January 19, 2010

牛の鈴音 

UshiSuzu.jpgClick to Jumpto UshiSuzuWebsite 

 韓国のドキュメンタリー映画「牛の鈴音」を観た。といっても、もう10日以上も経ってしまった。
日本でも年末から公開されているが、韓国では昨年公開されるとドキュメンタリーとしては異例の大ヒットを飛ばした。40歳というおいぼれ牛を使って農業を続ける老夫婦を撮り続けた、すこぶる地味な映画が数多くの韓国人の心を強くゆさぶって、300万人が映画館に足をはこんだ。韓国の人口は約4800万人だから、この割合を日本の人口12800万にあてはめれば、800万人が観たということになる。お金をかけた映画ではないから、純益/制作費の比率では、じつに4300%に達したという。

 わけあって、ぼくはこの映画をできるだけたくさんの人に観てほしいと思い、友人知人にも勧めて特別鑑賞券を買っていただいた。
・・・にもかかわらず、正直にいえば、韓国で300万人動員という現象にふさわしいほどには、ぼくは感動することができなかった。これを見た人たちにたずねても、僕の印象とそれほどにはかけはなれていないようだから、韓国の観客とぼくの受け取り方の違いは、おそらく二つの国の文化的社会的背景に理由があるのだろうと思う。
では韓国のメディアはこの映画についてどう書いているのだろうか、それが知りたくて「中央日報」「朝鮮日報」の日本語サイトを開き「牛の鈴音」と打ち込んで検索した。

 どういうわけだろうか、いずれのサイトでも検索の結果はゼロだった。どちらも取り上げていないのだ。しかしおかげで、この映画とそれに対する観客の受け取りかたについては、なおさら興味がわいてきた。
老人の妻をはじめまわりのだれもがこの牛に農作業は無理だよと言うのに、彼は頑なに耳を貸そうとしない。牛にクルマを引かせて、人間が歩くよりもむしろ遅いくらいゆっくりと山合いの畑にたどりつくと、こんどは鋤を曳かせて土をおこす。牛は40歳、老人は79歳、こどもの頃に不自由になった右足をひきずって歩く。それでも草を牛に食べさせるからと農薬はつかわず、斜面に這いつくばって牛のために草を刈る。

 それほど親密で献身的でありながら、かならずしも牛がかわいいという表情を見せるわけでもない。画面を見ながらぼくも、ジイさん、もういいじゃないかと思い続けた。
そういえば彼は、かくも大切に思いながら牛を名前で呼ぶことがなかったと気づいた。きっと名前をつけなかったのだろう。それは、彼が牛を別の人格とは考えず、あたかも自身の身体の一部であるように思っていたからではないか。同じような理由で畑から離れようとせず、絶えることのない妻の愚痴にも反論しないのだろう。すでに畑も妻も牛と同じように自分の一部と化しているのだ。ぼくたちの愛情は、相手を思いやるところにある。けれども老人の愛情は相手と一体になることにあるのではないか。そして、それに観客は共感したのではないか。
 かつては考えられなかったほどに、日本と韓国の間は近くなった。多くの日本の文化も、おそらくは多くの人間も、朝鮮を通じて日本にやってきたのだろうから日本の文化が韓国と近いことは当然だが、だからといって違いがないわけではない。違いの発見は、むしろ理解への手がかりであることを考えれば、他文化との互いの違いを認めつつ理解しあうというありように近づいているのだとぼくは思いたい。
あの老夫婦と会って話してみたいと、いつのまにかぼくは思うようになったもの。

投稿者 玉井一匡 : January 19, 2010 11:24 PM
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?