December 11, 2003

アメリカ帝国への報復

BlowBackJ.jpgアメリカ帝国への報復 /チャーマーズ・ジョンソン著、鈴木主悦訳 /集英社

 ぼくたちを代表することになっている政府は、強引にイラクへの派兵を決めてしまった。それが、イラクの復興のためよりも日本がアメリカに協力する姿勢を見せるためであることは、だれでも知っていることだ。ここで言う「アメリカ」は「現在のアメリカ政府」を意味するに過ぎないし、「日本」についても同じことだ。大部分の日本人は派兵に反対だし、アメリカでもきっと反対する人は多いに違いない。

 こんなことになったので今年の春に読んだこの本を思い出した。一見したところ刺激的なタイトルは、ひと昔前の教条的なスローガンのようだが、著者は日本とアジアを専門とするまっとうな政治学者なのだ。帝国主義という言い方は修辞的表現ではなく、冷戦が終わったあと、アメリカが経済と文化の上でグローバリゼーションを進め、軍事的にも拡張を続けていることに、帝国主義の属性があるというのだ。アメリカは外国への余計な手出しを止めないと、いずれ、手痛い報復を受けるだろうということを書いている。そしてその通りになった。これがアメリカで出版されたのは2000年だったのだ。

BLOW Back.jpgBLOW Back(原著)
 今年の春、「9月11日を予言することになったので、このあたりの本屋ではベストセラーのひとつになっている」と、シアトルにいる妹が電話でこの本のことを教えてくれた。妹本人はアメリカの本を読むわけではないから、亭主のスティーブが読んだのを伝えたのだった。
著者は、スティーブがUCバークレーの学生時代に先生だったこともあったので、この本を翻訳したらどうだろうといって、しばらくしてから妹が原書を送ってきた。
原題は「BLOWBACK」銃を撃ったときの反動のことだろう。副題の「The Costs and Consequences of American Empire」は、「アメリカ帝国主義のコストと行き着くところ」とあいうところだろうか。

 こんな本の翻訳は急がなければならないから大変だし、ここまで寄り道をしているわけにはいかないよと思いながら序文を読むと「すぐに日本、ドイツ、イタリアで翻訳が出た」と書いてあった。早く日本語で読みたいと思っていたから、内心ぼくはよろこんで、すぐにamazon.comに注文した。日本語訳もすでに2000年に出されていた。
 シアトルでは、数年前にWTOを退治したことがあったくらいだから、反グローバリズムの意識は強いに違いない。シアトルの中心街からフェリーボートで渡るベインブリッジアイランドという島に妹たちは住んでいるが、その町はスターバックスを作らせないのだという。世界中どこにいっても同じ店をつくろうとする「グローバリズム」に反対してのことだ。その話をきいたぼくは、事務所の近くにスターバックスがあるのをかつて喜んだことを口に出せなかった。

投稿者 玉井一匡 : 02:11 PM | コメント (3) | トラックバック

December 10, 2003

サンキュ

DELICIOUS.jpg Click to Jump to Amazon
 いつから気になりはじめたのか思い出せないが、
ドリカムの「サンキュ」という歌について、時々ぼくは若いひとたちにきいてみることがある。
 主人公のともだちを、男だと思うか女と思うかということだ。
この歌を知っていそうな人にきくのだから、比較的若い人たちが多いのだが
その中でも、ある年令帯を境にしてそれより年長の世代は「女の子でしょう」と言うが、下の世代は「男の子だと思う」と言う。

 Be-eaterのサイトで「雌伏」ということばから始まって、「雄飛」「雌雄を決する」「星飛雄馬」などの言葉を取り上げて雄と雌についてのコメントが交わされて思い出したせいか、一昨日、20代後半と思われる女のひとに久しぶりにきいてみた。「意識して考えたこともないけれど、当然、女の子だと思っていました」と言う。3ヶ月ほど前に4年生の男子学生に尋ねたら「男だと思っていました」と答えた。世代との関係についての仮説から外れたのは、1度だけだった。

 ぼくは、女の子だろうと思っているのだが、うちの娘たちは2人とも、男の子だよといった。
「あれが男だったら魅力的な人間だとは思わない」とぼくが言うと、「女の子だったら当たり前だけど、男の子だから面白いんじゃないの」と返す。「たとえば**ちゃんなんか、いま会ったら、きっとああいう感じだよ」と20代なかばの長女がいう。**ちゃんとは小学校の同級生だった男の子のことだ。そうやって具体的な人間が出てくると、いいやつだとぼくも思っているから、大人になった**ちゃんのことを思い浮かべて男でもいいかなという気がした。

 ジェンダーというやつ、社会的に規定される性別によるふるまいの違いが、少なくなってきていることの現れなのだろうから、ぼくは、そのことをいいことだと思う。社会的な位置付けを意識しながら、それを利用しようとして「女らしく」振る舞おうとする女や「男らしく」突っ張ろうとする男などのわざとらしさが、ぼくは嫌いだ。にもかかわらず、歌を聞いていると思い浮かぶのは女の子なのだ。

ちなみに、「サンキュ」の歌詞は、つぎのようなものだ。ぼくの仮説によれば、吉田美和は、女の子の友だちだを思い浮かべる世代に属する。

何もきかずにつきあってくれてサンキュ
季節外れの花火、水張ったバケツ持って
煙に襲われて走りながら「きれい」
なみだ目で言うから
笑っちゃったじゃない。
来てくれてよかった。

何もいわずにつきあってくれてサンキュ
煙のにおい残る公園のブランコで
話のきっかけを探して
黙ったら急に鼻唄うたうから
笑っちゃったじゃない。
来てくれてよかった。

今日、彼にさよならしたんだ。
泣かなかったあたし、責めなかった。
えらかったねってあなたが言ってくれるから

ポロポロ弱い言葉こぼれてきそうになる。
好きだったのにな、言っちゃったあと泣けてきた。
また涙目のあなたを見て笑ってないた。
ちょっとかっこわるいけど
髪切るならつきあうよなんて
笑っちゃったじゃない。

来てくれてよかった。
来てくれてよかった。

今日はほんとうに
サンキュ

  作詞:吉田美和

投稿者 玉井一匡 : 11:39 AM | コメント (22) | トラックバック