに、ちゃんとたたんだのがいいことだというのか、そういう間にも意識がすでにないというのは困ったものであるのか。
とにかく、わきたさんのところにコメントを書きにうかがいます。

Posted by: 玉井一匡 : January 14, 2008 10:40 AM

光代さん
なんだか行き違いが多いようですね。それにしてもコメントが出てこないという状況は、これまで聞いたことがありませんでした。
さて、「男前の文章」の各条、いずれをとっても気持ちよく読める文章のありようを示したもの。ぼくの書いたものがそれに値するかどうかは別としてなるほどと思います。考えてみれば、文章のありようについて、あれは好きこれはどうもとは考えますが、こんなふうに具体的に列挙して考えたことがありませんでした。
いや、そういえば、学生時代に三島由紀夫、井上ひさし、丸谷才一などの文章読本を読んだことがあります。とはいえ、そこに何がかいてあったか、皆目おぼえていません。なにより大事なことは、まず、伝えたい内容であって、それをわかりやすく気持ちよく(内容によっては、気持ちよくなりようがないことはあるとしても)読めることですよね。もちろん、光代さんは、それはいうまでもない前提としておっしゃるのだとは分かっています。
これら各条は、書き手の男女を問わないことだと思いますから、男が書けば男前、女が書けば・・・なんというのでしょうね、女前などという言葉はありそうもない。2,3のあたりに、男であること女であることのよさが出てくるということでしょう。
 とにかく、年の初めに身に余るおほめのことばをいただいて、気持ちよい年を始められます。この4項目と光代さんと一緒にあのカエルを思い出すことになりそうなのは、いささか申しわけありませんが。ありがとうございました。

Posted by: 玉井一匡 : January 14, 2008 10:30 AM

玉井さん、こんばんは。『金魚人』の「金魚池」のことが気になって、『川の地図辞典』とGoogleEarthで調べてみました。するとね・・・。詳しくは、拙ブログのエントリー「『川の地図辞典』で金魚池を探索する」をご覧ください(って、←営業課か!)あれっ、光代さんも登場されていますね。
http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/

Posted by: わきた・けんいち : January 14, 2008 12:57 AM

男前な文章の条件
1.贅肉が無いこと
2.自分の表現を持っていること
3.感性が豊かであること
4.リズムが有ること
以上のうちの 二つはカバーしてて欲しい所です。

Posted by: 光代 : January 14, 2008 12:43 AM

光代さん
いらっしゃい。「男前な文章」なんて表現をはじめて見ました、聞きました。ほんとですか、ありがとうございます。どういうニュアンスか、わかったつもりになっていますが、ほめていただいたと単純に喜んじゃいます。
ぼくは物忘れの能力にたけているので、読み返してみました。そうしたら「男前」ということばが光代さんのコメントにあったせいでしょう、カエルは彼女ではなかったと思いたいと感じるのは、なぜだろうかと気になりました。ぼくは基本的にはフェミニストのつもりです。女はかくあるべしとか男はこう振る舞えというような言いかたや考え方は嫌いなはずなのです。しかし、男だったら、こういう状況をむしろ糧にして、悟りのようなものを獲て欲しいと思う。でも、女の子が閉じこめられたまま死んでゆくというのは、あまりに辛すぎると思ってしまうのです。

Posted by: 玉井一匡 : January 11, 2008 08:49 PM

一体 何度ここに来てこの子を見ていることでしょう!
あまりにも沢山の漠然とした物思いのため コメントができません。
いつかは関連のエントリーを書かせて頂きたくは思っているのですが・・・。

それにしても,素晴らしい文章!
男前な文章をお書きになりますね。(失礼な表現だったらごめんなさい)
言葉を知らない・練らない私にはあり得ないことなので、「はは〜〜〜」と崇めさせて頂いております。


Posted by: 光代 : January 11, 2008 01:20 PM

玉井さん、「素早いリターン」に驚かれたようですが、たまたまです(^^;;。朝のブログ巡回で、そうなったちゃったですね。深さについていえば、まちもそうですね。まちも物語も、「深さ」が重要です。

Posted by: わきた・けんいち : November 15, 2007 01:37 PM

わきたさん
ひとこと付け加え修正して、戻ってきたらもうわきたさんからの素早いリターンでおどろきました。
世界の深さといえば、ぼくはまちのありかたを思ってしまいます。
ふるいもののもっている奥行きの深さやかさなり、生きている人たち自身がつくったものに潜む思いなどがこぼれてくるのが、世界の深さのあるいいまちなんでしょうね。チェーンストアや大型店には、そういうものがなくなってしまう。精霊の住まない場所になる。
それでも、何十年かして、つぶれたスーパーの錆びた看板の奥に精霊が棲むようになるかもしれない。

Posted by: 玉井一匡 : November 15, 2007 08:51 AM

玉井さん、「つっこみ」っていいますか、僕としては、スソさん&みやはらさんの作品のもっている、なんといいますか、「深さ」のようなものに、引き込まれそうになっているわけですね(^^;;。ぐ~んと引き込まれつつ、アワワワ・・・と声をあげてしまったというわけです。

Posted by: わきた・けんいち : November 15, 2007 08:30 AM

わきたさん
わきたさんのつっこみのおかげでもりあがりました。いつのまにか、話題はカエルのことは置き去りになってしまいましたが、スソ世界の背景がひろがりましたね。
しかもまだ宙ぶらりんのまま。

Posted by: 玉井一匡 : November 15, 2007 08:18 AM

玉井さん、スソさん、みやはらさん、こんばんは~!!
僕も「ひとりでは応えきれない気が」しますが、とりあえず、お返事をば!!
スソさん、やはり「(地元の人はちっともうれしくはないのです)」よね~。僕もそう思います。雪国の皆さんは、とにかく冬を耐えて、春がやってくるのを心待ちにされていると思います。だから、雪国の春ってむちゃくちゃ感動しますよね。石川県はよくわかりませんが、東北のばあいは、もう、一気に春がやってきます。びっくりします。
みやはらさん。みやはらさんにも登場していただき、僕としてはとっても嬉しいです。また、「それからちゅうぶらりんがいいという話し、とてもうれしかった。」とお書きにいただき、この点も、とってもうれしいです!!それから、青山の金魚池、これからも情報探索するようにします。直感ですが、探索する意義があるように思っています。クンクン・・・。
玉井さん。「コマ割りのあるマンガでも絵本でもアニメでもないあのスタイルの時間空間の感覚が、・・・」、←僕も同感です!!ところで、むちゃくちゃ、盛り上がってきましたね~。こういうときに、ブログをやっていて「よかったな~」と強く思います。まあ、いつも、常に「幸せだな~」とは感じてはいるのですが。今回は、格別です!!

Posted by: わきた・けんいち : November 14, 2007 10:19 PM

みやはらさん
 「金魚人」も「あかしあ」も、見るたびに笑わされてしまいます。
青山に金魚屋のある時代があったというのもいいですね。一昨年からだったか、ぼくたちは「アースダイビング」というのを何回かやりましたが、その2回目だったか、明治神宮を水源とする渋谷川をたどって歩きました。そのときのルートのどこかに、この金魚池があったのではないでしょうか。
 たまたまうちの娘が、併合されてあたらしくできる小学校のために校歌の作詞を依頼されたんだというので、あかしあ第一小学校の校歌の話をしたら、「あれはおもしろいね!」と、すでに知っていました。コマ割りのあるマンガでも絵本でもアニメでもないあのスタイルの時間空間の感覚が、あの絵あのストーリーにピッタリなんだという話になりました。

Posted by: 玉井一匡 : November 14, 2007 04:01 PM

スソさん
コメントが増えるのも、かむほどに味が出るという風情のせいでしょう。わきたさんの旺盛な好奇心も理由のひとつではありますが。
中村君は耳も大きいし、朝礼で倒れてくれちゃう気づかいといい、ほっぺたの下の線といい、もちろん大きな顔だし、どうみても松井でしょう。

Posted by: 玉井一匡 : November 14, 2007 03:22 PM

こんにちは、はじめまして。ブログに書き込むの初めてなもので失礼があったらごめんなさい。スソアキコからメールももらって読みました、みやはらたかお、です。「金魚人」「あかしあ第一小学校」を読んでいただいてありがとうございます。
さっそくですが青山の金魚池というのは本当の話しです。ギーとかいうカレー屋さんのあたりだと思うのですが、道の両側に金魚の養殖場があったそうです。これは地元の古い不動産やさんから聞いた話なので間違いないと思います。どなたか立花ハジメさんの事を書いておられましが、その関係の奥村ゆきまささんの事務所はちょうど反対側で、ピンク色のビルでした。このあたりは昔じめじめしていた土地だからなのか分りませんが、窓際にお札がありました。夜中にぱたんとよく倒れるという話しでした。今でもこのあたりはあまりいい場所ではありませんね。
それから松井、僕も似てると思ってました。わざとそうしたんだと思ってた。
それからちゅうぶらりんがいいという話し、とてもうれしかった。ぼくも同感です。話はそこで完結しているのではなく、長い話のここからここを切り取ったという感じが好きです。

Posted by: みやはらたかお : November 14, 2007 01:14 PM

校歌のことを忘れていました。これもみやはらさんの詩です。
彼は、大学で金沢へ来て学生生活を過ごしたのですが、湿度に大変驚いたようです。また、雪が降ったときにとてもうれしそうに長靴をはいていたことが想い出されます。(地元の人はちっともうれしくはないのです)そんな灰色の空の金沢を想って書いた詩だと思います。

Posted by: スソアキコ : November 14, 2007 12:52 PM

あっという間にコメントが満載で、ちょっとびっくりしています。ひとりでは応えきれない気がしたので、みやはらさんにも
このブログを見てくださいとメールしておきました。
とくに金魚と青山については、関連があると聞いています。
「あかしあ」の登場人物は私の同級生たちの似顔絵ですが、それぞれに怒られそうなので、秘密にしておきます。たしかに松井に
似てしまって、わたしも松井になっちゃったな−と思っていました。「内灘夫人」の最初のほうのページにアカシア団地のことが書いてあると思いますが、それが「あかしあ」の舞台です。五木寛之は内灘闘争に興味をもって金沢へ来たと何かで語っていた気がしますが、確かかどうかはわかりません。

Posted by: スソアキコ : November 14, 2007 12:45 PM

わきたさん、さすがに反応がはやい!>玉井さん。いえいえ、自分の好奇心や関心がグググって動くときは反応がはやいんですが、そうでないときは、もうぜんぜん・・・(仕事も、よく督促をもらいます・・・(^^;;)。

ところで、日本海側の冬って、湿気が多いですよね。僕は、岩手・盛岡に住んでいましたが、岩手の雪はパウダースノーのように軽いです。日本海の湿気をたくさんた含んだ雪雲が奥羽山脈にぶつかるときにたくさんの湿気が重い重い雪となって秋田側に積り、奥羽山脈を越えて岩手にくると降る雪も軽いものになってしまうからです(ただし、岩手の寒さは猛烈ですが・・・)。そんな岩手の雪や冬が、僕はとても好きだったんですが、地元の人は、そうはけしていいませんでしたね。ですから、玉井さんの事務所の富山出身・tacさんが、玉井さんのことを「シロートだ」というのも、よくわかりますよ~。

Posted by: わきた・けんいち : November 14, 2007 12:17 PM

わきたさん、さすがに反応がはやい!
青山の金魚池にも目をむけましたか。そういえば、六本木ヒルズにも金魚屋さんがいたって話、「アースダイバー」に中沢新一が書いていたと思いますが、いま手元には。あの本がありません。あちらこちらに散在する断片から組み立ててゆくのは、やはり研究者というかわきたさんの目のつけどころというものですね。
中村君は、ね、松井でしょ。とつぜんに気づきました。じつは、スソさんは松井と同じ星稜高校の出身なんです。後輩がヤンキーズで活躍しているんだからうらやましいよね。
「あしたもきっとあめがふる」というのは、漢字にすると「冬の日本海型気候」という味気ないものになってしまうけれど、それが小学校の校歌の一節にすべりこましてあると、しみじみなんですね。うちの事務所のtacは富山の出身ですが、そういう冬の気候が大嫌いなんだといい、物心ついてからは新潟にあまり住んだことのないぼくを「シロートだ」というのです。

Posted by: 玉井一匡 : November 14, 2007 08:48 AM

玉井さん、こんにちは。

そうそう、松井秀喜、松井秀喜です!!!玉井さんのコメントを拝読して、深く納得しています。

玉井さんの事務所では、あの校歌が受けているんですか。いいですね~。校歌の歌詞、おかしいんですけど、そのままワハハと笑うのでもなく、どこにも定位できないような不思議な感覚がやはり残りますね、僕のばあい。人によって感じ方はいろいろでしょうが、瀬戸内の温暖な気候で育った僕とは違って、日本海側の暮らしをご存知の玉井さんだと、深く受け止めることができるのではないでしょうか。イラストでは、ドヨーンとした曇り空なんですが、あの感じは日本海なんでしょうか?

で、スソさんはコメントのかなで「共通する何かがあるのでしょうか」とお書きになっていますが、これが何なのか、ずっと考えています。なかなか難しいことですね。

内灘や河北潟を地図で見て、僕もいってみたくなりました。新潟も、かつてはこれに近いものがあったわけですね。それから、『金魚人』の舞台である、「東京の青山がまだ田舎だった頃 今はキラー通りと呼ばれる 通りの両側に 金魚池がありました」の金魚池のことを、少し調べ始めたのですが、まだよくわかっていません(^^;;。

Posted by: わきた・けんいち : November 14, 2007 08:29 AM

わきたさん
わきたさん得意の続けざまコメント、ありがとうございます。先日、図書館にいくと「センセイの鞄」が「図書館員の推薦図書」のうちの一冊として、入り口の脇の本棚に置いてありました。さっそく借りてきました。わきたさんの宙ぶらりん感覚がわかる気がしました。・・・・という感覚そのものも宙ぶらりん感覚がありますね。
内灘っていうと、ぼくは読んでいないのに五木寛之の「内灘夫人」を実はさきに思い出してしまいます。内灘闘争をwipipediaで調べたら、「非行少女」の背景であったことが書いてありました。ちょうど昨日、お葬式で久しぶりに会った建築家仲間との話で「キューポラのある町」のことが出たんです。「非行少女」はキューポラと同じく浦山桐郎が監督なのですね。小説一冊と映画二本が、ウェイティングリストに入りました。
さっそく地図で調べちゃうって、さすが研究者ですね。ぼくも、さっそくgoogle mapで見ました。新潟では砂丘が消滅しましたが、ここにはまだ立派に砂丘がありました。いいですね。

Posted by: 玉井一匡 : November 14, 2007 07:27 AM

スソさんコメントありがとうございます。
あかしや第一小学校の校歌の「あしたもきっとあめがふる」というくだりが、うちの事務所ではとくに受けました。日本海側の気候が身にしみている人にはよくわかる心情のようで、それが淡々と歌われているんで共感をよぶんでしょうね。
ところで、中村君ていう子はふけた顔をしているなと思いながらだれかににているという気がしていましたが、スソさんの後輩の松井秀喜じゃないですか。人吉は、こどものころのぼくにとっては川上哲治の出身地として記憶されていました。巨人における松井の大先輩ですね。

Posted by: 玉井一匡 : November 14, 2007 06:57 AM

あの~本当にすみません。コメント、何度もして。内灘とお聞きし、スソさんの絵を確認し、地図を確認して、やっと理解できました。河北潟だったんですね~・・・しみじみ(-0-)。

Posted by: わきた・けんいち : November 13, 2007 10:58 PM

玉井さん、スソさん、こんばんは。
すみません。さきほどのコメントに書き忘れました。

「石川県河北郡内灘町(内灘闘争は御存じでしょうか?)」>スソさん。はいはい、知ってます!!ただし、内灘闘争、私が生まれる直前に終息してしまっているようです。だから、知識だけ。でも、スソさんの子どもの頃の記憶と体験に、内灘砂丘の情景が深く刻みこまれていることが、「あかしあ第一小学校」を拝見するとよ~くわかります。そうなんですよ。あの町全体の雰囲気を描いた画、とってもよろしいですね~!!ところで、「あかしあ第一小学校」の校歌は、どなたが作詞されたんですか?曲もついているといいですね~。好きです、ああいうの(*^0^*)¥。

Posted by: わきた・けんいち : November 13, 2007 10:06 PM

スソアキコさんだ!!!!
玉井さん、スソアキコさん、こんばんは。
びびび、びっくりです!!!
スソさんからのコメントを読めるなんて!!

「金魚人」と「あかしあ第一小学校」、ともに私には、読後・鑑賞後の「ちゅうぶらりん」感覚がなんともいえず、いいのです。心地よいというのとは違います。「ちゅうぶらりん」です。今の多くのお話しは、みんな、どこかにきちんと「オチ」があったり、道徳的教訓があったりして「めでたし、めでたし」なのですが、物語というものは、本来的には、「ちゅうぶらりん」感覚が大切だと思っています。読んだあとに、「どうしたらいいいんだろう~・・・」と、ずっと引きずるような感覚を読者・鑑賞者に感じさせる、そしてさらなる「物語」を妄想させる「潜在的な力」のようなものが「物語」には必要です。私には、もっと年をとったときに、図書館で子どもたちにお話しを読み聞かせたいという願望があります。そのときは、ぜひ、子どもたちが夜眠られなくなるような、スソさんたちのような「物語」を選びたいと思います。これからも、いろんな作品をつくってください。私、買います。一人で2冊!!

Posted by: わきた・けんいち : November 13, 2007 09:44 PM

カエルから、金魚人、そしてあかしあ第一小学校とじっくり見て読んでくださってありがとうございます。わきたさんの感想も、とてもうれしく読みました。御推察どおり、金魚人はみやはら氏の文章で、彼の体験した熊本県人吉での体験を私が勝手に自分のイメージに置き換えて描いています。あかしあの方は、逆に私の石川県河北郡内灘町(内灘闘争は御存じでしょうか?)での体験を、彼がコラージュして組み立てています。そんないなかの小学生の話に、いろんな世代のかたが感想を寄せてくださいます。共通する何かがあるのでしょうか。こんな絵でよかったら、いつでもお話をくださいませ。
ちょっといじわるな表情でよかったら!

Posted by: スソアキコ : November 13, 2007 07:05 PM

yukiりん
ラブガーデンにもドライトカゲがいましたか。ヤモリの干からびたやつは見たことがあります。漢方薬屋のショーウィンドーで手足をひろげたトカゲを見るのは見たときは、じつはちょっと面白かった。そいつにはムササビのように、前後の足の間に膜があったので、きっと空中を滑ることができるのだろうと想像できたからです。ひからびた猫や犬なんて見たことがありませんから、爬虫類や両生類は水分が逃げやすいんでしょうか。身体が細長いことも、相対的に表面積が広いでしょうから理由のひとつなのでしょうか。いろいろと、想像がふくらみます。
ところで加島祥造さんは、親友なんてとんでもない。親友の塚原が編集した「エッセンシャルタオ」という本の著者で、その後塚原が親しくしていただいているので、一度自宅にうかがったり、講演にうかがったというだけです。うちでも、カミさんが「求めない」を読みたいというので、先日買ってきました。
エッセンシャルタオは、ここです。
http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000204.html

Posted by: 玉井一匡 : November 3, 2007 06:42 AM

こんにちは。昨日 やせとかげ を見てしまい すぐにコチラの記事を思いだしました。
きっと心やさしい玉井さんはお許しになるだろうと、お断りする前にリンクさせて頂きました。
スミマセン。宜しくお願い致します。
それにしてもコチラの やせがえる は神々しくもありますね。状況に抗わず、従容として死をむかえおだやかに生きるという 哲学。
私もそうありたいと思うものの現実はなかなか…。
余談ですが玉井さんのご親友、加島祥造さんの著「求めない」、まだ読んでいませんが良さそうですね。

Posted by: yukiりん : November 2, 2007 04:32 PM

わきたさん
かつてはMacユーザーだったと、わきたさんがおっしゃったのを憶えていたので、こんなんことを書いたのでした。筒井康隆の台詞のように、Macは個体で識別します。ぼくのiMacのハードディスクにはCIELという名前をつけてあります。MacBookのハードディスクにはCooです。前者は空(そら)、後者は同じ空ですがこれは(くう)です。
masaさんも改心したことだし、わきたさんも、今度の買い換えにはMacですね。
おっと、またまたカエルから離れちゃいましたね。

Posted by: 玉井一匡 : November 1, 2007 11:56 PM

iGaさんご賛同ありがとうございます。
いつだったかある人が、といっても名前も忘れてしまいましたが、誇らしげにこういいました。「パーソナルコンピューターをパソコンとしたのは、僕が最初だと思います」と。
初対面だったから、けなすわけにも行いかないし、といってほめたりして嘘をつきたくはない。だから「へえー」なんて言った覚えがあります。へえー!と思ったのはほんとですからね。

Posted by: 玉井一匡 : November 1, 2007 11:30 PM

玉井さん、iGaさん、私はパソコンと平気で言えるので、なんだか肩身が狭い感じがしてきました・・・。iGaさんが教えてくださったマックのCMは1995年ですね。その当時は、私もマックを使っていました。ところが、1998年に職場が変わって、職場のパソコン、いやいやパーソナルコンピューターがウインドウズだったため、それ以来ウインドウズ使いになり、それが現在にまで至っています。いつか、また、マックに帰るのでしょうか?どうだろう・・・。ちなみに、建築を勉強している娘はマック。大学もマックで、iGa先生の本を読んでいますよ。

Posted by: わきた・けんいち : November 1, 2007 06:34 PM

僕も「パソコン」と云う略語は嫌いで、原稿ではPCと書くかパーソナルコンピュータと表記するようにしています。
あるときミュージシャンでデザイナーの「立花ハジメ」がテレビで「パーソナルコンピュータ」と繰り返して言っていたのを見て、きっと「立花ハジメ」に「パソコン」という言葉が嫌いなんだろうなと思った。

「Macのどこがいいの?」と云う筒井康隆が出演した日本オリジナルの"1995 Apple CM in Japan"がYouTubeにあります。
http://jp.youtube.com/watch?v=vhocvkaZ3dM

Posted by: iGa : November 1, 2007 06:04 PM

わきたさん
もう、スソさんは、これを読んでいるかもしれないですよ。
我が家でも「あかしあ第一小学校」がおもしろいと大評判です。

ここで「パソコン」と書いたのは、Macのコマーシャルからの引用です。APPLE のサイトで、CMのさまざまなバージョンがムービーで見られたんですが、ちょっとみつからない。たしかに、ぼくもパソコンという言葉をつかったことは一度もないし、Macを使っていてそれをパソコンと呼ぶ人は、友人ひとりだけしか知らないなあ。ちなみに、Macのコマーシャルの英語版ではPCと言っていました。PCは略語としておかしくはないけれど、「パソコン」というのはちょっと口にするのがはずかしいような情けない略語じゃあありませんか。

Posted by: 玉井一匡 : November 1, 2007 03:24 PM

玉井さ~~ん!!いや~、困りますよ。須曽さんに作品をつくっていただけたらな~というだけでありまして、メールをしてわざわざ連絡していただいたり、ましてや「wakipedia」だなんて、と~んでもありません。どうか、ご容赦を。でも、僕がちょっと登場するんですか・・・それはそれでなんだか・・・(*^0^*)・・・。和奇異犬となると、いったいぜんたい、なんだなんだろう~・・・という感じです(@0@)、松浦理英子の『犬身』を連想しました!!松浦さんも、僕のなかでは、川上弘美さんや須曽さんとならんで、「エエ感じ」の方です~。僕にとっては、「不思議」系、「"ちゅうぶらりん"に取り残される」系のお三人かもしれません。
ところで、「Mac」と「パソコン」は違うんですね、知りませんでした(Mac党が、そこまで思っているとは・・・知らなんだ・・・)

Posted by: わきた・けんいち : October 31, 2007 10:21 PM

わきたさん
スソさんにはメールを送って、わきたさんのコメントをしっかり読むようにお願いしておきましょう。もちろん、wakipediaのわきたさんについての説明をしっかり引用しておきます。もちろん写真も添付して。
りゅうこくだいいち小学校のわきたくんがどんな少年になって、カエルとどのような交流を築くのか、たのしみですね。それとも、和奇異犬か。
ところで、MacBookが壊れたのはぼくのせいじゃないというと、Macがわるいことになっちゃうのも困りますね。もしも僕が「パソコン」をつかっていたら、毎日毎日、どこへでもつれていくという気にはならないでしょうから、壊れることもないということだと思います。

Posted by: 玉井一匡 : October 31, 2007 09:05 PM

玉井さん。はいはい、期待いたしましょう!って、須曽さんは、このコメント読んでいただけましたですかね・・・?

Posted by: わきた・けんいち : October 31, 2007 06:30 PM

わきたさん
スソさんの絵に描かれる人々は、ちょっとこわいところや悪意やずるさを秘めながら、でもいいところがあるんだよという、複雑な人格が感じられますね。
物語も、それが軸になっていて、「作」と「絵」がふたりの人によるものだとは感じられないくらいです。人間ていうのは、やはりそういうもんだよな、それをたがいに認めた上では出発するんだというところに共感できるのですが、きっと脇田さんが「金魚人」に惹かれるのも、もそれを感じられるからなのでしょう。
期待しましょう。

Posted by: 玉井一匡 : October 31, 2007 02:14 PM

玉井さん、こんにちは。「ぼくの生まれる少し前のできごとが、今からすれば70年も前であることを、いささかも自覚していませんでした」とお書きになっているのを拝見し、玉井さんはいつまでも青年の精神状態をお持ちなのだなと思いました。僕は、1968年当時、小学校4年生で、まだウルトラマンシリーズを夢中になってみていたわけですから、玉井さんに比べれば単なる小僧なのですが、思いますに、現状では、精神状態は玉井さんのほうがずっとフレッシュでお若くていらしゃるように思います(^0^)ゞ。
ところで、マックですが、無償で修理されたということは、「壊した」のではなくて、やはり「壊れた」なのでしょうね(よかったですね(^^;;)。マックって、他の皆さんでも時々壊れるようですね。もっと丈夫で(そして、環境に優しくかっこよく)あってもらいたいです。
で、本題のヒキガエルです。ヒキガエルって、「人の存在に慣」れるだとか、「かなり小さなうちに変態して幼体のカエルとなる」だとか、「飼育下での繁殖例もほとんど知られていない」だとか・・・、こういう事実は知りませんでした。ヒキガエルの繁殖地のような池があるのなら、このヒキガエルの即身仏、ご近所のお宅でも「発見」されているんではないでしょうか・・・。ちょっと怖いな。須曽さんの絵本には、ぜひ「ちょっと怖いな」という部分をたくさんの入れてほしいです。

Posted by: わきた・けんいち : October 31, 2007 12:50 PM

わきたさん
きちーんと反応してくださりありがとうございます。 じつは2日間、東京を離れていたので、せっかくの長文コメントをくださったのにすぐに返信できず失礼しました。引き込みサッシについての説明が、わきたさんにさえ分からなかったとすれば、文章力の不足について大いに反省します。申し訳ありません。
反省ばかりですが、70年という年数が数十年といえるのかどうかは別としても、ぼくの生まれる少し前のできごとが、今からすれば70年も前であることを、いささかも自覚していませんでした。わきたさんとは、トシが違うんだということを肝に銘じました。
そうそう、例のぼくの魔法にかかってこわれたと言われたMacBookは、ようやく戻ってきました。さいわい筐体の下側(ボトムケースというそうです)と、同じく筐体の上側(キーボードを含む)が新しくなりましたが無償でした。アップルケアに感謝です。
子供の頃から、いろいろな生き物を飼ったことはありますが、アマガエルの経験はあるし、ヒキガエルのオタマジャクシがカエルになるまで育てたことは何度もありますが、大きなヒキガエルは飼ったこともなく、あまり調べたこともありませんでした。インターネットで調べてみると、カエルは水分を必要とするので、地上では水分を腹から吸収すると書いてありました。地面や植物についた夜露も集めることができるのでしょう。
二匹のヒキガエルは、乾燥した床から腹を浮かそうとしたのかもしれないと思うようになりました。一方はうずくまりながらすこし身体をもちあげて床との間にすこし隙間をつくろうとし、スソガエルは立ち上がることによって腹と床の接触を避けたのではないか。そのうち、心臓がパタリと停止して死んでしまったのだろうと。
しかし、筋肉に血液が供給されなくなれば、筋肉は緊張を解かれる状態になるはずだから、ジャンプしたままの姿勢が筋肉の緊張が少ない状態だとは思えませんね。
この家には、東京のど真ん中にしては大きな池があって、シーズンになるとヒキカエルが集まってきて、池にはたくさんのタマゴを生みますから、そこから育ったやつが周囲の家の庭に生活しているのは間違いありません。
ウィキペディアによれば、ニホンヒキガエルにはサツマヒキガエルとアズマヒキガエルの亜種があって、前者は近畿から屋久島のわたる地域、後者は東北地方から近畿にいるのだと知りました。アズマヒキガエルの生息域は、ちょうどわきたさんと重なりますね。
それを踏まえて、須曽さんによる絵本化が期待されます。ますますたのしみですね。
ウィキペディア:ヒキガエル http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒキガエル科

Posted by: 玉井一匡 : October 31, 2007 08:17 AM

玉井さん、こんにちは。それでは、きちんと「反応」しま~す。

最初、「引き込みの障子」というのがよくわからないのですが、いろいろネットで調べてみてやっとわかりました(^^;;。それから、我が家のマンションも「引き込みの障子」であることも・・・(^^::。で、この「引き込みの障子」が作り出すスペースって、普段は、なかかな見ることがありません。大掃除をするときぐらいですね(我が家のズボラぶりがばれてしまいますが…)。現代建築の死角みたいなところに、こちらのカエルクンは、はまりこんでしまったわけですね。こちらのカエルクンがいつ頃「即身仏」になられたのか、よくわかりませんが、今年のような猛暑の夏の頃だと、あまり時間がかからず昇天されたのではいなかと思います。両生類は、水がないところですぐに死んでしまいますからね。でも、この続きのエントリーに書かれているスソさんのご覧になったカエルクンのほうは、もっと強烈ですね。「光をもとめてジャンプした瞬間に死を迎えてしまった」のですから・・・。「もっと光を」ってゲーテの最後の言葉でしたよね。なんだか怖いですね。玉井さんは、寓話的な説明を時々されます。僕のばあいは、玉井さんの文章に引き寄せられて、環境問題と人類の行く末のことを考えてしまいました。もし、このようなカエルをもとに、スソさんが(みやはら・たかお さんとのコンビ)絵本をつくられたら、どんなストーリーや絵になるのかな~。

ところで、話しは変わりますが。本文で玉井さんは、「無謀な戦争に突き進んでいった数十年前も」とお書きになっていますね。無謀な戦争とは、太平洋戦争や日中戦争のことをさしておられるのですね。玉井さんが青年、大学生でいらっとしゃった頃からであれば、たしかに「数十年前」ですが・・・。正確には、「70年前」かなと思うのですが・・・(^^;;;。玉井さんの大学生の頃のこと、少しこちらのブログのコメント欄でもうかがったことがありますが、玉井さんにとっても原点みたいな時代だったんでしょうね。すみません、余計なことを書きました。

Posted by: わきた・けんいち : October 28, 2007 02:45 PM

nOzさん
ぼくも、無意識に「彼」と書いてしまって、あとからそれに気づきました。閉じ込められたのが「彼女」だと思うと、とてもつらい気分がしてしまいます。だから、無意識に彼だと思ってしまうというのもあるし、カエルと自分を重ねて考えてしまうというのもあるのでしょうね。

Posted by: 玉井一匡 : October 20, 2007 09:03 AM

何日か前に、僕のうちの近所の迷い込んできた鳩が、今日、家の前の通りで車に轢かれて死んでいました。
僕もその鳩を”彼(奴)”と思っていたので、玉井さんのエントリーを読みそれにハッとなりました。(←ダジャレじゃないです)

Posted by: nOz : October 20, 2007 01:16 AM
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