January 28, 2005

クリエイティブ・コミーズのステッカー

creativecommies-1.jpg aki's STOCKTAKINGにCreativeCommiesのことを書いたエントリーがある。
「Creative Commies の意気に感じて、そうだそうだと思った方々、ここに「コメント」して下さい。先着7人の方にこのステッカーを一枚お贈りします。」と、書かれていたからぼくはさっそくコメントを送った。一番乗りだった。
 そのステッカーのはいった封筒が秋山さんから届いた。うらの返しには「1/7」と書いてある。
 どこに貼ろうかとまだきまらないから、とりあえず事務所の仕切に使っているコールテン綱の板に磁石で止めてみた。写真のアップルマークは、iBookについてきたシールを型板にしてつくったものだ。自転車用の反射シートを透明のプラスティック板に貼ったものを型板に合わせて切り抜いて磁石に貼り付けた。
" Thank you Bill. " いや、秋山さんありがとうございました。

投稿者 玉井一匡 : 02:43 PM | コメント (0) | トラックバック

真綿の橙

daidai2.jpg   daidai3.jpg
先日のエントリーで「真綿のお供え餅と大連」というのを書いた。
 新潟で食器店を営む親戚の老婦人に真綿の橙を贈ってあげたいと、そこの末尾にぼくは書いたのだが、一昨日「some origin」の吉田さんにメールを送って「真綿で橙をつくれないだろうか」と相談をしてみた。すると、さっそく反応があって彼女のブログにそのことを書いてくださった。どんなものができるのか、とても楽しみだ。
 このごろでは、お供え餅に橙を使うことは珍しくなってしまい、ぼくもずいぶん橙を見ていない。むかしは大きな餅を飾っていたから、大きな橙をのせていたのだろうが、今では餅も小さくなって、橙どころか、ふつうに食べているミカンよりももっと小さいが葉っぱのついたみかんを使うことが多くなった。
 自分でも橙ってどんな顔をしていたか見たくなって写真を探した。

関連エントリー
真綿のお供え餅と大連
真綿の橙-2:完成
真綿のお供え餅と橙

投稿者 玉井一匡 : 11:39 AM | コメント (0) | トラックバック

January 24, 2005

伊能大図を歩く


Click image to pop up.
 京葉線で海浜幕張が近づくにつれて、電車の乗客に親子連れや友達同士の数人の子供たちのグループが多いのが気になってきた。1月22日,23日は、全国を巡回してきた伊能大図の上を歩ける最後の機会だ。10:00開場で、9:40くらいに駅に着くから、余裕はあるはずなのに、この人たちはみんな幕張メッセに行くんだろうかと不安になる。こういうときには、いつも同じような不安にかられてしまう。しかし、駅から会場に近づくにつれて彼らとは進む方向がわかれてきた。子供たちの大部分は、ワールドホビーなんとやらの会場へ向かい、ぼくたちの目指す「イベントホール」に入ってゆくのは、おじさんとおばさんが大部分をしめる。開場10分前に「伊能大図アメリカ里帰りフロア展in幕張メッセ」の会場にぼくが着いたときには100人ほどの列ができていた。

 畳ほどの大きさの大図200枚以上を貼り合わせた日本地図を入れるにはバスケットボールコート3つ分ほどの面積を占める。縮尺は1/36,000。ぼくの個人的にかかわりのある東京、新潟、田平、御所浦などを見たあと、まずぼくは日本の4つの島の海岸線を一周した。
 ところによって、山、川、まちなどの書き込みの密度に違いがある。京都大阪周辺では書き込みの密度が高く、江戸はそれにつぎ、日本海側や東北はうすい。文化と歴史の厚みと密度を反映しているのだろうが、上方より江戸の方が密度がうすいのは、軍事的な理由なのだろう。北海道に渡れば海岸線が描かれていないところさえある。測量隊の一行は「御用」と染め抜かれた旗を背中に差していたから行く先々で協力を得られたが蝦夷地まではそのご威光がおよばなかったんだそうだと、事務所にやってきた友人が、教えてくれたとおりだ。

 地図の内側に空白が多いことに、はじめは意外な印象を受けた。しかし、じつは世界の中の日本という「自己」を確立することが必要なこの時期の日本にとっては、知りたかったのは日本の内側のありようよりも、国土の輪郭だったのではないだろうか。他者とは、世界から自己をのぞいたものであると同時に、他者と接して自己が形成されてゆくはずだから、重要なのは海岸線なのだ。
  地図は「地」と「図」で構成される。日本地図と言うとき、日本が「図(ず)」であり、その他は「地(じ)」だが、同時にその地図は世界が「図」で、日本が「地」でもある。もしかすると、伊能忠敬が50才もの年になってから勉強をはじめ、気の遠くなるようなこの試みに取りかかりなしとげることができたのは、それが日本を描くと同時に世界を描くことであると気づきいたからなのかもしれないと思う。

投稿者 玉井一匡 : 08:02 AM | コメント (4) | トラックバック

January 20, 2005

モーターサイクルダイアリーズ

che.jpg 昨年の誕生日に、娘がチケットをプレゼントしてくれたのだが、グズグズしてひと月以上も行けなかった「モーターサイクルダイアリーズ」を、やっと見ることができた。
 大晦日に初詣にゆくの車の中で、J-WAVE恒例・沢木耕太郎のミッドナイトエクスプレスというディスクジョッキーでこの映画のことを話していときには、聞かないようにやり過ごした。正直に言って原作の翻訳「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」からは、なんにも感動を引き出すことができなかったけれど、映画は期待した通りに原作の翻訳よりもはるかにいい。そういう意見は、以前に僕の書いたエントリーにトラックバックされたblog「40歳からのクローン病」にも書かれていたが、ストーリーを知っていながらも、映画には胸を打たれた。

 たくさんのひとたちのエルネストに対する愛情のこもった表情が生み出すものに、ぼくは心を動かされたのだが、それは演技によるものだけでなくて、きっと南米の人々のゲバラへの敬愛から自然にみちびきだされたものなのだろう。
 終映後のロビーに、主演のガエル・ガルシア・ベルナルのインタビュー記事が張ってあるのを見つけて、映画館の館員が後かたづけを始めるまでそれを読んでいた。
「メキシコでは、ゲバラのことは学校でも教わるし、みんな尊敬しているんです」
メキシコはトロツキーが亡命していて暗殺されたところでもあるし、ゲバラがカストロに会ったところでもあるのだから、それも当たり前かもしれない。カンヌで、この映画以上に評判の高かった「華氏911」についてさえ、「アメリカ(合衆国)の中の選挙のために作られた映画にすぎない。ほかの国では、誰でも知っていることを並べただけの映画だ」と言い、かつてF.L.ライトに美術館を設計させたグゲンハイムは、この映画の中で先住民たちにひどい労働をさせていたチリの鉱山の持ち主だったことも指摘していた。そんなことを、ぼくはまったく知らなかった。
 映画は数カ国を移動する旅なのに、どこでもスペイン語で言葉が交わされ人種の構成も似かよっているし、国境を越えていることがあまり感じられない。むしろ、人間は国境よりも階層や人種によってできているレイアで分かれていることを、この旅でエルネストは実感したのだろう。国境についての意識には、外の人間にはなかなか理解できないものが潜んでいるはずだが、ぼくたちが「アメリカ」というとき、それはアメリカ合衆国を意味するけれど、じつは南米でアメリカといえば、南米すべてと「アメリカインディアン」を意味するのだろうと、今頃になってぼくは思う。

投稿者 玉井一匡 : 02:32 AM | コメント (3) | トラックバック

January 19, 2005

UNCOVER HUMAN BODY

秋山さんから宅急便が届いた。段ボールの包みを開くと、aki's STOCKTAKINGに書かれていた
「HUMAN BODY」が出てきた。
ウームおもしろいと、この本について感動しつつ、いつもながらこういうものを見つけてくる秋山さんの嗅覚にも感心してしまう。
人体を9つのレイアにわけてあって、ページをひらくごとにプラスティックの内蔵模型がひとつはずされてゆく。9つのレイアは・・・1)皮膚系 2)骨格系1:頭蓋骨・肋骨・骨盤 3)骨格系2:腕・足 4)消化器系 5)泌尿系 6)循環器系 7)呼吸器系 8)筋肉系 9)神経系:脳・神経・背骨・骨盤 である。
ぼくはすっかり感心してしまって、こんな風に書いてみたんだが、文字になったものを見てみると、この絵本の持っているすてきなところが何も伝わらない。言いかえれば、文字でも、絵でも、あるいはコンピューターでも伝えられないもの、この本じゃなければ伝えられないものを豊富に持っているということなのだ。

 まず、人体の中身が上下に(人体を寝かした状態にして)重ねられていると考えついたことにもぼくはいたく感心したのだが、人体が解剖台や手術台に載せられると、解剖する時にも手術するときにも、医者はこういうふうにして順番に中身をとりだすのだろうと気づいた。だから彼らの頭の中には、人体の中身がこう重ねられている地図が描かれているんだろう。
 amazon.comで見ると、この本は8-12才向けとされているのに、読んでみるといい年の大人さえ感心してしまうところが少なくない。人体のシステムの模型を中心において、周囲に細かいイラストつきの説明があって、表側のページには内蔵の仕組みの説明、裏のページには機能についての説明がある。たとえば表ページで腎臓のメカニズムについての説明を読んでから裏を見ると、大人で1日に8オンスグラスで8杯の水が必要だが、ノドが渇いてから飲んだんじゃ遅いんだとか、出たばっかりのオシッコは無菌で、飲めるくらいきれいなんだなんて書いてあって、とても説得力がある。もちろん、表のページからは模型の表側が、裏ページからは腎臓の裏側がみられる。
 
 昼飯を食べながらページをめくって、あらためて人体のメカニズムの精妙さに感心した。これまで、自分の身体については病気のことや体力の強化などについて考えることはあっても、それを材料にして生物学の基本を考えようという気にはならなかった。自己を対象化しようとしなかったわけだ。この本と、まだぱらぱらと開いてみただけだが「ヒトのからだ」のおかげで、ちょっと考え方を改めることになりそうだ。人体の不思議展にもいかなければならいな。
 コストコがそばにあることにも羨望しました。

投稿者 玉井一匡 : 12:26 PM | コメント (1) | トラックバック

January 10, 2005

伊能大図の上を歩ける日

inou.jpg 日曜日の午後、事務所に行く途中に通りがかったカフェ杏奴をのぞくと、いのうえさんが帰ろうかと腰を浮かせたところだった。伊能忠敬の地図を武蔵大学で展示していたのを見て来たというはなしを、昨年の末に彼から聞いていたが、そのあと日大の文理学部でも公開されるといわれたのにぼくは行き損なっていた。先日、事務所にたずねて来た高校時代の同級生がやはりその話をした。60mもの大きさの日本地図が床一面に広げてあって、それをビニールでおおってあるから上を歩けるんだと聞いたら、ぼくは行けなかったことをにわかに悔やんだ。

 ぼくたちの高校時代の化学の先生・ケチョンこと伊能敬先生が伊能忠敬の直系だった。画家であるその弟さんの洋氏が、お弟子さんの協力もあって伊能図の全てを模写されたのだという。原図といっても、それ自体が明治初期に陸軍が書き写したものらしいが、全図225枚のうちの207枚がアメリカにあることがわかった。そのコピーをもとに模写されたものを床いっぱいにひろげてその上を歩けるようにするというわけだ。この地図は、原寸大のもの207枚が日本地図センターで販売されている。つなげると実に61×50mの大きさで、価格も実に8,650,000円という壮大さである。
大図の上を歩くことはもうできないのかと探してみたら、最後の機会がもう一度残されていた。「伊能大図アメリカ里帰りフロア展in幕張メッセ」で見られる。1月22,23日/10:00-17:00,23日は15:00まで幕張メッセ・入場無料です。

 いのうえさんは虫眼鏡をもって見に行ったそうだが、幕張メッセなら高いところからも見られるだろうから、双眼鏡も持っていこうと、ぼくは思っている。およそ人間がたのしくあるくことを考えていないまち幕張、そこに、50才をすぎてから日本中を歩いて測量しつくした伊能忠敬という並外れた人物。その人の作った地図を広げてその上を歩けるようにしようという魅力的な企画を日本中に巡回させたこと、その最後の幕引きにに幕張を選んだという何重にも重ねられた逆説あるいは皮肉にも、しかも入場無料であることに、スタンディングオベイションをおくりたい。
そういえば、初めて幕張メッセに行ったのはカナダ・アルバータ州の恐竜展だった。

投稿者 玉井一匡 : 11:35 AM | コメント (2) | トラックバック

January 08, 2005

真綿のお供え餅と大連

 先日、新潟で母を歯科医に連れて行った帰りに親戚の経営する食器店「大橋洋食器」の前をたまたま通りかかった。どういうわけか、これまで一度も店には寄ったことがなかったので、店の前のパーキングメーターにクルマをとめて中に入った。1,2階が店で4階に社長の夫人の母上がひとりで住んでいらっしゃる。子供のころからぼくたちは「あっちゃん」と呼んでいる社長の父とぼくの父がとりわけ仲の良い従兄弟同士だった。この日はたまたま、あっちゃん夫妻と母上が在宅で、食器のならぶ1階と、合羽橋のように調理道具がいっぱいの2階を見ると、商品を素顔で並べているプロ向けの店が僕は好きなのにこれまで寄らなかったことを悔やみながら通り抜け、店の奥にある階段をのぼって4階にたどりついた。

 座敷の床の間に8寸ほどの大きなお供え餅があったが、大きなみかんの重さに耐えかねて中央が沈んでいる。近づいてよく見ると、それは餅ではなく真綿でできている。

 ちかごろのプラスチックのお供え餅は餅型のなかに小さな丸餅が詰められているという半ニセモノが多いが、それとはちょっとちがう。新年とはじめての訪問の挨拶が終わると、待ちかまえたようで恐縮だが「お供えが真綿なんですね」と、さっそく質問にうつった。
無教会派のクリスチャンでおられる母上は、うれしそうに説明してくださった。
 「むかし、うちに出入りしていらした方が、毎年、年末になるとそうやって真綿でお供えをこしらえて届けて下さったんです。いつからだったか、お年も召されたから、届けられなくなったんですが、ありがたいお気持ちを思い出して最後の真綿のお供えを出して来て飾ることにしたんですよ。ほんとは、上に乗せる橙も真綿でつくって色をつけてくださったのがのっていたんですが、橙がなくなっちゃったんで、本物のみかんをのせたら真ん中がへこんでしまう。ですから、下に小さな箱をいれてあります。」
お供え餅が記憶の箱の蓋をあけるカギになったのかもしれない。むかしの話へ、つぎつぎと広がっていった。
「父がディーゼルエンジンの研究をしていたものだから大連汽船に勤務して、わたしは大正14年に大連で生まれました。20才で終戦になって23ではじめて日本に来ました。大連は放射状の道路に洋館風の家でしゃれたまちでしたから、はじめ新潟が窮屈でした。」
「戦後に大連にいらした3年間はずいぶんご苦労なさったんでしょ?」
「帰るときの船に乗るのは大変で、行列をはなれたらもう席がなくなるというんで、お手洗いにいくのも我慢してとても長いあいだ待たされました。でも、むこうに住んでいるときはいいひとにめぐまれました。はじめは、父が外出するときには、娘3人でしたからいざというときにはここにあるから飲みなさいと、天井裏に隠した青酸カリの場所を教えてもらっていました。でも、ひとりだったら怖かったでしょうけれど、姉や妹も一緒でしたからちっとも怖くありませんでしたよ。
 ご近所に製粉所をやっていたお友達がいらして、その方は働いていたシナ人にもとてもよくしていらしたから、終戦後はその人たちがむしろ守ってくれました。戦後にはその工場で占領軍に納める粉をつくっていたので、父もいっしょにやっていました。
 ソ連軍の将校が、住まいとして家を貸してくれないかといってきたんですが、その人がとても純朴な夫婦だったから、うちの部屋を貸してあげることにしました。でも、家賃はいらない。そのかわり、私たちを守ってほしいと父が言ったんですよ。ときどき軍隊からもらう食べ物なんかも分けてくれたし、赤ちゃんもうちで生まれました。ほんとうにいい人たちでした。」
写真を見せていただいたが、たしかに、カラー写真だったら頬の赤いような、見るからにロシアの農民という風情の夫婦だった。
「ひどい目にあったという話はいっぱい聞きましたが、そういういい話は、ぼくははじめてうかがいました」
 その後ふたたび家族みんなで大連を訪れたときの話やら、大連にはライトが設計したきれいな病院があったことなど、それからしばらく、アルバムを見せていただきながらむかしの話をうかがった。その日の夜には東京にもどる予定なのに、いつまでも興味深い話はつきなかった。来年は真綿の橙を持っていってあげようと思いながら店の前のパーキングメーターを見ると、赤いランプが気ぜわしく点滅を繰り返していた。
 デジカメを持っていかなかったので携帯のカメラで真綿のお供えをとったら、写りが悪いお蔭で、かえって本物のようにみえる。

関連エントリー
真綿の橙
真綿の橙-2:完成
真綿のお供え餅と橙

投稿者 玉井一匡 : 10:37 PM | コメント (0) | トラックバック

January 06, 2005

年賀状のわけ:2回目の乙酉

 秋山さんから電話をいただいて、きみの年賀状は太陽の位置と影が逆だという指摘を受けたので、よく聞いて下さいましたとばかり説明をした。「そりぁあ聞かなければわからないよ」と言われたので、説明を書き加えることにした。

1)影が逆なのは、もうひとつ太陽があるということを言いたいのです。影は沈む夕日が作ったものだけれど、もうひとつの新しい太陽が出て来るんだと。
ぼくのうまれたのは1945年だから、今年は60回目の誕生日をむかえ、ふたたび乙酉を迎える還暦というわけで、心機一転というつもりである。もうひとつ影を描くという手もあったけれどそれはちょっとうるさくなる。奥から手前に影をつけると、この位置では鶏の影が見えない。というわけで太陽と影を逆にした。
2)この影は、愛用のCADソフトVectorWorksによって、太陽の位置を1月1日午前10時に設定し、RenderWorksによってレンダリングしたもの。奥にある木や住宅は3Dでつくってある。
VectorWorksは、「MADconnection」の五十嵐進さんがずーっとマニュアル本を書いておられる。
3)鶏は、絵をトレースして3D多角形(トリのかたちの板のようなもの)をつくり、影を落とした。鶏の絵の奥にはその3D多角形が重ねてある。
4)鶏の絵は江戸時代の商人であった画家、伊藤若冲によるシャモを、photoshopを使って切り抜いて使った。英語でchickenとは「臆病者」のことだが、シャモは戦うニワトリという逆説的な存在が面白い。しかし、トリ同士で戦う「軍鶏」ではなく、タカとたたかう弱者でありたいと思う。
5)「若陽来冲」は、その若冲の二文字の間に「陽」と「来」をはさんで、新しい若い太陽が沖にやって来たという意味のつもり。
6)住宅はBe-houseのつかっている1mグリッドによっている。平面の大きさ4m*4mの2階建て小住宅。朝日と夕日を見るための屋上があって、そこにはコルビジェの人間モデルが立っている。かつて五十嵐さんが作ってくれたのを3Dにして、ぼくはよく利用させてもらっている。1階は周囲を盛土で包み保温し、同時に高さを感じさせないようにしている。
7)4mの距離を置いて並ぶ樹は、住宅と梁で結んだ。柱として住宅の耐震性を向上させ、家の上に影を落とす。1階には浴室があるので、その前の空間を包む役割も果たす。
8)ちなみに、十干十二支の「十干」は、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸。陰陽五行説では世界を構成する五つの要素とされる五行:木火土金水(もっかどごんすい)のそれぞれに「え」と「と」をつけて作られる10の組み合わせで読む。順番に「きのえ」「きのと」「ひのえ」「ひのと」「つちのえ」「つちのと」「かのえ」「かのと」「みずのえ」「みずのと」だから、ことしは「きのととり」というわけだ。己から癸までは憶えていなかったので、広辞苑をしらべた。広辞苑を開いて知ったことがもうひとつあった。「え」は「兄」、「と」は「弟」なのだ。

投稿者 玉井一匡 : 10:26 PM | コメント (1) | トラックバック

January 02, 2005

愛知万博

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 kawaさんのブログ「Things that I used to do」で、愛知万博のことがかいてあった。それにコメントを書いているうちに、これはぼくのブログで言っておきたいと思い始めたので、トラックバックしてこのエントリーにつなぐことにした。
 万博なるものは、ぼくは1970年の大阪万博以後は2度と見ていない。それは、どんな器をつくろうともその中につめられた宝物がすてきなものでなければ何の魅力もないということを、大阪万博で教えてもらったからだと思う。万博の建築が、そこに内包されるもので「世界」を語ることができたのはモントリオールのフラードームが最後だったのではないだろうか。いまだにそれに気づかない人たちが、超高層の都市なんかをつくり続けているにちがいない。
 その意味では、kawaさんの言うように愛知万博の器が控えめであるのだとすれば、そのことはむしろ評価したいとぼくは思う。パビリオンをつくることに金をかけるより、パビリオンが土に還ることを探求し伝えるべきだと考えるからだ。
 しかし、「愛、地球博」なんて語呂あわせはいくらなんでも悲しいんじゃないか。洗練からはあまりに遠い。「愛」と書かれたシールを貼っただけでダンボ−ルの中に素敵なおくりものや「愛」などがあるとは、ぼくはどうしても期待できないのです。

投稿者 玉井一匡 : 11:19 PM | コメント (4) | トラックバック

January 01, 2005

新年おめでとうございます

nenga2005.jpg
あけましておめでとうございます。
 昨年のようにうれしくないことの多かったあとでは、年が明けると時間がリセットされる気分になる日本の習慣が、今年はひときわありがたく感じられます。 ことしもよろしくお願いいたします。

ブログに年賀状の絵をのせて新年のごあいさつをするのは、今年で2回目になるのだけれど、年賀状のつくりかたとメディアが年ごとに変わって来たことが、そのまま世の中の画像表現の方法の変化を反映していたのだということを実感します。板、イモ、消しゴム、リノリウムなどをつかった版画から始まって、日光写真のようにして版をつくるシルクスクリーンを使っていた頃には、とうとう晴れの日がなくてスチレンボードを重ねて切り抜いた版画を正月になってからつくったことがありました。それがプリントゴッコのおかげで空の具合から自由になり、Macを手にしてからは、数えきれないほどの自由と可能性を手にしました。とはいえ、何を描くかというハードルを超えなければならにことには変わりがなく、年賀状というちいさなものにも、さまざまなものつくりと表現という問題がつめこまれていることを思いました。
 さらに、eメールに添付してお送りできるようになりました。それからまだ2、3年しか経っていないのに、さらにブログというメディアができたのです。
 なにしろぼくは、いつも年末まで絵ができあがらないものだから、年賀はがきは元旦にお届けすることができない。それに早々と「新年おめでとうございます」と書くより、実際に年があけてからのほうがどうも気持がいい。eメールのおかげで、年が明けてから、本当にことしのこととして文章を書き、しかも絵を添えて元旦の朝にお届けすることができるようになったことがなによりうれしく思われます。

 そして、ブログが登場して1年とすこしが経つと、ブログの何たるかが実感としてわかるようになりました。ブログで新年のごあいさつをするのは、eメールよりも、むしろ改まった感じがします。と思いながら、はがきとeメールのよさもそれぞれに捨てがたく、今年は、はがき・eメール・ブログという3本立てになりました。

 今年はよい年になるようにと願い、よい年にしようと気持をあらたにつつ、どうか本年もよろしくおねがいします。

投稿者 玉井一匡 : 04:22 AM | コメント (8) | トラックバック