August 11, 2008

東京新聞:TOKYOどんぶらこ 中井

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 iGaさんが東京新聞の紙面をわざわざスキャンしたのをメール添付で送ってくださった。カフェ杏奴と林芙美子記念館にかかわる記事だった。
落合界隈のなかなか力の入ったイラスト地図と、そこに描かれている店やみどころについて取材した記事「界隈ルポ」、さらに、関川夏央が林芙美子とその住まいについて書いたゴシップ的文章「『庶民』がつくった古里」という三つ。
 このことは、前日に通りかかって立ち話をしたカフェ杏奴のママに聞いていたが、落合のまちのことを掲載するというので取材に来たけれど、その後は連絡がないから、どんなふうに掲載されるのかされないのか分からないということだった。iGaさんが東京新聞の読者だから、こいつは教えなきゃと思っていたところだ。
 あとになって新聞も見せてもらうと、一面をつかってこれらをレイアウトした紙面は、予想以上に充実している。イラストにはカフェ杏奴が大きく描かれているし、カップもLOVEGARDEN製であることが判別できるほどの精度で描かれている。「界隈ルポ」を見れば、店の内部の写真も掲載されているではないか。

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 関川によれば、林芙美子の死んだときに葬儀委員長をつとめた川端康成は、林芙美子は自身の文学的生命のためにひどいことをしたことがあるが許してやってくれと、通夜の挨拶で言ったという。
ところが、正式の儀式が終わったあとに近所のおかみさんたちが100円の香典をもって続々と弔問に駆けつけて参列者を驚かせたそうだ。文士仲間にどういう迷惑をかけたのかは「出版界、とくに女性作家で、彼女のわがままや意地悪に悩まされなかったものはまれだった」としか書かれていないけれど、文士に嫌われたとしてもおかみさんたちに愛されたのだとすれば、すくなくともその逆よりはずっといいじゃないかとぼくは思う。
 「古里をもたない」と放浪記に書いた林は拘束としての古里から自由だったように、モラルという古里からも自由に生き恋愛をしたが、こうして支持してくれた「庶民」の存在とこの家によって自身の「古里」をつくったと関川は言い、林芙美子がつくりあげた家に見られる「『庶民の力量』にただ感嘆するのみであった。」と続けているが、それは日本がかつて持っていた文化の力であり、その文化は庶民に支えられていたということなのだ。しかし、その力量と眼力はいまやことごとくブランドの吸引力に吸い込まれて、うしなわれてしまおうとしている。

■追記
 この新聞のおかげですてきなことがあったと、杏奴ママが教えてくれた。
 新聞が出たあと、店に女の人から電話がかかってきた。
「店の名からすると鴎外の娘の杏奴と何かのご縁があるんでしょうか」とたずねられた。
かつてぼくが同じ質問をしたときと同じように
鴎外の小説が好きだがとりわけ縁があるわけではないけれど、杏奴という名前が好きなので使わせてもらったと答えたのだろう。
「じつは私の母は鴎外の次女・杏奴なので、新聞を見てご縁があるのかと思い電話をかけてみたくなったのです」
いずれ、いちど店を訪ねてみたいと言って電話を切ったという。
・有名な話だが、森鴎外は自分の子供たちにすべてヨーロッパ風の名前をつけた
 長男・於菟、長女・茉莉、次女・杏奴、次男・不律、三男・類

■関連エントリー
1)カフェ杏奴:こだわりのないということ
2)「住む」夏号・小さな平屋
3)林芙美子の住んでいた家:林芙美子記念館

 

投稿者 玉井一匡 : August 11, 2008 01:49 AM
コメント

shinさん
東京新聞はおもしろそうですね、関川夏央は、かつて明治の文壇のことを題材にした劇画の原作を書いていたことがありますから、こういう話は得意なんでしょう。

Posted by: 玉井一匡 : August 13, 2008 03:12 AM

いのうえさん
 先日は、久しぶりで杏奴でお会いできましたね。
植木屋のエピソードもおもしろいですね。ところで、それに対して芙美子は、どう反応したんでしょうね。

Posted by: 玉井一匡 : August 13, 2008 03:06 AM

ご無沙汰です
この新聞取ってまして、いのうえさんに早速知らせました。中井なのに、なにか唐突にカフェ杏奴が登場した感じです。それにしても林芙美子のことはほとんど知らないけれど、関川夏央さんの記事おもしろかったですね。記念館見に行ってみよう

Posted by: shin : August 12, 2008 05:53 PM

玉井さん こんにちは。芙美子邸のエピソードで面白かったのは 現在庭の中央にある柘榴の木を買いに行った時 あまりにみすぼらしい恰好だったので 植木屋が芙美子を本人と思わず芙美子の使用人と勘違いしたという話しがあります。ご近所のおかみさん連中が香典をにぎりしめて葬式に殺到したというのもうなづけます。芙美子からみて文壇の方こそきわめてスノッブでインチキな世界だったのかもしれませんね。

あ 申し遅れましたが貴エントリーを拙ブログの9日付記事の中にリンクさせていただきました。

Posted by: いのうえ : August 12, 2008 01:02 PM

iGaさん
たしかに、中井の駅が左から1/4くらいの位置にあって、右のはじにカフェ杏奴がある。新目白通りから旧目白通りまでイラストがまたがっています。カフェ杏奴そストリートビューで見ると、もちろんロールブラインドが下りたままですが、それでもシャッターがおりているよりははるかにマシですね。
 刑部人アトリエをつぶしてつくった集合住宅は既にできあがっていますが、ストリートビューはもう一歩というところです。ところが、Googleマップでは、まだ刑部人アトリエが顕在です。いまのうちに屋根伏図の写真を保存しておいた方がいいぞ。・・・と書きながら、ぼくは保存していなかったことを思い出しました。

Posted by: 玉井一匡 : August 11, 2008 10:06 PM

「中井」と云う括りから外れているような場所にある「カフェ杏奴」を破格な扱いで取上げていますよね。余程、取材の記者、カメラマン、イラストレーター、皆さん気に入ったのでしょう...ね。

そういえば、ストリートビューで見ると、多少は既存の植樹も残しているようですが刑部人アトリエ跡地のハウジング計画の工事は外構と内装を残して竣工間際に撮られているように見えます。

Posted by: iGa : August 11, 2008 05:55 PM
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