May 26, 2004

ユキノシタ

場所:自宅・ドライエリア・プラントボックス
ユキノシタは普段はすこぶる地味な植物だ。ツワブキのように丸い葉をひろげているが、生垣の足もとや庭石の陰などにいるから、花が咲いてもたいした注目を受けることもない。しかし、目を花の高さにしてじっくりと見れば、華やかな花をたくさん咲かせている。根本から手を伸ばしてその先に小さな子をつけてひとりで増えていってくれる。大文字草は同じような花を咲かせるが小さいのに、むしろ高い値段で商品になっている。色や形のちがうものがつくりやすいのだろう。美しさだけでいえばむしろユキノシタの方がまさっているし、名前もうつくしい、葉は天ぷらにして食べられる。紫陽花はユキノシタ科に属する。

投稿者 玉井一匡 : 11:17 AM | コメント (0) | トラックバック

May 23, 2004

ユーリ・ノルシュテイン

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ユーリ・ノルシュテインが来て「エイゼンシュテインとわたし」という話をしてくれるけれどi一緒に行かないかと娘が言ってきた。ユーリ・ノルシュテインは、ロシアのアニメーションと絵本の作家だが寡作、この20年くらいで数本の短編があるだけだ。「エイゼンシュテイン・シネマ・クラブ」というエイゼンシュテインの研究会が月に一度開く例会に、今回はゲストとして彼が招かれたのだった。

 

参加者10人くらいしかいないというこぢんまりした集まりなのに、6:15開始の予定にぼくは6:45分くらいについた。しかし、ノルシュテインの話も15分ほど遅れて始まったそうで差し引き15分の遅れですんだ。そっとドアを開けると30人くらいがいたのでちょっと安心した。
はなしは
・エイゼンシュテインの考え方と方法がいかにすぐれたものであるか
・それがノルシュテインにとっていかに大切なものであるか
・それを軸にして彼自身がどのような姿勢と方法で映画をつくっているか。

 それを、エイゼンシュテインの著作、バロージンというグルジアの詩人の生き方、日本で制作された「冬の日」というアニメーションの芭蕉の表現ということについて話した。ぼくは、映画の話なんだから自分の映画にかかわるスライドやビデオをつかうんだろうと思っていたのに、草稿やメモもない。そんなものの助けを借りなくても、言いたいこと伝えたいことがいっぱいあるのだろう。 途中ひと休みして、再開後に質問を受ることになったが、真摯に答えきわめて丁寧に説明してくれた。時折人なつっこい笑顔を見せる。
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 最後に、通訳にうながされて「バロージンさんの言葉とは矛盾するけれど」といって「ユーリ・ノルシュテインの仕事」という8000円以上もする本の紹介をした。「日本でこんな立派な本を出してもらってとてもおどろきました。ロシアでもこういう本がつくられるといいんですが」と言う。その本が赤字をだしながら作られたこと、紙の選び方ひとつとっても、たいへん丁寧に作られた本であることなど通訳がそれに付け加えた。ロシアにはばかばかしいほどの大金持ちが出ているのに、一方ではこういう本が出版されないという文化状況が痛切に感じられる。

「芸術家は、自分自身は可能な限り小さな場所を占める」ようにするものだという「バロージンさん」のことばを引用したとおりに、自分がなにをしたかを伝えようというのではなく、自分が伝えたいことについて時間も忘れて話した。
エイゼンシュテインの「映画をつくるには、伝えたいと思うことが自分自身の中になければ何の意味もない」という言葉にもふれた。

「冬の日」は、NHKの三国志などの人形作家・川本喜三郎を中心にした「連句アニメーション」。34人のアニメーション作家が芭蕉を中心とする連句をアニメーションにしたもので、そのなかのひとりとしてノルシュテインは参加している。

投稿者 玉井一匡 : 10:50 PM | コメント (3) | トラックバック

May 22, 2004

ミツバチの自由

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 先日、蜂蜜の小さなビンとミツバチの巣の切れ端を持ってうちの娘が事務所に寄った。
 社民党本部の屋上にミツバチの巣をおいて、主に皇居の中のユリの木の蜂蜜を作っている養蜂家がいるというので、友人と一緒に社民党本部の屋上に行ってその人に会ってきたという。2,3ヶ月前のNHKのテレビでもパリのオペラ座で蜂蜜を飼っている人たちのドキュメンタリーを見た。どちらのはなしも、ぼくは意表をつかれた気がした。
社民党本部の屋上からすきなときに皇居に出入りする蜂たちの行動の自由さ。オペラ座で、素人のための養蜂の教室が開かれているというフランスの生活スタイル。そんなことがあるのかという心地よい驚きだった。

投稿者 玉井一匡 : 01:55 PM | コメント (2) | トラックバック

May 21, 2004

水琴窟

 click image to pop up. 千葉県芝山・花の里の水琴窟

 うちの事務所のある飯田橋銀鈴会館の、1階を占めるギンレイホールのオーナー加藤さんは、本職は不動産業だが、数年前に頼まれて赤字だったこの映画館を引き受け、今では黒字になった。ただの不動産屋じゃあおもしろくないといって体の中の虫が騒ぐらしい。バブルで景気のよかったころ、水琴窟に熱中して、自宅に水琴窟をつくり、カラー写真いっぱいの2万5000円もする水琴窟の本まで作ってしまったこともある。

 3年前のことだったが「そういう金の使い道としてはいいでしょ」といいながら、ある人が加藤さんを紹介してくれた。そのころぼくは、事務所の引っ越し先をさがしていたのだが、銀鈴会館の一室を下見に行く予定だった日の前日に、ほかの用で成田の芝山に打合せに行くと、「この近くに飯田橋で映画館を持っている人がいるんですよ」と言われた。「もしかすると、ギンレイホールですか?」という話になって二人ともびっくりしてしまった。部屋は希望した広さの半分ほどしかなかったが、何かの縁だろうと思い、家賃もやすくなることだし、その一を借りることにした。

 それから2年経った去年の春、加藤さんと一緒にその芝山に水琴窟をつくった。設計施工である。初めはもっと本格的なものにするつもりだったが、事情があって大急ぎでつくらねばならなくなった。本体は、水琴窟用に常滑で焼いた素焼きの甕を使う。加藤さんの寄付。音を出す地中の本体は加藤さんの役割で、上屋と、水を落とす仕掛けはぼくが設計した。甕を埋めるときには、水琴窟の第一人者の中野之也さんも指導で参加された。工期と費用を縮めるために使った竹は、地元の真行寺建設の社長の真行寺さんが自分の孟宗の竹林から切り出して、組み立ても自身が鋸を引いた。
 最後に、水を溜めて少しずつ落とすための仕掛けにも太い竹を使い、それに点滴用のバルブで微調整する仕掛けを加えることにした。加藤さんは、その仕掛けに加えて小屋の2面に竹の簾をつくる作業のために、夜を徹して没頭した。何年ぶりの徹夜だったと満足そうだった。
 click image to pop up. 中央に吊った竹筒からすこしずつ水が落ちる
 水琴窟の仕掛けはすこぶるシンプルなものだ。まず、地面に穴を掘って底に穴をあけた甕を逆さに伏せ、下に10センチほどの深さに水が常に溜まるようにする。穴の底にコンクリートを打ち、そこから10センチのところから水が流れ出るようにした。上からわずかな水を流すと甕の穴からぽたりぽたりと水が落ちて、その雫が溜まっている水に落ちる音が甕の内側に反響して心地よい音を出す。前には、加藤さんに連れられて、彼の自宅、成田山新勝寺の庭、鹿島市の公園などに作られた水琴窟を聞かせていただいた。もとは、蹲居の足下などに仕掛けをつくり、手を洗ったひとに不思議を聞かせようとする、庭師の秘かな楽しみだったのだろう。
 
 加藤さんに引き合わせてくれた土井脩二さんとは、短い間にきわめて親しくなったのに、彼は去年の春に末期癌の宣告を受けた。西洋医学は信用しないといって輸血も抗ガン剤も堅く拒否したので、麻酔銃で眠らせて手術してしまえなどとぼくは本気半分で言ったりしたが、医者に言われたとおりおよそ2ヶ月後の5月に亡くなった。
 水琴窟は、彼の生きている間になんとか早く作って聞かせようと、土井さんが心血をそそいだ「花の里」の一画に、短期間で作ることにしたのだった。なんとか間に合ったけれど、彼はすでに外に出ることはできなかった。

投稿者 玉井一匡 : 03:59 PM | コメント (6) | トラックバック

May 19, 2004

鉱石ラジオを聞く

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 「大人の科学」の付録の鉱石ラジオをやっと組み立てた。
本文の記事で、鉱石ラジオは電池なしで聴けるのだと小林健二氏が言っていたので、ぼくも何もないところから電波を拾い出したい。だから、まずは電池を入れない。大きすぎるのですぐに耳からこぼれおちる古めかしいイヤホンをつけてバリコンを少しずつ動かす。ラジオの向きを変えるが、何も音がしないので、外へ出てみる。自分のやったことに自信を持っているわけではないから、やれやれ配線を間違ったかと、もう不安になってしまう。
 はじめの志をもう曲げるのは悔しいが配線のチェックのためだと自分に言い訳をしながらデジカメから単三の電池を1本取り出した。配線の間を縫って鉱石ラジオに電池を入れた。
 また外に出てバリコンをまわすと、やっとジーというかすかな雑音が聞こえた。雑音は故障の徴しと思い込んでいる現代人には、雑音を喜びに感じる自分の気持ちがとても新鮮だ。ジーという雑音は、「微かに電波を捉えたよ」という知らせなのだ。・・・・ラジオの向きを変える、それはアンテナの向きを変えるということだが、すると男のディスクジョッキーが聞こえた。ちゃんと話の内容も聞き取れる。

 ・・・・と、携帯電話の会話と同じくらいにくだらない会話が伝わってきた。話し手の太った顔が思い浮かぶ。たちどころに現実と現在に引き戻された。ノルマンディに連合軍が上陸したしらせでもない、やっと戦争が終わったという天皇の知らせでもない。どうでもいい会話。
 意味の稀薄な情報が満たされる僕たちの社会に引き戻されると、自民党の政治家まで「ユピキタス」などと、理解してもいないことばを言い出すことが思いだされる。人々にとっては、メディアとそのための道具そのものが目的になってしまい、人々を操作する人間にとっては経済効果が目的なのだ。どう使うのかもわからずに日本中に作られたホールたちと同じことが「IT」という分野で繰り返されているのだなどと果てしなく思いは巡る。

 「鉱石ラジオ」は、まずは電波を拾ってくれた。だが、まだ電池の力を借りている。鉱石を金属の皿に乗るべきところを、まずは石のかわりにダイオードを乗せてある。だから鉱石ラジオにはカギ括弧がついている。ゴールは、外からの電力を加えず黄鉄鉱や磁鉄鉱のかけらを半導体として空中の電波を拾うところにある。できれば、胸おどる言葉がききたい。
お楽しみはこれからだ。  まだ。

投稿者 玉井一匡 : 12:09 PM | コメント (1) | トラックバック

May 17, 2004

東事務所の電卓

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 5月15日に、わが師匠たる東孝光氏の千葉工大退任と古希を祝うパーティがあって、東ご夫妻と古今のスタッフが集まった。ぼくはとうに「古」に属する。午後1時からだったが、ぼくは朝からひどく胃が痛くて食欲がないうえに吐き気までするというなさけない状態になった。こんなことは生まれて始めてのことだったから不景気な顔をしていたにちがいない。失礼なことをしてしまったが、何も食べたくない呑みたくないというのが残念だと思う程度の気力はあった。二次会は遠慮して事務所に戻り、横になっていたが11時を回っても直らない。
 12時過ぎに家に帰って一晩寝ると、翌日のクライアントとの打ち合せでは鴨せいろに2枚も追加して平らげた。
 
 パーティでは、古い順番にみんな数分ずつ、昔のエピソードなど話したが、ぼくは精神的肉体的な余裕がなかったから、短く話しただけだったけれど、事務所で横になりながら思い出したことがあった。
 かつて、ぼくは東事務所でたった一台の電卓を床の上に落としてしまった。そのころは光電管が10桁の赤い数字を表示する機械で、ひと桁10000円もする貴重品である。今だったらiBookの5〜6台分くらいに相当するだろう。それが落下してケースが吹っ飛んだ。ぼくもぶっ飛んだが、代わりに東さんが飛んできた。(スピード感が損なわれるので敬語を割愛します。)

 機械が落ちた時はもちろん驚いたが、東さんの反応に、ぼくはもっとびっくりした。床にしゃがみ込むなり「どうなってるの!」といって、電卓の構造を見ながらニコニコ感心している。ぼくの方は、仕掛けどころじゃあない、気が気ではなかった。はやく無事を確認したくて仕方ない。その時に電源が入っていたのかどうか、記憶は定かではない。
 試してみると、電卓はちゃーんと動いた。今にしてみればチェックをするのも簡単だった。ハードディスクの内容を見る必要もない。インタネットをつないでみることもない。色も気にしない。ただ、期待されるのは加減乗除ができるか、光電管がすべて点灯するかだけだ。
電卓は、その後数年のあいだ面積計算と積算に活躍した。ぼくは、この電卓の中身を見たおぼえがない。
 ぼくが何も食べられなかった会場は、黒木事務所で設計した「シェ・アズマ」という名のフレンチレストランだが東孝光氏とは何の関係もない。「シェ」というのは「...のうちへ」という前置詞で、フランスレストランの名前にときどき使われている。銀座の百貨店プランタンは、はじめはフランスの店の名前そのままに前置詞がついてAux Printemps(オ・プランタン)だったが、いまは「Printemps」だけになった。そのころ、「春」じゃなくて「春に」という名前はとてもしゃれているなと感心した。たしかに「オプランタン」と言っちゃあ「御プランタン」といって気取ったつもりのおばさんの言いかたみたいだから、「プランタン」になるのは当然のなりゆきだったろう。
 しかし、店のなまえに「・・・へ」とか「・・・に」という前置詞をつけて場所や時間の動きをあらわすのは、やっぱりしゃれている。こんなにゆたかな表現力があるはずの日本語だが、そういうことを表現するものがあるだろうかと考えてみるけれど思い浮かばないのです。

投稿者 玉井一匡 : 12:00 PM | コメント (0) | トラックバック

May 02, 2004

季語

saijiki.jpg 草木花 歳時記・朝日新聞

 Blogの更新をしたら、「Blog査察委員会・秋山さん」から電話があった。「これからは、Blogには、季語をいれましょう」ということばは、いつものように半分本気半分冗談だとぼくは受け取ったが、「とれたて」がひとつの売りであるBlogにとっては、季語という概念は無関係ではないなと思った。
 たった一度だけ参加した連句の会でぼくは季語を入れ忘れて素人の恥をさらしてしまったことがある。初心者にとっては、季語や枕詞というものは義務のように思われるから不自由を感じてしまうけれど、俳句や短歌のように17や31と、少ない語数という制限のなかでなにかを伝えようとすれば、季語という約束ごとは、むしろ心強い味方なのだ。
 「歳事記」は、言ってみれば季語のカタログ、言葉を季節というカテゴリーによって整理した辞書である。「花の歳事記」という本があるのをみつけて、2、3年まえに、ぼくは誕生日、母の日、敬老の日、クリスマスに一冊ずつ母に贈ったことがある。季語というカテゴリーで植物を整理した写真による図鑑で、春夏秋冬の4冊に分かれている。写真といっしょに、それを季語として詠んでいる俳句が数首添えられている、とても魅力的な図鑑だ。
 今も昔も桜という花が特別あつかいをされてきたおかげで、ぼくたちは沖縄から北海道までの春を期待したり名残りを楽しんだり、時間と場所の2重の背景を感じとる。桜という花、それを話題にするという文化のおかげで、春という特別の季節をたのしく長く幾重にも楽しむことができる。南北にわたる花のたよりから葉桜までの時間は、きっと3ヶ月間にもなるのではないか。葉は、水羊羹やくず桜を包んで夏になってからまたやってくる。

かくもこまやかな時間と場所の世界を受け継いでいるはずのぼくたちが、定規で州の境界を定めたような国の感覚と文化を、迂闊にも、しかも嬉々としてそのまま受け入れてしまい、今も進行している。あれは、彼らの風土のためのやりかた、一地方の方法なのに。
 どこの国にも、どのまちにも、受け継がれてきた時間と場所と記憶が重層している。それを、全国共通、全世界共通の荒っぽいマニュアルで整理してしまおうとしているのは、とんでもない間違いだと、日本中の都市の郊外いたるところに大型店のならぶ街並みが教えてくれる。
 それどころか、9.11の出来事にもアフガニスタンの子供たちの顔にも、イラクの瓦礫の山にも同じことが書いてある。その荒っぽい時間と場所の感覚で、2000年も昔になくなった国の回復を、力ずくでやってしまったことのツケが世界中に、そしてだれよりもそこに敵と味方として生きなければならない人たちに最も重く回って来ているのだ。

 本の写真を探そうと思ってamazon.comのサイトで「花の歳時記」と検索したら86件もある。ぼくたちがいかに花と季節が好きなのかを実感してびっくりしてしまった。手元に本がないので、どれだったのか定かではない。おそらくこれだろうと見当をつけた「花の歳時記」は発行が2004.4と書いてある。母に電話をかけて確認したら、それとは別物で朝日新聞刊・ 草木花 歳時記という本だと分かった。

投稿者 玉井一匡 : 09:06 AM | コメント (0) | トラックバック