October 19, 2010

野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」再現

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 桜木町で仕事をおえた帰りがけ、改札の近くで「野毛にちぐさがあった!」と書かれているポスターに気づいた。会期はあと数日、会場の地図を見ると歩いて5分ほどで行けるし、7時まであと1時間くらいは残っているから戻ることにした。
 のちに錚々たるジャズプレイヤーになる若者たちのたむろしていた「ちぐさ」というジャズ喫茶が横浜にあったとは知っていたけれど、ぼくは一度も行ったことがない。その内装を期間限定で再現しているというのだ。masaさんがエントリーしたことのある古い自転車屋のすぐ近くにあるHANA*HANAという公共施設の中につくってあった。HANA*HANAというのは、このあたりの住居表示が花咲町というからなのだろう。
 学園祭で、教室の奥に店が作ってあるという雰囲気の展示だったっからちょっとハズレかと思ったが、当時のブレンドのコーヒー付き500円の入場料を払って店の中に入ると、壁天井の材料こそ合板を使っているがよくできている。9坪という小さな店に15,6人ほどが壁を背に腰掛けてほぼ満員だった。一番奥のスピーカーの隣に案内されると、壁一面のジャケットを見ながらレコードを聴き写真を撮ったりしているうちに僕は、ここのジャズ喫茶があと数日で壊される仮設の空間であることをいつのまにかすっかり忘れてしまい、気がついたら閉店のときには客はぼくひとりになっていた。

 帰ってから、masaさんも見たいと言いそうだと思って電話をすると「まだ読んでいないけれどぼくはその本を持っているから、今から持って行く」と言う。ブロンプトンを手に入れてから、彼は以前にましてフットワークが軽くなったのだがさすがに一度は遠慮したけれど、結局はお言葉に甘えることにした。

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 日々、成長・変化をつづけるmasaブロンプトンは、ハンドルが低くグリップもすてきなものに変わっていた。愛するものを持つ男は、生き生きとしている。masaさん宅配の本は "横浜ジャズ物語:「ちぐさ」の50年" という1985年刊の本だった。神奈川新聞に連載されたので、見開き2ページの短い単位で構成されている。

 帰りの電車の中で読み始めるととまらなくなって、駅から自宅までの道も読みつづけた。1933年というから、ドイツではナチが政権をとった年に主の吉田衛は店を開いた。戦争のさなかさえ「敵性音楽」を聞かせながら、上海バンスキングまでもうすこしという時代も、なんとかジャズの店を続ける。
やがてみずからも応召する。敗戦後、横浜に帰ると、数千枚のレコードを含め店は何もかも焼けていた。しかし、知人がレコードを提供してくれたおかげで店を再開する。戦争直後にジャズをやろうとしていた若者たちは、むさぼるようにしてレコードを聴きにやってきた。

 なにしろ店のコーヒーが10円のときにレコードが3000円もしたというんだから、コーヒー300円で換算しても現在の金額にして一枚90,000円、コーヒー500円とすればレコードが150,000円ということになる。九州から出てきたばかりの秋吉敏子にすればレコードなどとても買えるはずがない。この店にやってきては何回も何回も聞いて曲をおぼえたという。そんな若いジャズプレイヤーたちを思い浮かべると、アルバム一枚を数十秒でiPodに取り込むことのできる現在と、一枚のレコードを貪るようにしていた時代。どちらが多くのもの豊かなものを吸収できるのだろうと考える。そして、どちらがいい演奏を生むのだろう。腹一杯なのに皿に山盛りの料理を目の前に置かれているいまと、死にそうな空腹にたったひと皿だが新鮮な材料で名人が腕によりをかけた料理。
 さらに、3000円もするレコードを買って、わずか10円のコーヒー一杯でねばる客に何度も聴かせた吉田衛の方は、いいジャズを聴かせたい、そして、いい奏者を育てたいという思いで一杯だったのだ。

ChigusaAkiyoshiMailS.jpgChigusaPlateS.jpg 胸躍らせて読んでいると、さまざまなことを思い浮かべながらもう一度ちぐさに行ってみたいとぼくは思い始めたので、masaさんにメールを書いた。「この本はとてもおもしろい。明日までに読んでお返ししますから、masaさんも読んでみませんか?ぼくは、できればもう一度行ってみたくなった」と。「本はゆっくり読んでください、でも、また行くならぼくも一緒に行きたい」という返事がとどいたので、日曜に現地で集合した。
 この日は最終日だったからなかなか人が多くて、外で順番を待っている人を思うとあまりゆっくりできなかった。代わりに秋吉や石橋エータロー、植木等などからの手紙、戦争中に軍人のためアメリカ軍がつくったという「V-ディスク」の実物などをゆっくりと見た。米軍キャンプに演奏に行くと、ひそかに少しVディスクを連れ帰ったという逸話を思い出した。

 店を出たあと、まずはかつてちぐさがあったところを見にいった。平凡なマンションが建っている道路際の駐車場のさらに隅っこに、高田衛さんの横顔を描いたタイルがはめこまれていた。あの小さくてシンプルな、けれどもジャズにとってかけがえのない大切な役割を果たした空間を、ぼくたちの文化はそのまま残す力を持っていないのだ。店の常連たちがさまざまな資料を大切に保管しているし、なにより深く愛着をもっているひとが多いのだから、もうちょっと市やまちが手を貸せばいいというところなのに。
このあとにmasaさんに誘導されて見にいったちいさな看板建築(「野毛スリム」/kai-wai散策 )も、遠からず壊されてしまうのだろう。

■関連エントリー
野毛にジャズ喫茶「ちぐさ」があった!ちぐさアーカイブプロジェクトの軌跡/ヨコハマ経済新聞
「ちぐさ」/MADCONNECTION
「野毛スリム」/kai-wai散策

投稿者 玉井一匡 : October 19, 2010 09:59 PM
コメント

Chinchiko Papaさま
 やはりそうだったんですか。
はじめは、レコードを聴きに来る客。
客の中に演奏者たちが多くなると、自分たちでも演奏をはじめる。だれかに聴いてもらうためというよりは自分たちで勝手にやるんだから、閉店後に演奏することが多かっただろうし、ステージも客席も区別する必要がない。
そのうちに、あちらこちらにライブをきかせる店ができてくると、ここはまたレコードを聴きに来る店にもどった・・・ということなんでしょう。

Posted by: 玉井一匡 : October 22, 2010 01:58 PM

写真をありがとうございました。
どうやら、復元された「ちぐさ」では配置がまったく逆のようですね。わたしが通ったころは、天井までのレコードラックがある側がスピーカー側、つまり写真のカウンター位置そのものがスピーカーのセッティングされていた位置ということになります。もちろん、カウンターなど店内に存在しませんでした。お客さんからリクエストがあると、そのスピーカーの背後を吉田おじいちゃんは往来して、目的のレコードを探し出してくるのです。
写真左手のドア、つまりわたしが通った当時の左スピーカーのやや奧が、飲み物を作るキッチンへとつながっていたドアですね。誰かが来店すると、吉田じいちゃんはこのドアから奥へ引っこんで、しばらく店内は客だけになりました。後年、奧のキッチンをなくして、カウンターで水仕事ができるように改造したと思われますが、90年代にでかけたときはカウンターの有無の記憶も曖昧ですね。w
当時は、ライブ演奏はめったに行なわれず、「ちぐさ」は純粋なJAZZ喫茶としての印象のほうが強かったです。港のJAZZライブハウスはむしろ、馬車道の「エアジン」や石川町の「IZAⅡ」へと移っていた時代でした。
アップライトピアノは、スピーカーとは反対側の道路に面したコーナーに、ひっそりとカバーがかけられて置いてあったような気がします。

Posted by: Chinchiko Papa : October 22, 2010 12:44 PM

Chinchiko Papa さま
 参考のために、カウンター側の写真もひとつ加えておきました。
左の方に、口が見えますね。
店は、カウンター側が少し広がった台形の平面ですから、ライブをやるときにはどこにプレイヤーが立つのか、不思議だったのですが、そのレイアウトなら、こちらに演奏者が立つことができますね。
アップライトのピアノもあったそうですが、それはどこに置いたんでしょう。

Posted by: 玉井一匡 : October 22, 2010 08:22 AM

あ、その可能性はありますね。わたしが通ったのは1976年から82年ぐらいまでですので、その後おじいちゃんが亡くなるまでの間にレイアウト変え、あるいは多少の改築がなされているかもしれません。
ただし、亡くなったあとも一度(90年代半ばぐらい)、友人と出かけているのですが、変わった印象は受けなかったように思います。ただし、夜間で飲み会の流れでしたので、記憶が曖昧な点は否めないのですが・・・。

Posted by: Chinchiko Papa : October 21, 2010 11:27 PM

Chinchiko Papaさま
 はい、うらやましいですよ。
 再現版では、スピーカーの向かいにカウンターがあって、その奥でコーヒーを淹れていました。そのむかしに描かれた店の内部の絵をみても、スピーカーの奥出入口はなさそうです。もしかすると、Chinchiko Papaの時代には、スピーカーの位置が向かい側に移ったんじゃないですか。それなら、レコードの棚の左側、カウンターの奥に出入口がありますから、カウンターの手前にスピーカーを置けば、Chinchiko Papaのおっしゃるようにスピーカーのうしろ脇のドアから出入りするというのが可能だと思いますが。

Posted by: 玉井一匡 : October 21, 2010 04:59 PM

玉井さん、うらやましいでしょ。(笑)
わたしが通っていたのは、70年代後半から80年代にかけてですが、吉田おじいちゃんはずいぶん優しくなっていたようです。SPに向かって、席が「コ」の字型になっていたのですが、わたしがいつも座っていたのはSPに向かって、左側のいちばん前でした。そこに座ると、誰もいなくなったときに吉田じいちゃんからバインダーをお借りして、リクエストしやすかったんですよね。
再現された「ちぐさ」は似てはいるのですが、かんじんの吉田じいちゃんがしじゅう行ったり来たりする、左のスピーカー奧にあった出入口のないのが残念です。出入口の向こうにはコーヒーを沸かしていれるキッチンがあって、そこからカップをカチャカチャいわせながら運んできてくれました。手伝わないと悪い気がして、途中でカップを受け取ったりして・・・。w
なにをリクエストしたのか、細かいことまでは憶えていませんが、当時マッコイ・タイナーが取り組んでいたオーケストレイションのアルバムは、ずいぶんかけていただいた記憶があります。『Sahara』や『Fly with the wind』をリクエストすると、ボリュームをおもいっきり上げてくれましたね。w

Posted by: Chinchiko Papa : October 21, 2010 10:32 AM

Niijimaさん
 なるほど、そうなんですか。「音はイマイチですが」なんて、素人のはずかしい言いぐさだったんですね。
マイク一本だった(あたりまえですね)とか、紙の磁性体を使っていたとかいう話をうかがうと、アルトばかり前に出ていて他の楽器の影が薄いなんていうことはしょうがないと思うようになりました。
むしろ、かえってマイクと楽器のの位置が感じられるのが臨場感を増している。時代を感じさせる。というようにきこえてくるんだから、われながら現金なものです。
はじめに食器の音が聞こえたりするのもWaltz Foer Debbyを思いだしました。
「モカンボに移した」「冗長」ではなくて、広く深くしてくださってありがとうございます。

Posted by: 玉井一匡 : October 21, 2010 09:07 AM

iGaさん、情報をありがとうございます。そうなのですよ。わたしに音源の存在を教えてくれたのは今年70歳のかたなのです。その方もLPで持っていなく、カセットテープで聴いたそうなのですが今は何処へいったやらという状態とのこと。

玉井さん、お気遣いありがとうございます。masaさんとお出かけになられた日曜日は仕事がありましたから、お誘いいただいても結局行けなかったと思います。つくづく残念。
ところで、YouTubeで即刻探されるとは、わたくしより感覚がお若いようです。
アップされているとは想像だにしませんでした。
2曲ともジャム・セッションのライブらしい熱い演奏が繰り広げられていますね。完全ビバップしています。50年代の横浜でこんな演奏を聴くことができたのですねぇ。守安の死は山手線に飛び込んだのだそうです。31歳で、、、

YouTubeの音源はリリースされたCDからのものではないでしょうか。音は強音が歪んでしまっているし(映像用音声への変換時のことかもしれません)、ミキサーがなく、マイクの本数もなかったのでしょう(おそらく1本)から楽器間バランスは悪いですけれど、この時代、この状況下で、この音なら、わたしは充分に素晴らしいと思います。

(少し長くなりますが)このときの録音は、当時オーディオマニアだった岩見潔さんという方がなさっていたそうで、なんと手作りのテープレコーダーを持ち込んだとのこと(東京通信機工業=現ソニーからの市販品が既にあったのですが、高価だったため一般にはなかなか買えなかったそうです)。
また、録音をするための磁気テープは、ベースと呼ばれる細長いフィルムに磁性帯を接着あるいは蒸着してできているのですが、そのベースはアセテートや、70年代からはポリエステルで作られていました。ところがこの初期テープレコーダーのころのテープのベースは紙製でした(わたしは見たことはございませんが、)。
紙テープは意外と保存性が良かったようですから(端がワカメ状になりにくいなど)、54年に収録されて、70年代にレコード化されたのはタイミングとして(最後のチャンスと言いましょうか)良かったのかもしれません。ただし岩見氏の経歴をみますと、モカンボ録音の後、テレビ局=NTVに入社していますから、在籍中に当時の最新業務機にコピー、アーカイブされたことは充分想像できます。
http://www.rockwell-records.com/
(岩見氏は現在、プロとしてスタジオも経営されていますが、わたしは面識ございません。)
テープの状態があまり害われず、意外と安定した回転が確保されていることで、聴きやすい音源になっているのだと思います。
ちぐさからモカンボへ話しを移したうえに、冗長にすみませんでした。

Posted by: M.Niijima : October 21, 2010 02:22 AM

Niijimaさん
 そうですか、やはりお誘いすればよかった。
ぼくは、masaさんにお借りした本で「モカンボ」についても守安祥太郎がここに来ていたらしいことも知りました。守安祥太郎の演奏は聴きたいなと思っていました。吉田衛さんも天才と書いています。
Niijimaさんが書いてくださったサイトに跳んで行ってみたら、守安を秋吉敏子がしたっていたことや、まわりの人たちを育てることに情熱を注ぎ込んでいたことなど、いい話がいろいろ語られていました。31歳で死んじゃったんですね。
YouTubeを探したら、モガンボでのSLOW BOAT TO CHINAがありますね。音は、イマイチですが。
http://www.youtube.com/watch?v=1GKMLmgo3zQ
宮沢昭(ts) 渡辺貞夫(as) 渡辺明(as) 守安祥太郎(p) 鈴木寿夫(b) 五十嵐武要(ds) 横浜、伊勢崎町「モカンボ・クラブ」
http://www.youtube.com/watch?v=FY-vcJ4gjxg&feature=related
宮沢昭(ts) 渡辺貞夫(as) 秋吉敏子(p) 上田剛(b) 清水潤(ds) 横浜、伊勢崎町「モカンボ・クラブ」

Posted by: 玉井一匡 : October 20, 2010 11:10 PM

Chinchiko Papaさま
 そうかい、あんたは行ったのかい!よかったね。この野郎め・・・と、ちょっと悔しく思いました。なんて書けば喜ばせるだけなのを覚悟で言うんですがね。
なにごとも、やろうと思えばやれるときにやっておかないと後悔するということですね。70年代の中頃には、T定規と勾配定規をもって住宅に立ち向かっていましたから、ちょっと歳の差を覚えました。
 「おやじ」も「じいちゃん」になってやわらかくなったのでしょうか、「横浜ジャズ物語」で語られるおやじは、もちろん中味は若者を思っていたのでしょうが、こわいところがあったようですね。
 再現された店の音は、正直なところちょっと力を出し切っていないようでしたが、しばらくはリハビリ期間が必要だったのかもしれない。

Posted by: 玉井一匡 : October 20, 2010 10:55 PM

Niijimaさん。
70年代は「モカンボ・セッション」とか「銀巴里セッション」とかの未発表テープが発掘され、スイングジャーナルでも守安祥太郎の特集があったり、NHK-FMのジャズフラッシュでも放送されたりしましたが、まだ20代だった私はリアルタイムで聴けるジャズを追いかけてましたから...生憎とそれは持ってないですね。恐らく僕らより一周り上の世代のジャズフアンを中心に売れたのでしょう。

Posted by: iGa : October 20, 2010 10:35 PM

横浜市に在住しているのに、今回のこの回顧展には伺いませんでした。
「ちぐさ」が実際に営業されているときに行ったことがありませんでしたので、思い入れが希薄なのだと自分に言い聞かせておりました。ところが、この玉井さんのエントリーを読んで、これは「ちぐさ」の再体験だけでは済まない、横浜の歴史を追体験させる装置であったのかもと、それなら伺っておけば良かったと、いまごろになって惜しいことをしたと感じております。

秋吉さんも、渡辺貞夫さんも「ちぐさ」でいろいろと研究をしたのでしょうね。
ところで、戦後の伊勢佐木町にモカンボというクラブがあったそうです。そこで(1954年)行なわれたジャム・セッションの一部が「幻のモカンボ・セッション」と題されて70年代にLPで(90年代にCDで)リリースされていたようで探しているのです。
そのモカンボの箱バンドのピアニストであった守安祥太郎(故人)という人が、彼をお兄ちゃんと慕っていた秋吉さんをはじめ、渡辺貞夫さんらにビバップの実践を教えたのだそうです。

戦前、戦後の横浜のジャズ・シーンの参考は有隣堂のページに、
http://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/yurin_443/yurin.html

また、既にお調べになっていらっしゃるでしょうが、「ちぐさ」アーカイブプロジェクトの発端や経緯についてはヨコハマ経済新聞の記事が詳しいです。
http://www.hamakei.com/column/226/

Posted by: M.Niijima : October 20, 2010 06:19 PM

1970年代の半ばだったでしょうか、初めて横浜のJAZZ喫茶「ちぐさ」や「ダウンビート」、ライブハウスの「エアジン」や「IZAⅡ」に通いはじめたのは、大学へ入るか入らなかったころだと思います。それ以降、これらの店は横浜やその先へ出かけた帰りに必ず立ち寄るスポットになっていました。
「ちぐさ」は、コーヒー1杯でLP片面のリクエスト1回が決まりだったのですが、誰もいなくなると吉田じいちゃんが分厚いバインダーに綴じたディスコグラフィーを丸ごと手渡してくれて、「どれでも好きなのかけていいよ」と言ってくれるので、貧乏なわたしは長時間ねばるのが常でした。SPはJBLだったので、レンジの広いアルバムばかりをリクエストしていたような憶えがあります。
当時のJAZZ喫茶にしては店内が明るく、道路側がすべてガラス窓でしたので、お客がいないのを見はからって、複数回のリクエストめあてに入ったことも何度かあります。
近くの「ダウンビート」は「ちぐさ」とは対照的で、よく湘南の海で泳いだ帰りに休憩しました。薄暗くてゆっくりくつろいだり、読書をするにはもってこいのJAZZ喫茶でしたね。「ちぐさ」ではJAZZをマジメに聴き、「ダウンビート」ではゆったりする・・・ということで、当時のわたしは2店を使い分けていたように感じます。
吉田じいちゃんが亡くなったあと、しばらく奥さんがやってらしたときにお悔やみがてら出かけましたが、さんざんお世話になったのに、閉店のときまでご無沙汰してしまいました。

Posted by: Chinchiko Papa : October 20, 2010 02:37 PM

iGaさん
 iGaさんやNiijimaさんにも教えてあげるとよかったかもしれないと、masaさんとも話していたのですが、やはりすでにご存じでしたね。八王子はよほどぼくたちより横浜に近いんだから当たり前だ。しかし、壊してしまうのはもったいないくらいの、なかなかできのいい再現でした。椅子テーブルはもとより、コーヒーカップや砂糖入れももとのままを使っていたし、常連たちが楽しそうに切り盛りしていたからでしょう。黒い灰皿もそのままなのでしょうが、禁煙と書かれた紙が中に置かれていたのはご愛敬でした。両側の壁にならぶジャケットは、写真のようにビニールの袋に入っていましたが、昔は裸で置いたでしょうか。ビニールの代わりにタバコの脂でコーティングされたでしょうが。
 あの小さな店にピアノがあって、ライブというかセッションをやっていたころは、さぞかし濃密で素人の一見さんには、ちょいと敷居が高かったことだろうな。

Posted by: 玉井一匡 : October 20, 2010 08:50 AM

庭の千草(The Last Rose of Summer )はアイリッシュ音楽ですが、野毛のちぐさはジャズでした。そう云えば、何日か前の新聞に「期間限定で再現」の記事がありました。まぁ...2007年1月末日で閉店の時もエントリーを書いただけで行くこともしなかったし。今宵はiTunesのLibraryから壁に張られた"Ray Bryant Plays"を久しぶりに聴くことにした。

Posted by: iGa : October 20, 2010 12:31 AM

masaさん
そういうところにも、きっと「おやじ」の人柄が反映されているんでしょうね。
「おやじ」の生前に行けなかったのが、残念です。
いまも、どこかにそういうところがありそういう人がどこかにいるんでしょう。

Posted by: 玉井一匡 : October 20, 2010 12:10 AM

玉井さん、またまた失礼いたします。

>あんなコアな店の常連たちなのに、とてもにこやかにぼくたちを受け容れていた開放性が、とてもいい感じでした。

同感です! 本当に仰る通りですね!

Posted by: masa : October 20, 2010 12:05 AM

masaさん
こちらこそ、ありがとうございました。
あの本に常連たちの座談会があって、「おやじ」に何かをやってくれと頼まれると一人前になったんだと言っている人がいました。おやじは、とてもこわそうで、口をきくことができなかったという人もいました。ここは、店というよりも学校か道場のようなものだったのでしょうね。毎年旅行に行って、芸者をよぶということをおぼえたとも言っているし、あの店はとても興味深い場所と人間関係だから、いつかゆっくりあの人たちに話を聞きたいと思いました。
 それに、あんなコアな店の常連たちなのに、とてもにこやかにぼくたちを受け容れていた開放性が、とてもいい感じでした。

Posted by: 玉井一匡 : October 19, 2010 11:51 PM

玉井さん、こんばんわ。
この催しについてのご連絡をいただきまして、ありがとうございました。この手の催しはとかくハリボテ感が強く「ま、こんなものだ...」と感じることが多いのですが、この「ちぐさ再現」は本当に再現になっていましたね。
催しの中心になられた方々は、ちぐさの最後の日々を支えた経験をお持ちの方々だそうですが、吉田さん(店主)とその方々(客)との関係が、店主と客という関係のみならず、良好な意味での一種師弟の関係にあり、それが、完璧とも言えるちぐさ再現につながったのだろうと想像しています。
玉井さんがお書きになっていますが、僕も、ごく短時間でしたが、本当のジャズ喫茶(ちぐさ)に居るような気がしました。

また、これはちぐさを再現した店...でしたが、実は、吉田さんの感覚とちぐさの伝統を引を継ぐ人たちによる、短期間のちぐさ2世店だったのだ...という気もしてきています。

どちらにしても、この催し、行ってほんとうに良かったです。教えてくださいましたことに改めて御礼いたします。

Posted by: masa : October 19, 2010 11:31 PM
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