July 05, 2011

写真展「緑のキャンパス」:ディベロッパーになった大学当局

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 先週、神楽坂のアユミギャラリーで愛知芸大のキャンパスの写真展が開かれていた。完成から45年を経たキャンパスを永田昌民さんと訪れた写真家・大橋富夫さんが撮影したものだ。

40年前のSD別冊「空間の生成」で見た写真では、拓かれたばかりの山のキャンパスはむしろ索漠とぼくには感じられたものだが、大きく育った樹木や池と共生する建築たちの現在の写真は、まぎれもない吉村世界をつくりだしていた。ほかに人のいなくなった会場でゆっくり見たあと、地階ではじまっていた初日のパーティーにそっと入ってゆくと、プロジェクターで写真を見せながら永田さんが話をしていらした。

写真展の説明文には「・・・・・自然と建物と人が積み重ねたありのままの時間を、多くの人たちに見て、感じてもらいたい。」と、おだやかに結んでいるのだが、永田さんの話を聞いていると大学当局はこれまでの「ありのままの時間」を消し去ろうとしているらしい。キャンパスの基本的な性格をこわして、つくりかえてしまおうとしているのだ。これは「順ちゃん」への敬愛にささえられた写真展ではなく、この夜の永田さんは愛知芸大当局への憤懣の人だった。
 じつは、愛知芸大がそんなことになっていることを、恥ずべきことにぼくは知らなかった。しかも、一年ほど前には「住まいネット新聞 びお」で小池一三さんが「吉村順三の仕事 愛知芸大キャンパス訪問記」を書いていらしたのだ。永田さんの思いに共感する目で、もう一度写真を見なおしたいと思ったので数日後にまたアユミギャラリーに行くと、その日はもう最終日だった。おかげで、会場にいらした永田さんと大橋さんに、ゆっくり話をうかがうことができた。

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 いま愛知芸大で進められている改築計画には、唖然とするような問題がある。永田さんにうかがったお話とキャンパスのありようをもとに整理すると、すくなくともそれらは3つに集約される。

1)空間を構成する原理からの逸脱:大学当局は、吉村順三のつくりあげたキャンパスのありかたを継承すると言いながら、じつは環境や空間の構成への配慮を軽んじ、吉村順三の原理とはまったく違うものにもとづいてつくろうとしていること
2)施設管理のずさん:当局は建築の老朽化や設計の不備、規模の不足などを改築の理由にしているが、それは大学に施設課さえ置かず、これまで適切な維持管理をせずに老朽化を進むがままに放置してきたことに原因がある。それらは、大部分が改修によって十分に対処が可能であること
3)改築計画の進め方の不明朗:この計画は、委員会を設けて進めるという形式をとっている。しかし、多くの諮問委員会がそうであるように、あらかじめ結論を用意し、それにむけて人選をおこない形式的な反対意見も聞くというものであるうえに、非公開で進められたこと

このうち2)と3)は論外のことで、大学と愛知県の非はあきらかであるし、よその世界のことだ。しかし1)については、建築と、一部とはいえ地球のことだから、ここで考えておかないわけにはゆかない。
 吉村順三のマスタープランでは谷戸を取り込んだ丘という魅力的な地形を活かして、丘を削り谷を埋めることを最小限におさえ、むしろ新たに樹木を植えてゆたかな植生に導いた。それらの樹木が現在は大木に育っている。性格もさまざまな心地よい外部空間を活かすよう配置された開放的な建築を、木々がさらにゆたかにしてる。
 尾根の中心におかれたシンボル的な建築である講義室棟は、中空に持ち上げて地上をピロティーとして解放したから、長い建築も地上に立つひとの視界を遮ることはない。側面は、壁でなく格子で包まれる大きなガラス面だ。現在の奏楽堂が敷地の奥に配置されたのも、キャンパスをボリュームの大きい建物によって分断することを避け、音楽は奥まったおちつきの中で演奏し聴こうと考えたからだろう。

 しかし、日建設計によってつくられている計画では、新しい奏楽堂と音楽学部棟はアプローチのもっとも近くに置かれている。芸術大学の「顔」である奏楽堂は、外来者を迎えるために入口の近くにあるべきだという理屈だ。これは、上記の吉村順三の考え方を真っ向から否定すものにほかならない。しかも140mにおよぶ音楽棟は谷の斜面を蔽ってしまう。そこには、数々の野生の動植物が棲んでいるという。おそらく、奏楽堂を学外に貸しやすいところにつくり、利益を上げようとする意図が働いているのだろう。大学を法人化して利益をあげるように制度を変えた「改革」があと押ししているにちがいない。あたらしく奏楽堂がつくられると、現在の奏楽堂はなんと「楽器庫」にしてしまうのだという。呆れたものではないか、征服された国のお姫さまを奴隷にしてしまえというのだ。

 2005年、このキャンパスの近くで開かれた愛知万博は「愛・地球博」と呼ばれ、少なくとも表向きのテーマは「自然の叡智」ではなかったか。愛知県が主催したのではなかったのか?それに先だつこと30年も前に、吉村順三は建築が技術的にも大きさも不必要に膨張することを戒め、すでにそこにあった地形や生物を大切にしていたと、ぼくは思う。不必要な膨張は、他の人間、他の空間、そして自然への侵略を意味する。知も地も愛することをやめるのか。

 指摘するべきことはまだ多い。しかし、吉村の考え方の根幹を消し去るのが間違いだと指摘するだけで、この改築計画を否定するには十分だ。
地震と原発という災いを契機に、これまでの文明に内在する大きな矛盾を正面から解決することがなければ、日本どころか人類の文明は100年くらいで半減期をむかえるだろう。原発を推進してきた政財官界・御用学者たちが考えをあらためるべきであるのと同じように、愛知芸大の建て替えを進める人々、それに協力してきた研究者・建築家たちは、これまでの非を認めて、吉村順三に立ち返るべきではないか。もう世界は、そんなやり方を美しいとも正しいとも思わないのだ。老朽化して雨が漏っているのは、むしろきみたちの考え方なのだよ。率直に言えば、君たちは退場すべきだ。

■関連サイト
愛知県立芸術大学 建て替えについて
緑ゆたかな愛知芸大キャンパスを活かして行こう会
吉村順三の仕事 愛知芸大キャンパス訪問記/小池一三/びお
「吉村順三の仕事を今、学ぶ」

投稿者 玉井一匡 : July 5, 2011 06:34 PM
コメント

Tosi さま
 わたしは気づかなかったので、自宅に帰ってから、HDDから『ネットワークでつくる放射能汚染地図』を探しだし早送りして見ました。たしかに、福島県教育会館がうつっていました。教育会館は生きている建築として使われているようで、ちょっとうれしくなりました。
これとくらべれば愛知芸大はだいぶ新しいはずですね。消費と成長が経済を支えるという文明のありかたは成り立たなくなったことを、いまもって受け止められないのでしょうか。芸術を追究する大学で。

*福島県教育会館/藤森照信/東京ガス主催 建築環境デザインコンペティションのwebサイト:http://kenchiku.tokyo-gas.co.jp/live_energy/modern/17.php
*福島県教育会館の公式ウェブサイト:http://www.kyouikukaikan.jp/
*愛知県立芸術大学/藤森照信//東京ガス主催 建築環境デザインコンペティションwebサイト:http://kenchiku.tokyo-gas.co.jp/live_energy/modern/08.php
 

Posted by: 玉井一匡 : July 8, 2011 11:38 AM

無限成長美術館(musée à croissance illimitée)というような表現を平気で用いることができたことに、もしかしたら、ルコルビュジエと彼の時代の楽観主義の限界があったのかもしれません。しかし、フクシマ以後の世界はこれまで以上に持続可能性と脱成長への方向転換を必要としており、そのためにも建築やユルバニスムにおける人間的なモダニズムの最良の成果は可能な限り生かしつつ時代の新たな要請に適合させ、使い続けることが求められているのだと思います。ETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図』の後半に挿入されていた(福島県教職員組合の事務所がおかれているらしい)福島県教育会館の外観映像に驚かされたのですが、あの建物が子供たちの被爆低減にとりくむ人々に使われていることに勇気付けられもしました。それにしても、もし吉村順三や前川國男がいまの日本の知的道徳的惨状を見たら、どんな発言を聞かせてくれることでしょうか?

Posted by: Tosi : July 7, 2011 08:39 PM
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