February 25, 2008

メコンを北へ

KajimaLaoBoatS.jpgClick to PopuP

 加嶋さんとわきたさんが「ラオスの路上で乾杯」のコメントで長い書き込みをしてくださり、「グレーの壁」と「グレーの塊」の応酬というすこぶるおもしろい事態にあいなった。加嶋さん夫妻はすでに日本にお帰りになった。現実とブログのあいだのタイムラグが大きくなってしまったので、ひとつエントリーして舞台を進めておこう。
*記述を軽快にするため、以下は敬語丁寧語を、ときに伝聞形を省略します。

 ビエンチャンに1泊した翌日に、加嶋夫妻はルアンパバーンへ飛行機で移動、そのつぎの日には船でメコンと支流のナムウー川を遡った。ルアンパバンからとどいたメールには、ビエンチャン路上の乾杯と一緒に、川のほとりで甲羅干しをする屋根付きの細長い船の写真が添付されていた。
「ボートでノーンキャウへ行くことにしました。ノーンキャウからウドムサイへバスで移動し、ウドムサイからどのようにするかわかりませんが、ヴィエンチャンへ戻ります」と書かれている。Googleマップでルートの地形を見ようとしたが、わからない。
ルアンパバーン(Luangprhabang)を開いてみてもラオス領内は地名の表示そのものがひどく少ない。ラオス語の本の発行が年間に50〜60点くらいしかないといわれる状態にあるのと同じく、情報を公開しない時代があって、自由化が進められる現在も、それがあとをひいているということなのだろうか。

KajimaMekongS.jpgClick to PopuPLaosKaoS.jpg
「ノーンキャウに行きました。ルアンパバーンからメコンを8時間遡りました。途中一軒もお店がなく、乗客の一人としてご飯を用意していません。仕方なく私が上の部落へ行って、ご飯を10人ぶんぐらい調達しました。その間ボートの運転手たちはゆっくりと魚とおかずのお昼を食べています。」
川に美しくそそりたつ岸壁と、やっとちかづいたのであろうノーンキャウの集落の写真を見ながら、他の乗客はどんな人たちなのだろうか、腹をへらしたときにどう反応したのだろう、そして、加嶋さんはどんな食べ物を調達されたのだろうということがぼくは気になってしかたない。そう書いてメールを送ると、さっそく加嶋さんから返信があった。
 地元の人たちは料金が安上がりなのでたいていはバスを利用するから、この船に乗るのはおおかたは外国からの旅行者たちなのだという。おそらく川沿いにまちができているはずだから、川に沿う道路があってそこを走るバスルートがあるのだろうと、勝手に想像をふくらませる。
 船の乗員が昼メシを食べている間に陸にあがってしばらく行くと農家があったので「カオ」という単語を憶えていたから、それを言って赤米のメシをわけてもらった。はじめは一人分しかなかったので、もう少し分けてほしいと言うと、自分たちの分がなくなりそうなのでちょっと渋い顔をしたが、もう1ドルを出すと喜んで分けてくれたという。ちかごろは日本でも作られるようになった古代米とも言われる赤米はモチ米の一種で、炊くのではなく逆円錐形のザルに米を入れて下から湯気で蒸して調理する。モチ米は米粒がたがいにくっつくから、おむすびにしなくてもからまっている。ラオスでは、それを、箸などをつかわずに手でちぎりながら食べるのだ。右は、このときの加嶋さんの写真ではなくて、ビエンチャンのレストランでぼくが撮ったものだ。レストランでは、ひとりずつ写真のようにふたつきの小さなかごに入れてあったが、市場で買ってきたときにはバナナの葉に包まれていたので、食べるときには葉を皿として使って食べた。
その「カオ」をもって船にもどりみんなに分けると、当然ながらその後はとても仲良しになったそうだ。

そう聞いて、ますます質問したいことが浮かんでくる。
・船の乗員は、ひとが腹を空かせているのを横目に自分たちは昼飯を楽しんでいるというのもおもしろいが、客を相手に弁当を売ればひとかせぎできるだろうに、それをしないのはラオス人のおおらかさなんだろうか。ベトナム人や中国人の船頭だったら、しっかり商売をするだろうに
・食料を調達に行くとき、船が行ってしまわないようにするために、船頭にはどう伝えたのだろう
・ほかの連中は、食料を調達しようとしなかったのか・・・etc.
これらの疑問は、まだ解決していない。なにしろ、まだ質問もしていないのだ。

KajimaNonkyauMesiS.jpgClick to PopuP
船による全行程8時間の途中、出発後3時間でモチ米の昼食をとり、その後さらに5時間を船にゆられてやっとノーンキャウについた。そこではちゃんとテーブルについて、安堵とともに食事にありついたという写真がある。
こうして写真を見ていると、ボートはメコンを遡ると同時に時間をも遡っているようだ。しかもメコンは、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、ベトナムの国々の境界をなすことが多い。そこでは対岸は外国なのだ。すると、橋のないところでは川のこちらとむこう側に時間のズレが生じているのかもしれない。ますます興味深い。
ここに夫妻は一泊、翌日にはバスでウドンタニへ向かった。

投稿者 玉井一匡 : February 25, 2008 07:45 PM
コメント

玉井さん、加嶋さん、こんばんは。
加嶋さんは、大阪にお住まいになっていたんですか~!!それも8年も。京阪沿線ですね。この京阪沿線は、淀川の左岸になりますが、僕のばあい、関西人でも土地勘があまりありません(^^;;。京阪にのっても、特急で京都から大阪までいってしまいますから。ただし、1度だけ貴重な経験をしたことがあります。三川が合流する八幡市あたりから、橋本、枚方、守口等をぬけて淀川の河口まで自転車で走ったことがあります。1泊2日でじっくり走りました。いまでは、すっかり大きな堤防で淀川は護岸されていますから、かつての「くらわんか船」の頃を想像するのはなかなか大変でしたけど。ところで、ラオスで「くらわんか船」ですか。これだけ観光のニーズがあって、食事も含めて施設が整っていないのであれば、ラオス版で小金持ちになれる可能性はありますね。でも、それが刺激になって、地元の人々が、かつての淀川みたいになっていくのは、なんだかいやだな~という気持ちもありますね(^^;;。落語の情報、ありがとうございました。こいう奇特な方がいらっしゃるんですね。ありがたいことです。

Posted by: わきた・けんいち : March 1, 2008 07:25 PM

えっ栗さん
「えっくりさん」としか読みようがないですよね。でも、うかがって納得しました。
ぼくにとってもそうでしたが、ラオスという国は多くの日本人にとって、心理的にとても遠い存在ですね。でも、そのおかげで、経済活動があらゆるものを決定しているこの世界にありながら、今のところおだやかな世界が残されているわけですから、ラオスのことを知ってほしいとも思い、そっとしておきたいとも思います。
となりのミャンマーも、ひとびとはとてもおだやかな人たちなのだというはなしを、ラオスで聞いたことがあります。だから、それに乗じて軍政があんなふうにはびこるのでしょうね。

Posted by: 玉井一匡 : March 1, 2008 01:03 PM

えっ栗さんはじめまして。妹さんにはお世話になりました。ルアンパバーンのchildren culture center もご紹介くださり、行ってきました。訪問目的の場所があるというのは、あての無い旅行が特別なものにかわりました。図書館はまだ蔵書が少なく、資料を探すというよりも子供たちが集まってきて楽しむ場でした。本はよく整理されていました。これからの充実のために少しお手伝いが出来ればいいなと妻と話しています。妹さんによろしくお伝えください。
 わきたさん、私も8年ほど大阪に住んでいたことがあります。いまでも京阪沿線とはおつきあいがあり、守口門真のジャズフェスの企画を書いたり、枚方の宿の街の活性化の企画も少し関わったりしています。上方落語にも三十石船や野崎まいりなど、船に乗っての情緒が面白く描かれてますよね。鳴り物入りの落語、好きでした。下に丁寧にそれを書き写した方がいます。
http://homepage3.nifty.com/rakugo/sanpo/yodo.htm
ラオスで、くらわんか船を経営すれば、当分は暮らせますね。うーーん、考えてしまいます。

Posted by: 加嶋裕吾 : March 1, 2008 11:32 AM

玉井さん、えっ栗は「えっくり」です。一時期栗のお菓子に凝っていた事から、名づけられたのですが、ブログで使っているうちに、すっかり当人はえっ栗と名乗る事に違和感がなくなってしまいました・・。
そしてご友人の加嶋さんに妹を紹介されていたんですね!!図書館にもいかれたとの事、びっくりしました。ご縁は繋がっていくものですね☆
加嶋さん、初めまして。図書館は如何でしたか?私は日本と違って活字の出版量の少ない国での、本というものの重みの違いをひしひし感じました。
ラオスののんびりさは、当初は驚きますが、帰国してしばらくたつと、無性に懐かしく感じます。妹に、加嶋さんが伺った時の話を今度聞いてみます!!

Posted by: えっ栗 : February 28, 2008 10:33 PM

加嶋さん
疑問に対して、かくも長大な回答をありがとうございました。
大変だけれど、それだけにこういう旅はいいなと思います。
治安はいいのだから、とりあえず生命の危険はない、あるいは少ないという前提の中で、泊まるところも定まらず行く先もわからない言葉も通じない、そして明快な空腹。
わずかな食料でつくられる安堵やら幸福感。
ありったけの服を着て凍えるというのはあまり望ましくないけれど、そこに種々の国籍の人々にさまざまな夾雑物を取り払った人間関係が徐々に発生し育ってゆく。
その過程を、舟という小さな閉鎖空間の中で楽しむのだから、いってみれば観客参加型の舞台劇のようですね。
あるいは、シャーレか飼育箱の中に自らを放り込んだ実験室のようでもあります。
そういう中で、このくにの未来を思い日本の行く末を案じる。

興味深い旅です。

Posted by: 玉井一匡 : February 27, 2008 05:12 PM

玉井さん

わきたさんのおっしゃるように、自分の旅に追いつくのが大変になってきました。えっ栗さん、ビエンチャンでは中村さんにお世話になりました。6日と14日にお目にかかりました。15日は北のほうに象祭りにお出かけになったそうです。ラオス人の商売のへたさ加減はsvcの川村さんとのおはなしにも出てきました。あの国は全くインフォメーションが無いと思って旅をした方がいいように思います。

  地球の歩き方によると、ルアンパバーンからノーンキャウまで船で4時間半とありました。船着き場をうろうろしている人(いっぱいいますが)に聞いたところ、7時間半だといいます。最初、地球の歩き方を信じたがっている自分に気がついていました。こんな簡単な船で7時間半の訳は無い!?

 切符を買う時にも、掲示板には白墨で値段が書かれているだけです。近くに食事屋もありません。少し離れたところにカフェ風のものがありまして、船を見ながら食事をしてます。私たちは船着き場へ下る道の途中にいるおばちゃんから椰子を求肥にまぶしたおやつを買って遠足気分。

 8時30分ごろから順次船に乗り込むと乗り切れない客が出てきます。するとようやくもう一隻にのれと言う声。そちらに何人かのります。いつ出発するやら、ようやく出発となって見ると、もう一艘はガラガラ、こちらはいっぱい、それなのに向こうの客の荷物がこちらの船に載っている????。何の放送もなく(設備もなし)、運転手と見張りが一人。少し走ると岸そばの大きな船に横付けます。既に遅れて出発なんだから早く行こうよ、と思います。2艘が並ぶと、止まっていた大きな船からホースが出てきて、給油。客の荷物を踏んでエンジンルームへいって燃料を入れる。その間に相互の客が船の寒さから荷物のなかから防寒になりそうなものを出している。僕も意味も無く隣の船に行っていると、何も言わずに出発。あわてて船の縁から戻りました。またもノーインフォメーション。

 8時間の間、トイレ休憩2度、乗務員のための食事1度停泊しただけです。最初のトイレ休憩も船を岸に着けると乗務員が森の方にかけていった。そこで客モゾロゾロ降りる。女性も仕方なくよそから見えない林にいって、用を足す。8時間の間、曇天の水面をわたる風は冷たく、皆荷物からあるだけの衣料をだして凍えていました。

 お昼のときにも何も言わず。乗務員はご飯の入ったかごと魚と少しのおかずを出して、4人で岸の砂に座るとさっさと食べ始めます。乗客はそれまでの無言の停船にすっかりあきらめ顔で岸に寝転んだり、ぼんやりと座り込んだりしていました。その時点でその後どれぐらい時間がかかるのかさえも分からずじまい。乗客は外国人ばかりなのに、乗務員は誰一人外国語が出来ません。そこで時計を見せて何時に「ノーンキャウ?」というと4時から5時を指します。あきれました。乗務員の食事の様子を見ていると、結構ゆっくりしそうな様子です。まわりには砂地との林で民家も見えないことから、皆呆然としていました。そこで私は簡単に出発をしないだろう、また私がいなければ妻が船を待たせてくれるだろうと思い、誰にも言わずに林のなかの道を上ってみることにしました。少し前から河に沿って道が走っているのを見ていたのです。少し上ると民家が見え、アヒルを飼う池がありました。その高床の家を過ぎると、道に出ました。この道はルアンパバーンからノーンキャウへ通じる主要道のようです。

 みちにはコカコーラの垂れ幕を張った家があり、店を思わせました。がっかりしたことにそれは幕だけで人も見えません。右を見ると男の人がいます。この家に入っていってカオをお願いした訳です。一人一握り分のカオをビニール袋に入れて持っていったときに、乗客は喜びましたが、まだ河を5時間も走るとは思っていなかったようで、のんきに食べ始めました。西洋人のなかにはビニールに入ったカオが不潔そうに見え、いらないという人もいました。その人は隣の船のためにその後の表情は分かりません。隣の船は客が少ない分どんどん前に行っていまい、僕たちがノーンキャウに着いた時は乗務員も見えず、客も降りた後、向こうの船に載せた荷物もどこに行ったか分からない始末でした。

ノ–ンキャウからウドムサイへのバスは5時間、船であっていたオーストラリアの男に、この間にご飯が買えると思う?と聞くと「I don’t think so」。あわててあの写真に写っている屋台でご飯と肉と魚と野菜のお弁当を仕入れました。この時もなんのインフォメーションもなし。トイレ休憩もなし。

 というわけです。川村さんにこの様子を言ったら、ほんとにラオス人は商売が下手なんです。とのことです。妻は「私だったらお弁当を売りあるくわ」まあ、我々にとっては当然のことですね。一方、船でもバスでも日頃うるさい外国人の誰も文句を言いませんでした。これはラオスの力なのではないでしょうか。 

 私たちの船はメコンの途中からナムウー川に入り北へ向かうものでした。ところが船でメコンを上るものに2日かかるものがありました。最初そちらに行こうと思っていました。もしそちらにいったら一体どのようなことになっていたのでしょうか?

船の乗員は、ひとが腹を空かせているのを横目に自分たちは昼飯を楽しんでいるというのもおもしろいが、客を相手に弁当を売ればひとかせぎできるだろうに、それをしないのはラオス人のおおらかさなんだろうか。ベトナム人や中国人の船頭だったら、しっかり商売をするだろうに
・食料を調達に行くとき、船が行ってしまわないようにするために、船頭にはどう伝えたのだろう
・ほかの連中は、食料を調達しようとしなかったのか・・・etc.にお答えをして。

Posted by: 加嶋裕吾 : February 26, 2008 11:22 PM

わきたさん
くらわんか舟のことは初めてうかがったことだったのでwikipediaを読みました。
バンコクのクリークに観光客を乗せたボートがとまるごとに小さなボートがやってきて土産物をうりつけに来ますが、ラオスでは悪しき観光化が、まだ進んでいないということなのでしょう。数年もすれば、あのころはよかったと言われるようになるのかもしれませんね。
三十石船もGoogleで探してみました。
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/伏見界隈_002.htm

Posted by: 玉井一匡 : February 26, 2008 05:18 PM

えっ栗さん
お聞きおよびかもしれませんが、加嶋さんには妹さんのこともご紹介したので、ラオスに着いたその日に図書館にいらして、ラオスについていろいろとお聞きになったあと、ビエンチャンを出発なさったようです。
あまり観光化されていないところでは、どう振る舞いどう人と接するべきかを旅行者も本気で考えることができますね。裏返せば、そうやってひとりの人間と人間として接することが、観光化されていないところにいく楽しさなのですからね。
ところで、「えっ栗」って、なんと読ませるのですか?

Posted by: 玉井一匡 : February 26, 2008 05:02 PM

玉井さん、もう、話しがあちこちに分散して、収拾がつかなくなっていますが(^^;;、とりあえず最新のエントリーに追いつくことにします!!文章を拝見していて思い出したのが、淀川の「くらわんか舟」です。今はもう昔、江戸時代の話しですが、大阪と京都のあいだにある枚方(ひらかた)は、河川交通の中継地点として栄えていました。ここで停船しようとする船に近づいて、食べ物や酒などを売っていた地元の小舟のことを、「くらわんか舟」と呼んでいました。「くらわんか」とは、ちょっと乱暴な田舎の言葉ですね。詳しくは下のURLでごらんください。で、話しはかわりますが、風景写真、いいですね~!!あっ、そうか写真は、加嶋さんが撮影したものですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%8F%E3%82%93%E3%81%8B%E8%88%9F

Posted by: わきた・けんいち : February 26, 2008 10:13 AM

ご友人のラオス旅行記のお裾分けを楽しませて頂いてます。
メコン川(今回の記事の場所と、私が訪れたビエンチャンは場所が違いますが)は特に印象深かった旅の思い出の一つなので、あーこういう風に河川を下るのもいいだろうなあと、思いました。

もう一つ反応してしまったのは、玉井さんが書かれているお昼ご飯に関する商売をしないラオス人の件です。私自身は1回だけの短期滞在ですが、在住の妹の話を聞いていると、おおらかさ故に、商売にしないような気がしてなりません(笑)あのおおらかさは、仕事の上では大変かもしれないのですが、東京で働く身としては、真逆の世界で、すごく新鮮に映りました。

引き続きのレポートを楽しみにしております。

Posted by: えっ栗 : February 25, 2008 10:19 PM
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