March 18, 2004

さくらの季節

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昨春、関口芭蕉庵前の神田川:0406/2003

 ぼくの自転車通勤の道中10km弱は、さくらがさまざまに景色を一変させる。
中野通りを渡り→哲学堂公園の横を抜けて→神田川沿いの道をさくらに包まれて走り→神楽坂から飯田橋の外堀沿いの自転車置き場に着く。このルートはむしろ、無意識のうちにさくらの道を選んだ結果だったのかもしれないと、花の季節には思う。
 中野通りは、両側から桜が道を覆い花のトンネルになるが、神田川では遊歩道の上を包むさくらが両岸から川に向かって枝をのばしている。外堀通りの並木から流れ出した花は堀の斜面をお堀の水面に、さらさらと流れこんでゆくようだ。去年はキャナルカフェのデッキで夜桜を楽しんだ。

 椿山荘の隣に、かつて松尾芭蕉が庵を結んだ関口芭蕉庵がある。そこには文字通り芭蕉の木が数本並んでいるのが、塀越しにうかがわれ、背後には枝垂れ桜があるがまだ開かない。その門の前の橋のたもと、昨春4月のはじめ、神田川の水面に映る空に花びらが浮かび隅田川を目指していた場所が、3月17日の朝に白い桜が2本だけ8分咲きになっていた。たしかに、今年はさくらが早くやってきたらしい。

今春のさくら(昨年と同じ木):0317/2004 click image to pop up

今春の芭蕉庵:0318/2004 click image to pop up
たった一度だけ、友人に誘われてこの関口芭蕉庵で「連句」の会に厚かましくも参加したことがあった。
 大岡信が連句の本を書いたころに、それを読んで興味を持った。インターネットのなかった時代のことだったから、友人と二人で葉書をやりとりして連句をはじめたが時々滞るのだった。その後、友人は本格的に師匠について連句の会に参加していたのだが、その師匠が主宰した連句の会に、玉井さんも来ないかと声を掛けてくれた。芭蕉が住んでいたところだと聞いただけで、こんな時にしか入れまいと勇躍参加したが、ぼくのような自己流初心者は他にはいないと気づいて汗がにじんだのは和室の席に着いてからのことだ。
 これはあまり思い出したくない時間だったはずだが、時を経た今は景色を楽しむほどの余裕もできた。その友人・丹下誓氏は、その後、仕事でマレーシアからヒューストンと海外勤務がつづいたが、この春には、また日本に戻ろうとしている。今はEメールで連句をやっているそうだ。
 ちなみに芭蕉庵の庭は、なにも俳句や連句の会を催さなくたって開館時間ならだれでも無料で見学できる。
昨夏の芭蕉庵:神田川の対岸から click image to pop up

投稿者 玉井一匡 : 11:57 AM | コメント (1) | トラックバック

March 14, 2004

博士の愛した数式

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 これまでぼくは小川洋子を読んだことがなくて、NHKBSの週間ブックレビューのインタビューで初めて顔を見た。なにかをやると言い出したら、あるいはやらないと言い出したら引かない、しかし、だだをこねることはしない、かしこくて意志の強い少女のような表情。阪神タイガースの熱心な、というより「根深い」といったファンなので甲子園に近いところに住んでいる。そう聞いて、ぼくは好意的な色の付いた眼鏡で見ることになった。
 その人がつくった世界は期待にそむかない。とても魅力的な、愛情というよりももっと普遍的・根源的な、いうならばコミュニケーションとアイデンティティをテーマにした物語だ。

初老の数学者である「博士」、派遣家政婦の「わたし」、わたしの小学生の息子「ルート」という3人が物語をつくる。そこに博士の短時間しか持続しない記憶という設定を持ち込んでゲームのルールを際立たせた。博士は40代に交通事故で受けた怪我のためにそれ以後の記憶は80分しか持続しない。
 彼の記憶に長期的に貯えられているのは事故までのものだから、博士自身は事故の時点までの記憶によってつくられている。彼は事故以来は更新されていないウェブサイトのようなものなのだ。

 野球チームは毎年のように、構成するメンバーが変わるから今年のチームは去年のチームではない。にもかかわらず、ファンはそれを同じチームだとして応援し続ける。ひっきりなしによそのチームから中心選手を引っこ抜き、札束で新人をさらい、ルールさえ自分の都合にあわせて改造して、自分のチームを強くし続けようとするやつら。別所やスタルヒンの時代から江川や小久保まで、一貫して変わらない読売とジャイアンツの手口が大嫌いなのに、子供時代の刷り込みのまま、ぼくはいまだに応援することをやめないから、「何でお前が」と友人にいぶかられながらその苦さを楽しむことにしている。だから「アイデンティティとは何だ」という命題は、ぼくにとって常に馴染み深いものだ。
 
 博士自身と、彼にとってのタイガースのアイデンティティは、事故による障害のおかげで江夏時代のままであり続ける。国家にとって外交の一貫性が重要だとされるように、多くの場合にはアイデンティティを持続することに苦労するのだが、博士の場合にはアイデンティティが変化しないことによってさまざまな問題を引きおこす。
 にもかかわらず、それを解決する過程の中で、博士が愛すべきひとであることを「わたし」や「ルート」が知り心をかよわせることができたのは、時間をこえた普遍的な真実や価値を共有する、数学とタイガースと弱いものへのやさしさというグラウンドを作りあげたからだ。「妊娠カレンダー」も読みたくなってしまった。

投稿者 玉井一匡 : 01:35 AM | コメント (3) | トラックバック

March 11, 2004

LPを読むソフト

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塚原が、メールでこんなサイトを教えてくれた。・・・・・1980年代、LPレコードの盤のパターンを1分足らずのあいだ見ただけで、曲名をあててしまうという人がフィラデルフィアにいた。それから20年あまり経って、先頃イスラエルの学生が、レコードのパターンをフラットヘッドスキャナーで読みとって、それで音楽を再生するというソフトを作り出した・・・という。

 レコードの溝は、螺旋を描いてはいるにせよ、あくまでも1本の線をたどって音を再生する、いわば1次元の情報である。しかし、このアイディアはレコードを2次元の面のパターンとしてとらえてしまおうという考え方が独創的だ。このような観点の転換は、力ずくの技術進歩とはちがって、頭をつかった飛躍だから、ぼくはとても感心してしまう。力ずくの進歩は、大きな資金や権力をもつ組織なら自動的にできてしまうけれど、こういう飛躍は、大組織でも頭を使えない連中にはできないが、個人や小さな組織でも頭がよくて頭を使うことができれば可能なのだ。
 しかし、これは実用にはならないというのだ。とても残念なことだが、このアイディアの独創性そのものの価値は変わらないと、ぼくは思う。

詳細については下記のサイトを読んで下さい。この技術によって再生した音のサンプルも聞くことができます。
Digital Needle - A Virtual Gramophone

投稿者 玉井一匡 : 09:14 PM | コメント (0) | トラックバック