February 17, 2008

ラオスの路上で乾杯

LaosKajima1S.jpgClick to PopuP

「写真は昨晩、タクシー運転手やセタパレスの従業員の女性と知り合い、地元の飲み屋でしたたかビアラオを飲みました。ちょうど中国の正月でセタパレスの先の広場では屋台が出て、かなり大きなセレモニーでした。」と、メールにあった。
このところ一日おきくらいに写真入りのメールがラオスから届く。おそらくはじめの一日目だけ日本からホテルに予約を入れておいて、あとは行き先もホテルも乗り物も、気分と様子によってなりゆきにゆだねる。奥さんもいっしょなので日本で余計な心配をする人もいない気ままな旅。
 到着した日の夕方に、もうタクシーの運転手たちとすっかり意気投合してこんなぐあいなのだ。サッカーが得意ならボールひとつあればどこの国に行ってもすぐに仲良くなれるとか、楽器があればたちどころに友達だなんていうが、ビールで乾杯すればもう仲間というのも、呑めない人間にしれみればうらやましい。でも、だれでも持っているものがある。

 ラオスはよさそうなので行ってみたいのだが、どうだろうかと相談を受けた。年末に東京にいらしたときにMacの画面でぼくの撮った写真をお見せして、あれやこれや、ひとは穏やかでメシはうまい、単なる経済指標では貧しい国ということになっているそうだが、むしろゆたかな生活だとぼくは思うというような話をした。それで、やはり行きたいということになった。後日、コンピューターを持って行ったほうがいいだろうかというメールをいただいたので、ぼくはいつも持って行ってメールのチェックをしたりブログに書き込んだり読んだりするんだと返信した。その結果、上の写真のような具合になり、その様子が翌日にはぼくのところに送られてきたというわけだ。

 南国では、どこでも食いものやのテーブルが屋外にまでふくらんでいる。高級な店では、それが庭のテラスであるし、安くて気楽な店では道路であり、メコンに張り出したデッキであるという違いはあれ、食って呑んでという楽しさが、外にこぼれだしているから、通りがかりの人間もそれを分かち合うことができる。もちろん、こういう店にはエアコンなんかないけれど、木蔭がある。そこに、おだやかでひとなつっこいラオスのひとたちがいて盛り上がっていれば、こちらに「おお、やってますね」となかよくする気さえあればいいのだ。それに、こちらはグループではないから、むこうも声をかけてくれる。
 それでも、道ばたの店じゃ店員だって客だって、英語なんか通じないだろうにどうやったんだろうかと気になった。しかし、メールにはセタパレスにつとめる女の人がいたと書いてある。セタパレスというのは、ビエンチャンで一番の高級で気もちのいいホテルだ。そういうところで働いているひとなら、英語くらいは話してくれるだろうし、タクシーの運転手も少しはしゃべってくれるというわけだろう。
 旅の主人公、加嶋さんがはじめの一日だけ予約されたホテルは、そのセタパレスのすぐ近くのDAY INNという、小さくてきもちのいいホテルだ。ぼくは、そのホテルの前で道路の側溝に落ちたことがある。

LaosJiroS.jpgClick to PopuP
 メールには、奥さんがこんなことも書き加えてくださった。「こんにちは。昨日は、マーケットでかえるの唐揚げを食べて、夜は川村さんの事務所近くの飲み屋さんでジロウを食べました。(ラオス名物ジロウをご存知ですか?念のため申しますが、こうろぎです。)どちらもなかなか美味でした。塚原さんには内緒にしてください。でも、それからメコン沿いの屋台でラオスすき焼きを食べました。こちらもおいしかったです!ラオス料理は私たちにとても合いますね。好き勝手ばかりしています。ではまたご報告します。」
 ぼくもカエルは日本で食べたことがあるが、コオロギはまだ食べたことはない。一日目にして、ふたりはラオスを握ってしまったようだ。加嶋さんは長野県の駒ヶ根の住人だから、蜂の子なんぞで鍛えてあって、コオロギごときに臆することがないんだろう。信州もラオスも海がない。虫だって爬虫類だってわけへだてなくうまそうに見えちゃうのもあたりまえだ。もともとそういう厳しい暮らしをしていた人たちのところに、米軍はたくさんの爆弾を落としていった。北爆でラオスに落とされた爆弾はベトナム以上だったと言われている。
ほかの昆虫も食べるそうだが、たいていは唐揚げにするんだという。小エビや沢ガニを唐揚げにするようなものだろう。小型の甲殻類を食べるときの、世界共通の王道なのかもしれない。日本には、佃煮という手がもうひとつあるが。

beerlao-lager.jpgClick to JumP 上の写真の届いた翌日、加嶋夫妻は、もうビエンチャンを出発してルアンパバンに飛んだ。ちょうど旧正月にぶつかったので、DAY INNでは翌日の部屋が取れなかったので行ってしまうことにしたようだ。行きはバスで、帰りは飛行機にするという予定だったが、やはり旧正月とあってバスも混んでいるのだろう、行きは飛行機になったらしい。だから、このメールはルアンパバンから送られた。したたかにビアラオを飲んだというあとでは、さすがにホテルに戻ってメールを書くわけには行かなかったのだろう。
ビアラオとは、ラオスで唯一のビールのブランドの名だ。残念ながらぼくには分からないが、うまいビールだとみんなが言う、メコンに沈む夕日を見ながらのビアラオは格別なんだと。ビールを飲まなくても、メコンに沈む夕日は格別ではある。ビエンチャンのところで、メコンは大きく西に折れているので、対岸というより下流の水面に日が沈んでいく。

 旅がはじまって数日して、ブログに書いてもいいだろうかと書いたら、まったくかまわないと返事をいただいたので、タイムラグのあるエントリーになったけれど、書きたいことが沢山あってきりがない。

■追記 0218'08:今朝届いたメールでジロウの写真が送られてきたので、さっそく写真を追加しました。

投稿者 玉井一匡 : February 17, 2008 08:34 AM
コメント

玉井さん「メコンを北へ」を書いて下さりありがとうございます。二つが平行して忙しくなってきました。私の旅をこのように取り上げてくださって嬉しい限りです。おっしゃるように、組織に入るとどうしてあのように冷酷になってしまうんでしょうか。日本古来の氏族を守ると習慣が会社に適応されていることもあるように思います。ウチの会社なんていいますよね。
 わきたさん、駒ケ根に帰りますと案外暖かいので驚いています。今日は雨が降っています。ご心配ありがとうございます。滋賀の北の方が雪が多いのではないでしょうか。
 おっしゃることはよくわかります。わたしは最近二つの基準を考えるようになりました。それはひとつは「限界」が必ず存在すること、その限界のなかで限界いっぱいに動くきたいと望む。それはわきたさんのふれられた、老人の死と健康というものもそれに当てはめてみたらどうかと思いました。私たちは生まれやがて死ぬが、その間を十分に生きるそのために「健康」があり、それを望んでいるのではないかということです。
 また、もうひとつが同じ例から引けると思いますが、小さなものと大きなもののふたつの流れがある。わきたさんの指摘と同じです。死という大きな前提とそれまでに十分に生きる健康。もしくは世界と個などなど。
 このような観点から見れば、老人に施したものは当然でありながら、その社会では異例なことでしょう。その社会と世界を対比すれば、大きな世界ではそれまでに数々おこってきたことの一つである。ただ、人為的にそれをしてしまったことへのある不安がある。解決にはなりませんが、私たちにとって矛盾もしくは違うものの双方を認めるのも大事かもしれません。
 さらに乱暴にいえば、貨幣中心に動いて失われたものもいつか回復するか、別の局面へ移るか。私たちの不安は案外全体で受け止められていて––私たち個人とすればかなりゆっくりですが、––収まるべき方向に向かう。これは楽観論ではなくて、私のような意見を述べるものに対して、それは達観的すぎるとおっしゃる人々の抑止力もあってバランスするということも含んでのことです。もっと大きな時間でいえば、いずれは無に帰する、しかしそれでも今を生きるというのも、個と世界かもしれません。ただ、個としては生きていく訳ですから大きな流れに流されて失うものを惜しむ気持ちがある。もうひとつはラオスでは交通手段が山岳民族都と西洋社会との間をつなぎますね。それによって経済、流行等が入り込んでくる。
 少数民族の方々の最初に失うのは、面倒な手仕事の部分からのように思います。西洋的な能率とそれまでのリズムではスピードが違いすぎますね。たとえば、衣装でも古いものは綿を草木で染めたものを使っています。ところが最近のものは既に色の染まったウールだそうです。そして、普段から着ていた民族衣装は祭事だけになって、洋服を日々着替える。旅の途中にあった人に聞くと、民族の古いものお店でそのまま売られていたら、それは臭くてたまらない。映像上ではきれいな色ですのでわかりませんが、現地で色や香りや音に触れているとそうかもしれないと思います。
 ただ、エファジャパンというラオスで教育関係の援助をしていて、玉井さんの関わった図書館もそうですが、その中村さんに話を聞いた時のことです。日本の製紙会社が木を植えることを奨励して、買い付けていますが、その社長がラオスにきて、その挨拶のなかで、
「日本の成長の部分も学んでほしいが、そのために生まれた負の部分、公害や汚染なども先進の国から学んでほしい」といわれたそうです。これには日本企業がここまできたかと、嬉しく思ったそうです。
 楽な生活をの望むのは当然だと思います。そこで西洋化が進むのは現在では止めようが無い。その一方で生まれた負の部分、このバランスのなかにいる社会をどのように伝えるかかも知れません。私はいいものには憧れて今まできましたが、この負の部分の本質は具体的に分からずに進んできたように思います。
 矛盾があってしかるべきだといいながら、マイノリティーの人々の生活が西洋化するのは仕方が無いというなど、自分の言っていることを読むと、「短期的視点と長期的な視点とのあいだに生じる矛盾」に何の解決も見いだせていませんね。困りました。
 ハノイやラオスではは失うものをまだ意識されていなくて、フランス人が調査したものを展示していました。
いやはや僕が扱うには問題が大きすぎました。とりとめがなく、今回は失礼しました。

Posted by: 加嶋裕吾 : February 26, 2008 09:32 PM

加嶋さん
昨日朝、新潟から帰りました。
日本の、こういう問題は、おっしゃるように良くなっている側面と悪くなっているところがあるように思います。障害者が自然にまちの中に出て来られるようになったのは間違いなくいい傾向であるし、神戸の地震のときに、若者たちが積極的にボランティアとして駆けたことも、略奪行為がほとんど起きなかったことも、自分の国ながら見直したという気がしました。白い杖を持った人が階段の前でとまどっているときにもなかなか声をかけるひとが少ないのは、どうしたらいいのかがわからずに躊躇しているという側面が多いのでしょうが、電車の「優先席」に平気で若者が座っているというありふれた光景は、それとは違うように思います。どうぞというのが照れくさければ、つぎの駅で降りるような顔をして立ち上がればいいのだし、そもそもそんな席に座らなければいいのですから。もっとも、すべてが優先席であるべきなのに、わずかな範囲に限って優先席を指定している鉄道会社もそれを誘導していることになるかもしれません。新大久保のプラットフォームから転落した人を救助しようとして死んだ人たちの遺族に対してJRが賠償請求をしようとしたことさえあったのですから、もしかすると、ひとりひとりの人間よりも制度や組織に問題があるのかもしれませんね。

Posted by: 玉井一匡 : February 26, 2008 04:45 PM

加嶋さん、こんにちは。玉井さんとの話題が、「側溝はまり」から「社会の相互扶助」や「他者への配慮」といった新たな方向にむかっているので、僕のはほうは、少し前の少数民族の話しに戻ります。こうすると、ますますこのエントリーが複雑になっていくわけですが、まあ、それはそれで、心の広い玉井さんは許してくださるに違いありません(と、勝手に決めていますが(^^;;)。
さて、ラオスの少数民族の話し、「言語と文化の問題を考えた場合、少数民族の文化は大変大事だと思うが、それを守りながらラオス語で教育をすることは難しい」というのは、ビビビッときました。近代国民国家建設のための装置でもある「教育制度」や「統一言語」が、文化の多様性とは矛盾してしまうというわけですね。短期的には、少数民族の生活を支援し喜ばれているにしても、長期的には、確実に、エスニックマイノリティの独自の文化が衰退していくことに加担している、そういうことになりますかね。
以前、ネパールのことに関して、こんなことを聞きました。ある大学の山岳部がネパールに入った。登頂班ではなく学術班のなかに医師がいた。基地にしている村で、ある老人が亡くなろうとしていた。本人は、もうじき自分が亡くなることを悟り、家族もまわりに集まった。その様子を見ていた医師は、これはこう治療すれば治ることがすぐにわかったので、治療してしまった。本人も、家族も、亡くなると思っていたところ、元気になってしまった。良いことをしたのだけれど、医師は、これで良いのだろうかと悩んだ。確実に、ここに住む人たちの死生観に大きな影響を与えてしまってはいないか。まあ、こんな話しです。この話しを、海外援助に長年携わってきた(女性のリプロダクティブヘルス等のようですが)専門家の方に話したところ、「なにを言っているの、目の前に苦しんでいる人がいるのに、助けないわけにはいかないでしょう」と、厳しく言われました。だけど、ここにも短期的視点と長期的な視点とのあいだに生じる矛盾がかいま見えるような気がします。とっても、難しい問題です。
ラオスの社会をご覧になりながら、かつての日本社会にあった「のどかさ」と「忙しい様子」の両側面をご覧になり、さらにそこから、社会を比較することの意義や本質について書いておられることについては、その通りですね。もうひとつは、急激に貨幣的な価値(お金ではかれる幸せの物差し)が社会の隅々に浸透していく過程で、もっと別の多様な価値(じつはそのような価値が社会を支えてきたりする)が、知らないあいだに忘れられたり意味を持たなくなる、そんな問題が発生してはいないか、ラオスではそあたりのことがどうなのか、気になりますね。ラオス、本当にいってみたいですね~。
しかし、温かい東南アジアから長野にお帰りになると、とんでもなく気温差があるでしょう。今、日本列島を寒波が襲っていますから、どうぞお気を付けください(って、まあ、海外慣れされているので、いらんお世話ですよね、ごめんさない(^^;;)。

Posted by: わきた・けんいち : February 25, 2008 07:15 PM

玉井さん おはようございます。「加嶋さんの父上をお助けする人がいなかったというのは、(中略)ごくあたりまえの自然な行為です。それをする人がいなかったということは、日本の社会のありようが、とてもまずいところにあることを示しているように思います。このくにでは「社会的な安心」が壊れようとしているのではないでしょうか。」
 ありがとうございます。ただ私は少し違う考えを持っています。最近の日本人と5年前までとは違いがあるように思います。この数年で変わったともいえます。それは、5年前頃まで、私が人を助けるのに躊躇するような、人に対して介入するのに遠慮のようなものがあった最後の頃ではないかと思うのです。子供の頃、体の不自由な人を遠巻きに見たり、そのような気の毒な人をじろじろ見てはいけない、という風に親に怒られた人々の歴史の最後の頃ではないかと思うのです。駅でも、からだの不自由な人にどのように手を差し伸べるか、という教育や認識の仕方を社会や学校で教わった覚えがありません。そのために、どのような助けをしていいのかわからずに、申し訳なく見ていることがありました。ベビーカーを代わってもって駅の階段を上がると、驚いて喜ばれたことが多々ありました。中年の女性はご自分が経験されたにも関わらず、助ける人は非常に少なかった。
 それが、高齢化社会になるに従って、最近非常に多く介護の仕方が伝えられ、人々も経験し、正面から向かい合えるようになったのではないでしょうか。この点で、体の不自由な人も私たちと同等の存在だと認め始めた。老人だって恋愛をするということも認め始めた。
 父のとき私は、子供が行き交う道の側溝が深く残っており、その奥に大きな升があって、水が渦巻くのを見て驚き、行政に即刻蓋をするように要請しました。予算が無いというので、もし子供が落ちる事故があったら、あなたたちの責任を追及すると言いいました。その後かなり長い距離にわたって蓋をしてもらいました。あの頃はそのようなことも見過ごされてきた頃でした。
 もちろんすべてが良くなった訳ではないかもしれませんが、かなり日本の社会がオープンになったと思います。急激な自覚がおこっているように思えることがたびたびあります。その意味でも今回ハノイに行って、日本人は大人だなあと感じた次第です。日本も個人のレベルではかなり穏やかな社会になりつつあるのでは、と思うことがあります。いかがでしょうか。

Posted by: 加嶋裕吾 : February 24, 2008 10:08 AM

加嶋さん、わきたさん、kadoorie-aveさん
 みなさんのおかげで、このエントリーがかくも盛り上がり、うれしい限りです。ところが、ぼくは法事があって新潟に来ているので雑事が多く、じっくりとコメントを書いている余裕がないのが残念です。しかも、加嶋さんの帰国なさる日に東京にいられず、直接にみやげ話をうかがう機会をのがしましたが、数々の写真、塚原におことづけ下さったとのこと楽しみにしています。さらに、新しいエントリーがのびのびになってしまい、もうしわけありません。・・・・と、残念がりはするものの、こうしてコメントが豊かになったのも、お会いできなかったおかげかもしれないなんて思います。

  くにのありかたや人間の生きかたにかかわることは改めてエントリーするとして、側溝に落下なさった経験を、みなさんからつぎつぎと事実をあきらかにしてくださり、加嶋さんの父上まで仲間に加わってくださるようで、うれしくなってしまいました。ぼくがそういう目に遭うのはこのときだけではないので、さる友人(塚原)のごく好意的な分析によれば、何かに夢中になると、おまえは他のことをすっかり忘れてしまうから気をつけろといいます。そういえば、adoorie-aveさんと加嶋さんの父上の場合も同じではありませんか。ドブ仲間として、よろしくお見知りおき下さい。
 
 それにしても、adoorie-aveさんの母上が恥ずかしがられたというのは思わず笑いを誘いますが、加嶋さんの父上をお助けする人がいなかったというのは、情けなく腹立たしいことです。そういうときに手をお貸しして、いっしょに心配をしないではいられないというのは、立派な行為でもなんでもなく、ごくあたりまえの自然な行為です。それをする人がいなかったということは、日本の社会のありようが、とてもまずいところにあることを示しているように思います。つまり、加嶋さんのおっしゃる、政治的安心、物質的安心がある程度みたされているこのくにでは「社会的な安心」が壊れようとしているのではないでしょうか。
 「安心」とは、英語で言えばPEACEでしょうね、かつてのLOVE and PEACEというスローガンは、いかにも軽く表層的に思われて口にすることもはばかられましたけれど、じつは「社会的な安心」にとても近いところにあるのかもしれません。LOVEとは他者をおもいやることでありPEACEとは心やすらぐことであって、どうも、ラオスにはそれがあるように思うのです。少数民族の尊重という政策は、他者のアイデンティティを大切にするということなのではないでしょうか。

Posted by: 玉井一匡 : February 24, 2008 02:21 AM

>白い目を向けられています...
私の目もまっ白です。呆れているのではなくて、目を回しているだけですけど。

Posted by: kadoorie-ave : February 23, 2008 11:47 PM

加嶋さん、もう出かける直前ですが、短いコメントを。質問へのお答え、ありがとうございました。「すっかりはまっていると、妻に笑われながら必死で書いています。」ってのがすばらしい。やはり「必死」で書いてもらいたいです(^^;;。奥様、お優しいですね。うちなどは、白い目を向けられています(^^;;。

Posted by: わきた・けんいち : February 23, 2008 09:41 AM

わきたさん おはようございます。今回初めてブログに書かせていただきました。普段はこのようなことはしたことが無いのです。旅のうえでのことでしたし。そのような訳で直接コメント欄に書き込み、見直しをしました。すっかりはまっていると、妻に笑われながら必死で書いています。

Posted by: 加嶋裕吾 : February 23, 2008 09:35 AM

加嶋さん、玉井さん、kadoorie-aveさん、おはようございます。『MyPlace』でいろいろコメントを書かせていただきましたが、こんな経験は初めてです(*0*)!!すごいコメントの長さですね~!!いや~、長さというよりも、量的に圧倒されますね。私は「グレーの塊」とよく言われてきましたが、そんな比ではありません。今日は、朝から仕事に出かけるので、帰宅後にまた書かせていただきたいのですが、ひとつ、加嶋さんに、東南アジアとはまったく関係のない質問させていただきたいのですが・・・。加嶋さんは、この『MyPlace』の(というよりも、ブログ一般にそうですが)小さな四角いコメント欄のBOXに直接、これだけのコメントをお書きになっているのですか?あの、急に、変な質問ですけれど。僕は「グレーの長城」に質問をさせていただくために、エディターをたちあげて、いったんそこに書き込みをして、それをコメント欄のBOXにコピペして投稿しました。もし、加嶋さんが、あたりまえのように、あれだけの長文を、直接、この小さ四角いコメント欄のBOXに書き込んでおられるとしたら、ううう~ん、これはすごいですね!!!確認のボタンを何度か押しながら、書いた文書をチェックすればよいわけではありますが。

Posted by: わきた・けんいち : February 23, 2008 08:35 AM

玉井さん、わきたさん、adoorie-aveさん昨日帰国しました。玉井さん今日塚原さんの所にお邪魔し、旅行で撮った写真2000枚と食事だけのものをHDに入れてきましたので、塚原さんからお受け取りください。
 じつは隠していた事があります。側溝に落ちたほうの話です。5年ほど前です。当時80歳の父が本屋さんから出てくるときに、月があまりにきれいだったために見上げながら歩いて敷地から道へ出てくるときに側溝にやはり仰向けに落ちてしまいました。残念ながら、周りの人は助けてくれなかったそうです。一人で這い上がってきたのですが、そのとき父は腕を折りました。その後2週間ほどして、私が仕事をしていますと、風呂場がちょっとおかしく感じまして、行ってみますと、風呂桶から父の両足が出ています。右手を折っていましたので、左手で蛇口を回したところ、またも回転して背中から風呂桶に落ち込み足をばたばたさせていたのです。私のことではありませんが、落ちることでは皆さんよりももう一枚上手でした。さらに父は物書きでして、それを文章にしてしまいました、したたかなものです。
 さて、皆さんと同じ話題を持ち、再び同じステージにたつことができました。
 わきたさんが「中国国境周辺のマイノリティー少数民族」のことについてもお書きになっていますね~。かなり奥のほうまで入られたのですか?」
とお聞きですが、私たちの経験はラオスではノーンキャウというメコン川の支流のナムウー川の上流にあるモン族への入り口の村まで出かけたものと、そこからウドムサイへの高地をバスに乗っていったときに見たものが主です。またハノイの民族博物館とハノイ美術博物館の民俗資料室に出かけて見たこと。そして玉井さんの友人であるラオスのNGO ,SVAの所長川村さんの話などによるものです。川村さんによりますと、ラオスは民族同化政策はとっておらず、少数民族の存在を尊重しているそうです。ところが教育の点でラオス語を使わざるを得ず、そのために子供たちのなかでラオス語になじめない子は一週間ぐらいで山に逃げ帰ってしまう。残りの子はラオス語を覚えて文明化に向かう、そのどちらかになってまう。言語と文化の問題を考えた場合、少数民族の文化は大変大事だと思うが、それを守りながらラオス語で教育をすることは難しい、といっていらっしゃいました。そして、ノーンキャウ、ウドムサイで会ったフランス人たちともこの周辺のマイノリティについて話しました。彼女たちもテレビと冷蔵庫のために水力発電をしている、といってました。実際なナムウー川でもいくつも水力発電のためのモーターにつけた小さな水車をみました。
 ベトナムではサパという場所が有名な観光地になっていまして、高地民族を見る観光地になっています。
 もうひとつの知識は『森の回廊ビルマ辺境に生きる山地民の心根にふれる 』吉田 敏浩 (著) によるビルマ中国国境のカチン族および周辺民族とビルマ人との戦闘のドキュメンタリーによるものです。ラオス、ハノイでは民族衣装もかなり売られていました。
 「玉井さんがコメント欄で、「ラオスの人たちはとても気持ちよく生活してると感じます。子供たちも未来を信じているという表情をしています」と書かれていますね。ラオスの社会には、なにか他の社会とは異なる状況があるのでしょうか、もしあるとすれば、それは何に由来しているのでしょうね。」 今回の旅で日本の昔の二つの姿を見たように思います。ラオスでは、夕暮れ時をすもうでも見ながらすごすようなあの「のどかさ」。もうひとつはハノイの街が、戦後高度成長期の上野や神田などの問屋街で大量に生産された物資が地方に送り出されていたの頃と同じような「忙しい様子」だったところです。
 現在の私たちが考えなくてはならないのは、日本のよう高度に文明化した社会がどのようにしたらこの高度社会の上に、のどかさやゆっくりした抑制の効いた、不安の薄い社会が作れるかだと思います。過去には戻れないし、ノスタルジーをすてれば現代のほうがよっぽどいいと思います。私にとって、海外に出かけることのひとつの意味は、われわれと違った社会がいくつもあることを知り、自分と違った人々を認め、さらには知らないことのほうが多いことを認めることなのだと思います。
 「人が幸せに生きていくためには、政治的な安心(戦争や内乱がない)、物質的な安心(衣食住の安心)、社会的な安心(相互扶助、弱者を救う仕組みの存在)が必要ですが、そのあたり、インドネシアとラオスやヴェトナムとでは何か違いがあるんでしょうか。」
 インドネシアでは社会が弱者を助けるシステムはほとんどないといってもいいと思います。ロンボック島で3回目に行ったときに定宿の従業員の足が像のように腫れて休んでいました。お金がなくて医者に行けないために、地元の薬草売りから分からない軟膏をもらってつけていました。実際は肝臓か、リンパ液が戻らないために足にリンパ液が溜まったものだと思いますが、原因は不明でした。そこで1万円(一か月分の収入)ほど届けました。感謝をされたのはいいのですが、ほかの人からも援助を頼まれて、(オートバイを買いたいと)困りました。現地に詳しい人はお金をくれということとでもらった後は当たり前のようになってしまう。別に断っても後には残らないといっていました。ラオス、ヴェトナムは良く分かりません。SVAの川村さんに聞けば分かると思います。

Posted by: 加嶋裕吾 : February 23, 2008 12:07 AM

マスターの玉井さん、こんばんは。ちょっとお邪魔します与。加嶋裕吾さん、こんにちは~。玉井さんが「ここにお酒置いておきますから、ご自由にお召し上がり下さい」とおっしゃる酒(ラオスのラオラオとヴェトナムのハノイウォッカ)をクッと一杯とりあえずいただき(ク~~ッ(`0´))気合いを入れることにします(^^;;。
加嶋さんにまずお断りをしておきたいのは、僕は、東南アジアは専門でもなんでもないんですよ~、ってことです。とっても好奇心はあるんですが、仕事上の対象地域ではありません。な~~んにもわかっていません。ですので、逆に、ちょっと自由に書かせていただきます(^^;;。ラオスとヴェトナムの豊かさの背景に、「母なるメコン」が存在しているとのご指摘には、ビビビッときました。僕は、北タイ(チェンマイ)とカンボジア(トンレサップ湖周辺)しか言ったことがないのですが、特に、カンボジアではメコン川のすごさを実感しました。農地にしろ魚にしろ、メコン川が豊かさをもたらしていることがよくわかりました。メコンデルタの豊かさについても、話しとしてはよく聞きます。僕の印象にしかすぎませんが、メコンのなかから湧き出てくるというかんじがします。
加嶋さんは、「インドネシア人にはある不安感があり、ラオスの人々の方がより田園的と思えたほどでした。それは騒がしく忙しいハノイの人々に対しても同じような心の底の楽観性を感じたのです。土地の豊かさによるものでしょうか」とお書きになっていますが、背景にある自然がもつ生産力の違いがあるのでしょうかね~。このあたりの微妙な差異については、ちょっと専門家に聞いてみたいところです。
「中国国境周辺のマイノリティー少数民族」のことについてもお書きになっていますね~。かなり奥のほうまで入られたのですか?タイでは、外国人向けの少数民族の村へのツアーがあたりまえのように行われていますが、ヴェトナムも同じような状況にむかっているのでしょうか。近代化、観光化、市場経済の一層の浸透、伝統的文化や価値観の変容、そのような急激な変化によって生じるさまざまな問題。世界中で、なし崩し的に同じような問題が生じています。
この点についてですが、玉井さんがコメント欄で、「ラオスの人たちはとても気持ちよく生活してると感じます。子供たちも未来を信じているという表情をしています」と書かれていますね。ラオスの社会には、なにか他の社会とは異なる状況があるのでしょうか、もしあるとすれば、それは何に由来しているのでしょうね。人が幸せに生きていくためには、政治的な安心(戦争や内乱がない)、物質的な安心(衣食住の安心)、社会的な安心(相互扶助、弱者を救う仕組みの存在)が必要ですが、そのあたり、インドネシアとラオスやヴェトナムとでは何か違いがあるんでしょうか。この点も、ちよっと専門家に聞いてみたいです。

僕も、「壁」になりましたね~(^^;;。

Posted by: わきた・けんいち : February 22, 2008 07:50 PM

kadoorie-aveさん
 このお二人に、驚くほどのたくさんの大きなコメントをいただいたので、つぎの旅の報告を新しくエントリーしなくちゃと思って書きかけていたところでした。なにを書いてくださるのかと、興味津々で読み進めると思いがけぬ「落ち」に至り、大笑いしてしまいました。エジプトのミイラというと、気をつけの姿勢ですよね。むずかしい落ち方だ。さすがに非凡な落ち方をなさったものですね。そのときにどういう声が発せられたのかも、知りたいところです。今から帰ろうとしているところですが、電車の中で思い出し笑いをしそうです。

Posted by: 玉井一匡 : February 21, 2008 11:42 PM

昼間、このラオスの話を夢中になって読んでおりましたところ、出かける時間を忘れ、会合に遅刻してしまいました。なにしろ、コメント欄にまでずーーーーーっと素晴らしいレポが続いているんですから!!目をショボショボさせながら、それでも読み続けてしまいました。
...ところで、恥ずかしながら、私も道を歩いていて、いきなり人の視界から消えたことがあります。母と話しながら歩いていたのですが、道の端を、やや斜めに進んでいたようです。気付いたら横向きに、エジプトのミイラの王様のようなポーズで側溝にはまっていました(@日本)。スッポリと。(側溝に横たわっていたのです...)無傷だった自分の才能にビックリいたしました。人通りも結構あったので母はとても恥ずかしがっておりました...。

Posted by: kadoorie-ave : February 21, 2008 11:18 PM

あのーお客さん
いやあ、二人で勝手に盛り上がって、すばらしいですね。ここにお酒置いておきますから、ご自由にお召し上がり下さい。
もう眠いので、ちょっとだけ口を差し挟みます。ぼくはインドネシアに行ったことがありませんから実感というものがありませんが、統計的にいえばこの3国の中ではインドネシアは産油国でもあって、GDPというような物差しで測ればもっとも豊かな国であり、ラオスはもっとも貧しい国ということになるのでしょう。ところが、ラオスの人たちはとても気持ちよく生活してると感じます。子供たちも未来を信じているという表情をしています。・・・・だめだ、眠い。
まずはごゆっくりご歓談ください。

Posted by: 玉井一匡 : February 21, 2008 03:39 AM

加嶋さん、こんばんは。もう、玉井さんはほっておいて、コメントします!!いや~これは、すごいですね。まずは、このコメントの文章量。「グレーの壁」を超えて「グレーの長城」です。世界遺産級ですね(^^;。もうひとつは、比較風土論、比較社会論、比較文化論にまで及ぶコメントの内容に興奮しています。今は職場で、もうじき帰宅しなくてはいけませんので、あらためてコメントをさせていただきます。う~ん、すごいですね。ちなみに、私はお酒が好きですよ~!!

Posted by: わきた・けんいち : February 20, 2008 07:17 PM

わきたさん「時と文字と思考をおしまず、すぐさまコメントを書き込む」わきたさんにお褒めをいただき光栄です。「グレーの壁の友」と今日からなります。普段は文章を作るのがおっくうで多くは書かないのですが、旅の空で時間があるのと印象が新鮮なために、そして玉井さんに手紙を書くという宛があるものですから、筆が進みました。年に一度この時期に休みを取って、長野の寒さを逃れて旅行に出かけます。
 いずれライスワインについての写真を玉井さんにお送りしますのでご覧になれるとおもいます。ハノイウォッカともいわれているもので、漢方蒸留酒のようです。紹興酒よりやや薄い色で結構きついものでした。少々臭みもありました。屋台なので瓶の口は既にあいており、ラベルもはげかかっていたので他のカメから移したものかもしれません。地元の人はビールと一緒に飲んでいる人もいて、ホッピーみたいでした。(混ぜませんが)わきたさんお酒好きそうですね。
 本日帰国するにあたって私のラオス、ハノイでの印象をお伝えしたいと思います。この時期はこれまでに4回バリ島と隣のロンボック島に行っていました。そのインドネシアに較べてラオス、ハノイで感じたことは、「豊かさ」でした。それはこれまでに書いた食事の豊かさにも表れているように思います。仏教国というのに驚くほど大量の豚や鶏を毎日つぶして食べています。
 インドネシアはそれに比べると食事の量も種類もともにかなり少ないと思います。インドネシアでは子供たちが栄養不足で大きくならない例が見られ、寿命も短いようにおもいます。その理由をわかる限り考えますと、一つにはメコンもしくは紅河流域のデルタという豊かな土壌と、火山島であるインドネシアの違いがあるように思います。流れる水の量と土地の保水量が圧倒的に違いますね。気候もインドネシアは雨期と乾期の2種類で熱帯気候なのに対し、こちらは短い冬もあり日本風にいえば乾期、雨期、秋の3つの気候によって、野菜のバリエーションが多く、かつ果物は熱帯のものがありました
 そしてインドネシアはイスラムでーーバリはヒンドウーですがお祭りのときに豚をつぶすくらいでしょうかーー豚はたべず鶏が中心です。こちらは豚が主要の肉といっていいかと思います。ーーそれも日本人の5倍ぐらい食べるのではないかと思われるほどで、これを見ると日本は肉の文化ではないと再度確認させられますーー推量ではありますが、イスラムの習慣を見ていると、かなり実際的な所がありように思います。手の使用法を決めたり、豚も肉の性質の問題からか食べないようにさせたりしたのではないかと思います。また、豚を禁止することによって人々の勢力をそごうとしたのではないかーーラオスやハノイにいると人々の勢いの違いにそう思えてきます。
 民族もジャワ、ポリネシアン系とこちらは中国系の人々が中心で、こちらの方が肉体的にも精神的にも芯が強いように見受けられました。
 政治形態もインドネシアは金持ちが財産を独占しているために経済がうまく回っていないようでしたが、ラオス、ハノイはそれぞれの発展を社会主義のもとに進んでいるような気がします。
 最初にインドネシアを訪れたとき、あの土地の人々にゆったりした性質をかんじたのですが、ラオス、ハノイに来てみると、インドネシア人にはある不安感があり、ラオスの人々の方がより田園的と思えたほどでした。それは騒がしく忙しいハノイの人々に対しても同じような心の底の楽観性を感じたのです。土地の豊かさによるものでしょうか。食事が十分に取れるというのは大きなことですね。日本軍の占領時代に北べトナムでは多くの餓死者を出したという記録があるそうですし、その後ベトナム戦争もあり現在の繁栄はごく最近の復興なのでよう。
 それから中国国境周辺のマイノリティー少数民族の存在が今や世界でもここだけが未開の魅力を私たちにもたらせます。ただ、彼らは家に家具もなく一台のテレビがあってそれをみんなが見ているところもありますから、文明化はもうすぐそこまで来ているのでしょう。
 ごく表面的なことですが、急ぎ書かせて頂きました。たぶんこのところはわきたさんのご専門でしょう。体験中心の私の足らないところをおしえくだされば嬉しいです。
 自分でも驚くほどの壁になってしまいました。もっとかけるような気がするのですが、あまり堅苦しく恥ずかしくなってきましたので、そろそろ失礼をします。加嶋裕吾

Posted by: 加嶋裕吾 : February 20, 2008 04:45 PM

加嶋さん、はじめまして。情報、ありがとうございます。それから、とってもうれしいですね。というのも、僕は、親しくさせていただいている方のブログに「グレーの塊」と呼ばれる(ご近所ぶブロガーの皆さんから)長文のコメントをよくしているのですが、加嶋さんも僕と同じように長文のコメントを書かれているからです。今回の加嶋さんのコメントは「グレーの壁」ほどの量があって、じつに読み応えがあります。また、具体的に料理のイメージが頭のなかにわいてきますね。すばらしい!!もっとも、ヴェトナムのライスワインって、どんな酒なんでしよう。これはよくわかりませんね~。日本酒に似ているのでしょうか。ルアンパバーンという場所のこと、初めて知りました。世界遺産に登録されている古都のようですね。ネットで少し写真を見てみましたが、美しいまちだな~と感心しました。僕は東南アジアのエリアで行ったことがあるのは、タイとカンボジアです。残念ながらヴェトナムはいったことがありません。いつか行きたいとは思っているんですけどね~。加嶋さんのことをよく存じ上げないのですが、よく海外を旅行されている感じがします。うらやましいです。

玉井さん、こんにちは。「中国へ調査にいらしたらちょっと雲南まで足をのばし…」ってわけかにはいかないんですね~、これが(^^;;。現在行っている研究の研究費では、メコンまでいくと罰せられますから(新聞にのっちゃう)。仕事ではなく、プライベートでいつかメコン下りをしてみたいです。もっとも国際河川であるメコン川は、環境問題や開発問題で大変なんですが、そのことを気にしはじめると、仕事がらみの旅になってしまいますね~。まあ、それも悪くはありませんが。

Posted by: わきた・けんいち : February 20, 2008 02:02 PM

わきたさん初めまして、加嶋裕吾です。玉井さん、今日ホテルに帰ってみると、コメントがずいぶんと進んでいるので驚きました。ハノイの喧噪のなかで、ビエンチャンの飲み屋を懐かしく思っています。ハノイに来て、ただ街のなかに一週間おりますので、かなりこちらの住民の食事もともにしました。その点を含めお話します。まず話題のビアラオですが、わきたさんがベトナムに行かれたことがおありだそうで、ビアハノイなどと私には同じような味に思いました。かなり軽いビールですね。インドネシアのビールとも近く、お茶感覚で飲めます、ただその後は酔っぱらいますが。ラオラオを飲んでいる所は見かけませんでしたよ。購入も考えたのですが、忘れてしまいました。今晩、ベトナムのライスワインを飲んでみようかと思います。
 さて、ラオス料理ですが、食べたものの写真を見返しますと、メコン川沿いの大規模屋台で食べた、ラオスすき焼きというかしゃぶしゃぶというような鍋料理がありました。鶏だしにレモングラス入りの汁、そこに肉と野菜と貝などを入れて、最後に米の麺 フォーを入れて食べました。このレモングラス入りの少し甘くすっぱいものが特徴のように思います。ビエンチャンでは焼き肉や腸づめと野菜炒めをご飯にのせて出す店の隣に、オムレツの店があってというように街角に屋台のようなフードコートがあちこちにあります。パンはベトナム同様にバゲットですが、街角のサンドイッチはそれにレタスとトマト、キュウリなどの野菜と鶏のハム––少し日本の魚介ソーセージににた味ですーー甘辛いケチャップがかかります。
 ルアンパバーンにいきますと、川魚のグリルがあります。身に斜めに頭から尾の近くまで切れ目を入れて、やや甘醤油のようなたれで炭火焼にします。ティラピアのような魚でした。それから10種類以上の野菜炒めやタケノコの煮たもの、揚げ豆腐の煮込みなどーー少しニョクナム風のソースを使いますがーーそれがバットに入れて並べてあります。私たちの舌に合います。中国国境も近いことからでしょうか、中国料理にもにています。20メートルぐらいの小路の両側にびっしりと出店が並び、それぞれの店から買ってきたものを、その店の間にあるテーブルで食べます。ルアンパバーンのある一角は外国人が殆どですので、話が弾みます。地元の人はビニール袋に入れてもって帰ります。(もちろんビエンチャンにも同じような店もあります)そのテーブルで会ったのは世界中を回るフランス人のおじさんと、中国から自転車でやってきたアイルランドのカップルでした。おじさんは鍼やマッサージに詳しくしその話題で結構議論しました。アイルランドのカップルはチベットをビザなしで抜けてきたしまったそうです。そのカップルとはよく街で会いました。
 ノーンキャウというほんとに田舎の村では、バス停前に屋台が2軒出ていまして、豚や鶏をゆでた汁を出しにフォーを出しています。また、地元の人はその上に酢や魚醤やチリをゆでた肉のぶつ切りにかけてゆで汁を加えて、それを持って帰っておかずにしていました。豚肉なども油がたっぷりのっているのですが、ゆでてあるためにさっぱりしています。僕たちはその店で焼き川魚にミントを挟んだものと焼き肉、ご飯と豆の茎やレタスなどの葉っぱ類をビニール袋に入れてもらって、バスのお弁当にしました。隣の街でもバスの出発のときに仕入れにいくと、日本では禁漁の小鳥の焼いたものがありました。頭からかぶりつくものです。ほかにもいろいろな思い出があるのですが、とりあえず食べ物の概要です。食生活はかなり豊かでインドネシアなどと比べると、丁寧で清潔です。カレー味はありませんでした。出来るだけいろいろのものを食べてみたのですが、これがという核心をつかむことがは難しいものです。

Posted by: 加嶋裕吾 : February 19, 2008 09:24 PM

わきたさん
そう、それはあなたのことです。今度、中国へ調査にいらしたらちょっと雲南まで足をのばし、「メコン流域諸国の死生観:中国、ラオス、タイ、ベトナム、カンボジア、における死生観に川はいかなる影響を及ぼしたか」という調査でもされたらいかがでしょうか。
ラオラオをつくっている写真を見るたら、ぼくが酒飲みだったら行ってみたいと思いますね。

Posted by: 玉井一匡 : February 19, 2008 09:07 PM

玉井さん、こんにちは。ビエンチャン、季節のよいときにいってみたいですね~(猛烈な暑さは苦手なもので)。ところで、「こういうのをちゃんと見つけ出す人も見つける人だなあと」というのは、僕のことですか?だったら、これは見つけ出すのではなくて、偶然にみつかったのです(^^;;。まさか、そんなことがネットに出てくるとは僕も思っていませんでした。ラオス料理にまずはビアラオ。そして、次はラオラオですね。これは飲んでみたいですね。向こうの方たちは、これをどうやってのむのですか?そのままストレートですか?こういう強い酒は、油っこい料理にはいいんですよね~。玉井さんは、仕事で行けるからいいです。うらやましい。

Posted by: わきた・けんいち : February 19, 2008 07:35 PM

わきたさん
「みつけました」に訂正し、訂正ご依頼の箇所は削除しました。ぼくは、しょっちゅう人さまに訂正のお願いをしているので、たまにこういうことがあると、うれしいのです。
 酒の上のこととはいえ、同じ過ちをする人がいるということは、とてもうれしく安心しました。落とし穴のことですよ。こういうのをちゃんと見つけ出す人も見つける人だなあと、感心しました。今度行ったらカフェ・ビエンチャンをさがさなくちゃあ。
 ビエンチャンの川べりでも道ばたでも市場の中の食い物屋でも、わきたさんは大好きになることは請け合います。侘び錆び建築の宝庫だからmasaさんなんかすぐに行方不明。でも、治安はいいし小さなまちだからだれも心配しませんがね。
ところでラオスにはビアラオのほかにラオラオという焼酎があります。量り売りのやつが美味しいのだといただいたことがあったので喜んで持ってきました。ペットボトルに入れて下さったのをAKiさんにおみやげとしてお持ちしました。むこうでぼくも味見をしてみたものの、私には焼酎の善し悪しは分かりませんでした。Googleでさがすといろいろありますよ、たとえばこんなのが。
http://blogs.yahoo.co.jp/jiayang440/32111058.html

Posted by: 玉井一匡 : February 19, 2008 05:15 PM

「カフェ・ビエンチャン」のこういう部分がありました。
----------------------
「よし! 次の店に行こう!」
そして日が沈み暗くなった歩道を歩きながら声をあげた。
「飲むぞ!」
「飲みましょう!」
Hさんが言った。
とたんに、踏み出したおれの右足が宙をさまよった。
視界がストンッ! と落下した。
コンクリートの蓋が開いていた側溝に墜落していた。
うしろにいたカメダさんが大笑いしていた。「ビエンチャンでドブに落ちた日本人なんて、クロダさんが初めてですよ!」
おれは思った。運など信じない。あなたはあまりにもイジワルすぎる。
ドブの臭いが足元から立ちあがった。
------------------
う~ん、これは酔っ払いの話しですが、玉井さんは素面でドブに落ちたのでしょうから、玉井さんのほうが断然「上級者」ですよね!!

Posted by: わきた・けんいち : February 19, 2008 08:38 AM

玉井さん、解説ありがとうございます。フォ-/フーって、ラオスでもヴェトナム系の人がやっているんですね。あれは、僕もとっても好きです。「ヴェトナム人の方が働き者でラオス人は人柄がよくておだやか」というのは、社会生活への貨幣価値浸透度や、市場の発達具合と関係しているんでしょうか?ラオスには、中国系の人もいるでしょ。それぞれ違いがあるんだろうな。ところで、ビエンチャンが気になり、調べていると、日本人の黒田信一さんという方が経営していた「カフェ・ビエンチャン」の話をみつけました。情報が少ないなかでの印象でしかありませんが、ビエンチャンで呑んでみたいですね~、いやほんとに。http://column.webdokusho.com/koushin/kuroda_eigyou/2006/07/24/193137.php

Posted by: わきた・けんいち : February 19, 2008 08:26 AM

わきたさん
わきたさんがカンボジアとおっしゃったので、カンボジア料理との比較をしたのですが、あまりカンボジア料理は食べたことがないのです。おっしゃるとおりヴェトナム料理に近いと思います。ベトナム料理でもパパイヤのサラダなんていうのはすごく辛いのがありますね。ラオスにもいわゆるヴェトナムフォーの店があるし、(フォーというよりフーという発音のほうが近いといわれました)そういう店の経営者はヴェトナム人が多いそうです。一般に、ヴェトナム人の方が働き者でラオス人は人柄がよくておだやかなのだと言われているそうです。

Posted by: 玉井一匡 : February 19, 2008 12:36 AM

玉井さん、こんばんは。加嶋さん、はじめまして。ラオス料理の様子が、なんとなく理解できました。ヴェトナムにいくと、料理は辛いという感じはしませんので、ラオス料理は、タイとヴェトナムとの中間、玉井さん的にいえば「タイよりもカンボジアの料理に近い」という感じなのでしょうね。

Posted by: わきた・けんいち : February 18, 2008 11:46 PM

加嶋さん
コメントとジロウの写真を、ありがとうございます。さっそく本文に追加しました。コオロギ料理はイナゴの油炒めを想像すればいいのでしょう。といっても、近頃の日本の田んぼでは、イナゴをみることは滅多になくなりましたが。
それにしても、加嶋さんのうごきっぷり食べっぷりを読むと、やはり飲んだ方が面白いことに出くわす確率が高そうですね。セタパレスのむかいのタクシー運転手のたまり場といえばあそこかと分かりますが、入ったことはないなあ。側溝には入りましたが。

Posted by: 玉井一匡 : February 18, 2008 03:12 PM

わきたさん
・・・というぐあいに加嶋さんがお答えくださったのを読むと、さすがにリアルタイムの臨場感がありますね。
タイの辛い料理は、色も赤くて見るからに辛いけれど、ラオスの場合は辛いぞっていう顔をしていないのに、食べてみるとめちゃくちゃ辛いというのがあるように思います。建物や織物なども、ラオスの方が地味というかひとひねりしているという感じがあります。
カンボジアは、行ったことがないので、よくわかりませんが、日本で食べたカンボジア料理からすると、ラオス料理はタイよりもカンボジアの料理に近いのではないでしょうか。

Posted by: 玉井一匡 : February 18, 2008 02:45 PM

玉井様 私たちの旅をアップしてくださりありがとうございます。旅に出て2週間です。今ハノイにいます。これまできちんとした店で食事をしたのが3回ぐらいですから、ほとんどが路上生活、いえ道ばたの屋台か地元の人々の店です。そのような訳で、メニュー選びや食べ方など地元の人々に助けられることが多くあります。ツアーでないツーリストの多くが経験されていることが思います。概して東南アジアの料理はあまり煮込んでいないものが多いように思います。ラオスはかなり肉中心の食事です。市場にも大量の肉が売られ、それらがグリルで焼かれています。ラオスの人々がその肉の一皿を囲んで餅米を指で丸めて肉汁につけて食べるているのをよく見かけました。また上記の写真の時は、ヤギの大変苦いスープが出てきました。強壮になると言っていました。(これは煮込みですね)この写真の隣の店ではラープというラオス人の好きなミンチにした肉と刻んだ野菜のあえものが出てきましたが、これは強烈な辛さで、慌ててラオビールで舌を注いだ後、隣のテーブルの人に進呈しました。その他よく食べるのはフォーや何種類かの麺で、このトッピングにはその店ならではの特徴があります。鶏の出汁に薄い塩味、ライムをしぼって、添えらてでてくる野菜(豆の茎や豆、パクチー、ミント、青菜など)を入れて食べるのは玉井さんご存知の通りです。私たちの食事の感覚よりももっと軽い感じがします。これが私たちの口に合う一つの理由かもしれません。
 ビエンチャンでは主に、DAYINNからセタパレスにかけての通りの向い側に並ぶ何軒かの飲み屋をうろうろしていました。そのなかの一軒で、例のタクシー運転手の知り合いでラオスでスポーツジムを開いているという日本人に会いました。「ラオス人で飲み屋は盛っていますね」というと、彼いわく、「ラオスの男は江戸っ子みたいなところがあって『宵越しの金は持たない』」のだそうです。僕も彼らに一度おごってもらいました。その分、母系社会で、女の人がしっかりしているとのことです。この点は私もラオス人と同じだというとかれに笑われました。
 文章では旅のほんの一部の印象しかお伝えできませんね。僕たちの旅はもっとほこりっぽいものでして、土地の香りと音も合わせてお送りできれば、より地元の雰囲気が皆さんにお知らせできますが.....

Posted by: 加嶋裕吾 : February 18, 2008 01:40 PM

玉井さん、こんにちは。ラオス料理って、どんな特徴があるんでしょうね?モチ米を食べるとは聞いたことがありますが。料理の味は?隣のタイ料理はけっこう辛いわけですが、ラオス料理もそうなんですか?カンボジアはいったので、なんとなくわかるのですが、ラオスはよくわかりません(^^;;。玉井さんの以前のエントリーにホテルでお粥を食べた話しが出てきますね、あのお粥はとても優しい味わいのように想像しました(ま、お粥ですから、あたりまえか)。ラオス料理は食べたことがありませんが、ラオス人がつくっている日本風焼き鳥を、パリで食べたことがあります(--;。

Posted by: わきた・けんいち : February 17, 2008 04:14 PM

わきたさん
コオロギはわきたさんの食欲をそそりそうだと思いながら書いていました。ラオスでは、どこで何を食べてもまずいと思ったことはありませんでした。たべもの、というよりは料理の仕方かもしれませんがレベルがとても高いと思う。海がないだけに動物性の材料は少ないから、かえって料理法に頭をつかったのかもしれません。材料が豊富だから料理法が豊かになるという逆のばあいもありますが。
同じ理由がまったく逆の結果にみちびかれることもありますね。貧しく育ったからすぐれた人になるという場合もあれば、貧しく育ったから連続殺人をやったというのもあるんだから。

Posted by: 玉井一匡 : February 17, 2008 01:35 PM

玉井さん、こんにちは。僕も「虫だって爬虫類だってわけへだてなくうまそうに見えちゃう」人間なので、コオロギつまんで、「メコンに沈む夕日を見ながらのビアラオを」呑みたいですね~。仕事ぬきで、本当にのんびりしながら旅行をしてみたいです。

Posted by: わきた・けんいち : February 17, 2008 12:17 PM
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?