August 13, 2008

蝉のカラ揚げ

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 ”蝉の殻をあつめる人”のエントリーでChinchiko-Papaのコメントに反応して、蝉の殻を食べてみるとコメントで公言してから、いつのまにか数日が経ってしまった。
意識して引き延ばしたわけではないけれど、ついつい押されてしまったのはやはりいまひとつ美味そうに思えなかったからなのかもしれない。新潟に来た翌日の朝、5匹の抜け殻いや5匹分の抜け殻を集めた。研究する人のために残す配慮はいらないから、すこし多めにとってきたのだ。それを、AKIさんが泊まった昨夜、やっと食べて見た。

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 天ぷらにしてみるかとも思ったのだが、ころもをつけて揚げれば何でも同じ天ぷらになってしまう。もみじの葉っぱなんてうまいはずもないが、天ぷらにして食べるとけっこううまくなる。だから、カラそのものの味を試したいし、かけことばにも惹かれて、カラあげにすることにした。
 何もつけずに、水で洗って乾かしたやつをそのまま油にいれた。ちょっと揚げすぎたのかもしれない、だいぶ黒っぽい色になった。1匹を秋山さんに強引に勧めた。おそるおそる醤油をつけて食べてみる。たとえば小エビのから揚げなら、いかにもうまそうな匂いがするけれど、こいつは匂いというものがなにもない。エビの殻のように揚げたときに膨らむということもない。まだかまだかと揚げているうちにただ黒っぽくなつだけだった。噛むと細かい破片になって口の中にはりついて、ただ食べにくいだけだ。うーむ、残念ながらすこしもうまくない。とにかく、4匹分を食べた。

 人間だって生物である以上、身体が必要とするものは美味しいと感じるようにできているはずだ。だから、ぼくはうまいと感じるものをたべることにしている。
つまり、うまいと思わないものは、身体が必要としていないのだ。・・・と思う。
味覚というものは人間が食べる必要のあるものや食べてはいけないものを選別するために備わった知覚であるにちがいない。
しかし、ぼくたちの祖先は、あるときは飢えとたたかうために、あるときは好奇心からその知覚の境界に挑んで、旨そうには見えないがじつはうまいというものを発見することで、すこしずつ少しずつ範囲を拡げてきたのに違いない。・・・だが、こいつはダメだと、ぼくは結論づけた。

投稿者 玉井一匡 : August 13, 2008 03:14 AM
コメント

kawaさん
たしかに、この手の話は面白いですよね。
今度お会いしたときの楽しみにしましょう。
当事者もみんないい年だから記憶もそうとう怪しくなっている。
何が事実か真実とは何かを考えると、歴史とはあとになってつくられるものだということを思います。つまり、つぎに第三者たるkawaさんを含めて語られることが歴史として確立されるのでしょう。

Posted by: 玉井一匡 : August 16, 2008 11:01 PM

このエピソードがとても好きなので、今更真実を知ってもメモリーの更新が出来るかどうか分かりません。でも次回お目に掛かれたら、真実を教えて下さい。

Posted by: kawa : August 15, 2008 09:34 PM

aiさん
そう、薬なんですね。薬なら一気にゴクリと飲んじゃえばいい。
冬虫花草ってのは、まだ見たことはありませんが、あれも不思議というかグロテスクというか、なんだか気の毒な気がします。

Posted by: 玉井一匡 : August 15, 2008 05:17 PM

kawaさん
 ちょうど、新潟でIさんと3人でその時代の話をしました。
kawaさんのお話はちょっと事実と違うようにおもいますが、まあその方が話が面白いだですね。

Posted by: 玉井一匡 : August 15, 2008 05:01 PM

と、するとこれはバクバクと食べて美味しいものではなく、お薬になるということが納得です。冬虫花草が繁殖した蝉がまたまたお薬にるのかも・・・と思ったりして。虫ごとに冬虫花草の形が違ってくるのだと研究している人の本で読んだことがあります。

Posted by: ai : August 14, 2008 05:24 PM

一生懸命、図面を書いていたmura-kuro組の脇で、夜になるとゴム鉄砲でゴキブリを撃つのに夢中だったaki-tama組。
同じ東事務所でも系統が二つあったという話がとっても好きです。
MさんもKさんも蝉、食べないだろうな。

Posted by: kawa : August 14, 2008 05:22 PM

あかねこさん
蝉そのものをつかまえずに殻をあつめて、蝉の状況を間接的に知るというのは、苦労も少ないし命を奪うこともないすてきな方法だと、ぼくは思いました。
それが、食べても旨いということだったらいいなと思ったのですがそうはいきませんでした。

Posted by: 玉井一匡 : August 14, 2008 08:40 AM

iGaさん
生きているものの命をうばことがないという意味では、ある意味ではとても気持のいいという側面があったのですが、ちっともうまくないのは残念でした。ひと月ほど前に、信州のそば屋で、久しぶりに蜂の子を食べたので、試したくなったのだと思います。
 カラスなどは、蝉の幼虫がでてくるのを待ちかまえていて食っちゃうんだと、「蝉の殻をあつめる人」はおっしゃいました。そういう活き作りみたいなはつらいですよね。

Posted by: 玉井一匡 : August 14, 2008 08:33 AM

レポートありがとうございます。うーん、たしかに味はなさそうですね・・・。
うちの近所のセミの抜け殻がいっぱい取れる場所では、残念ながら抜け殻を見つけることができませんでした。

Posted by: あかねこ : August 14, 2008 08:28 AM

ん〜やっぱり、命あるものを食べないと命を育むことは叶わない、と云うことですかね。旬を食べると云うのは、そーゆーことかも知れませんね。命があふれ瑞々しい時が一番美味しいのだ。

Posted by: iGa : August 14, 2008 08:14 AM
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