September 07, 2008

「特集上映 佐藤真監督回顧」

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9月6日(土)から、ドキュメンタリー映画の佐藤真監督のしごとが、「特集上映 佐藤真監督回顧」として連続上映されている。映画のほかにテレビのためにつくられた映像も網羅している充実だ。会場は6日から渋谷のユーロスペース、16日からは、お茶の水のアテネフランセ文化センター。(詳細については文末から会場のサイトに跳んで確認して下さい)
 佐藤真がみずから命を絶って、この9月で1年になった。
有機水銀で汚染された阿賀野川流域で生活するひとびとを描いた「阿賀に生きる」や、遺作となった「OUT OF PLACE エドワード・サイード」などがあるのだが、関連の本を読んでから見ようなどと思ってグズグズしているうちに、ぼくはいずれも見損なってしまった。
 ただひとつ、写真家牛腸茂雄(ごちょうしげお)を描いた「SELF AND OTHERS」しか見ていない。この機会に、すくなくとも阿賀とサイードの二本は見ようと思う。
 夭折した人が遺したしごとというのは、短い時間のあいだに凝縮されたもののひと揃いを手のひらに載せるようにして見ることができるし、やり残されたはずのしごとも余韻としてききとることができる。49才を夭折というのには異論があるかもしれないが、ものをつくる人間としては、早すぎる死だ。
 「SELF AND OTHERS」を見たのには、じつはいささか個人的な理由があった。

 牛腸茂雄は、ぼくには身近だったまちの出身で、そこは新潟の市内から30kmほど離れたところにある落ち着いてこぢんまりとしたいいまちなのだが、その郊外の県道沿いに彼の育った家があって、ぼくは何度もその前を通ったことがあるはずだった。映画には牛腸自身を写した映像がほとんどなくて、彼が残した写真と本人の声や写真を撮った場所を素材にしているということにも興味をひかれた。
 佐藤の映画はこのひとつしか見ていない、しかも数年の時を経たという時点で考えることを、門外漢の気楽と性急さで書きはじめてしまうことにする。ドキュメンタリー映画は、事実の痕跡を宿す断片を撮って、それをある意図のもとに編集構成し、それによって、その中や背後にひそむ真実を発見し表現するものだろう。その意味で、じつはドキュメンタリー映画は主観とは無縁ではありえないはずだ。
ぼくたちはだれもが無数の現実に接しながら数十年の時間を生きつづけて、その最後あるいは生きている時々刻々に、世界とはなにかということを感じ考え、そのたびに自分はなにものであるかを知る。他者を編集し構築するドキュメンタリー映画作家は、同時に自身を編集し再構成するはずだ。そのとき彼はたえず生と死をくりかえし確認していたのかもしれない。
「阿賀に生きる」にはじまり「SELF AND OTHERS」を経て「OUT OF PLACE」に至る間に構築されたいくつもの現実と真実が詰められたたくさんの小筐が、この連続上映もしくは佐藤真という箱の中に、入れ籠になっているようなものだろうと、ぼくは期待しているのだ。その箱たちの全体が集まったものから、ぼくたちは何かあたらしいものを読み取ることができるのではないか。

■9月10日・佐藤真監督追悼番組 衛星劇場「日常という眼差しー映画監督佐藤真の軌跡ー」の上映と山本草介(構成・編集)のトークに行こうと思っている。が、もう明日になってしまった。
山本草介は、「SELF AND OTHERS」を見て佐藤真に弟子入りした。のちに映画「もんしぇん」の監督
・9月10日21:00から/ユーロスペース/同時上映「花子」

■映画上映の日時と場所・上映作品は、下記のサイトを参照してください。
*ユーロスペース:9月6日〜12日
*アテネフランセ文化センター:9月16〜20日、9月24〜27日、9月29日

投稿者 玉井一匡 : September 7, 2008 05:01 PM
コメント

全部通して見たのか、部分的なものだったのか、何より内容ををほとんど覚えていません。
そのスタンスとその成果にただ圧倒された事だけを覚えています。

Posted by: pandora beads : September 9, 2010 02:48 PM

全部通して見たのか、部分的なものだったのか、何より内容ををほとんど覚えていません。
そのスタンスとその成果にただ圧倒された

Posted by: pandora bracelet : September 9, 2010 02:48 PM

kawaさん
エントリーに書いたとおり、ぼくはまだ「阿賀に生きる」も「OUT OF PLACE」も見ていませんから、何が、このkawaさんをびっくりさせるほどの力を持ったのか、ますます見たくなりました。
山本草介によれば、かつてこの映画に関わった人たちや映画をみて惹かれたひとたちなどが、毎年一度、阿賀にあつまって映画を見たり飲み食いするそうです。
一本の映画が、そういう力をもつということがすてきなことだし、そのあつまりがとてもいいのだと言っていました。ぼくも来年は行ってみたくなりました。だけど、みんな飲むんだろうなあ。

Posted by: 玉井一匡 : September 13, 2008 11:52 AM

日本の映画に不満を感じるのは、何より作る側の作意が感じられない事でした。道を歩く二人とか、シナリオに書いてある状況が出来ると漫然とカメラを向けてフレームに二人が入っていれば良しとしてしまう。画面の中に二人がどう入っているのか、どんな大きさで人物がどこにいて何色なのか頭の中にイメージが出来ていないのではないか。絵が描けていないのではないか。もっと強烈な作為が必要なのではないか。腹を立てる事が多かったのです。
そう言った考えを180度ひっくり返してくれたのが「阿賀に生きる」でした。一切の作意を捨ててひたすら目の前の真実と状況に立ち会う。そうした事でのみ得られる事実があるんだ。
本当にびっくりしました。。
テレビで見たと思うのですが、全部通して見たのか、部分的なものだったのか、何より内容ををほとんど覚えていません。
そのスタンスとその成果にただ圧倒された事だけを覚えています。

Posted by: kawa : September 12, 2008 11:39 PM
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