October 16, 2011

「福島の原発事故をめぐって-いくつか学び考えたこと-」

GenpatsuMegutteS.jpg「福島の原発事故をめぐって-いくつか学び考えたこと-」/山本義隆著/みすず書房
 9・19さよなら原発デモの解散地点の近くで山本義隆氏とおぼしき人物の姿を目にした。そのあとで、原発が引き起こした現在の事態についてあの人はどう考えているだろうと思っていたら、9月29日の朝日新聞に高橋源一郎が「論壇時評」でこの本を取り上げていた。
 新聞の1ページを担当していればそうもなるんだろうが、ただひとり脱原発の立場とされた大臣をマスコミが退陣に追い込んだことについて触れながら、高橋源一郎は正面からのマスコミ批判を避けようとしているのがどうにも食い足りない。この「福島の原発事故をめぐって」のとりあげかたも気に入らない。おかげで、ぼくはぜひ読みたくなった。

 100ページに満たない紙数で、日本に原子力を導入した政治的背景、技術的な問題点を語った上で、著者のフィールドである科学技術史の中に原発を位置づけ、その結論として脱原発を導くという内容は深い。

 ぼくたちの世代にとっては説明するまでもないのだが、若いひとたちは山本義隆氏を知らないのかもしれないということに気づいて、このエントリーをすっかり書き直すことにした。
 著者は、理学部物理学科大学院の博士課程で量子論を専攻する学生だったときに東大全共闘の代表などというものになってしまった。彼がセクトに属するいわゆる活動家でなく、したがって、生涯をかけて研究したいことを持ちながらそれを捨て退路を断つ覚悟で先頭に立ったことが、その他のノンセクトの学生も動かし、反目するセクトさえひとつにまとめる一時期ができたのだと思う。それから安田講堂の攻防があり、長い法廷と「塀の中」の時間があった。
 その後長いあいだ、ぼくは彼の消息を知らないでいたが、2003年に「磁力と重力の発見」(以前に書いたのに、なぜかエントリーせずにいたのを改めてエントリーしました)という3巻からなる科学技術史の本を書いて大きな注目を浴びた。

「あとがき」に、この本を出すことになった経緯が書かれているし、山本氏の人となりがそれとなく感じられるので、その全文を引用しておこう。
 *** みすず書房の編集部から雑誌『みすず』に原発事故についてなにか書いてくださいと依頼され、なんとか原稿を書いたのですが、少し長くなってしまいました。連載にしてもらえるかと思っておそるおそるお渡ししたのですが、いっそのこと単行本にしましょうと言われました。そんなつもりはなかったので少々面食らったのですが、有難くお受けすることにしました。こうして出来上がったのがこの本です。原子力(核エネルギー)技術の専門家でもなく、特別にユニークなことが書かれているわけではありませんが、物理教育のはしくれにかかわり科学史に首を突っ込んできた私が、それなりにこれまで考えてきた、そしてあらためて考えた原子力に反対する理由です。
2011年7月24日 山本義隆 ***

 山本氏による科学技術の流れにおける原子力の位置づけを、間違いをおそれずに思い切って縮めると、つぎのようなものだ。
 「科学」とは、論証の学問から出発したが、自然を定量的に理解し実験による検証を経て獲得された法則性を提示するものであるのに対し、「技術」は技術者や職人の経験と試行錯誤を蓄積したものだ。「科学技術」とは、その科学と技術を並べたものではなく、「科学」の普遍的な法則性を適用してつくりだされた「技術」のことである。
 科学と技術がそのように統合されたのは産業革命もワットの蒸気機関の発明に至ったときで、その後、電磁気学から電気という動力がつくり出される。大恐慌に対して、アメリカはニューディールという、国家主導の強力で大規模な経済対策を行ったが、その延長線上に、同じように国家が研究者を結集して原爆製造を実現するマンハッタン計画があった。

 水蒸気でタービンをまわし電磁誘導で電気をつくるのが発電機だ。原子力発電とは、その水蒸気をつくるための熱源として原子力を利用するものにすぎない。これは、科学技術のたどった上記の過程をひとつにまとめたものであって、巨大な規模と限りない危険のために国家の経済的・法的な後ろ盾なしには進められないという点でもマンハッタン計画と通じるものだ。
 著者は、原子力を「ここにはじめて、完全に科学理論に領導された純粋な科学技術が生まれたことになる」と書いて、特別な科学技術だとする。
 その原子力の利用は「それまですぐれた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティーの許容範囲の見極めを踏み越えた」ものであることに本質的な問題を抱えているとして、こう締めくくる。・・・日本はアメリカやかつてのソ連とならんで、大気中に放射性物質を大量に放出した国の仲間入りをした以上、「事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、そのうえで、率先して脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう。」

■参照サイト
GenpatsuManhat.jpgManhattan Project/wikipedia
 マンハッタン計画について英語版wikipediaは日本語版よりもはるかに記述が多い。ぼくはマンハッタン計画というのはこっそり行われた陰謀のように感じていたけれど、この英語版の書き方の充実ぶりを一瞥すれば、アメリカにとってマンハッタン計画は大成功をなしとげた大規模な国家事業だったことが感じとれる。スーツを着たご婦人たちが颯爽とならぶ写真には、「オークリッジのウラニウム精製施設Y-12の勤務交代時 Clinton Engineer Worksでは1945年5月までに82,000人が雇用された」と説明されている。

 Project Sitesという項目には、全国に分散したマンハッタン計画関連施設の地図がある。そのひとつは、ドキュメンタリーフィルム「終わらない悪夢」で廃棄物垂れ流し施設として報じられている3カ所のうちのひとつ Richland(Hanford Engineer Works)である。この地図を見れば、マンハッタン計画がどれほどの力を結集してつくられたものであるかがわかる。しかし原爆が完成したときには、想定していたナチスドイツは降伏していた。せっかくつくったものを使わないのはもったいないとばかりに広島に原爆を落とし、それだけで、すでに日本は戦意を無くしていたのに、タイプの違う原爆を試したくて長崎にもうひとつ落としたのだ。
そして、原爆の副産物である原発を日本に売りつけようとしたアメリカに、岸・中曽根・正力などの面々がよろこんで飛びついたのだとすれば、ひどい話だ。

投稿者 玉井一匡 : October 16, 2011 09:41 AM
コメント

shinさん
 こんな状態にあって、事態の収拾どころか事態の把握すらままならないというのに「事故の経験をもとに、より安全な原発をつくるように考えたい」などと言ってベトナムに原発を売り込もうとする首相。
 玄海原発を再開することになったという佐賀県知事と九州電力。

頭が悪いのか神経が鈍いのか、いや、おそらく両方なのでしょうが、おかげで我々のやる気に再点火することになるでしょう。

Posted by: 玉井一匡 : November 2, 2011 08:49 PM

買って読みました
あの山本義隆かと思うと時代の確かな流れ(移動、動き)を感じます
10-20代の頃「広瀬隆」で反核反原発と、アトミックカフェなどで話し込んでいたのに、40年たって気がつけばこの惨状です
全て遅きに失した感ではありますが、出来るところからです

Posted by: shin : November 2, 2011 03:27 PM

Toahiさま
 核エネルギーの利用というものが、国家を挙げて結集しなければすすめることのできない科学技術であるとすれば、国家の運営のために「三権」を付託されたたはずの立法府、政府や官僚、そしてその手先に成り下がった司法は、すでに共犯者の位置にあるのですね。・・・・核エネルギーを強引に推し進め多くの人々に何年何十年にもわたり苦しみをもたらした廉で、危険きわまりない廃棄物を何万年もの間残した罪で。

 だから、事故の責任をあきらかにして技術開発を停止させることなどは、彼らには不可能なことなのですね。東電が、いささかも悪びれず開き直っていられるのは、とうにかれらの足許を見ているからなのでしょう。
 だからこそ、我々が直接に「NO」を叫ばなければならないのだと思います。

Posted by: 玉井一匡 : October 31, 2011 09:55 PM

私が漠然と考えていたことは、産業革命を準備したのは広義の「啓蒙」であったということ、そして(コルベール主義的国家という用語からも窺い知れるように)現代のテクノクラート的国家の起源も十七世紀や十八世紀にあり、その後欧州の大国で形成されていった近代的な国家は(資本主義とそれが惹き起こした経済危機が主に推進したといえる)産業革命期以降の技術革新をすでにさまざまな仕方でテコ入れしていたというようなことでした。玉井先生が要約してくださった山本氏の見方は、科学技術の概念あるいは定義そのものを産業革命期以降の歴史のパースペクティヴのなかに位置づけて考えるだけでなく、この歴史的コンテクストにおいて軍事と民生の核技術が純粋で特別な科学技術であると結論付けていることにその批判的独創性があると思います。いずれにせよ、「科学技術立国」などというような表現が特に問題視されることもなく受け容れられ日常的に流通させられ続けてているのは、かなり異様なことだと気づかされます。しかし、十九世紀なかばに近代化を開始した後発国日本だけでなく、世界の他の多くの国々でもいぜんとして、現実に存在する制度化された「科学」は、実態としては国家戦略の枠組みのなかでつねに産業政策(あるいは安全保障政策)の一部として考えられていることも確かです。それはさまざまな利害関心に密接に結合されています。「事業仕分け」のときの産業界や「科学界」の反発は記憶に新しいところですが、ここには「力である知」の根本的な問題があると思います。

Posted by: Tosi : October 30, 2011 09:17 AM
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