October 03, 2009

内澤旬子と3匹の豚

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 「世界屠畜紀行」を書いた内澤旬子さんが3匹の豚を自分で育てた。それをみんなで食べようという会が、神楽坂のiwatoで開かれるとmasaさんから聞いた。彼女のブログ「内澤旬子 空礫絵日記」にそのイベントについて書かれている。
 しばらくぼくは読んでいなかったから、彼女が豚を育てていたことすら知らなかったが、ひどく興味をひかれて、豚を食べに行こうと思った。

9月29日の夜、会場は牛込神楽坂の駅の近く、新宿区岩戸町にある芝居小屋 iwatoだ。昨年末に「明治百話」という芝居を見に行った劇場だ。その「明治百話」に参加した娘に知らせたらすでに知っていたので一緒に行くことにした。そのときにいらしてくださった皆さんにもお知らせすればよかったと途中で気づいたがもう遅い。ぼく自身も当日まで行けるかどうか定かでなかった。

 17:00から22:00までと書かれていたのでぼくたちは七時半ころにiwatoに着いたが、すでに大盛況、150人と書かれていた人数はとうに超えているようだった。会費を払って中に踏み込むと、宴たけなわと言いたいが時すでに遅く、テーブルの上にはほとんど空の皿に挽肉の料理が散っているばかり。だれにも声をかけなくてよかったと、むなしい安堵。
 豚3匹といったらとても喰いきれないほどあるだろうと勝手に思いこんでいたがとんでもない誤解をしていた。豚を食べる会だと勝手に思いこんでいたが、「内澤旬子が自分で育てた豚」をみんなで食べるという会であって、あたりまえだが食べることそのものが目的ではないのだ。・・・多めに出して残してしまうということはしたくなかったし、肉の量と参加者の兼ね合いがなかなか難しかったという事情が、「内澤旬子 空礫絵日記」に書かれている。
 

 会場は、昨年来た芝居小屋の客席を取り払って平らにした床、高い天井、塗装の剥げた壁、あふれる人、ぎっしりと詰まった会話と騒音、豚の映像、どこか中国の片隅のようで、ぼくはそれがすっかり気に入った。となりの酒の安売り店とコンビニで空腹を満たすものは調達した。
 僕たちが中に入ると、ちょうど内澤さんが前に立って話をするところだった。「わたしの育てた3匹の豚のために、こんなに沢山の方が集まってくださって、ありがとうございます」と話すとなりには、プロジェクターから生前の豚たちの姿が映し出されている。解体は、プロの手によって食肉加工場でされたそうだが、その様子はうつされていなかった。次々と人が寄ってくる内澤さんにはどのみちゆっくり話を聞けそうもなかったから、離れたところから見ると想像通りの人のように思われた。
 
 ぼくたちは、生きている魚をさばいてすぐに食べることにはほとんど抵抗がないけれど、大部分の人は哺乳類が解体されるのを目にして肉を食べたことはない。それはきっとつらいことだ。しかし、それは人任せにしてしまえば、食べることは何の抵抗もない。そのうえ、その作業をする人たちを差別した。ひどいはなしだ。
 明治になるまでは、魚や鳥は食べたが「肉食」をしてはいけないことになっていた。とはいえ、イノシシやウサギは食べた。クジラは魚の一種だと考えていたから、イノシシはヤマクジラと呼んでクジラの一種のようにしたし、ウサギは大きな耳を翼とみなして「一羽、二羽」と数え、鳥の一種であるということにして食べてきた。日本人のこういう融通性に満ちた生き方は、ぼくはきらいじゃない。しかし、肉食がふつうの習慣になると、屠畜というつらい作業はそれまで皮革製品の加工をしてきた専門職にあずけてしまったのだ。
 
 その理不尽に立ち向かうには、ベジタリアンになるか、生き物のいのちをもらうことを事実として正視できるようになることだ。内澤旬子は後者の道をとって、「世界屠畜紀行」を書き、今度はさらにはもう一歩踏み込んでみずから豚を飼い、それを食べるという行動に挑んだのだろう。それを岩波の「世界」に連載することになったということも、この日話した。
だが、世界屠畜紀行には解体を目にすることのつらさについては書かれていないし、この会でも触れなかった。しかし、表情を見るかぎり、彼女はそれをたのしいこととは思っていないようだし、つらい思いを感じない人だとは思えなかった。この会の終わりの方では、ひとに会わないと言ってひとり奥に籠もったそうだ。

 「明治百話」の芝居では、山田浅右衛門が物語の軸のひとつになっていたことを思い出した。彼は、明治の初期までつづけられた斬首刑の首切り役人をつとめ、知行のかわりに死者の肝でつくった薬を売ることを認められていたという。あの芝居のテーマも「いのち」、そしてそれを食べることだったのだ。

■追記
昨夜、たまたま須曽明子さんに会った。現地ではあえなかったが彼女もこれに参加したそうで、内澤さんが引き籠もったのはこの日が原稿の締め切りで、編集者が会場に来て待っているという状態だったからなのだったという。ちなみに須曽さんは5時頃からふんだんに豚を食べたそうだ。ぼくの「世界屠畜紀行」は、ぜひ読んだほうがいいといって、押しつけるように須曽さんにお貸ししていたのだった。

■関連エントリー
世界屠畜紀行/MyPlace
明治百話/MyPlace
「明治百話」の初日/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : October 3, 2009 12:09 AM
コメント
nOzさん たびたびコメントをありがとうございます。 KARAKARA-FACTORYに行ってみます。 Posted by: 玉井一匡 : October 8, 2009 03:52 PM
キャッチ&リリースについてコメントしようと思ったんですが、長くなっちゃたしエントリ−の主旨から逸れすぎなので、自分のブログにエントリーすることにしました。もし、お時間がありましたら。 http://karakara.pepper.jp/blog/2009/10/post_354.html Posted by: nOz : October 8, 2009 02:59 PM
iGaさん おっと コメントを書いて投稿したら、次のがもうひとつ書いてあった。 神社の亀なのかあ、そりゃあたたりがあっても不思議はないなあ 兄上が引き受けて、進ちゃんにはたたりはなかったようですね。 安江さんちの池は、亀と鯉を捕まえるための仕掛けだったのかもしれない Posted by: 玉井一匡 : October 7, 2009 07:03 PM
iGaさん 自分の育てていた亀を食べちゃうってのはこの内澤さんと同じですが、ひとつ越えなければならないハードルがありますね。 好奇心が旺盛だったのでしょうが、どうやって調理してどこを召し上がったのでしょう。池の亀には、あまり肉があるとは思えない。「バベットの晩餐」では、ウミガメですが亀のスープをつくりますが、肉は食べるところがすくないがスープをとるというのはありそうですね。まだ小さい孫にも食べさせてみたんじゃないかなあ。 Posted by: 玉井一匡 : October 7, 2009 06:55 PM
あっ!そうだ。忘れていました。 家の池は隣の神社の池と一繋がりでした。てことは「神亀」か...(^_^;) 祖父の悪食極まり...まぁ...罰が孫に...でしょうか。 Posted by: iGa : October 7, 2009 06:24 PM
玉井さん 家の池に棲んでいた亀だそうです。 鯉を食べるのは当たり前でしょうが、やっぱり亀まで食べるのは...変人でしょう。尤も本人は鯰のような風貌でしたが...(^_^;) 因みに祖父の悪食の因果か、亀仙人の祟りか?私の長兄は小一の時にその池に嵌まって亡くなってます。 Posted by: iGa : October 7, 2009 03:29 PM
iGaさん ものごころついてから、豚がいなくなったのは残念でしたね。 うちのオヤジの従兄弟のところでひところ豚を飼っていたので、2,3回は見に行きましたが、そのころ豚というのはなんだかきたないもののように思っていたので、少ししかさわらなかったなあ。もっといろんな経験ができたはずなのに、今にしてみればもったいないことでした。かつては、豚毛の歯ブラシなんてものもありましたね。 ところで、前園真聖がミニブタをペットとして飼っているそうです。  亀を食べるってのは、スッポンじゃなくて、淡水にいるやつのことですか?中華料理の材料屋には、亀のゼリーの缶詰がありますが、あれはウミガメでしょうか。そう言われなければ、ただの黒いゼリーというだけで、すこしも変なモノではありませんね。 Posted by: 玉井一匡 : October 7, 2009 03:06 PM
あかねこさん そういえば、夕海が小さい頃に釣り堀でたくさんのニジマスを釣りました。さあ食べようかと言ったら、想像していなかったようで愕然として大泣きしてしばらく止まりませんでした。魚屋さんで買ってくる魚だってみんな泳いでいるのを捕まえてきたんだし、このマスは水に戻してやっても死んでしまう。だったら、食べてやらなきゃかえってかわいそうだよと、しばらく説得しました。 やがて立ち直り、みんなたくさん食べたのでした。 Posted by: 玉井一匡 : October 7, 2009 01:43 PM
私が生まれた足立の家は同じ敷地内に母方の祖父の家と伯父の家もあり、三軒すべて戦災で焼け出された跡に建てられたバラックでした。他に納屋と豚小屋に鶏小屋もあり、豚小屋は私が5歳くらいまであったと思います。既に三匹位しか残っていませんでしたが祖父が豚の世話を出来なくなって、豚が業者に引き取られてゆく時のことは何故か記憶にあります。祖父は現在の後楽園球場にあった陸軍砲兵工廠に務めていて、その後、木場で仲買を始めて、そこで儲けた資金で足立に土地を求めて養豚業とか...を始めたようです。昨年、母の葬儀で会った従兄弟の話しでは戦時中、戦況が悪くなるにつれて、豚にあげる餌にも事欠き、豚が見る間に痩せ細っていったそうで、ガリガリに痩せた豚を見て子供ながらに戦争に負けると実感したとか...。 私が小学校に上がる前、家の隣にあった神社境内のブランコで遊んでいたら、白いチマチョゴリのオバアチャンが近付いてきて『ポクちゃん、安江さんの子かい、おじいちゃんは元気してる...』と聞かれたことがあり、何で知っているんだろうと不思議に思ったけれど...大人になってから分かったのは...祖父は市場に出さない豚の解体処分を足立の本木辺りに住む在日の人に頼んでいたようで...戦前は豚の内臓はそれこそ「放るもん」だったから...安江さんちの豚の「放るもん」は在日の人の貴重な蛋白源だったみたいです。彼らからすれば一番栄養があって旨い部位を「放るもん」にする日本人が理解できなかったでしょうが...。 祖父が豚の屠殺の現場に立ち会っていたかは聴いてませんが、祖父は亀を食べたりする程の悪食だし鶏を絞めたりとかは私も幼い頃に見た事はあるので、生き物の命を喰らうことで人は命を永らえることが、割合と早い時期に理解できたとは思います。 Posted by: iGa : October 7, 2009 10:37 AM
玉井さん いつもご丁寧なお返事ありがとうございます。 実は私も、魚の血抜きをするところは見たことがありませんし、そのままの魚をさばくところもほとんど見たことがないのです。 一緒に釣りに行った子は、実は魚が食べられなかったんですけど(お国柄もあるのでしょう)自分が釣った、ということでがんばってチャレンジしていました。カワハギのから揚げ、おいしかったみたいです。(もちろん私は非常においしくいただきました) 我が家には、食べ物を捨てるという習慣がありません。痛んじゃった、というような場合を除いて。痛んじゃってたとしても、ごめんなさい 、といって捨てます。そういう家に生まれたことが、本当に良かったと思っています。 Posted by: あかねこ : October 7, 2009 12:00 AM
nOzさん 「サバイバル登山家」についてamazonに書かれている紹介文を読みました。こんなふうにしている人がいるんですね。尊敬します。読みたくなりました。  開高健の魚釣りの本はとても好きなのですが、彼が、 魚とファイトするというような書きかたをしているところがあったと思います。それは戦いというには、あまりに対等ではないだろうと思っていました。魚にとっては生きるか死ぬがだけれど、人間にとってはちょっとした落胆でしかない。もともと人間は大きなアドバンテージをもっているのであるから、釣るからにはそれを旨いと思って食べることが最低限必要な心がけだし、魚を釣るからにはキャッチアンドリリースなんてことをせずに食べるべきだ。魚を食べないやつは釣りなんかするなと思うのです。 Posted by: 玉井一匡 : October 6, 2009 01:24 AM
「世界屠畜紀行」を読んでからコメントしようと思ったんですが、中古を注文したから時間が掛かりそうなので、読まずに書いてしまいます。 友人から借りて読んだ服部文祥という登山家の「サバイバル登山家」という本のなかに「肉屋」という、パキスタンの山奥にある村に牛を売りに来る男の話がありました。男は痩せた牛を一頭引き連れて山を登り、村の人達は定期的に男が登って来るのを、今日は肉が食えるぞ、とワクワクしながら楽しみにしているようでした。男は広場で牛の頭を殴ってから集まってきた村の人達に捌き売りしてゆくのですが、筆者は石で殴る瞬間に牛から目をそらした事を後悔して、自分には肉を食べる資格がないかもしれない、次に機会があれば石で殴る役を替わってもらいたいと思っている、と書いてあったと思います。 「自然に対して"フェア"でありたい」という思考がエントリーと繋がるような気がしました。 本は返してしまって手元にないので脚色しちゃってたらごめんなさい。余談ですが、うちでは今夜これから焼肉です。 Posted by: nOz : October 5, 2009 11:44 PM
AKIさん ぼくはどうも、きちんと習慣づけてものごとをするということができないなと思いました。新聞の書評欄をしばらく読んでいなかったのです。開いてみたら、読みたい本がたくさんありました。 この本の書評の「一人の男の成長記」という受け取りかたが、おもしろいですね。ぼくは、屠畜という行為あるいは世界についての本と思っていました。 amazonで「牛を屠る」でさがしたら11冊の本が出てきました。これもみんなおもしろそうで、ああ時間が足りないとあせります。とりあえず図書館にあったので「牛を屠る」を予約、まだ読んでいない「もう牛を食べても安心か」を買うことにします。 Posted by: 玉井一匡 : October 4, 2009 01:50 PM
今日の朝日の読書欄に、佐川光晴・著「牛を屠る」なる書籍が紹介されていますね。屠場で実際に働いていた著者の記録のようです。その本の出版社は解放出版社です。 早速、amazon に注文してしまいました。 Posted by: AKi : October 4, 2009 09:27 AM
AKIさん そう言えるのは「生きたやつ」が頭の中にあるからで、子供の想像力はすてきですね。切り身ではなくて一匹まるのままのやつがお皿に載って出てきたのを見たときだったのでしょうか。有り体に言えば「死んだやつ」ではなくて「殺したやつ」なんですよね。 このごろは丸のままの魚は調理が面倒だからか割安で買うことができるし、海を思い出させてくれるから、一匹もののさかながぼくは好きです。ぼくが料理をするようになったのも、かみさんが魚をおろすのに気が進まない、でも魚が食いたいと思ったからでした。 Posted by: 玉井一匡 : October 4, 2009 09:16 AM
ブログの内容とずれている……かも知れませんが、昔、次男坊が小さい頃の言葉を思い出しました。 「オカァさん、今日のおかずは、魚の死んだやつ?」 それを聞いた時、そうだよな……、その通りだよな……、と思ったのでありました。 Posted by: AKi : October 4, 2009 08:51 AM
あかねこさん ブログの内容とずれているなんてことはないと思います。ふたつの点で。  ひとつ目:いまの、都会育ちのこどもたちにすれば、釣ったばかりの魚の血抜きをしておろして食べるというのは、豚の心臓が動いているうちに頸動脈を切って血を抜く(このことは「世界屠畜紀行」のエントリーに書きました)のと同じくらいの体験なのかもしれない。  ふたつ目:このブログのテーマは「MyPlace」です・・・あらゆる場所が、密度の違いこそあれ、どこも自分の場所なのだということなのですから。遠く御所浦まで行って、森枝のおとうさんやいろいろなところから来た子供たちとのつながりが拡がってゆくという、あかねこさんのありようは、ぼくの思い描いたとおりのことではありませんか。 Posted by: 玉井一匡 : October 4, 2009 08:37 AM
8月にまた御所浦に行ってきました。 御所浦の父さんに、一緒に泊まっていた子供たちと一緒に釣りに連れて行ってもらってカワハギなどをたくさん釣って帰ってきました。 釣って、船のいけすにいれてきた魚を港でしめました。私は、その場面は見ていなかったんですけど、興味深々で見ていた子供たちはどう感じたのだろうと考えていました。中国とアメリカの血を引く子供たちは、さっきまで生きていて遊んでいた魚が殺されていくのをどういう気持ちで見ていたのかが気になります。私もそこにいればよかった。 このへんでは、魚は切り身で売られています。だから、たまにそのままの魚を買ってきても、私は内臓を出したりできないと思います。 だけど御所浦では、母さんがカワハギの皮をはぐのも、アジの内臓を抜くのもずっと見てました。気持ち悪いとはまったく思いませんでした。 いのちをいただいているんだなぁということがものすごく印象にのこった一日でした。 なんだかブログの記事と内容がずれてしまってすみません。だけど、今回の旅のなかでものすごく印象に残ったことだったので、コメントさせていただきました。 Posted by: あかねこ : October 4, 2009 01:17 AM
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