January 16, 2011

「幸」と「辛」

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 ことしの新年のごあいさつは、干支の辛卯の「辛」を「幸」に変えたのをデザインしたのだが、それをEメールでさし上げたかたが思いがけない返信メールをくださった。
彼女は、ご自身の名前に「幸」という字をもっていらっしゃるからだが、幸という漢字の由来についてこんなことが書かれていた。

 2年前に字源の話を聞く機会があり、そのときに50人ほどの参加者の名前の文字についてそれぞれに説明してくれた。彼女の番が来ると、最後にしましょうと言われたので待っていたのだが、ほかの人たちの説明がすむと、そのまま終わらそうとしたので彼女の名前の説明を求めると渋々答えてくれた。
 手錠をかけられ、腰縄を巻かれて、はるか地の果ての敵陣に奴隷のように引かれて行く様をあらわしているのが「幸」の字だという。・・・会場は一瞬凍ったように静かになった。

というのだ。意外な話の展開にぼくも唖然としたが、ご本人はさぞやびっくりなさったことだろう。  

 その解説を信じないわけではないが、ぼくは自分の目で確認しておこうと白川静の「人名字解」を開いてみた。以前に、MADCONNECTIONのエントリー「人名字解」で知ったときに買った辞書だ。「幸」の項目はなかったが人偏のついた「倖」という字があった。たしかに、そこにはこう書かれている。

・・・形声。音符は幸。幸は、刑罰の道具である手枷の形。幸と丮(両手をさしだしている形)とを組み合わせて手枷を両手にはめている形が執で、とらえるの意味になる。両手に手枷をはめられて跪いている人を後ろから押さえる形は報(むくいる、こたえる)。手枷をはめられる程度の刑罰ですむのは、重い刑罰を免れて僥倖(思いがけない幸せ)とされたので幸に「さいわい」という意味がある。倖は幸から分化した字でさいわいの意味に用いる。・・・

 「幸」という字は手枷のかたちから発生しているという。じゃあ「辛」は何のかたちから来ているのだろう。「人名字解」には、当たり前だがこの字はない。近くの本屋に行って同じく白川静の大きな辞書「字統」の「幸」と「辛」を開いてみた。それによれば、「辛」は入れ墨のときにつかう、把手のついた針の形だと書かれている。たしかにこれはそういう形だ。痛そうな形をしている。

 ぼくも「禍福はあざなえる縄のごとしというごとく、幸辛は見方によって変わるものだと言いたいのです。」と新年のごあいさつに書きはしたが、これほどの辛辣なことは考えていなかった。
 現代社会は、「多ければ多いほどいい」という価値の物差しをつぎつぎとつくりだした。GNP、GDP、経済成長率、偏差値、かつては電気の消費量が「豊かさ」の物差しになったことさえある。多ければ多いほどいいという尺度は、かぎりなく大きくなれるという未来を前提とした価値だ。世界が有限であることが共通の理解になった(はずの)いまの時代では、手枷をつけられた状態にもさいわいがあるとする考え方は、じつは大切なことなのかも知れない。

「人名字解」には、いかにも手枷らしい形をしている甲骨文字がなかったので、はじめの写真は「字統」の「幸」の項目を、本屋の隅でひそかに撮ったから、ずいぶん歪んでいますが、ご容赦ください。

投稿者 玉井一匡 : January 16, 2011 01:30 PM
コメント

senrinoinkyoさま
 金大付属ご一同の新年会のご様子拝見、漢詩拝読いたしました。
先日、友人にきいた話では、このごろは第二外国語に中国語を選ぶ学生が8割ほどにもなったそうですね。われわれの学生時代は、さいしたる意志もなくやはり8割ほどのやつがドイツ語を選んでいました。それに較べれば、いまの学生は自覚的に選んでいるでしょう。おおくは就職に有利という程度の動機かもしれませんが、それでもとなりの国との友好にいい影響を及ぼすことはまちがいないでしょう。
彼等は、漢詩を中国語として読めるようになるのだとすれば、だいぶ世の中は変わってくるかもしれませんね。

Posted by: 玉井一匡 : February 1, 2011 10:03 PM

かのとうにちなんで駄作漢詩をひとつ
http://heartland.geocities.jp/senrinoinkyo/inkyodailypicture.html

Posted by: senrinoinkyo : January 30, 2011 10:35 AM

光代さん
 ことしもよろしくお願いします。「勉強会」は、新年からさっそく充実のようですね。
もともと、われわれ日本人は小さいことがとくいdで、しかも小さい中に宇宙を見ることができた・・とぼくは思います。いたずらに膨張を目指さずに、その原点に立つということなんでしょう。

きのう、裕吾さんがウチの事務所にお寄りになりました。


Posted by: 玉井一匡 : January 19, 2011 10:13 AM

最近 小さいとか少ないと言う事が これからの私達の良い武器になってくれるような気がしています。
「豊か」と言う事が 大量消費という意味だった時代は間違っていた事を 思い知らされていますものね。

「小さい」や「少ない」が量の事ではなくて、質それも 上質という意味じゃなく、そう言うランキングや数値で表せる事とは全然違う価値観で 物を捉えられる時代が来たら良いなあと思います。

昨日の「大勉強会」は それらの可能性を大いに感じる有意義なものになりました。
参加者の熱も大変なものでしたよ!

Posted by: 光代 : January 18, 2011 05:38 PM
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