October 03, 2010

サマータイム・ブルース:村木厚子さんが読んだ

SummerTimeBluesS.jpgサマータイム・ブルース≈/サラ・パレツキー 著/ 山本やよい 訳/ 早川書房 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
(これも表紙が気に入らないのでA3の裏紙にタイトルをプリントしてカバーにした)

 村木厚子さんが拘束されているときに読んで勇気づけられた二冊のひとつだというので、ヴィク・ウォーショースキー シリーズの第一作「サマータイム・ブルース」を読み返した。
文庫本の奥付には1983年発行、1992年17刷と書かれているから、20年近く前に読んだ本だ。とはいえ、まったくストーリーを憶えていない。つまらなかったからではなく、推理小説にありがちのことで先を急いだせいだ。今回も読みはじめたら夢中になってしまい、村木さんの記事に引用されていた一節を探そうという当初の動機を忘れてしまった。1ページほど先まで読み進んだあと、そういえばさっきのところと気づいた。

 ぼくが想像していたのとは違う種類の人に、思い描いていたのとは違う状況で話していたことも見落とした理由だが、もうひとつわけがある。週刊朝日の記事で引用された文章では一部分がはずされていたのだ。ストーリーの骨格が分かってしまう出来事が書かれている、わずか21文字。

 ぼくは、村木さんが週刊朝日の記者にコピーした1ページを渡しながら念を押す様子を思い浮かべた。彼女は線で消したその半行を指さして、きっとこう言っただろう。
「ここは、かならず抜いてくださいね。これを読んだら読者がストーリーを分かっちゃって台無しになりますから。おねがいします」
週刊誌が校正刷りを持ってくることはないだろうから、彼女はインタビューのときにそれを渡しながら「文章の改竄を頼んでいるのね」なんていう冗談を記者に言ったのかもしれない、などと彼女の人柄を作り上げて、ぼくは勝手に好もしく思った。

 ことばで何かを伝えるときには、だれに伝えるのかによって受け取り方が違うから、その言い方書き方を変えるものだ。逆に、ことばや資料からそれがものがたる真実を探そうとするときには、それらをもとにして仮説を立て、その上で仮説に対してみずから疑いをもって検証を重ね、正しい結論にたどり着かなければならない。そうあることをおのれに課さなければならないのは、それがみずから事件に踏み込んで犯人を探すハードボイルドの探偵であれ、自然の真実を探求する科学者であれ、クライアント、町並み、あるいは社会にとって何が必要なのかを模索する建築家であれ同じことだろう。

 にもかかわらず、検察がみずから立てた仮説について検証を省いたり、あまつさえ仮説を強化する証拠を捏造したりするのは、よくいって頑なな正義感、有り体に言えば出世欲、権力の誇示、組織への忠誠、あるいは上位の権力への追従のなせるものだ。
 組織というものは、政府・マスコミ・企業から暴力団にいたるまで、みんなこういうところがあるんだということを分かったうえで、検察や警察の行動を観察し、新聞やテレビを見抜くことが我々の正しい態度であるんだと明らかにしてくれた。それが、この事件の収穫ではないか。しかも、そういうことを伝えるべきマスメディアは、同じような欺瞞にもっと深くつかっているのだ。

 前々回のエントリーに引用しておいたが、週刊朝日に書かれていたのは、主人公のヴィク・ウォーショースキーが語る、次のことばである・・・・・「あなたが何をしたって、あるいはあなたに何の罪もなくたって、生きていれば、多くのことが降りかかってくるわ。だけど、それらの出来事をどういうかたちで人生の一部に加えるかはあなたが決めること」というのだった。

■関連エントリー
「ミッドナイト・ララバイ」:サラ・パレツキーと村木厚子氏/MyPlace
「ザ・コーポレーション」試写会

投稿者 玉井一匡 : October 3, 2010 11:20 PM
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