February 12, 2010

「花はどこへ行った」:ベトナム戦争のことを知っていますか

HanahaDokohe.jpgClick to Jump to WebSite
昨年11月に、エファジャパンの設立5周年を記念するイベントが開かれて、この映画の上映に加え監督の坂田雅子さんとイーデス・ハンソンさんの対談がおこなわれた。ぼくは劇場公開されたときに見そこなったので、今度こそ見ようと前売券を買っておいたが、あいにく叔父の葬儀と重なって行けなくなった。

 坂田さんは、写真家であったアメリカ人の夫を癌で亡くした。彼の癌は、ベトナムへ派兵されたときに米軍の散布した枯葉剤が原因なのではないかという友人の示唆でベトナムに渡り、枯葉剤の深刻な被害に苦しむひとびとを目の当たりにして映像に残した。ハンソンさんは、かつてアムネスティインタナショナル日本支部の代表をしていた。いまは、エファジャパンの理事長として子供たちの支援のために骨身を惜しまず奔走している。宣教師として父の派遣されたインドで生まれ子供時代を送ったから、どこに行っても水道の水を生で飲んで平気なのよとおっしゃったことがある。

 映画をみそこなったことをギンレイホール社員の藤永さんに話したら、ぼくはDVDを買ったから貸してあげますといわれるので、ありがたくお貸りして自宅で見た。

 ほとんど素人だったひとが、自分の思いと受け取った衝撃のまま率直につくった映画なのだろう。だからこそ持っている重い力がひとを動かす。しかも、つらいばかりでなくその背後に人間への希望を読み取ることができる。映画のタイトル「花はどこへ行った」は、もちろん同名の歌からとっている。さまざまなフォークシンガーやグループで、ぼくたちの世代は何度聞いたか知れないけれど、この映画で使っているのは、 中でもとりわけ痛切に胸に染みるジョーン・バエズによる歌だ。

 樹木を枯らして解放戦線の兵士の潜む場所をなくし農作物を枯らす作戦として、米軍はダイオキシンを主成分とする枯葉剤をベトナムの空中に散布した。それを直接に浴びたり食べ物とともに体内に取り込んだために寝たきりになって今もこれからも生涯を苦しむ人たちがいる。さらに、親たちが体内に取り込んだダイオキシンが胎児に影響を及ぼし、二次的な影響として、ひどく重い身体的な障碍を生まれながらに背負わされた子供たちがいる。
国家としてのアメリカは、その因果関係を、いまだ公式には認めていないという。

 障碍とともに生きざるをえない彼らを映像の中で見るだけでさえ、ぼくたちにはひどくつらい。それなのに、彼らを支えるためにどれほどの自由を犠牲にしているかもしれない家族やまわりの人たちの、かれらに接する態度は奇跡のようで、人間というものについて希望を抱かせてくれる。たとえば、いかにもいとおしげに幼い弟を可愛がっている姉妹がいる。弟は、想像を絶する身体的な障碍を負わされているにもかかわらずだ。村の人たちもこの子を可愛がってくれるんだと、親が言う。彼らに対して坂田が正面からカメラを向けることができたのも、この子に対して周囲の人たちも同じように接しているからだろう。
 また、海兵隊員としてベトナム戦争に参戦したアメリカ人で、被害者のための施設をつくって運営している人がいる。彼は、受け容れてもらえるかどうか不安を抱きながらおそるおそるベトナムに行ったのだが、あれは戦争だからしかたなかったのだと、あたたかくむかえられたと話す。
 これらは、例外的に幸福な状況を選んで撮影したものなのかもしれない。仮にそうだとしても、こういう態度をとることができる人たちが存在するというだけで充分ではないかと、ぼくは思った。

 ところが、その話をするとエファジャパンの井ノ口さんがこういうのだ。まだこの映画を見ていないけれどそれは例外的なことではなくて、ベトナムでは、そういう人たちを村の人たちがささえるという行動が自然になされているという話をきいたことがあると。だとすれば、それはベトナムだけのことではないのかもしれない。もしかすると、何十万年もの時間をかけてつくられた人間のコミュニティというものには、本来はこういう相互扶助ができるようになっていたということではないのか。まして、自然の生産能力の高い亜熱帯では、生産のできないメンバーを手厚く育てるだけの余裕もあったろう。
 しかも、そういうコミュニティが元海兵隊員だったアメリカ人を受け容れることができるのだとすれば、それはウチの成員に対してだけでなく、ソトの人間を受け容れることにも寛容であるということだ。
 そういう資質が、のべつクラクションを鳴らし続けていた自己主張のつよいハノイの運転者たちのありかたと同居しているのだから、やはり人間というやつはおもしろい。

 伝統的な集落がいわば肉体的に受け継いできた福祉のしくみが、制度や施設に担われるようになれば、家族やまわりのひとたちの負担が軽減される。それは、なににも代え難いことだ。しかし、その一方でコミュニティの人々のひとりひとりがもっていた許容力がせばめられることになるのだろう。それは、コミュニティという生き物にとって、かならずしも健康なことばかりではないように思う。その許容力を喚起することが、映画や音楽や文学の役割なのかもしれない。

投稿者 玉井一匡 : February 12, 2010 04:34 PM
コメント

加嶋裕吾様
ご挨拶が遅れました。よろしくお願いいたします。
私の質問に こんな風に改めてお考えいただき こうして丁寧にお答えを頂き、本当に嬉しく 感謝しております。
今回もまた 宿題の様にたくさんの刺激と申しましょうか、ヒントを頂きました。私が 今まで考えてこなかった方向性から 掘り起こしていただいた感じです。私の中に 新しい道筋ができそうな予感です!
「直感的に述べた言葉にはあまりうまい答えは見つかりませんでした」とお書きになっていらっしゃいますが、「伝統の中に長く培われた自覚」のように、加嶋さんにはきっと 明確に掴んでいらっしゃるものがお有りなのだと思います。
それを言葉でお聞きしようとするより 自分でしっかり たどって行くべきだなあと思っています。
それができたら 私にも とても気持ちの良い「培われた無意識」の柔らかさができて行きそうな気がします。
加嶋さんの言葉の一つ一つの奥に広がる世界の豊かさに 今はまだ 表面をなで回すことしかできませんが、今日はとてもさわやかな気持ちになれました。有り難うございました!!

Posted by: 光代 : February 26, 2010 11:59 AM

裕吾さん
 返信コメントを書かないうちに、つぎのコメントをいただいてしまいました。勝手なことだなんてとんでもない、こちらの方こそ失礼しました。昨年、裕吾さんがお送りくださった台湾の日本統治についての興味深い資料についても、エントリーしたいと思いながら、まだ書いていないのですが、近いうちに書こうと思っています。

 野生の生物の生態について、ますます多くのことをぼくたちは知るようになりましたが、それを知るにつけ、生態どころか身体の構造さえ、なんと見事に環境に適応していることかと驚きあきれます。
 近代文明も、やっとそれに気づいて、環境を自分に合わせて変えるのではなく環境に自分を合わせる方向に向かおうとしはじめたと思います。社会の「意識」は、やっと動き始めたところですけれど、もともと生物というのは、どんな生き物も自分を変えて環境に適応させているのだから、人間も本来はそうしようとするはずだと思うのです。そういう意味での、野生動物としての、人間本来のありようこそ、社会としての人間の「無意識」ではないでしょうか。その、無意識の言いたいことを、意識が理解できるようになることが必要なのですね。
 
 
 

Posted by: 玉井一匡 : February 25, 2010 03:02 AM

光代様 玉井様
光代様初めまして。ありがとうございます。お恥ずかしいです。玉井さん、また、旅の興奮のまま玉井さんのお書きになったベトナムの人々の静かな優しさからはなれ勝手なことを書きましてして申し訳ありません。
 東南アジアに行きますと、私の先祖のずっと昔のものがあるような感じがする時があります。最近、無意識ということを考えています。この心の奥にあるものの直感をもとに多くのものを創りだし、社会を作り、伝統を作ってきたのではないかと思ってきたのです。そして、ベトナムの人々のことを考えるとその無意識の上に玉井さんが言われたような、伝統の中に長く培われた自覚、が有るのではとも思います。この私が無意識と言った言葉は、自律神経だとか直感だとか、潜在能力や、クオリア、シノプシスの集まりだとかいろいろな言葉で表されて、有るのだけれど現代でも本当にはつかみ切れていないように思います。そしてこのなかでも望んで、しかも有ることを知っていてうまくできないのが、柔らかさややさしさというもののように感じます。老子の中にも出てきますように、柔らかさが強さにまさるというのですが、どうしても自分を守ったり主張しようとすると強さが出ます。この「無意識」のあたりが「中間」かなと思うのですが。
 いずれにしても、本当に慈しむことが私にできるかと言えば、私には難しい、とベトナムの人々やララのことを思うと、正直に答えざるを得ません。
 しかし、人々のこの無意識が全体として落ち着き始めているのではないかとも感じる時もありませんか?大きな争いの後、そのようなことをしても生むものが少ない、と学習しつつあるような、まだ、争いはあるものの。その点で楽観的すぎるかもしれませんが、力でまとめようとしても、人々にはそれぞれの無意識の多様さがあることが認められてその難しさを知り始めている、のではないでしょうか。考えていますと、この難しさを知ったことが時間はかかりますがかえって、玉井さんがいわれたごく小さなつながりが広がって行くということにも結びつくのかな、と思いますが。光代さんのご指摘に考え直しましたが、わたしが直感的に述べた言葉にはあまりうまい答えは見つかりませんでした。すみません。

Posted by: 加嶋裕吾 : February 24, 2010 07:32 AM

光代さん
このエントリーについて、My Favorite Thingsでも書いてくださりありがとうございました。
「人さんから頂いたお心は 他の人に返す」というのは、わかりやす言いいかたですね。加嶋祥造先生はひとから受けとったものを一旦は自分のなかに取り込んで熟成したうえで他のひとに返すのだということを、英語の動詞をつかっておっしゃったと憶えているのですが、具体的にはacceptだったと思うのですが定かではありません。折りがあったらお訊きします。
 ひとりひとりの生き方の、ごく小さな部分がつながり重なって、たとえばコミュニティや「くに」などへと拡がって、もしかしたら地球の全体がよくなっていくということが実現できるといいなと思うのです。
 これとは逆の、暴力や憎しみがあらたな暴力を生んで、どんどん拡大して大きな争いになってしまうということは、何度もどこでも繰り返されてきたのだから、同じようにして、さまざまな側面でそれぞれに共有する場が築かれてゆくことが可能だと信じたいのです。

Posted by: 玉井一匡 : February 22, 2010 02:04 AM

加嶋様 そして、玉井様
お金を使って問題を解決する時に、気持ちとか心というものとズレを生じてしまったのは、それを「問題」として捉える事しかできなかったからだと思っています。
問題を解決するその先に しっかりした理想というかヴィジョンというんでしょうか、揺るがない行き先を見据える事があれば そのズレはかなりマシだったんじゃないかと思うのです。

「その始まり」が見えているとしたら、それは 始めなければならないと思います。それをストップさせる事があってはいけないなって。
加嶋さんがおっしゃる 「本来、芸術家と宗教、哲学の人々の仕事を具体的に社会に生かす中間が必要なのではないか」と言う事について、ずっと 何が私に可能なのか考え続け、ブログを書いています。
「中間」って 何なのでしょう? 何ができるのでしょう?
ゆっくりお話をお聞きしたい所ですね。

加嶋さんのコメントのあちらこちらに感動と刺激を頂きました。
私のブログでも このブログとそのやり取りを 紹介させていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。 

Posted by: 光代 : February 21, 2010 02:02 PM

 今回のインドネシアの旅で思ったことは、人間の生活に対する方法と言いますか、意識と言いますか、それと社会の流れの違いです。日本や西欧先進社会では設備を良くしよう、気持ちをなんとか補おうとする為にお金のシステムを使ってきたのではないかと思います。ある例としては福祉もお金を支払うことによって良い施設に入れるなどですね。
 一方例えばインドネシアでは外交面では先進国と同じ立場で対応しなくてはなりません。が、国内のほとんどの人はバナナの葉を皿に食事をした習慣のままのように思えるのです。ですから、彼らは手で食事をし、(僕もてで食べます)ビニールに入っていたそのビニールの袋は、バナナの葉を捨てるようにどこにでも捨ててしまいます。それが原因で河が塞き止められ毎年、ジャカルタの低地地区では雨期に大規模な洪水がおきます。
 外と内がずれてしまっているのです。そしてその教育が難しいと思ったのは、私たちのホテルに小学校の教師が集まってユニセフの寄付金を分配する会議をした時のことです。彼らが帰った後、その部屋の前にはペットボトルやビニールが捨ててあったのです。彼らにはまだビニールが害のあるものだという認識がないように思います。西欧社会の発展についてゆけないまま、携帯は誰でもが持ち、オートバイをローンで買い、テレビを買うのです。そのシステムは知らないままです。やがて、社会がお金をより中心に動くようになれば、彼らも生産性の低いものは切り捨てなくてはならないかもしれません。
 ここで私が思ったのは、現代の日本が頂点の一つなのは間違いがありませんし、そして生産のトップなのです。そしてそのまとめとして考えられるのは、我々の社会ではその後始末をどうするか。それは始まっていますよね。たとえば生産したものの不要なものをどのように片付けるかができてはじめて一つの生産が完了すると思いますが。
 このことを人間の社会と個の気持ちという柔らかい部分に当てはめるとどのようになるのでしょうか。制度によって狭められたものを、再び豊かな物質生活を得た上で、いかに取り戻すか。その為には、本当は今までの生産に費やしたようなかなり高度な心の研究をしなくてならないのではないかと思うのです。これは科学も脳科学で心のあり方を研究していますが、本来、芸術家と宗教、哲学の人々の仕事を具体的に社会に生かす中間が必要なのではないかと思います。心の柔らかさを研究するなんてすこし変ですが、私たちはアジアのよい部分を見てもけっして後戻りはできないかわりに、あのインドネシアや世界の大部分の混乱の人々にその後を示せる可能性があると思うのです。
 東南アジアを旅すると、私は彼らが日本をそのように見ているという気がします。
 ロンボックで地元民と露台で休んでいた時に、スイスの若い女の子が来ました。妻は少し離れた所にいました。そこで彼女は妻を見つけ「Japanese?]と聞くのです。そして妻にとても優しい態度を見せました。ところが私は日に焼けているしひげは生えているしで、地元民と思われたのか、他の仲間とともに終始無視です。ははあ、地元の人々はこんな風に感じるんだなあというのがよくわかりました。
 これは単に日本の人々の立場が違うと言うだけの例ですが、そして欧米人もかなり日本を評価している(これはバリや他の地域でも聞きました)アジアの人からの見方も同じように思います。
 これから私たち日本人は、初めて個の孤立や社会制度のなかから新たな視点や方法を見つけ出すその始まりが起こっているのではないかと僕は「その始まり」を思うのですがいかがですか?

Posted by: 加嶋裕吾 : February 21, 2010 11:30 AM

「人さんから頂いたお心は 他の人に返す」と言う事について、私もブログに書いた事があります。
子育ての頃、そんな風に言って 息子を預かってくださる方があって とても助かりました。
「お返しを考えないでね。私の子供はもう手も掛からないし。
 それは 次の世代の人達に返してあげて。そうしたら広がって行くから。
それは私も そんな風にしてもらって、教えてもらった事なの」
加嶋さんのお父様の事と考え合わせると 昔はそのような考え方も もっと自然に実行されていたのかもしれませんね。

やはり 雇用のカタチが共同体を壊し、家や情報の有り様が 個人を孤立させているなあと感じます。
玉井さんがおっしゃる「君の玄関の木蔭も少しは通りがかりの人のもの」ということが 建物というカタチを通して広がって行くなんて 素敵な事だなあと思います。 

話はベトナム戦争から離れてしまいましたが、私達の世代の人格形成には 大きな影を落としていますね。

Posted by: 光代 : February 21, 2010 09:49 AM

光代さん

そうですね、「肉体的に受け継いできた福祉」それこそが 人が人を幸せにしてきたものだと思うと、書いてくださって、ぼくも気づきました。そういうときには、ありがたい気持ちがいっそう大きいから、しあわせを感じられるのでしょう。ひとから受けとったものあるいはコトに感謝したら、それに対するお返しは他のひとに返すのだという話をしてくださった方があって、なるほどと思ったことがあります。実は、そうおっしゃったのは、光代さんの前にコメントをくださった加嶋裕吾さんの父上の加嶋祥造氏でした。
 たしかに、同じひとに返すだけでは、パスされたボールは行ったり来たりでおわってしまうけれど、他のひとにパスを渡すようにすれば、ネットワークが見る間に拡がってゆくんだ、と思いました。

Posted by: 玉井一匡 : February 21, 2010 02:54 AM

加嶋裕吾さん

おかえりなさい。帰国早々に、さっそく長くて充実したコメントをありがとうございました。

 そういえば、前にお話ししたことがあるかもしれませんが、ヴィエンチャンで今は博物館となっているお寺が、かつてタイと戦争をしたときにそ本尊の仏像が持って行かれてしまったので寺ではなくなったのだと聞いたことがありました。その仏像が、タイのエメラルド寺院のエメラルド仏なんですと言いながら、彼はちっとも悔しそうじゃないのです。どうしてなのか訊ねると、「もともとカンボジアから持ってきたものらしいから、しょうがないでしょう」と、ニコニコしていました。

 ロンボック島の話は、いいですね。農村の忙しいときの親たちは、こどもの世話をすることもままならないでしょうから、どれがどこの子とも区別せずにそだてたでしょう。そういう生活の仕方は、長い長い年月をかけて環境に適合して進化していったのでしょうが、生産の形式が短時間に変化してしまい、短時間には変わることがむずかしい日常の生きかたを熟成する時間のないままに変化させてしまうのでしょう。しかも、あらゆる行動が経済行動に組み込まれてしまうのですね。

 ぼくはバリにもインドネシアにも行ったことがないので、Googleマップを開いてみたら随分大きいんですね。wikipediaによれば東京の2倍、沖縄本島の4倍ほどの面積があって人口は270万だそうですね。ときどきわすれちゃうけれど、ぼくたちも、大きめではあるが島に住んでいるんだということを思い出します。
島というのは、動かないけれど沈まない船のようなもののように感じられて、ぼくはとても好きです。温暖な気候の島では、熾烈な競争よりも助けあう生き方の方が似合うと思うのです。

Posted by: 玉井一匡 : February 21, 2010 02:22 AM

玉井さんがおっしゃる「伝統的な集落がいわば肉体的に受け継いできた福祉のしくみが、制度や施設に担われるようになれば、家族やまわりのひとたちの負担が軽減される。それは、なににも代え難いことだ。しかし、その一方でコミュニティのひとびとの一人ひとりがもっていた許容力がせばめられることになるのだろう。それは、コミュニティという生き物にとって、かならずしも健康なことばかりではないように思う。」と言う事について、最近は特によく考えてしまいます。

「肉体的に受け継いできた福祉」それこそが 人が人を幸せにしてきたものだと思います。
社会って何なのでしょう? 
社会的福祉が整う事が 人々の許容量を小さくするというならば 一体私達は何をしているんでしょう?

教育を受けて 自分の置かれている状況を知リ、手を打てる様にならない限り、上手く利用され 搾取され続けるけれど、一方でその道は 搾取する側へ繋がっていると言う事を考えると ますます 一体何が文化として進んでいる事で 人を幸せにする事なのか 分からなくなってしまいます。

この多様で多層で常に変化し続けている現実に向き合って、私たちの幸せとは何であって、何をすべきなのか 混乱してしまいます。
それでも、諦める事は できません。

何時だって「あれかこれか」の迷いの中で 生き続けるしか無いのでしょうが、目の当たりにしている事には 迷い無く動ける人でありたいのです。

Posted by: 光代 : February 19, 2010 09:56 PM

玉井様
昨日、バリから帰りまして、myplaceを見ました。一昨年、ハノイからラオスへ行った時に感じたのは、この国にいても戦争に対する恨みを感じられないなあ、ということでした。戦争に対する展示物もなく、何かを糾弾するようなものも見当たりませんでしたよね。そして人々からもそのような言葉を聞きませんでした。
 バリ島の隣にロンボック島というのがあります。その南はしにクタという海岸があり、そこに私たちの友人のララ、ガップ夫妻がいます。彼らはホテルの従業員ですが、地元の漁民の間に家を借りています。その向いの奥さんがつい3週間前に亡くなってしまいました。その前から、他の地で療養をしていたらしいのですが。その人には中学生の娘とと小学校の息子がいます。その子供をララは面倒を見ています。また、ララの娘のアニーシャもあちらこちらの家でご飯を食べたり、遊んだりと、昔の日本みたいなことをしています。妻を失った父親は漁に行った後、僕たちが見た時は庭を掃いたていましたが、子供の面倒はみません。ララに今後どうするつもりかと聞いたら、しょうがないねという答えでした。その母親が自分たちの子供の面倒をよくみていてくれたので、今度はその子供たちに食事を与え、外で寝ていた子供を我が家に泊め、下着を買ってやり学校にやっています。ララ達もけっして裕福ではないのですが。しかし、そうではない人々もいて、ララの夫のガップは今ではすっかり人々がマネー、マネーというようになってしまった、と言っています。インドネシア政府は全く貧しい人々には眼を向けず、公共的社会整備(例えば、上水道—あっても飲めません、公共交通、医療保険、生活の保障など)はなされていない状態です。そのようなわけで、村の中で子供の面倒をみないと彼らの生きる道はありません。浜では小学校卒業ぐらいまでの子供がアクセサリーと一個50円ぐらいで旅行者に売って金を儲けています。
 ガップは大統領はだめだといいますが、一万数千の島々をまとめることは土台無理なような気がします。バリ人も観光で儲けた金はみんなジャカルタ政府が巻き上げていくと言っています。
 隣のスンバワ島にも行きましたが、人々は政府には期待していないようです。
 以前にも書きましたが、雨期乾期の差で収穫量が違うインドネシアよりメコンデルタのハノイ、ベトナム、タイでは豊かなことは確かなようです。人々が政府に頼れないために相互に助け合う姿はインドネシアでもみられました。ただ、かの地でも金持ちは貧乏な自国民には冷たく扱っていました。バリのホテルなどはバリ人の経営者はどの程度の給料をやれば生きられるかを知っている為にかえって安く、保証もなしに従業員を雇っています。
 西欧社会は自らの金融システムを中心に経済を考えていますが、そのシステムが整備される前に、その影響を受けているアジアをここに見ます。緩やかな相互援助が金によって崩れてゆく。これは多分世界の大部分に起こっていることだと思います。西欧金融中心社会はもうすこし世界全体を謙虚に見直さないと、前に進めない時が出てきてしまうのではないか、と思います。
 インドネシアの部落ですごす大部分は本や映画などは一生に一度も見ずにいます。今ではテレビがありますが、それは娯楽としてで、文学や芸術のような含みを感じていません。今回も貧しい人々の優しさをとても感じました。しかし一方で、彼らが自分たちの社会、部落を再整備する為の基礎教育の難しさもとても感じました。
 玉井さんの論点とはややずれたところもあると思いますが、本当のところではバリやロンボックの友人と再びあって、玉井さんと同じことを感じてとても温かい気持ちになって戻ってきたのです。

Posted by: 加嶋裕吾 : February 19, 2010 12:49 PM