December 04, 2008

「明治百話」の初日

MeijiHyakuwaUraS.jpgClick to PopuP

 Psalmのふたりが出る「明治百話」の初日を見た。
 いつ来てほしい?ときくと、お客さんの入りの善し悪しは芝居のできを左右するから初日に来てくれるのがいいなという。
行ってみればお客は歩道に行列をなしている。思いのほか客足がよくて満員の盛況だった。
コンサートであれスポーツであれ、始まりの時はみんなそんなものだが舞台も客も相手のふところに入り込むことができずにぎこちなかったけれど徐々にこなれてきて、なかなか面白かった・・とは多くの声だった。が、明治百話を読んでおくと別の楽しみがある。
masaさんと電話で話したら「明治百話」の本にはじっさいにちょうど百の話があるという。自分でも目次の表題を数えてみたら、たしかにその通りだ。
ちょうど話が百あるというのなら、たとえば百枚のカルタをつくる。そのなかから5枚のカードを取り出して、それにジョーカーを一枚加えてひとつの芝居にしたてるのだ。芝居を見ながらここはあれ、さっきのはあそこだなとつきあわせるのがもうひとつの楽しみだ。念のためにつけ加えておくと、ジョーカーとは脚本家(稲津真さん)があらたにつけ加える人物と筋書きというほどのつもりだ。
明治百話は平野公子さんが目をつけたのだそうだが、面白い趣向だ。つぎつぎと、いろいろな明治百話ができる。

 てっきり地階にあると思いこんでいたiwatoは1階にあるのだった。ビルのドアを入るとすぐ右に置いた机がチケット売り場兼もぎり、すぐ左に劇場の入口がある。ロビーだのホワイエだのなんてものはなにもない。だから行列は道路にあふれ盛況を誇示し、休憩のときにも客は歩道にこぼれだす。ちょっと窮屈だと思うが、それがいいのだ。むしろ、道路を劇場に取り込んでしまうようなものではないか。何の看板もないけれど、ひとの賑わいで、そこに芝居小屋があるのだと知れる。いっそ歩道にベンチや椅子を持ち出してにぎわいをおすそわけしたいところだ。下ろしたシャッターの前が、ベンチをおくにはちょうどいい。テントで芝居を打つということは、芝居の世界がまちにこぼれ出すということなのだ。シャッターを岩戸に見立てれば、いつかはシャッターが開いて芝居がまちにくりだすんだろうか。

 この芝居の狂言回しには九代目山田浅右衛門を立てている。「明治百話」の本のいちばん始めに登場する人物を、そのまま芝居の始めに持ってきて、前口上を語らせる。明治中期に斬首刑がなくなるまで、代々首切り役人を務めいていながら知行をもらわず、代わりに死体をもらい受けて死人の肝を使った薬を売ることを許されていたので、たいそうな財をなしたという。先代は幕末だったから吉田松陰などを斬ったときのようすを、本では九代目が語っている。唯一、芝居の登場人物の中では歴史に書かれている人物だ。

 この芝居、じつはいのちについてのものがたり、いのちを物差しにして時代を測るたくらみかもしれないと、いまにして思う。つい百年すこし前、日常の近くに死があり、今ではとてもいのちを大切にするようであるけれど、遠くでたくさんのないがしろにされ利益のタネにされたいのちが消される。じつはいのちの価値はいまの方が高いとはかならずしも言えないのではないかという気がしてきた。      おもしろかった。

 そうそう、芝居の途中、ひとのいまわの際という重大な場面で携帯の呼び出し音をならすやつがいた。バカめ!と思っていたら音が近い。実はぼくの携帯だった。こういうところでならしたのは初めてのことだし、たいせつな場面だったからさすがに慌てた。あわてるからなかなかみつからない。みつけたら機械をひねりこわしてやりたいと八つ当たりを思ったが、なにしろヘビーデューティーの携帯とあってそれもならず、昨日かりんにそれを白状して平身低頭した。夕海には、そうだと思ったと言われた。

投稿者 玉井一匡 : December 4, 2008 12:55 AM
コメント

秋山さん
ご夫妻でお越し下さり、ありがとうございました。
お寄り下さったのに、夜だとばかり思っていて留守をして失礼しました。
ギンレイホールは、携帯の電波がとどきません。
 先日、ためしにiPhoneでGoogleマップをひらいたら、wi-fiがつながったのです。休憩時間に映画の舞台がニューヨークならストリートビューが見られたりするのです。そういうことがあったので、つい気がゆるんだようです。

Posted by: 玉井一匡 : December 8, 2008 03:32 PM

昨日、家内と行って参りました。
芝居を観るのはひさしぶりですが、大変面白く観ました。
始まる前に何度も iPhone のスイッチを確認しましたので、観劇の邪魔する事なく........でありました。

Posted by: 秋山東一 : December 7, 2008 10:29 AM

あかねこさん
いつも、ありがとうございます。純粋に楽しんでくださったとすれば、それは、なにより純粋にうれしいことだと思います。

Posted by: 玉井一匡 : December 7, 2008 12:35 AM

私も昨日観てきました。
明日の千秋楽も見たいくらいです。一応社会人としての責任を果たさなければならないので明日は無理なんですが。。。本当に風邪を引いたことにしちゃいたいくらいです(笑)

純粋に楽しみました。
それと私は着物が好きなんだとしみじみ感じました。夕海さんの着物、素敵でした。

Posted by: あかねこ : December 6, 2008 08:14 PM

nOzさん
そうか、芝居からそういうことを想像したことはありませんでしたが、そうですね。
地階でなくて、道路からすぐ芝居小屋がはじまるということも、そう思わせる理由のひとつなのでしょう。で、それが出演者にも力を及ぼすだろうし、2階に黒テントの稽古場があるからホームグラウンドにいる気安さもある。それに、平野甲賀・公子夫妻の人柄もいい影響を及ぼしているようです。
平野って、広々とした芝とつながりますね。

Posted by: 玉井一匡 : December 6, 2008 12:21 PM

iwatoの世界が外に広がるイメージは「芝居」という言葉から想像できる「芝の上に居て観る」という舞台のオープンな原風景とマッチしますね。

Posted by: nOz : December 6, 2008 11:34 AM

光代さん
いらしてくださって、そしてコメントをくださってありがとうございました。
MacBookが入院中なので、自宅でiPhoneで読んでいたのですが、修正できなくて、いまやっとiMacで訂正しました。
NHKの「篤姫」でも「明治百話」でも、あの時代の変わりようは大変なことだったということを人間一人一人の視点から感じさせられます。
それを思えば、今の日本のことは大したことではないぞ、世の中を変えるいい機会にしなきゃあいかんなんて思います。

Posted by: 玉井一匡 : December 6, 2008 11:29 AM

親と子 男と女 ・・・など 人の繋がりを 時代の中に上手く溶け込ませてありましたね。
そして、激しく変化する時代の中にあって、一人の人間が「よって立つ所」を一体どこに求めるのか
そんなテーマが 丁度 今 この激しく変化している時代にもぴったりと添うてきて 面白く見ました。

そして、私は 声の出し方、言葉とその抑揚、立ち居振る舞い、舞台の使い方など 沢山のことを得させて頂きました。
良い時間でした!

 

Posted by: 光代 : December 6, 2008 07:42 AM

furuさん
どうもありがとうございました。
ふたりは、いい場所をいただいたようですね。

Posted by: 玉井一匡 : December 6, 2008 03:24 AM

中日の今日も満員でなかなかの賑わいでした。
演技者に失礼の承知で脚本が良いとあらためて思いました。
明治という時代の大転換点を舞台に人と人のつながりがたくみに描かれているともいました。

夕海さん、舞台で輝いていましたよ。

Posted by: fuRu : December 6, 2008 12:47 AM
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