January 16, 2012

秋岡芳男展で思ったこと

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 会期も残り3日という年末に秋岡芳男展に行って満ち足りた気分で会場をあとにした。
 モノをつくることとモノをつかうことが気持ちよいつながりを持っているときに、いい道具や機械ができるのだということを、秋岡芳夫と仲間たちのしごとが伝えた。それが、この展示の気持ちよさと充実感の理由らしい。

 会場にはいるとすぐに、目の前の大きなテーブルの上に溢れんばかりの竹とんぼの色とりどり。ゆるやかに傾斜をかえてゆく竹でつくられた羽根の曲面、そこに嵌め込まれたらしい金属・・・単純この上ないおもちゃであるからこそ、表面にペーパーをかけては指をすべらせると滑らかさにうっとりとする様子も、金属を象眼して回転の勢いを増そうとした工夫も、手に取るように想像された。それも、少しずつちがうやつが、あんなにたくさん並んでいることによって、どんなにかいろいろなことを考えたのかが分かるのだ。
 竹とんぼの羽根をやすめる群れのもたらした思いは、会場にいるあいだずっと、それどころか今だって持続している。竹とんぼだけではない、どれも丁寧で巧みな展示だった。

AkiokaRadioS.jpg クライスラーというラジオは、どれもこれも素敵だった。
解説を読むと、そのクライスラーという会社は、秋葉原のサトー無線の前身であり、製品は「ラジオ」ではなくて、受信機の中身の機械部分は買い手がつくりそれを納めるためのケースが「クライスラーキャビネット」という商品だったのだ。これが大いに人気をよんでたくさん売れるので、秋岡氏が親しかった河潤之介・金子至両氏に会社をつくらないかと声をかけ、頭文字をつらねて「KAK」とした。

 かつて長い年月、国家はよそのくにのたくさんの町と家を壊し生命を奪うために、自分たちの国に住む人々からもあらゆるモノといのちを供出させ、引き替えに飢餓と苦痛と絶望や悲しみをくれた。ラジオは、その苦しみと無駄の終わりを告げる言葉を伝えて解放のはじまりになったのだ。自分で組み立てた機械をこのキャビネットに入れたら、とても素敵なラジオになってしまえばどんなに嬉しいことだったか、目に浮かぶ。これがたくさん売れたというのも当然のことだ。

 1月2日にBSで「J.ダワー×G.マコーマック 震災後 日本と世界への眼」という対談を見た。戦後の一時期、市民の側からデモクラシーを築こうとする動きが日本にもあったが、やがて既得権益を守ろうとする中央集権的な力が回復して、今に至るまでそれが続き、その延長に原発という中央集権的なエネルギーがつくられた。しかし、この地震・津波と原発が、もういちど草の根デモクラシーをつくる契機になるかもしれないとジョン・ダワーは指摘している。
AkiokaKAKs.jpg 秋岡芳夫とKAKのしごとの質と密度の高さは彼ら自身の力によるのはいうまでもないが、その背景には、敗戦直後の日本に自由と草の根のデモクラシーが育とうとしていたという流れがあったのだろうと、ダワーの話を聞いていて思い浮かんだ。戦後の草の根デモクラシーの昂揚は一時的なものに終わったが、彼らの活動は長く深く持続した。市民自身の視点にもとづいて自分たちの手で世の中をつくることがデモクラシーという思想であるとすれば、秋岡たちのしごとは自分たちの手で自分たちのモノをつくり出して、その結果として自由が築かれるというものではないか。

 じつは、そもそもぼくが秋岡芳男展に来たのは、所蔵するライラックのスクーターを出展することになったという知らせを河浩介さんからいただいたからだった。これは、今この時代に持ってきても、もっとも魅力的なスクーターかもしれない。その開発にまつわる無念と腹立たしさについてはkawaさんのブログ Things that I used to do のエントリー「ライラックモペッドAS71」にくわしい。(モペッドとはmotorとpedalをくっつけた「moped」だが、たしかスズキがペッドをペットに変えて「スズモペット」という名の製品をつくっていたことがあった)彼が部屋の中にこのペパーミントグリーンを家具のようにして置き、深く愛するのも当然だろう。しかも、KAKの河潤之介氏は河さんの父上なのだ。
 三菱重工がライラックにこのスクーターのOEMをもちかけたのでライラックは工場を拡張する。ところが,三菱は革命的なデザインに口を出してその一部を変更させた挙げ句に販売を縮小してしまい、そのほかの要因も手伝ってライラックは倒産に追い込まれる。その過程はそのまま、戦後に芽生えた草の根デモクラシーが、既得権益を護ろうとする力の支配に圧殺された世の中の動きと重なって見える。

 こういうことが度重なったのだろうか、メーカーの都合と利益のためにつくられる製品が消費者に一方通行で流れてゆく、大量生産・大量消費という中央集権に疑問をもった秋岡は、そこから立ち位置を変えて、その地域にある材料をつかいそこにいる人たちがモノをつくる、そしてモノと心を通わせて生活するという文化を育てるということに力を注いだ。
しかし、それは決して方向転換ではなく、もともと一貫して持ち続けていた姿勢なのだ。展示は、それを感じられるように、たくみに示していた。

 モノをつくるための道具のコレクションや、自分のこどもたちのためにつくった手づくりの木のトラックや食器棚。絵本というしごとがあり学研の「科学」や「学習」の付録という世界がつくられている。秋岡芳夫と仲間の活動の豊穣を、立体的に、美しく、しかも知的好奇心をそそるように構築された展示だった。
それは、この目黒区立美術館の規模が小さいことも手伝っている。大きな美術館では、順路が時間と空間を線状に並べざるをえないのに、ここのような小規模な美術館では、ものごとが一つの方向に一つの流れに乗って動くわけではないことを表現することができる。大規模な都市あるいはコミュニティーよりも小規模な都市やまちの方がここちよいのと同じことだ。

ここのドアをあけて外に出れば、春には目黒川沿いの桜に包まれるだろう。
閉館まで見て充実感を手にして師走のまちに出ると、ぼくは川縁を歩きながらすぐに友人に電話をかけて、見た方がいいよと伝え、家に帰ってからメールを送ったほどだった。それなのに、いろいろなことを考えてしまいエントリーがこんなに遅くなって、後塵を拝してしまいました。

■関連ブログ
秋岡芳男展/Things that I used to do
秋岡芳男展/aki's STOCKTAKING
二寸五分/MADCONNECTION
権之助坂で/kai-wai散策
驚きの秋岡芳夫展/BLOWIN' IN THE WIND :
秋岡芳夫展に行ってきました/漂泊のブロガー2
■参照
秋岡芳夫/wikipedia

投稿者 玉井一匡 : January 16, 2012 07:27 AM
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