April 29, 2004

サービスエリアのカタクリ

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 高速道路のサービスエリアで、擬木の柵のむこうの斜面を見ると赤い花が一面に咲いていた。
近くで掃除をしていたおばさんに「あれはカタクリじゃないですか?」と尋ねる。「そうだよ。採っていけばいいのに。山菜も出てるよ」「そんなこと言っちゃあだめだよ、盗られてなくなっちゃう」というと「このあたりじゃあ、山に行けばいくらだってあるんだから」と、淡々と話す。おばさんの「淡々」に潜む自信と力強さは、もしかするとこのあたりの山のつよさの現れなのかなとちょっと思ってしまいそうだ。柵をまたいで花のそばに降りて行くと、一面に咲いていたのはやはりカタクリだった。エンレイソウも地味な花をつけて、小さなグループをつくっていた。カタクリの向こうにはまだ雪が残っている。

 あとになって何人かにこの話をすると、だれもが「どこでも乱獲されちゃっていて、いくらでもあるというところはないだろう」というところを見ると、あのおばさんはとくべついいところに住んでいるらしい。

投稿者 玉井一匡 : 11:02 AM | コメント (0) | トラックバック

April 27, 2004

HOME WORKと大人の科学


 iBookの故障のせいも少しはあるが、ちょっと怠ってしまうとひと月も更新していない。しかも写真は日本人の季節の基準になる桜だったから、秋山さんからは桜前線は北海道に達したよと電話が来た。そのうえ、放っておくとトップページに記事がなくなってしまうので、急いで更新する。

 ワールドフォトプレスの今井さんが「HOME WORK」という本を送ってくださった。「シェルター」をつくったロイド・カーンの、シェルター以降に集めたイエの新しい本で、秋に日本語版を出すことになったという。なぜなんだろう、ぼくはこういうイエたちを見ているととてもいい気分になってくる。
 数日後、Hさんから「黄鉄鋼と磁鉄鉱」というタイトルのメールが来た。Hさんについては、以前に「HさんのMACpower」を書いた。H氏賞なんていうのがあるんでちょっと面白がって仮名のように書いたが本名は本間さん。
 メールには「本日「大人の科学マガジン」最新刊のラジオ特集号を買ってきましたが、組み立て付録はなんとゲルマラジオでなくて鉱石ラジオでした。しかも、探り針式!鉱石も磁鉄鉱と黄鉄鉱の計2個付いていました。」とあった。本間さんほどのエレクトロニクスの達人がそう言うのだ、面白いにちがいないと、子供時代にラジオを組み立てた経験がないぼくは、帰りがけに神楽坂の本屋に寄った。写真を見ると、糸巻き車のように銅線を巻き付けた鉱石ラジオはかっこいいので、ぼくは本をレジに運んだ。「家に帰ってから箱を開けましょう」と、ケースに書いてある。だからというわけではないが、電車の中で付録のパッケージを開きたいのを我慢して本文のラジオの原理を読んでいるうちに「Home Work」や「シェルター」になぜ胸が騒ぐのか分かってきた。

 沢山のトランジスタやコンデンサーがちりばめられた新しいラジオの裏蓋を開いてみたところで、素人がラジオの原理について考えようなどという気にはならないが、シンプルな鉱石ラジオなら、その原理についての想像力がはたらく。
シンプルなすまい素朴な棲家は、イエの鉱石ラジオなのだ。
 鉱石ラジオは、ICを使ったラジオと較べれば間違いなく性能は劣る。だが、磁鉄鉱と黄鉄鉱の固まりを皿にのせたものがトランジスタの代わりをする仕掛けから、電池もコンセントの電源もつながずに音が聞こえてきて、その原理を実感することができれば得られるよろこびは大きい。
 しかし、シンプルなイエは高度な生産技術を駆使した住宅よりも、むしろ気持ちよい生活をできることが多い。そして、イエの作られかたについて、イエと環境について、家族のカタチについて、イエとマチについて、原理を実感するともっと大きく深い気持ちよさが得られる。

 アメリカという社会は、あれほど巨大でありながら、だからこそかもしれないが、原理を重視する原理主義の社会なのだろう。ブッシュは「殴られたら殴り返せ」というテキサスの素朴な原理に従っているようだし、毎年1万人の犠牲者を生みながら銃を手放そうとしない全米ライフル協会のチャールトン・ヘストンもやはり銃を持つ自由を保証するアメリカ合衆国憲法という国家の原理に忠実である。原理のことを忘れて部分的な関係に目を奪われてしまうことが多いぼくたちの社会にとっては、ブッシュやヘストンすら見習わなきゃあと思ってしまうときがある。しかし、巨大な行動が原理の名のもとになされるとき、そのかげには原理から逸脱する数限りない理由・・・テキサスの石油産業の利権や武器をつくる産業などが働いていることが、容易に思い出される。

 だが、「シェルター」や「HOME WORK」のような本を作る人や、それに登場するイエや人々が、自然と人間の生き方の原理に意識的であることを見たとき、人間の可能性についてについて信じることができるし、ぼくたちに大切なものが何なのかということを感じることができる。

投稿者 玉井一匡 : 10:14 PM | コメント (6) | トラックバック